対魔物機関
四度目の邪竜の封印は確かに成された。
確認の後に、レリアス王はジェッテブルク山の麓へ赴いた。
「聖なる祠か」
黒い鎖で封じられた祠を目に収め、王は呟いた。
あまりに効果が強力なために、入り口まで近付くことさえできない。魔物ならば余計だろう。
「シャソラシュバルが、これを成し遂げました」
静かに告げたリベレスの瞳は暗く、感情は見えない。
「あの者は、真に英雄となったのだな」
青い光で縁取られた鎖は、聖魔素の効果を発する透過した状態で停止し、洞穴の入り口に張り付いている。これなら弱個体の魔物でさえ、無理に入り込むことはできないだろう。
王は目を眇め、鎖の向こうを見た。
今は跡形もない英雄の命の灯を、聖魔素に重ねていた。
王が出向いたのは変わり果てた大地の惨状を目にするためでもあるが、邪竜の置き土産の問題を話し合う必要があった。隣国へ呼びかけ、三国間での会談がジェッテブルク山の麓で行われることとなった。
「パイロには世話になった。全滅を免れたおかげで、詳細な記録を残すことができる」
「ふん、ジェッテブルクの決戦に、わしら炎天族が参加せんなどありえん。どうにも悪路でな、ぎりぎりになったのは遺憾だ」
現在は結界の場を、ジェッテブルク山は南の麓である草原一帯に広げてある。
レリアス、ディプフ、パイロの王は、戦場で散った者のために鎮魂の祈りを捧げると結界内に張った天幕へと集った。
今回の邪竜戦に関する膨大な資料が、レリアス側からディプフとパイロへ渡される。
「結界石の開発の途中で、邪質のマグに関する別の発見があった。各々使者より報告は入っておろうが、これらは詳細にまとめたものだ」
まずレリアスは、これから話し合うための前提となる情報を提示した。資料の他に、手のひらサイズの丸く平たい水晶を机の中心に置く。
「なんだ、この赤い皿は」
パイロ王が疑問を挟む。透明な石の中に赤い水が滲んでいる、目にしたことのないものだ。
「三度目の邪竜復活時に、マグを取り込む石の発見があったろう。魔脈の壁に含まれるものだが、加工技術にも進展があった。こういうものがあると、今は頭に置いてくれればよい」
これまでは聖魔素にばかり注視していたが、始祖人族が現れたことにより、邪質の魔素の働きについても別の角度から調べた。
「魔素そのものに意思はない。なれば、人間にも、邪竜と同様のことができよう」
ディプフとパイロは訝し気に眉を顰める。
「炎天族なら身近であろう。体内のマグによる身体強化の方法だ」
「なるほど。同様のものと言われればそうだが、わしらの意思や肉体を離れて働くものではないぞ」
そこでレリアスは、性質の変化について説明した。
我らの体内にも、至る場所にも邪質の魔素が流れているのに、なぜ邪竜は直接それらを操ろうとしなかったのだろうか。
一まとめにマグと呼んでいたが、実は各持主それぞれの癖を帯びているらしいことが分かったのだ。
「生体にのみ反応し、宿主の生命が停止すると自然へと還ると思われる」
今度は、二人の王は困惑する。
「邪竜が、動物だとでも?」
「いや、どうも違うようだ。我らのような動植物という意味ではな。邪質の魔素そのものを操ることができるのは確かだが……聖獣と併せて、得体の知れない存在ではある」
しばしディプフとパイロは考え込むが、唸り声を上げて降参した。
恐らくそれは、我らはどこから始まったのか、なぜ我らは生きているのかといった類の疑問だろう。考えども答えなど出ようもない。
もう一つ、重要な点があった。
近々彼らも気付くだろうが、今は先んじているレリアスが、伝えねばならないことだ。
「この地に駐留していた兵だが、その力量たるや目を瞠るものがある」
「それがなんだ。一度の実戦は、百の試合に勝るものだろう」
パイロ王は、何を今さらと言った態度だ。やはり、気付いていないのだとレリアスは続けた。
「異様なほどだ。これにもマグが関わっている――魔物だよ。仮初の命であろうとも、自然に還るはずのマグは、倒した者へと取り込まれるようなのだ」
怪訝な顔で心中を表した二人にレリアスは、これまでが前提だと念を押して議題へ移る。
「今後は、出来得る限りマグを消費したい」
調べてみれば、考えられる利用法や消費先も多い。
宿った生物の質へと書き換わると知れたのだから、手元に多くを集めようとも、邪竜に傷つけられなければ問題はない。
生活のあらゆる場面へ浸透させるめ、大がかりなものでは貨幣の交換から考えている。軍備も一新されるだろう。
「誘導する道具を介せば、我らも魔物のようなマグによる攻撃が可能だ」
聖魔素を固めた結界石のように、邪魔素のマグを固めれば別の石となる。様々な用途へ利用できそうなものだ。
「邪質のマグに、浸透しようとする特性があるのは知るところだろう。それが意外な働きをする」
他のマグと触れれば混ざろうとし、分解を促す。
「魔物への殺傷力になり得るということだ」
無論、邪竜には無意味だが、魔物には効果がある。それだけでも大きな発見だろう。訳が分からない様子だった二人も、それには納得がいった。
「ほう、盲点だったな」
「それはいい知らせかもしれんが、さっきの言い方じゃ、有用だから使おうという風には聞こえないな」
パイロは戦う術が増えるならと納得したようだが、ディプフはレリアスの思惑を窺う。
レリアス王は、悔しさを滲ませ呻くように吐き出した。
「次へ、備えるため。この世に溢れる邪質の魔素を、我ら人間の質に書き換えるのが目的だ。魔物だろうと倒して、マグを取り込む。倒して、倒して、倒して……わずかでも、邪竜の利用し得るマグを、この世から消し去るためだ……!」
今回も仕留めることは叶わず、とうとう邪竜は人の生活圏へと食い込んだ。
封印したと喜ぶ、この一時の安寧は、我らに終わりゆく世を見せるためだけに残された猶予に過ぎないかもしれないのだ。
「愚かな策だと、笑うがいい」
邪質の魔素はそこらにあふれているのだ。子供じみた作戦に、どれだけの意味があるだろうか。
しかし、邪竜の力を少しでも削ぐことになるか、次の復活を遠ざけることができるならば、一日でもいい。未来が欲しいのだ。
「笑えるもんか……ディプフにさえ魔物が入り込んだんだ。大森林の、幾重にも絡まった根が、深く大地を抱えこむ土地がだぞ。それが魔脈によって枯れようとしている」
「パイロの荒野も、今や山岳地帯だ。おかげで、ここまで兵を送るのも苦労したんだ。滑稽だろうとなんだろうと、やるしかない」
レリアス王は、二人の同意に頷き本題に入った。
「早急に、多くの者を戦いの場に送る仕組みを作らねばならん。国を跨いで常に魔物と戦うことのできる、流動的な兵を集めたい。特に、ジェッテブルク山へ自ら赴くような仕組みをな」
レリアスが提案したのは、簡単に言えば民兵を募ることだ。だが魔物の発生場所は広範囲に広がっているため、一々国境問題で揉めたくはない。各国内に支部を置く組織の発足に、パイロもディプフも賛同する。
「話した通り、今後はますます兵の融通も難しくなるからな。よかろう、ギブアンドテイクだ」
「足元が危ないんじゃ、幾ら元凶がこの場だと言えども、民は納得しねえからな」
邪竜の意志の外で行使される力が、今後は、どれほどの影響力を持つのかはまだ分からないが、この場へ来るまでにも魔物の姿を見、兵の戦う姿を見た。圧倒的に対処できる人員が足りないのは明白だ。守りの要である結界石は、各街の門前を守る程度の量しかないため、準備を急ぐに越したことはない。
「なら、この組織化もレリアス主導で構わないのだな?」
積極的に邪竜対策を行うレリアス王国とは反対に、邪竜が現れてよりディプフ王国とパイロ王国は、ジェッテブルク山周辺の領有権を放棄した経緯がある。
そのためレリアスは、「お前らが管理しないから邪竜の被害が出た」などと文句を言わせないために協定を結んだのだ。
平常時の監視などをレリアスが負担する代わりに、二国は邪竜復活時には兵や備蓄を出す取り決めである。
協力を拒めば二国の方も大変なことになるため、実際は邪竜対策に三国は密に連携を取ってはいる。
代わりにレリアスも、最も端の街はジェネレション領に留めてある。数十年おきとはいえ大規模の戦いが行われる場所なのだから、空白地帯にしておく方が良い。
彼らの中で、戦乱の時代は続いているのだ。
発端の岩腕族と炎天族の争いへ、森葉族が参戦したように。新たな邪竜という勢力へ、三国は一時休戦ということで対峙している。
ただし、降伏しようとも聞き入れてはくれぬ敵だ。
レリアスの提案に、まずはディプフ王が疲れたように口を曲げて肯いた。
「あーその方が俺んとこは助かる。長老権限でも、だだっ広い森ん中の連中に行き渡らせるのは骨が折れるんでね。レリアスとの取り決めで仕方ねえってのを理由に、推し進めさせてもらうぜ。ま、いつも悪もんにしてっけどな」
それにパイロも追従する。
「うむ、我がパイロも同じ問題があるのでな。レリアスに任せよう」
実は見せかけの協定が仇となり、ここから離れた地に暮らす民の間には不満が噴き出していた。
年々、大地の異常で獲物や耕作面積が減っている。苦しくなっていく中、なぜ他国へ協力しなければならないのかという、避けようもない不満だ。それはレリアス王国内でさえある。
しかし今後は誰もが、嫌でも危険を認識するだろう。魔物が残されてしまったのだから。
「これは、職を失った者への対策にもなろう」
どうにかして、国力を維持しなければならないという差し迫った問題もある。
詳細を話すためレリアスは資料を広げた。
「では同意を得たところで、あーゴホン。ジェッテブルク協定下における邪竜の眷属対策のための国家間戦略特別予備役管理機関の枠組みについてだが……」
レリアスを止めるように、パイロが手を翳した。
「待て、レリアスよ。それは我らの国にも配置するのだろう?」
「そうだが?」
「人を集めねばならんのだ。幾ら職が欲しくとも、得体の知れん新たな組織に、一般の民が集まるか? 浸透させたくば、一言で理解できる言い回しが良かろう」
「ふむ、一理ある。では、いかに」
パイロ王は、身を乗り出すと拳で机をドンと叩く。
「わしらの言葉を採用しろ。貴様らの言葉は、ややこしすぎる!」
提案というには強い口調だ。邪竜対策に関してレリアスが何歩も先んじているのは否定しない。しかし決して属国ではない。ジェッテブルク山周辺のことならばいざ知らず、協定があるとはいえ、直接国内に影響することでは慎重にならざるを得ないのだ。
逆の立場であれば、レリアスも同様に考えるだろう。パイロが取り決め内容に不満がないのは、レリアスも分かっている。それに今はパイロの国民から反感を買うつもりはない。
そうした言い分には理解できても、話の腰を折り、威嚇するように乱暴な態度を見れば不機嫌にもなるというものだ。
「おお、つい管理のしやすさを第一に考えてしまってな。頭を使わずとも理解できる言葉が良いのは、その通りだが……あいにくと我らは、肉体言語などといった非効率な言葉は持ち合わせておらぬゆえ」
「……すかしおって」
二人は取り繕った表情を消し、静かに立ち上がる。
「名称など後でも良かろう」
「そう言って、うやむやにするのが貴様らの手ではないか」
「何も言わなければ、それでよいと考えるのは自然なことだ。よもや、己の物忘れを転嫁しているのではあるまいな?」
奥歯を食いしばり、互いに目を剥いて睨み合う。
「ドラゴンバスターズ」
「愚かな、邪竜を倒すのではない。ならば、対魔物特殊作戦部隊連合」
「だから言葉が専門的すぎると言っている。クリスタルドラゴニア」
「邪竜から離れよ」
「シンボルなのだから、おかしくはなかろう。貴様のいうゴチャゴチャとしたものより、何倍も分かり易くて格好いいではないか」
パイロは唸りつつレリアスに切り込み、レリアスも即座に切り返す。
「いんや、聖邪が合わさり最強に見える秘密組織のが恰好いいに決まっておる!」
「なにを言うかッ! 秘密でもないし? カウンターダークサイドキラーズのがそれっぽいだろうて!」
言い合う二人の間で、ディプフ王は頬杖をついて見上げていた。
「ったく、おっさんらの話は長ぇんだよなー」
「なんたる言いぐさよ! 常々思っておったが、ディプフの言葉は荒すぎる。それでなにが長老だ、若造が!」
「このご時世に本物の爺さんが、王様なんて面倒な役なんか務まるわけねぇだろ。あっちこっち出かけて疲れるったらないぜ」
「少しは礼儀を学べと言っておるのだ」
「そんな流儀は、うちにゃねえよ。元々、根っこが同じ言語だってのに、そっちが後から複雑な言い回しを作ったんだろうが。勝手にこっちの価値観を定めんな」
思わぬとばっちりを受けたディプフ王が反論するが、パイロ王も負けじと侮る。
「ガハハハッ! ディプフ王よ、いけすかない小僧だが、わしもその意見には同意しよう。レリアスは無駄に堅っ苦しくていかん。石っころ族は、頭にも石っころが詰まっているのだからたまらんな」
「なっ……誰が石っころだッ!」
とうとうレリアスとパイロは互いの胸倉を掴みあいながら、がなり始めた。
決着がつくまでの長い間、書記を務めたディプフ王は、怒涛の話し合いを鼻と口の間にペンを挟んで揺らしながら見守った。
「ええい、分からぬ奴よ」
「それは、わしの言葉だ」
そんな熱心な話し合いの末にレリアス王は、研究家アゥトブ・レークと共に調査の旅に出たアローイン・ザダック低爵が、彼を冒険家と揶揄した言葉が残されていたのを思い出した。
「ふむ、冒険者義勇軍でどうだ」
「おう、バーサークギルドだな」
パイロは思い付きで勇ましい響きの言葉を口にしただけだ。
「あーいいんじゃん? もうそれでいいよな。はいはい冒険者ギルドっと……」
こうして辟易していたディプフ王が、適当に混ぜて書いたものが正式に採用されることとなった。
「うぬぅ……終生レリアスに留まって研究に身を捧げたアゥトブに因んで、魔物対策組織の名に冒険者と冠することは、おかしくはないのだろうが……」
「まあ、なんたら機関なんぞよりは、ギルドの方がわしらは分かり易い」
果てしなく、くだらない争いの末だったが、どうにか言葉の響きは民が好みそうなものになったことで決着となった。
◇
それから、レリアス王城の地下には、来る日に備えてマグが集められている。
赤々と輝いているのは、煉瓦のようなマグ水晶に込められた高濃度のマグだ。
一般には流通させていない特殊なものだった。
王は積まれたマグ水晶を見上げる。
冒険者たちが収集したマグから徴収し、各地のギルドから送られてくるものだ。
これも立派に攻撃手段となる。たかが人間同士の戦でなら、これだけの燃料があれば自信を持って兵を前線へと送るだろう。
しかし相手は人知を超えたもの。
これが、どれほどの備えとなるかなど知りようもない。
「これが、聖質の色ならば……」
呟く王の顔色は、すぐれなかった。




