250:暁闇
あまり寝た気はしなかった。
鳴り続ける地響きの中では、よく眠れた方かもしれないが。
冷たい空気の中、凍えるような水で顔を洗って頭をすっきりさせる。まだ暗い中、宿を出た。
ようやく、この街の主要人物が砦に揃っていた。
ビオが国の使者といえる立場というのもあるが、砦長も参加しないわけにいかないし、ジェネレションの使者もいるしで参加人数が増えた。資料もあるし、この街で、そこそこ大人数が集まれる建物はここしかない。
上座のビオと傍らに鎧一人。ギルド長とウル隊長が並んで座り、後ろにはお目付け役職員が立っている。向かいには砦長が。そして下座には俺が座っている……なんでだよ。
なんとなくだが、力関係というか階級だとかも席順に配慮されてるんだろうなぁ。
砦長が部下を連れてないのは人が少なくて手が回らないんだろうけど、お目付け役は立ったままでも話を聞く権利はあって、ビオの護衛は部下扱いかと思えば席に着いていたり。
ちらと見た理由に思い至ったのか、ビオが鎧に目で頷く。鎧はギルド長ら全員を見渡した。
「偶然にも、この場に居合わせた。我らも参戦せぬわけにいくまい」
「いざとなれば私の護衛だけではいられんからな」
彼らは研究院所属ではなく、ビオの護衛を依頼された城直属の人達らしい。ビオが逃げないからなのか、戦う腹積もりでいる。それで紹介は終わりだ。
指揮権を持つ者が集まり、沈黙が、ただでさえ薄暗い室内を重く変える。指揮権を持つ……。
あのう、一人場違い者が混ざってますよ。俺なんですが。お一人様工兵部隊だとか嘯いてはいたけど。あ、今はスケイル隊員もいるから間違いではないな。
ビオの涼やかな声で会議は始まった。
「まず、話を後回しにしたことを詫びたい。だが私も現状を把握し、皆と共有したかったのでな」
想像だけでは齟齬が出てしまう。時間が押しているからこそ、慎重に見極めたいと考えるのは理解できる。
それでも、ここでは最上位といっていい立場のビオがそこまでするのは意外だ。性格的におかしくはないが、常にお付きの鎧がさまよって警戒してるから危険には近付けないと思ってたし。
「特異な件もある。シャソラシュバルの再来には私も驚かされた」
ビオの視線が俺をちくりと刺す。好意的とは言えない意味らしい。
それよりなんでもうシャソラシュバルってことにされてんだ。
「まずは、城の意向から伝えよう。すべての兵は王都の防衛に充てる」
これは予想外。
そ、そうだ、兵で固めるだけだ。こんな時のために冒険者がいるんだから。
「なら、冒険者はどれくらいで到着するんですか」
俺の問いに答えたのはギルド長だった。
「冒険者も、そちらに回されるだろうよ」
その苛立たし気に吐き出された言葉を、ビオは否定しない。
「援軍は、なし……」
そんな、馬鹿な!
間に合わないという問題ではなく、無しってどういうことだ。
思わず見回したが、他の面々が黙った理由は、その表情からそれぞれ違うらしい。
「魔脈の山が急激に増えた。ここまでの道中にも、地形は変化していてな。道行く先からの伝令を頼りに我らは移動した。ジェネレション領の手前などは新たな山脈が形成されつつあり、道が塞がる前に、どうにか抜けた」
そこは予想通り、いや、それ以上だ。
なら今はもう、完全に閉じ込められたのか。
これが邪竜の意図したことなら、援軍が届かないように遮蔽物を置いたとも考えられる。これまでのように、まとまって攻撃を受けないため?
邪竜は少しずつ知恵を付け、勢力を拡大する。なら今回は、まずこの場の戦力が少ない内に殲滅するつもりとでもいうのだろうか。
魔物を生み出す機構は自動で動いていた。
なら今回は、本体が動ける。
多くの魔物に分断され力を削がれ、本体に蹂躙される――。
落ち着け。邪竜もだが、まずは手勢の確認だ。
なにか引っかかる。警告の狼煙を上げたときには、既に外にも変化は始まっていたんだろうが。
あ、前に思ったじゃないか。知らせが城に届いてから返答が戻るのに、下手したら何ヵ月もかかるんじゃないかと。それから警告の狼煙を上げるまで、大して日は開いてない。
「なら、聖者の派遣は、邪竜とは関係ない?」
当たり前のようにビオは頷いた。
「私が出たときには、まだ報はなかった。最上級の聖獣と契約した人族が現れたということでな、研究院の判断で私が派遣されたのだ。幾ばくか安心してほしい。研究院に残る全ての結界石を持ち出した」
え。すでに旅の途中だったのに道具が揃ってるって、どういうことだよ。
「伝令を出して滞在地まで送らせたに決まっておろう。すでに出かけていたのは幸いだった」
なぜ出ていたことを喜ぶ?
狼煙が上がったときに王都にいたら、何がまずい。
援軍の話が出ないということは、聖者さえ王都に留めようとしていた……?
しかし邪竜復活に備えて研究するのが、ビオや他の聖者が存在する意味だ。ビオの正義感や信念も、ここへ来ることを選ばせたんだ。結界石を『全て』送ってきたというからには、研究院の期待を背負ってもいる。
「正直に言おう。祠の結界石ほど画期的なものは、ついぞ開発できなかった。不甲斐ない我らを許してくれとはいわん。しかし隣に立ち戦うことは見逃してもらえまいか」
「これほど心強い援軍はない」
ギルド長の口調に棘はない。率直な受け入れの態度に、ビオも力強く頷いた。
お目付け役職員がジェネレションから一隊が出されたと伝え、後は現状の戦力を簡単に割り振り、持ち場を決める。それで終わりだ。
ちょっと待ってくれよ。それでまとめる気か?
結局、増えたのはビオと護衛団が十人ばかり。それと結界石。この言い分では、柵に使われてるようなやつだろ。ジェネレション領からも手勢を出した程度。ここで今さら文句言ってもしょうがないが、聞かずにはいられない。
「援軍を送る気がなかったとしか思えないのは、どういうことですか」
「驚くことではなかろう。役目通りだ」
ギルド長がすかさず口を挟んだ。
「役目?」
「世界中の魔脈が邪竜によって繋げられた。ここが、魔物の発生する中心地なのだから」
何かにつけて言われる中心地という言葉は、それも理由の一つなんだろう。
けど、それがどう答えになる?
砦長が後を続ける。
「我らは餌だ。このガーズそのものが、囮に決まっているではないか」
なんで二人は、それが当たり前のように言うんだ。
思った以上に、冷酷な現実を見せつけられたことにショックを受けた。
平和ボケしてるんじゃなかったのかよ。
声が出ないでいる俺に、ビオは深く溜息を吐き出す。
椅子に背を預けると、注視しろと指示するように俺をじっと見た。
仕方なく目を合わせるが、ビオの表情に呆れなどはない。疲れたように微笑み、口を開いた。
「邪竜は、我らの行動を学ぶ」
そこは知っていると伝えるために頷いた。
「前回、邪竜が残したものは、大きすぎた。それまで、山に追いやれば終わりだったものが、本体を封印した後も煩わせる。あまつさえ拡大し続けた。現在、我々も魔物に対処しているが、それが可能かどうかという問題ではない」
力の片鱗さえ残せるというのなら、次は本体が残らないとどうしていえよう――。
それについては、この場の誰もが考えたのだろう。息が詰まるような静けさと、緊張に包まれた。
「それだけではない。人口の問題がある」
ジェッテブルク山が現れてより、人は戦い続けてきた。
緩やかに減少し続けてはいたが、邪竜が生まれたことで致命的となった。魔物の生まれる魔脈が各地に現れ、壁に囲まれた大きな街と街の間に点在していた農耕地や放牧地などの村々が被害に遭った。禄に把握できないまま混乱の中で壊滅した集落は多いという。
その後は街の外壁を広げて、全ての民が内に暮らしている。そうした建築作業などは避難させた民に仕事を与える意味もあった。だから現在、隠れ里と呼ばれるものは、運よく魔脈の被害がなく未だ街に入ってない村落を意味するようなものらしい。
「そんな環境が、帰属意識にも影響しているのだ」
昔々、同種族でも部族ごとの集落が、ある程度の距離をもって暮らしていた。しかし邪竜を相手取るには、同種族間の意思統一が必要となる。そこで争いの末に、どうにか統一を果たしたものの、力を持つ各部族の長は各々の居た場所に留まることで手を組んだ。
現在の城塞都市はそこから拡大されたものだが、その各街間の緩やかな繋がりも、魔物によって断絶された。各領主が、自領に注力しすぎるも無理からぬこと。利害でもって国という大枠へ賛同した忠誠心よりも、自領を守りたい意識が上回り始めているとのことだ。
心情的には分かるし、そこに暮らす民にとっても正しい行動なんだろう。
過去からの経緯を知っていながらも、そうするのかという反発心は湧き上がるが。
そんな、国が保てるのかという苦しい中でも戦士の育成は外せない。
「専業の兵を抱えるには、それを支える民が足りない。岩腕族として望まずとも、過去の王が他の種族を招いた理由でもあろう」
働き手を確保するために外から人を入れなければならないほどだったと。
今でも、国の体を保つのでギリギリということなんだろうか。
「理由は、皆が考えるようなものではないよ」
「ビオ殿」
「構わんだろう。この場にいる者は、あやつにとって等しく敵。そして生きしものは全て取り込もうとする輩だ。我ら人類のつまらぬ拘泥など、なんの意味もなかろう」
なぜかギルド長は、僅かに困ったように口を出す。意味がないのに話すのか。別の何かがあるんだ。
他の奴らは見当がついているらしいが、俺は腹黒裏事情など知らん。
知りたくもなかった。けど、そうも言ってられない。
「森葉族、炎天族は、誰もが戦士として育つ」
狩猟採集が主だったその二種族は、戦いが生活に根差した文化を持っていた。比較的に性差の大きな炎天族は男が担い、差の少ない森葉族は男女ともという違いはあったが、良い戦士であることが立派な大人であるという価値観は共通している。
岩腕族は狩猟よりも農耕に向かい、長い冬を生き延びる内に加工産業に秀でていったらしい。
居住区をわけ、互いの種族の誇りを維持したまま民として受け入れる。それは、彼らの誇りを認めて受け入れたのではなかった。
自ずと戦士として育てるようにするため。
初めから、将来の戦力となることを当てにした政策だった。
岩腕族の民の負担を減らすため。
偉業とトキメが言ったように、他の皆もそう信じていたというのに。
胸糞悪ぃ。
真っ先に浮かんだ言葉だが、すぐに否定するような別の感想も浮かぶ。
それだけ、必死だったんだ。
砦長は――ギルド長もだが、そういったことを知っていたからこその、あの罵倒会議での内容だったのか。
「くだらねぇことばっか、引き摺ってやがる……」
咎めるような視線は受けたが反論はない。分かっていようが、あえて言うのもバカらしいんだろうな。
それを口に出してしまうくらい、俺がガキなんだって分かってるよ。
落ち着こう……そもそも、ずっと昔のことなんだ。
もう、始まりの理由がなんであっても、いいだろうが。
多くの人間が良いことだと思い信じたものが、社会での正しさを作る。
実際に、こうして全ての種族が揃い手を組んでいる。
だからこそ、まだ立ち向かうだけの力があるんだから。
なんとか、この場では抑えよう。
きっと俺などが思うより何倍も多くの問題があって、それらの末に、これが最善として出た結論かもしれないじゃないか。
もういいかと問うようなギルド長の視線に、どうにか頷く。
ギルド長が締めの挨拶を始めた。
「奇しくも、かつての英雄一行の末裔が揃っている。ジェネレション領の代表として、先頭に立てることを誇りに思う」
ギルド長はビオに伝えるようでいて、遠い何かを見ながら淡々と紡ぐ。
「父が邪竜を足止めしたように、名を上げよう」
名を、上げる?
前に言いかけてたな。
「前ジェネレション領主は、先の邪竜に直接挑み、命を落としたのだったな」
「ええ、エコール様はジェネレション領の英雄です」
ビオが頷きウル隊長が誇らしげに言う。
「我らも、彼らの名誉に恥じない働きをしよう」
何気ないことのように、ビオは言った。
膝の上で拳を握りしめた。
抑えつけていた怒りが、再び込み上げる。
なんでだ。
ビオを見て、心強い応援が来てくれたと思っていた。
なのに、この会議に出てくる言葉は不穏なものばかり。
力付けてくれるものが、聞きたかったんだよ。
それなのに、なんなんだこいつら。
じゃあ、なんだよ。
領主が助けをよこしたのを、単純に身内のためと思って喜んでたのに。弟にやれと言っていることが、そんな理由だと?
そんなことを、俺は喜んでたってのかよ!
百歩譲ってギルド長本人の信念ならいい。
家族がその後押しをする? そんなもん認めるか。
受け入れてたまるか!
「家の功績なんかのために……」
「間違えるな。栄誉なことだ」
最後まで言わせないと、ギルド長は咎める。
そんなことのために死にに行くのか、という言葉を飲み込んだ。
結局、どこかに決定的な価値観の違いは、あるんだ。
食べ物や挨拶の仕方がどうといった、旅行気分で楽しむことのできる範囲とは全く別の側面が、ここにきてようやく見えるとは。
「ジェッテブルク山を見てきます」
内に燻る怒りを吐き出すように言い放ち、飛び出していた。俺が直接に文句を喚くでなく、こんな怒り方するようになるとは妙な気分だ。
もう気にせず砦前でスケイルに騎乗する。
「岩場北拠点に迎え! 観測地点だ!」
背中を追ったギルド長の声を無視しても良かったが、怒りに任せ投げやりになっていい状況ではない。大人しく山並みへと方向を変える。
それに現状を確かめたいのは、顕現時間を詳細に伝えてしまった手前、責任を感じているからでもある。
本当に真実か分からないのに頭から受け入れたのは、スケイルへの信頼だけではない。
まだ、猶予がある――そう言い聞かせなきゃならなかったんだ、自分に。
ビオの問いをはぐらかしたのも、覚悟なんかできてねぇからだよ。
腹を括ったんじゃない。思考を止めてる間に、嫌な時間が何事もなく過ぎてくれたらと、きっと、どこかで思ってたんだ。
明らむ空と競争するように、一人荒野を駆け抜ける。
憤懣やら渦巻く感情や、頭で繰り返される多くの言葉を振り切るように。
囮だと言った。
国は早々に派兵を諦めた。
研究院は目に見える結果を出せなかった。
確実に次はないと決断するのもおかしくはない……。
国の防衛について、城の連中はよくやってるんだろう。何十年も昔のことだからと手を抜くこともせず、きっちりと手を回していたんだ。他領から突き上げを食らうことも予想通りだったのかもな。
こっちが不安になるほど、もうすっかり安全だと思わせていたのは、この街に当たり前に人が集められるようにするためだったのか?
だからといって人気スポットにするわけにはいかない。そこそこの人数を確保はするが、行動などに制限をかけて居づらくしていた。
全ては……種の保存のため。
多くの人間を生かすための、供物、そんな扱いというのか。
それを、あの会議室にいた面々は、理解して受け入れている。
だから皆、何度も俺に確認してくれたんだ。
本気で、残る覚悟があるのかと。
もやもやして息苦しい。
「ぅおぉ! タロウ!?」
戦う冒険者の列を飛び越し、寒々しい木々の狭間を抜け、ウニケダマらを掻き消しながら、木々よりも岩の多くなる殺風景な山肌を駆け続ける。
幸いなことに、昨晩レベルが40に到達した爆上げ感は、マグの節約に限らなかった。段違いに自然なスケイルの身のこなしに、体の負担も減り、頭ん中の雑音も思わず掻き消える。
前足が地に着くや離れ、後ろ足が同じ場所を蹴る。
背が躍動感に満ちてうねる。なのに地面に吸い寄せられるような安定感も増した。
頭を低く保ち、しっかりと内腿を締め、首に回した手は鱗羽を力み過ぎない程度に掴む。片手は、いつでも動けるように羽に埋めたコントローラーに添えていた。
自分の身体とは思えない解放感に感動していた。
元の、意識せず自由に動かせていたときとも違う気がする。
多分これが、他の種族が持つ感覚なんだ。
沈んでいた気持ちが浮き上がってくる。
「次のコーナーを攻める。牛ドリフト!」
《それは、どのような技だ?》
「なんでもない。急旋回で頼む」
振り落とされはしなかったが、両手で首の羽を掴んだまま、体は外側に弧を描いた。
「よ、よし、進歩してる!」
「プクゥ!」
《強度が低ければ羽が剥がれているところだ!》
それも面白そ……いやいや。
「これくらいのことに負けてたら、到底本物を相手になんかできないだろ。相手は一匹じゃないんだ」
《ぐぬぅ、その通りだ。このような掠り傷など勲章にもならぬ!》
この調子なら、今度はいけるな。
「そろそろ、もう一度試すか。思い切り走ってくれ!」
喜々としてスケイルは嘶く。それは俺への合図だ。俺が両腕でしっかり張り付いたのを確かめると、スケイルは跳んだ。
「ぶびょる!」
歯を食いしばり損ねて妙な声が出たのは、別の問題が起きたためだ。
風で目が開けてられん!
さ、ささ、さむいんですけお。
兜がなければ耳が凍ってるぞ。
幾ら外付けの力を得たところで、肉体がついていけないのは分かってたよ!
《主、この辺でどうだ!》
おぉ……眼下を見渡して絶句した。
俺たちは、崖っぷちに留まっていた。
空が近い。
吹き上げてくる風は冷えた体をますます冷やす。
「爽快だ」
周囲には、はげ山が多く視界は良い。黒々としたジェッテブルク山も、いつもより巨大に映る。高さ的に中の様子は分からないが、天辺が大きく欠けて、かまくらのように抉れた位置からマグが溢れて山肌を伝っているのも、よく見えた。
ふと、違和感が掠める。
「おかしいな」
邪竜が出てくるときに、山にこんな変化があったという記述はどこにもなかったはずだ。誰も冷静ではなかっただろうが、何度かあったのに妙だ。
思考を遮った地鳴りは、足元からだけのものではないと気付いた。
風に乗って、別の音が混ざっている。ゆっくりと圧力をかけて潰しにかかっているように、不快な軋み。
それが、天辺から流れてくる。
マグの水が噴き上がり、赤い飛沫を飛ばした。それは落ちながら赤黒くなり、山肌で砕ける。
岩山を邪魔素のマグに変質させ削っている。顕現するために出口を広げるから、時間がかかるのだろう。ここからでさえ、かなり開いているのが分かる。
気のせいだと思った。
マグの噴水の間から、不明瞭ながら形が浮かぶ。
ギザギザしたシルエットは、スケイルを思い起こさせる。
その歪な姿は真っ赤で、未だマグの塊にすぎないはずだ。
だが、塊の真ん中が裂けるように開き、天へと伸ばす。
そこから発せられた音が、辺りを震わせた。
叫びだ。
割れるように開いたのは凶悪な牙が並んだ口だ。
未だ真っ赤で、柔そうなマグなのに、あれほど力強い声を上げる。
全身が雷に打たれたように痺れて、目が離せない。
「本当に、人間は、あれを押し返したのか……」
無様にも俺の声は震えで掠れている。
とても、信じられない。
この街の冒険者たちを見てきてさえ。
全員が高ランクなら、少しは違うのかもしれない。けど、現実はたった五人。
鼻先だけで、あれだけの巨大さだ。それがスケイル並み、もしくはそれ以上に強靭な肉体を取り戻したら――。
《そうではない。以前よりも、力を増しているだけだ》
「だけって……」
スケイルは、こんなもんを肌で感じながら、話していたのか。
俺は、スケイルに、一緒に戦おうなどと言ってしまった。
《図体がでかいだけで、優美さの欠片もない間抜けだ。主よ、人の把握した歴史も掻い摘んで話してくれたではないか。これほどの力を得た前回、彼奴は巣作りに全力を傾けて自ら封印される隙を作ったのだぞ》
そう言いながらも、スケイルの冠羽は毛羽立っていた。
威嚇するほど、恐怖を感じている。スケイルでさえ。
宥めるようにアホ毛を撫でると、グローブ越しでもちくちくと刺さる感覚が分かる。
《明瞭な意志を持たねば、それほど愚鈍になれるということだ》
緊張に固まったまま、現実を飲み込むように、二人で頂上を見続けた。
みんなには、冷えた目を向けられたな。そりゃ場違いだったろうさ。
俺は今……こんな世界の瀬戸際にいるんだから。




