227:自立
机に向かい、仄かなランタンの灯りの下で、シャリテイルが話したことを書きつけている。
「英雄シャソラシュバル……お前はなんだってんだよ」
ヒーローでも気取ってたのかってーの。
鉛筆を投げ出し、机の上に突っ伏した。
ベッドの側にある窓へ顔を向けるが、外は暗いし、どのみちすだれで隠されている。そろそろ洗濯、は出来ないんだった。炙りなおした方がいいかな。
気力は尽き果てているというのに、頭にはぐちゃっと情報がぶちまけられて渦巻いている。重要そうな度合いで項目を作り書き出してみたが、片づけ方も分からず途方に暮れるしかない。
「ゲルルゥ……」
ぐったりと考えに耽っていると舌が伸びてきて、ぺちぺちと額を叩かれる。髪の毛を一房掴まれたり鼻をつままれ綱引きするが、相手をしてやる気力はなく無視していたら、スケイルは不貞寝した。
「なんでシャリテイルは、あんなこと話したんだろうな」
以前の俺なら、たんに母親に押し付けられた想いがなんだったのか、見定めるためにガーズに来たと思っただろう。
でも今は、それだけのはずがないと思えるんだ。
だからといって、うまい言葉は浮かばず初めに浮かんだその感情を、そのまま口にしていた。さあ帰ろうと、シャリテイルが歩き出したときだ。
「結局、希望を胸にやってくるとか、思わせぶりに言ったのはなんでだよ」
「違わないでしょ? 聞かされた話のあと、ここがどうなっていくのか見てみたいと思ったのは本当よ」
多分、母親が亡くなってから、だよな……。まだ子供だったろうし、そんな歳で急に親を亡くすなんて、俺ならどうしていいか分からなくなるだろう。遺されたものに縋りたくなるかもしれない。でも――。
「旅行じゃないんだぞ。自分で選んだ道とは言えないだろ。悪いけど、縛られているように見える」
また余計なことを口にしたとは分かっていた。
実際どんな風に過ごしたか目にしたわけでもないのに、そこまで言及できる関係でもないと迷ったあげく、どうしても何か言わずにいられなくて、初めに受けた印象を漏らしてしまったんだ。
「あら? そういえばそうね?」
今気付いたように軽く言ってるが、それも素ではないんだろう。
実際すぐに態度を改め、シャリテイルは無理したようにぎこちない笑みを貼り付けた。本来言うべきか悩んでやめたことが、逆にそれを引き出す結果となったらしい。
「そのはず、だったのよ。でも、随分と久しぶりに記憶を引っ張り出して、タロウに話していたらね。いつの間にか、自分のものになっていたんだって気付かされたの」
「そんな……」
俺が謎な現れ方をしたから、余計に母親の話を考えることになったなら。それで自問自答し続けたのか? だから俺を祠で見つけたあと、誰にも肝心なところを話さなかったのかもしれない。でも、そのせいで深みにはまったんなら、そこは誤解を解きたいが……。
「きっと勘違いしてる。俺自身はその、ほんと大それた理由はないというか、全部は小道具のせいじゃないかと思うけど……とにかく、こんなことで考えすぎてほしくないというか……」
シャリテイルは弱々しく微笑んで首を振る。
「きっかけは、なんだっていいじゃない? その中身に、自分なりの意味を見出せたなら」
そう、なのかもしれない。
なんせ自分の親は選べない。ましてや生まれる時代なんか選びようもないんだ。
また、うまく丸め込まれたのか?
でも一度怯むと、分からなくなっていた。
別れ際のシャリテイルの姿が、頭に焼き付いて離れない。
南街道入り口に立つ看板の脇に、シャリテイルは足を止めた。
「ここで、あなたの案内役を買って出たわね。でも、もうそれも必要ないかしら」
俺に向かい直したシャリテイルは、固い決意を見せて言った。
「ギルド長には、報告させてもらったわ」
毅然としながらも、目元には寂しさが浮かんでいるようだった。
立場もあるだろうに、少しは葛藤してくれたんだと思えば、それだけでも嬉しいことだ。力なく頷くしかなかった。
「俺でも、そうするよ」
「何をどう伝えたか、聞かないの?」
「俺だって、何も考えなかったわけじゃない。まずは聖獣を得たことから、誰かに話してみようと思ってたところだ」
シャリテイルは、じれたように頭を振った。
「そうじゃ、ないでしょ! あれこれと決められるかもしれないのよ?」
「だって、頭のいい奴ばかりじゃないか。どうせ俺が自分で納得したように、誘導してくれるだろ」
「私に、自分で選んだ道がどうのと言っておきながら、気にしないふりなんかしないで」
シャリテイルが示したのは、これまでの依頼のようなことではなく、将来についてだ。
軽く考えてるように言うつもりだったのに――ビオのように、縛られる。そう思うと、つい顔を背けて皮肉を吐き捨てるようになってしまった。
バカかよ。言い直そう。
しっかりと自分の言葉で、飾らず伝えなきゃならない場面だろ。
言葉は、伝えるために在るんだ。
それに、見えない自分の意思に、力と形を与えるためでもある。
「でもな、俺もやりたいことだけは、意地で通すよ」
シャリテイルは、呆気にとられたらしい。
「そう……頑固君だもんね」
シャリテイルは寂しげに微笑んで、顔を近づける。突然のことに仰け反る間もなく固まった俺の耳元で、何を伝えたかを囁いて、ぱっと身を翻した。
いつものように手を振ることもなく、街の中へと駆け出すと、あっという間に遠のく背を呆然と見送っていた。
思わず頬に手を当てる。顔を掠めた髪の匂いは、虫よけを思い出す爽やかさと鼻の奥を刺すような痛みを、胸の奥に残していった。
母親のことは、誰かに話す気なんかなかったんだろうな。それを、わざわざ話して聞かせたのは俺に覚悟を促すためか。だから、見逃すわけにはいかないというシャリテイルの意志を見せたのか。それとも、罪滅ぼしのつもりだったのか。
そこまでする覚悟は、なんのためだったのか。
――話せないことだらけでもいい、信頼してるから。
そんなことをシャリテイルは言った。俺も、裏切られたようなショックは感じなかった。多分、苦悩して出した結論だろうと思えるからだ。これが、本当に信頼しているということなんだろうと思えた。やけに息が詰まるような、重い感覚だ。
昔、ゲームの趣味の合う友達に、色んな意味でひっどい出来のゲームを押し付けたことがあった。翌朝そいつは眠そうに教室に入るなり、俺の机に軽く叩きつけるようにゲームを置いた。
「クソゲー押し付けやがって。徹夜しちまっただろうが」
「お前ならそう言って面白がると信じてた!」
俺にとっては信頼なんて、そんな風にげらげらと笑いながら言えるような、軽いもんだったはずなのにな。
灯かりを消すと、不貞寝したスケイルを移動して枕にし、目を閉じた。
「グルゲェ……」
疲れ切っていたのか、頭の下の妙な音も瞬く間に遠のく。
シャリテイルの去り際の言葉に、記憶の映像が重なっていた。
ギルド長は、国へ報告するよう手配したわ――街道を進んでいた二頭の馬は、その伝令だったんだろう。
◆
食事を置いて出て行こうとする、おっさんを呼び止めた。
「少し時間貰えないかな」
「ちっと待ってろ」
おっさんは即答すると一度出て行き、飲み物を持ってきて向かいに座った。長くなるとは言ってないのに、俺の意図を俺以上に読んでくれる。
……親父も、そんな時があったっけ。これが年の功って言うやつなのかな。でも俺が歳とったとしても、そんな自分は想像できない。
「えらく早く食ったな」
「話したいのは俺だから」
水で喉を潤すと、思い切って口を開いた。
「この街には、いつから住んでる?」
多分、ここの住人にとっては、滅多に触れない話題だという気がした。当時を知る者には悲しい話として、知らない者には大昔のことだから興味ないだろうと。風化するのを待っているようにも思えた。
おっさんはヒョットコになりかけの顔で固まったが、すぐに立ち直る。
「それは、一番ひどい時に来たかどうか気にしてんのか? なら気にするな。俺は、その少し後だな」
おっさんにしては、やや思案気に話しているが、思ったほどの忌避感はないようだ。それどころか、どこかしみじみとしだした。
「母ちゃんが嫁に来て一緒にこっちに移ってから、もう二十年近く経つか。息子に恵まれ、日々の糧に困ることもなく平和でよ。長いようで、短い時間だった」
覚悟して話し始めたとはいえ、こんな方向に向かうとは思わず、なんとなく身を縮める。
「こんな、魔物に囲まれた場所で?」
「だから余計だ」
身を乗り出し気味におっさんは話し始める。
「一番ひでぇときは知らなくとも、苦労の跡は見てとれる。目にしてきたありのままを言うなら、皆が着々と力を取り戻し、さらに力を付けてきた」
やけに熱が入った物言いだ。まるで俺に何かを言い聞かせるような。自分でもわからない迷いが、大人には丸わかりなんだろうな。
気まずくなる気分を堪えて耳を傾ける。
「俺もだが、農地の奴のほとんどがジェネレション領出身でな。そりゃ、お山の主の話は嫌でも耳に入るってもんよ」
「え、そうなんだ」
「職も人種も関係なしに、この街を守り育ててきたと俺は自信もって言えるぞ。いや、子や孫にも自信もって言えるようにと根性出してきたってこった」
当時のことを想像しようにも知識は足りないが、農地の光景がそうそう変わったとは思えない。朧げに、もっと魔物の入り込んでいた時期を思い浮かべてみる。
「だがな、ここは冒険者街だ。面目ないが、魔物相手だけは頑張りでどうしようもならん。そう思って生きてきたら、お前さんが現れた。これがまた、へこたれやしない」
怪我とか思い出してんだろう。おっさんの笑い声まじりの言葉に、恥ずかしくて顔が上げられない。
「なにが言いたいかってぇと……分からなくなってきたな。とにかく、ここは冒険者が主役の街ってこった。もちろんタロウ、お前さんもだ」
仕事の時間だといって、おっさんは言い切ると出て行った。
ったく、俺が話したいと言ったのに、結局なにも言えなかったじゃないか。
まあ、おっさんの言いたいことは伝わったよ。
それが、俺がたんに当時の情報を仕入れようと思ったことの本当の意図まで見透かして、勝手に結論付けて話してくれたのも。
実際、間違ってないから参るよな……。
宿を出て、力なく大通りを歩いていた。
「……俺は、そんな期待をかけられるような、人間じゃないよ」
《なぜ誰かの期待などを気にかける。己の体を扱えるのは、他ならぬ己のみではないか。主の心意気は、誰と比べて劣るものではない》
「そんなの、一人で気分盛り上がってるだけじゃねえか」
《自らを律し奮い立たせるのは大切なことではないか》
「よくもそうスラスラと胡散臭いほど前向きな見方ができるよな? 幾ら俺でもそこまで能天気には、ええと、それはいいんだよ」
ん? なにか違和感が……。
ポンチョの影に視線を下ろす。
《ぬ、目を剥いてどうした。敵襲か?》
「な、に、を、出てきてんだよおおおぉ!」
小声で叫びながら、ポンチョの前を掻き合わせるようにしてスケイルの頭を押し込む。
慌てて周囲に目を向けた。
明けかけの淡い光に照らし出された家々はまだ静かで、人通りなんてギルド辺りを見れば冒険者の姿が見えるくらいのものだ。良かった。
「おい、待ちな」
「ひぁい!」
その時、立ち止まった脇から声がした。
路地があったよ!
そこから抜け出てきた冒険者たちに、瞬く間に囲まれた。今にも殴りかかってきそうな雰囲気だ。おお初めて見たぞ、イメージに近い冒険者っぽいの。
逃げ出さないように塞がれ怖い顔で睨まれる。リーダーだろう炎天族が、武器に手をかけたまま一歩前へ出た。
ひぇっ、そんなにまずい行動だった……?
「タロウ、低ランクだろうと知らんで済まないことはある」
ポンチョの左脇だけが不自然に盛り上がり蠢いている。抑えようと上から掴んでいたが、またしても鼻だったらしい。
《何事だ? 主よ前が見えん。鼻に布が貼りつくではないかギョワー!》
文句が聞こえるが、あえて無視。しかし皆の視線は注いでいた。ですよね。
「ギョワギョエーッ!」
「なんのつもりなんだ、そいつは。たとえ低難度の魔物だろうと、街の中に持ち込むなんて、バカげた行為だと分からないわけじゃねぇだろ?」
は?
あ、あぁ、魔物。なんだ魔物かよ……。色んな意味で溜息が出た。
「ハァ……やっぱりバレるよな」
「クッ……グアァ!」
《この神々しいと評判だった我を……赤きものどもと一緒にするなど言語道断!》
こんな風に騒ぐし。
からんできた冒険者たちは目を剥いて飛び退いた。
「えっ? えええぇ……うそ! 冗談だったのにぃ!?」
自分たちから煽っておいて、この驚きよう。そんな反応になると思ったよ。
待った。じゃあなんだと思って声かけたんだ?
「てっきりタロウのことだから転草とか貼り草とか持ち込んだと思ったのに……!」
「ああそうだぜ。あんなもんの種を持ち込んで街が罠だらけになっちゃ困ると思ったのに……!」
お前ら俺をなんだと思ってんだよ。
文句を言おうとしたがやめた。今度は、苦渋に満ちた表情を浮かべたからだ。
「くっ……! 聞いてしまったからには嘘は言えねえ。問題行動は、報告させてもらわにゃならん」
あのさ、お前らともギルドでちょろっと話したくらいだよな?
なんでそこまで、本気で無念そうにしてくれるんだか。
「俺だって、こんな猛獣を連れ歩きたくはないんだ。けど拾ってしまったから」
《拾ったとはなんだ、しっかり契約を交わしたではないか!》
「猛獣だ?」
観念してポンチョを開いた。魔物ならまだしも、魔草を隠れて持ち歩くなどと変態めいた誤解はされたくない。
「お、おぉ……?」
「ひ、ひぉお!」
「なななんだそれぇ!」
怯んだ野郎どもに、先ほどの怖そうな面影は微塵もない。
「クァッ!」
《これとはなんだ失礼な》
「聖獣らしい。通称タウロスとかいう」
顎が外れたような大口を開けて、目を剥かれた形相で注目されるのもちょっと怖いが、それはどんな心情なんだ?
別の意味で不安になったが、堰を切ったように捲し立て始めた。
「たた、タリョウもかよおぉ!」
「うおお、すっげー! 首だけとか初めて見たぜ!」
「ああっ! しかも、そいつ七色鱗羽牛じゃねえのか?」
よく舌噛まずに言えるな。
「その通りだ。一応言っておくけど、本体はでかいが俺には頭しか出せないから」
「すげえ、本物かよ……」
「ひゃあ、ほんとに七色鱗だ」
やっぱり念を押しても、意味ないんだろうな。
今度は目をキラキラさせて、スケイルの間抜け顔を凝視し始めた。近寄んな。
なんというか……人気の玩具をクラスの誰よりも早く手にした小学生の気分。素直に自慢げになんかできないどころか複雑だ。
最上級の聖獣を、そんな程度というのも失礼なんだろうけど。
《ふふん、我の威容に慄いていただけか。主よりやや大きめの小さき者よ、心ゆくまで崇めるがよいグアー! なぜ舌を引っ張る!》
「おっとベルトと間違えたようだ」
《我が神々しい舌と、そのようなものを見間違うとは、人族とは耄碌するのも早いようだなクァー!》
「ちょっとうっかりしただけだろ」
失礼な物言いに制裁を加えていると呆けた顔が並ぶ。今度はなんだよ。
「まさか、聖獣の言ってることが解るのか?」
「こいつの技らしい」
頷いて見せるとまた、ぱあっと笑顔ですごいと喜んでいる。
もう一度、念を押しておこう。
「さすがは最上級の聖獣だよな? 聞いた通りすごい能力だ聖獣がな!」
「うんうんまったくだ! タロウならなんかやってくれると思ってたぜ!」
やっぱり届いていない!
「そうだ、疑って悪かったな! ご近所で評判のタロウが、うっかりでも魔物を引き込むなんて間抜けたことするわけねえ!」
いやぁそれはどうかなー。
野郎どもは口々に謝りつつ、浮足立ったまま駆け出していった。
あああやっぱり、瞬く間に広がりそうだ……。
「いや、ちょうど良かったよな」
報告を受けた国やギルド長やらに何か言われる前に、俺自身で状況に干渉した初の事なんじゃないか?
なにか画策されるのかなんてのも不安からの妄想に過ぎないけど。仮にそんなことがあったとして、結果的に邪魔するだといった意味は成さなくとも、足掻くくらいはしておきたいもんな。
実際起こり得るのは、王都まで来いと言われるくらいか。
それにコントローラーを取り上げられて、研究院だっけ、そこで調べられるだろうな。
問題は、分解もできない謎物質と知れて、あれこれ尋問されることだ。
答えなんか知らないのに。
ふぅ……何事もなかったように、俺も仕事しよう。
《主よ、視界が広がっているのだが》
「暑いからな」
《息は白いが》
「ほんとだ」
ぼんやり明るいと思ったら、空は霧のような雲に覆われていた。
冬が近いんだろう。洗濯はまだしも、そろそろ水風呂は辛いと思い始めていた。物置の七輪を借りようかな。
微かに白くけむる吐息を見ながらも、ポンチョの前は開いたまま、堂々とスケイルと共に歩く。
「ご近所の人気者とやらの威光が、どれほどのものか確かめたくなった」
《ほう、殊勝な心掛けである。我が主には、堂々としてもらいたいと思っていたのだ》
ご近所云々も、なにか俺の知ってる認識と違いそうだからな。
それは多分、おっさんが話してくれたようなことが含まれてんだろう。
「クアックァー」
スケイルはご満悦だ。
その笑顔らしき蜥蜴顔を見て、少しだけ罪悪感が浮かんだ。
コントローラーを聖なる小道具と言い張るとして、それに最上級の聖獣が住みついているなら、国も無碍には扱えないだろう。
しかもそれが公になって、少なくともこの街で知らない者はいなくなる。
そこで、俺がもう少しだけでも、スケイルの力を使いこなせたなら――。
俺が、この街で暮らしていくための鍵は、そこしかないように思えた。




