37 :殲滅戦
「うぎぐぐぐ」
俺はこの世界で生まれて初めての、筋肉痛を味わっている。
人族の持久力を超える活動を俺はした。当然だな。
逃げたことが主な理由だと分かってる。
しかし――。
「草が、俺を呼んでいる」
どちらかといえば、お呼びでないところを俺が襲い掛かりに行くわけだが……いい加減ぼやいてないで起きよう。
重い体を引きずり、部屋に渡してある洗濯縄からズボンを取った。
昨日は、ふらふらで帰ってきたのに結局洗濯してしまった。服にかかった粘液が気になって仕方なかったんだ。
急いで洗ったけど石鹸で駄目だったときは焦った。まさかこれも魔素洗剤が役立つことになるとは。こんなこともあろうかと買っておいて良かった。
ケムシダマめ、早速使わせやがって!
荷物を取りまとめ、水筒に水を汲むと朝飯を食い、弁当を持って宿を出た。
やはり飯があるかないかは、やる気に天と地の差がある。
今日こそケダマ草に引導を渡してやる!
草地を抜けて、森の端っこへと移動しているときだった。
「待て、草タロウ!」
低い男の声が届いた。
ここはカタカナ風の名前ばかりかと思っていたが、似た名前の奴もいるんだな。
決して俺のことではないはずだ。
心なし足を早め振り返りもせず歩く俺に、声は追いついた。
「おい草タロウ、考え事か?」
「草は余計だ!」
くそっ、つい返事しちまった。
俺と並んで歩き始めたのは、カイエンだ。何やら笑顔なことが訝しく、ちらと見上げる。ただでさえ、はるかに見上げなきゃならん奴に横を歩かれて気圧されるというのに。ギルドで声をかけてきたとき、勝負が云々と言っていたことも懸念の一つだ。
「高ランクの仕事がこっちにあんのか」
「ハハハ。すっとぼけるなタロウ。貴様からの報告、しかと受け取った」
「なんの話だ?」
俺の質問に、見ていると疲れるほど暑苦しいカイエンの笑顔が、消えた。
「繁殖期が来たそうじゃないか。緊急討伐の指示を受けた」
その内容に、はっとする。
カイエンの態度からも、この前のようにふざけたところはない。真面目な顔で言われると、威圧感がぱないな。
よっぽど、あのケムシダマの状況が異常なのか。と同時に違和感。
なんで、こいつ一人なんだ?
「他の奴は? 幾ら低レベルつったって、草原中にいるだろ。あの粘液攻撃は、まずいんじゃないか」
「ほう。そこに気付くとは、さすがは草に仇なす者だな」
「お前は草のなんだってんだよ」
思わずツッコミを入れたがスルーされた。
「その通り、ここのケムシダマは草原の支配者と呼ばれるほど溢れる。繁殖期にはな」
おい、その呼び方。聞き覚えがあるぞ。
確か俺のことを、そんな風に呼んだやつがいたよな。
あんなもんと一緒にするな!
カイエンは話しながらこちらを向いて、不思議そうに見た。複雑な気持ちが顔に出ていたようだが、誤解してくれたらしい。
「なんだ、繁殖期に当たったことがないような顔だな?」
「……平和な、地域だったもんで」
「そうか」
とっさに言い淀んでしまったが、俺が知らないとなれば、また前方を向きあっさりと頷いた。
「馬鹿みたいに魔物が増えっから繁殖期と呼んでるが、魔素の均衡が崩れて起こる現象だ。困ったことに、時期が決まっているわけじゃあない。だから都度、その場にいる冒険者で対処しなきゃならん」
知らない方が珍しいような態度を見せたというのに、別に知らないからと呆れられることもなく、カイエンは切り替えて説明を始める。シャリテイルが言っていたように、情報の共有は当たり前なんだろう。
説明を聞いて、なるほどと納得する。
実際に繁殖するわけでなくて安心したが、厄介な現象があるもんだな。
「特に低ランクの魔物が爆発的に増えるんだ。その間、中ランク中位者以下の奴らは東西に重点的に配される。畑や放牧地があるからな」
「ケムシダマに限らないのか……」
昨日のカピボー討伐数にも納得いった。俺が運悪くカピボーの潜む藪だけ、つついたから出てきたんじゃなかったわけだ。
なら今日のケダマ草採取も厳しいか?
でも、あと半袋分だしなぁ。急げば午前中でどうにかなるだろ。
カピボーが増えても、残りは大人しく草刈りしてりゃ宿代分ノルマは行けるな。
「で、こっちに割ける人員は、カイエンしかいないと」
「やれやれ、高ランクってやつは辛い立場なのさ」
格好つけようと首を振っているが、にやけ面で照れが隠せてない。褒めたわけじゃないんだが。
どうもシャリテイルと同じ類の人間に思える。間違いなくそうだろう。
「まあ、なんつーか。気を付けて?」
「おう、任せろ。タロウは背後を警戒してくれてりゃいい」
「ああ、背後ね……は?」
おっと刈りかけの草地が見えてきた。やっぱりケダマ草採取の残りは明日にして、今日は一日草刈りしてよう。そうしよう。
「あ、持ち場はここなんで。これで」
「ふむ、シャリテイルから聞かされた通りだな。自らの意志を曲げず貫く頑固君。優秀な冒険者には必要な資質だ」
シャリテイルの言い分を鵜呑みにするな。
冒険者とか関係ねえ。生活がかかってるんだよ。お前らとは違うんだよ。。
「おっ、その嫌そうな顔は気付いたな。その洞察力も冒険者には……」
「いいから、なんなんだよ」
「せっかち君とシャリテイルが呼んでいたのも、また正しいようだ。オレも優秀な冒険者だからな。任務はきちんとこなすと言いたかった。さあ急ぐぞ!」
「断ぐべっ!」
断る、と言いかけて変な空気が喉から出た。
見えている景色が回転した衝撃らしい。
あ?
逆さまの草っぱらフィールドが横スクロールし、加速する。瞬く間に緑の筋となって遠ざかり、視界は南の森面へと移っていた。
俺は、カイエンに担がれていた。
「離せええええぇ……!」
なんでケムシの海に低ランクの俺が行かにゃならんのだ!
辺りを気にかけることもなくカイエンは走り、ちょっとした藪などものともせず突っ切る。おかげで、わらわらとカピボーが飛び出る始末。
おお! カピボーのスピードを振り切っている、だと!?
これが炎天族の特性だというのか……。
「……ぼええええ」
「オオイ肩で吐くなよ!」
俺は乗り物酔いなどしたことはない。だが、揺れる度に腹に来る衝撃は殴られてるのかというほどの凄まじさだ。
その時間はすぐに終わった。
「よし、降りろ!」
「お前が降ろせ」
そのままどこぞへ連れ去られるかと思ったが、森の中を突っ切り、あと少しで草原に出るといったところでカイエンは止まった。
「うぼえぉ、炎天族はどんだけ馬鹿力だよ……」
装備も重そうだし、俺を担いで全力疾走とかアスリートか。
「おー疲れた。無理するもんじゃないな。もう少しだから、逃げるなよ」
無理してたのかよ。
肩を回しながら歩き出すカイエンの後を、仕方なく歩き出してみれば、大した距離を移動したわけではなかった。
ああ、そういえば、一時的な力の発揮はすごいが長くは続かないんだっけ。
一長一短か。種族差を目の当たりにできたようで、思わず感心する。
本当に、人族が特別劣っているということはないんだろうな。
生活することを考えれば今では、地味だろうと長時間働けるこの体で良かったと思えるし。
ただ、戦闘において最弱なだけ。
最弱が、特徴なだけ……。
悪意が含まれなくとも、含まれて聞こえる言い方なのは、どうにかならないのかと思うが。
内心でぼやいていたら木々が途切れた。
「んじゃ遅れるな。念のため武器を持ってろよ」
「へいへい」
ナイフを手に、諦めてカイエンの後に続きキモ草原に踏み出した。
草むらに緑の岩がゴロゴロしている。いるのだが、パッと見さらに増えてる気がする……。
そこへ大股でずかずかと歩いていく恐れしらずが。
「おい、まずいだろ!」
「いいからいいから」
よくねえだろ。
俺は近づく勇気もなく、立ちすくんでいた。
遠目には折り重なって草原を埋め尽くしているように見えたケムシダマだが、よく見れば何匹かで集まった列が幾つもあるようだ。多少は列と列の間に距離はあるらしい。それでも、俺には安全な距離など判断がつかないし、びくびくしながら眺めるしかできない。
一応はカイエンも、手前の列の端から近付いている。なにか手があるのか?
案の定、近くの奴から頭を上げていく。口が開いて粘液を吐くと思った瞬間、カイエンの蹴りが端の一匹に入っていた。
「ゲュ……」
粘液は吐き出されるどころか叫びも最後まで放たれることなく、水風船が割れるように弾け飛んだ。
「え」
のんびり歩いていて、蹴るにはまだ距離があるように見えたのに、いつの間に近付いたんだ?
一匹目に起こったことを、俺がどうにか認識する間にも、カイエンは次々と一列を蹴り潰していく。
列の最後に残った一匹の首を片手で掴み上げると、こちらへ歩いてきた。
「……はやくね?」
「ちょーよゆう」
ニカッと笑いながら、カイエンはボーリングのフォームを取った。
そして地面に、手にしたケムシダマを転がす。
俺に向けて。
とっさにサイドに移動して避けた。
蟹避けは一番うまくなった動作の気がする。転がるケムシダマは俺のそばを通り過ぎて、背後で止まった。
じゃなくて。
「なにしやがるんだよ……!」
気が付けば、すぐ近くに立っていたカイエンは、良い笑顔でほざいた。
「ちょっと戦ってみろ?」
何をちょっと跳んでみろ小銭の音がするなぁみたいに軽く言ってんだ! いじめか!
「なにを驚いたような顔してる。ケムシダマ程度はあしらえると、コエダっちからも聞いてるぞ」
うわあ、馴れ馴れしい。これが高ランクの貫禄って奴か。
って、大枝嬢! なにを伝えてんだ!
泡食ってると、顎でくいと俺に戦えと支持する。
どうしたもんか。何か意図があるに違いないと思うと警戒心が沸く。
カイエンの笑みは、不敵なものに変わった。
「それ一匹だけだ。ただ見てえんだよ……最弱の戦いってやつをな!」
なんだその理由!
俺が問い詰めるのを避けるためか、カイエンは距離を取った。
何のつもりかは知らないが、こんなところで放置されたら戻れる気がしない。
ナイフを掴む手に力を込めると、体勢を立て直したケムシダマと向き合った。
俺にできることなんか、大してない。
落ち着け。
落ち着いて、昨日と同じことをやればいい。
息を吸うと、小走りにケムシダマの背後へと回り込んだ。
一匹だけで周囲を気にしなければ良いなら、カピボーよりも楽な相手だ。
ケムシダマの喉への攻撃を決めると、即座に離れた。
腹立ちを込めてカイエンを睨みつける。
「これで、満足かよ?」
カイエンは両拳を固めて、子供のように輝く顔で見ていた。
「うん!」
楽しんでんじゃねえよ!
「ほほう。そうか、そうきたかー」
「勝手に満足するな。一体なんのつもりだ」
「いや、感嘆したんだ。鈍足具合を補うための、迂遠な攻撃……見事だったぜ」
殴りたいんだが。
まさか、本気でそんだけの理由かよ?
どう怒ればいいのかと考える間に、カイエンは別の列に近付いていく。
「んじゃ、次はオレの番な」
軽い口調とは、不似合いな気合いを感じた。
おい、まさか、これが勝負云々の話か?
勝負になるかよ馬鹿馬鹿しいと、呆れを伝えようと思った。
背を向けたカイエンが、剣を抜くのを見て、緊迫感に固まる。
手のひらほども幅広で、刃渡りも一メートル以上あるだろう。柄も両手で握ってまだ余るほどに長い剣だ。
かなり重量もあるはずだ。それを片手で軽々と水平に持ち、無造作に緑の波に近寄る。
刃の黒地に微かに浮かぶ赤いマーブル模様が、日差しを反射して浮かび上がる。
素直に格好いいと見入ってしまった。
カイエンは、列の端からではなく中心から堂々と近付いていく。
立ち止まると、おもむろに重心を落とすと、真横に薙いだ。
たった、それだけだ。
それだけで――刃の線上にいた魔物が、すべて、弾け飛んだ。
視界を埋める赤い煙を、声もなく眺めているしかできないでいた。




