岩腕族の鉱脈・後編
気が付けば知識に傾倒する高層、手先の技を磨く中層、他の労働を請け負う低層の住人へと別れた岩の肌を持つ者達。
しかし全ては生きるために必要なことに変わりなく、大きな争いもなく体制の変化は自然と受け入れられていった。
代わりに、それぞれの集まりをまとめて率いる者が選ばれ、高層で顔を突き合わせて話し合う場が持たれるようになった。行動の報告や意見の交換が、彼らに様々な計画を立てやすくする。
そして、大きな計画が持ち上がる。
「麓を目指そう」
麓の草原地帯も、普段は暮らし辛いわけではない。今の技術であれば、冬に耐える家屋を建築可能だと考えた。
そうして雪のない期間が来る毎に少しずつ、吹雪に耐える石造りの壁や家屋などを築いていった。
小さいながらも頑丈な拠点を手に入れた彼らは、自然の豊かな東を目指した。
それまで耐え忍ぶことに費やしていた長い時を、有効に活用できるのだ。見る間に彼らの拠点は広がり、立派になっていった。
生活が安定してくれば人も増え、そして、袂を分かつ者も現れる。
よりよい場を求めて多くは東を目指し、その半ばにも腰を落ち着ける場を決めて、離れていく者らもいた。
東を目指すのは、彼らがさらに西から逃げ延び、この安住の地を見つけたと伝えられているためだ。西の果ての向こうは大渓谷が人類の繁栄を阻み、さらにその向こう側は涸れ果てた地。
北は日の差さぬ大森林。南は大渓谷ほどではないが、やはり山並みが続き、乾いた岩棚が広がり、生き物のない赤い地へと変わる。
山の上から見る限り、西の果ては灰色に塗られ、生命の息吹をまるで感じられない。
距離感の掴めない、灰色の起伏で霞む向こう側には、世界が断裂したように深い渓谷がある。さらには石筍が連なるような山並みに囲まれ、人が越えるのを困難にしていた。
遠い昔にどうやってか彼らはそこを越えて来たと伝えられており、灰の地の向こうは、地面を幾ら掘っても赤い砂の厚く堆積した地だという。
彼らが青い山脈周辺を果てと呼ぶのは、人が住むのが可能な地の境目だと考えているためだ。
そうして青い山脈や草原地帯からも飛び出した者らが、幾つかの集落を、ある程度の距離をとって築いてしばらく。
当初は人手が減ることに不安を抱いてた者も多かったのだが、逆に出ていった者らが環境の違う場に腰を落ち着けたことで、交易が盛んになる結果となった。
それまで全員が山脈に暮らしていた頃は、木材を仕入れるのにも季節が巡る間に一度きり。それが、わざわざ人手を長期間割かずとも、森に暮らす者らから融通をつけてもらえるようになったのだ。
代わりに、丈夫な道具類などと交換するといった風に、協力して生きる道を見いだせたことを誰もが喜んだ。
青い山脈に住む者らは作ることに注力できるため、ますます技術は進歩していく。
余力も生まれ、他の益のある場を見付けるべく、長は探索に人を出すことを決めた。東の方面には、すでに多くの同族が向かっている。先祖は西の果てから渡って来たらしいのだから、恵みになるものがあるなら山脈の北側か、草原地帯の南側になるだろう。その方針で送り出した。
そんな時――大地の鳴動が、強固な山脈を揺らした。
崩落被害はなかったが、地面が揺れるなど初めてのことだ。言い伝えにもない。
遠いどこかから足元を伝って届いた音に彼らはひどく動揺するも、不安の下で、いつも通りの生活を送る。
それからしばらく経ち、山の上層から景色を見ていた時の長は、ふと気づく。
「冬の風が、吹かぬ」
いつもならば、雪のちらつく時期だ。
遅れて来た寒気も、草原をまだらに染めるだけで、厚く多く降ることはない。
冬季だけは、例年と同様に全ての熱を奪う魔の手をふるったが、過ぎてしまえば、穏やかな季節への移行は早かった。
おかげで、常ならば体調を崩し、はては命を落とす者の数も減りはした。
だが、あまりに急な変化は、人々の間に動揺を残したままだ。
手がかりはないかと、難所と思われる地へも探索に人を出した。
間もなくして、西の果ての向こうから探索に出した使者が戻った。
「灰の地が、減り続けている」
使者から告げられたことを、誰もが深刻に受け止めた。幾つかの変化が、無関係とは思えない。
その昔、灰の地はもっと広大だったと考えられている。
使者が見たのは、赤い砂丘に時おり突き出している灰の杭だ。かつての山の頂上であり、それが証拠だと考えた。
ほぼ同時期に、東に暮らし始めた者から慌てたように連絡がよこされる。
「東の果てから、青い陽炎が消えた」
人々は言葉を失う。
――何かが、少しずつ、この世を狂わせている。
彼らは考える。
岩の民が呼ぶ東の果てとは、人には越えられぬ青い水の地だった。身体に毒だという、広大な水場だ。
毒とはいうが、彼らにとって忌む色ではない。
大いなる力を、たかが人の身では受け取めきれないというだけだ。
彼らの守りの色は、その力で東の果てを閉ざし、我ら人の暮らしを守ってくださっているのだと考えてきた。
今や草原へと住処を移していた長は、青い山脈を見上げた。
「守りが、失われたというのか」
長い間、灰の地が赤の侵食を食い止めていた。そこに垣間見える青のおかげだろうと考えたのは、急激に飲み込まれたとしか思えない侵食の仕方だった。
彼らがこの地に移ってより、長い時が過ぎようと、人の身にとっての話だ。
使者の話を聞いて長は、山の最も高い場所から西の果ての向こうへと、不安げな視線を向ける。
灰に霞むはずの地平線に、赤の霧が滲んでいた。
今は寒気が緩んだことを喜べるかもしれない。
しかし、雪の量は水の量でもあった。このまま赤い地が迫れば、全てが乾ききってしまうのではないか。
恐らく水の地にあった守りの力は、この西の果てまで影響を及ぼしていたほどのものだったのだと、長は考えた。
青が枯れ果てた――故に赤の侵食を許したのだ、と。
彼ら人の住める場所を青の地が食い止めていたとなれば、調べるべきだと話は決まり、再び使者を向かわせることにした。
知り得たのは、今では水の地に、なんの生命も感じられぬ黒い山が聳えるのみだということだった。
だが、周囲には平らで広大な緑の地が広がっているまま。
守りの力のみが失われ、水源だけは残ったのだろうと、彼らは話し合う。
この地にも危機が迫っているというならば、少しでも早く場所を移すべきではないかといった意見。
青い山脈がある限りは、この地に留まり守るべきだといった意見に割れる。
長が提案したのは、別の案だ。
現在、黒い山に最も近い位置に暮らす者らへ、東を探るよう伝え、そのための援助をするということだった。
すぐに大移動というのは現実的ではない。
とはいえ、住処を広げられる可能性があるならば、手にしない理由はない。なにより東側は、西よりも寒さが柔らかなのだから。
昔とは違い、同胞が拓いた地の拠点を経由し、こうした遠出も楽になっている。
慎重を期すには必要だろうということで、対立していた両派も頷く。
そして、青に染められた地だったことも、外すわけにはいかない理由だ。
大地を遮るほど広大だったのだ。完全に消えたとは考え難い。見えない程に薄まっただけかもしれないし、ある者は、地下に眠っているに違いないと考えた。
元々、狩りのために遠征していた者らは、長より任を受け、新たな探索の機会を得て浮足立つ。
未知への接触。これは大仕事だ。
彼らは不敵な笑みを浮かべ、岩のような両拳を打ち鳴らした。
「青の鉱脈を、発見できるかもしれない」
今後の危機を見据えた住みよい土地の確保と、彼らの守りである青の地を求めて、岩の肌を持つ者らは黒き山を目指して旅立った。




