邪神としもべ・四
「そんなわけでね、探索して過ごそうと考えている」
先ほどの緊張感はどこへやら、ころっと弾む声で言われた。
こいつ本当に大丈夫だろうな。
「聖魔素のことについて知りたいなら、研究院の資料庫でも覗いてみようか?」
こいつの口から聞かされるだけでは信じられないだろうと考えたのか、そんな提案をしてくる。
それとは関係なく色々と気にはなっていたから、ありがたく乗っておこう。
「そういえば以前、スケイル……聖獣から数種の魔素が存在すると聞いた。その内、聖邪の魔素が生物に関係するようだとかなんとか。そんな資料はあるか?」
「いや、どうだろうな。私は初耳だ」
邪神は驚きながら、手を伸ばして青い煙の壁に手を付ける。
そこから光が蜘蛛の巣のように方々へと走った。
「そうだったのか……これは大発見だ。知らなかった。この世界に、五種の魔素が存在していたとは」
そう、なんだ……。
そんなことまで分かるのかよ。
つか、今何した?
え、まさかこの短時間で調べた? ……世界を?
「ふぅ、驚くのも無理はない。あんなに人を苦しませた、世界の危機と思われるものが、一部でしかなかったなんて」
驚きはそこじゃねえ。
「おっと話の途中で悪かったね。これも大変な事実だが、君が言いたかったのは別だろう?」
「あーその……世界的には急激に魔素のバランスが崩れたと聞いてるから、その影響だとかに関する資料がないかと……」
魔素がバランスを崩すことによる生物への影響は、植物を別にすれば、生存が難しいほどではないかと思う。虫や動物が激減したのは直接的には魔物のせいかもしれないが、調べれば魔素の影響はどこかに出ているんじゃないだろうか。
この世界が幾つかの魔素でできてるなら、俺が知ること以外にも何か問題が起きていて、研究院ならそこら辺について調べてあるんじゃないかと思ったんだ。
聖魔素に関していえば……多分こいつなら対策できるはずという確信があった。
その辺のことを見知ったことを交えて話す。
「確かに、兆候はあったね。例えば異常発達した植物。記録によると邪竜が現れてより邪魔素が増え、あのように変容したとあった。それまでは聖魔素の存在があって取り込み辛かったものが、邪魔が消えたせいだろう」
なんと忌々しい邪悪な植物め。即刻バランスを戻すべきだ。
「君の考えでは、滅んだ鱗鰭族の強い想いが、魔物と聖獣に分かれて対立したとのことだったね。それでジェッテブルク山に聖魔素が集ってしまったと……それなら、ここから還元することもできると思うが」
言いながらも邪神は手を地面に向ける。煙が渦巻いて立ち昇り、その腕に巻き付いた。
「うん、できるね。変化の方向を指示することは可能だ。どうする?」
邪神は躊躇いがちに訊いてくる。
え、そこまで明確に干渉できるの? もっとこう曖昧というか、大変な労力がかかると思ってたら軽く言ってるが……。
それに、これはどうなるんだ。さっき俺から関わるなと言った手前、どう言ったもんか。
「えー少し考える猶予を……」
異常植物の例は、人にも当てはまってたんだ。
人や周囲から急激に聖魔素が消えたことによる変化は同じでも、その行き着く先は違う。
植物は耐えられるが人間の場合は……森葉族の高ランク冒険者に起こった嫌な光景が脳裏をよぎる。
あんな状態になるなら、ずっと不自由な体で過ごさなければならないかもしれないし、下手すれば死ぬ。
著しく偏っては、どこかに皺寄せが来るんだ。
だから――。
「人間への影響の酷さを考えたら、少しは元に戻してもいいんじゃないかと……人の行動に介入するわけではないから……」
言い訳がましくなってしまった。ときにはダブスタも方便。
それが正せたとして、現在の人間に意味があるのかは分からないから、これも干渉しすぎかもしれないが……。
元に戻る弊害といえば、邪魔素を肉体の力に変える量も減ることだろうか。それはもう魔物ほど高効率の存在がないから今さらだろう。
悩むが、これも邪竜の引き起こしたことの後始末と思えば、少しくらいは何かしておきたいんだ。
「言い方を変えようか。また人の意思で戻すのは、勝手すぎるかな」
初めて邪神は、よく考えろと意図を確認するように口調を強めた。
人類の恨みによって生まれた邪竜、それによって崩れた自然……人類が変えたバランスではある。
ただし生物だけの問題で、世界規模で考えればどれほどの影響なんだろう。
「こう言って安心できるか分からないが、他の魔素があるから、世界の全てを私の一存でどうこうはできないと判明したことになる。あくまでも世の中に残った魔素に働きかけられるだけだ」
曖昧に言ってしまったから、迷いがあると取られたんだろう。
俺に決定権があるような言い方だ。俺が直接何かできるわけじゃないのに。
いや、こんな手があったかと突っ走られても困るか……。
「君を共犯にしたてたいのではない。どうも私は思い詰めすぎるようでね。一人で暴走する前に、口にするようにしてみた方が良いだろうと思ったんだ」
自覚があるのはなによりだ。暴走の被害者は俺だったしな。
もう、そんな気持ちもなくなって忘れてたけど。
しゃっきりしろ。
「俺は、邪竜の影響下にあったものは排除した方がいいように思う」
それが本音だ。
いくら客観的に考えようとしたところで、感情的に結論付けてるのは否めない。
頷いた邪神は腕を伸ばしかけて止めた。
「魔素による、人への影響か。世界に比べれば些細な影響だろうが……」
自分のことで頭が一杯でうっかりしてたが、その言葉に改めて気付かされる。俺は言うだけだが、実行するのは邪神。責任に対する重圧は俺以上なんだ。
けどこいつも、そこで躊躇してくれるだけの気持ちがあるんだということには安心させられた。
だから、俺も素直に言える。
「まあ、傲慢かもしれないよな。世界をコントロールしようなんて。でも俺が人間なのは変わらない。人間側に立てない方が理屈に合わない。もちろん、それは俺の理屈だ」
責任を押し付けるようで心苦しくはあるが、それでも選ぶのはお前だからな?
「いや、その通りだ。私も家族を選んだ側だというのに、そんなところだけ繕うなんて今さらだった」
邪神は言いながらも、今度は迷いなく両手を伸ばす。
ゆっくりと渦巻く煙から、青い光の霧が拡散した。見渡す限り遠くまで全域に。
わずかに、この空間も鮮やかになった気がする。
「ジェッテブルク山付近に集まっていた聖魔素に力を分け与え、各地へ誘導した。その内、昔の均衡を取り戻すだろう」
「……へえ、そうなんだあ」
なんか世界規模のすごいことが随分あっさりと……もう、何かツッコミ入れるのも嫌になってきた。
「他にも何か計画が?」
なんかこの、うきうきとした聞き方はスケイルを思い出す。
「いや、ええと、万能だよなーと思って」
「好きにできるのは、この空間だけのようだけどね」
「この空間全体が……把握できるということだろ」
「それは多分、邪竜のみの邪魔素でさえ、失いかけていたような聖魔素と比べれば匹敵するほど多かったということだろう」
いやいや、そうじゃなくてな。空間そのものだぞ。
もはや、ここ自体が一つの異世界だろ?
「やはり、こうして他者から指摘されるのは考えを深めるのに助かるな」
俺の念を込めた視線をどう受け取ったのか、邪神は大変満足気に頷いている。
もしかしてと思いつつ、まさかと思って誘導するような質問してみたりと様子を見てたが……まじで気付いてない?
実は今回、姿を変えられてからずっと思ってたんだ。でもそう認識するのは躊躇われた。
でももう、これは確実だ。
こいつ――神化してね?
冗談で邪神と言ってたら真実だったとか。瓢箪から出た駒にはお帰り願いたい。
とにかくそれが、俺だけが、ここでの異物だと思った理由だ。
こいつが何かする度に、この空間そのものというように繋がって見えたんだよ。
だから人の魂というか、そんなお客様は俺だけなんだ。
最悪なことに、それでもう一つ気付いたことがある。
これも前にスケイルと話したことだが、聖なる世から大いなる者が遣わされた御使い的な扱いなのかーとかいうやつ。
俺、こいつが自由に召喚できる唯一の存在になるよな。
その御使いとやらになってるんじゃ……?
地上に送り込まれるわけではないが、邪神の使い魔なのかと思うと少し情けない気持ちになる。
俺が頑張って得た魔素なのにと、邪神へと必死に恨みつらみのこもった胡散臭い視線を送るが――。
「どうも説明が足りず色々と心配をかけるね。もう一度言わせてもらうが、本当にもう、なんの悔いもないんだ。たとえ、どんな苦難が彼らを襲おうとも、私も死者の一人として、ただ見守ることにすると誓うよ」
そっちのことではないんだが……いやそれも気に留めておいてくれるのは、俺も安心できて助かるけど。
邪神の言葉も雰囲気もふっ切れたようで、本心なのだとは思える。
「それは、まあ分かったということにしておく。ただ、その力なんですが……」
この先、気持ちがどうなるかなんて誰にも分からないことだ。
もし、こいつの得た力が俺の想像した通りなら……それに気づいた時、こいつは変わらないだろうか。
今の内に言及しておいた方がいいのかどうか。こいつに呼ばれなければ文句一つ言えないからな。
もう少し信頼を得るよう頑張ってみるか……?
「あー、考えがまとまらないから、また今度」
どうにか誤魔化し笑いを向けたら、邪神はこっちを見ていなかった。おい。
何かを考え込んでいるのか横を見ている。
「私を信用するのは、難しいだろうね」
ずばり切り込んできたな。
そこを有耶無耶にしておくつもりはないと。
改めてこちらを向いた邪神は青いオーラを漂わせる。だから器用に威圧するな。
「私を監視する役目を担ってくれないか」
俺は自力で来れないんですけど?
「交換条件と考えてはどうかな。私はこの探索で意見を交わす相手がほしいし、君は私の動向を知ることができる」
「……それなら、まあ」
そんなん頷く以外にないだろ。
再び邪神は足元にマイセロを映す。
「だから、今日のところは憂いを脇に置こう。互いにね」
そう言って、笑ったような気がした。
もしかすると俺と似たようなことを考えて、心配してくれていた?
俺が何か抱え込んで思い詰めないようにと気を使ってくれていたのだろうか。
信じ難いが、こう見えて親父と同じくらいの歳なんだよな多分……。
俺の感情なんか見透かされて当然かもな。
ちらと様子を見た邪神は、さっぱりした様子で街へ下りようとしていた。
検証だとか言って楽しそうだが、すでに使いこなしてるのをおかしいと思えよ。
……まあ、この分ならすぐに気付くか。
気付くよな?
「そうそう、研究院の近くにある屋台がなかなか面白いんだ。まだあるかな。ああ、そもそも食べられなかったね。これぞ死人に口なし、なんてね、ははは!」
絶対、俺からは教えてやらねぇからな!




