英雄シャソラシュバル・中編
長く思えた沈黙の間だった。
もはや、どのような結論が下されようとも構わないと、兜の男は不安に高まる鼓動を宥めて待つ。
目を閉じ、しばし思考の波間を彷徨う様子のレリアス王だったが、やがて口を開く。じっと耐えていた男の耳に届いたのは、処遇とは無縁の言葉だった。
「ある話を聞かせよう」
そう言いながら目を開いた王の表情から、険しさは消えていた。
「我ら岩腕族と、炎天族との間で長らく続いた争いを知っているか」
後に森葉族も加わり泥沼の様相を呈したと聞いた戦いのことだろうと、ただ男は首肯した。
王が語り始めたのは、そこで初めて現れた邪竜との戦いについてだった。
邪竜は突如、山を割って飛び出した。
砕けた破片が山肌を滑り地面へと突き刺さるなか、我らの戦場の中心である、草原へと降り立つ。
まさにジェッテブルク山の主らしく、禍々しい巨大な体躯が立ち塞がった。
しかしその巨体からは想像もつかないほど電光石火の如く動き、時に繰り出す大技は凄まじい威力をもっていた。
その恐ろしい敵を前にして、我らは呆然と立ちすくむ。
だが、邪竜が濁った咆哮をあげたときだ。
ある騎兵が、一歩を踏み出した。
死を前にして、その恐れを打ち払うためなのか、呼応するように雄叫びを上げたのだ。空に向けて放たれた声は腹の底から沸き立つようで、おぞましいほどの渇望の叫びだったと、聞いた者は残している。
それから男は武器を高々と掲げるや、馬に鞭打ち猛然と走り出すではないか。
我に返った他の兵は、思わず後に続いた。一息に、続いた。後を顧みることもなく続いたのだ。
次々と、小さき人間などは邪竜の下に倒れていくが、ひとたび動き出した狂気の波は足を止めることなど忘れ去り、眼前の敵へと襲い掛かった。邪竜の体に武器を突き立てた者は、命尽きても武器を離すことがないほどで、誰もが熱に浮かされたようだったという。
細かな傷が幾百、幾千とも知れず積み重ねられ、とうとう邪竜も動きが鈍り、次第に弱っていく。このままでは力を失うと恐れたのか山へと逃げる邪竜を、彼奴の生まれた穴へと追い落とした。
そこでも多くの者が死んだのだが、その話はいい。
全てが終わってみれば、初めに突撃した兵が生き延びていたのだ。
奇跡だとして、ときの長はその者に称号を与えた。
シャソラシュバル――逃げる尾を掴む者。
古の言葉で、追いかけども尾に触れることすらできぬ速さを持つ獣を、仕留めることができた猟師への呼び名だったと言われている。
そのときより、格別の働きをした者へと授ける称号となった。それは時を経るごとに、目の前に現れる希望の言葉ともなる。
「英雄、シャソラシュバルの始まりだ」
思わぬ王の話に、兜の男は目を瞬かせた。
シャソラシュバルとは、邪竜と共に現れ、歩む者。それを聞かせて、一体どうしようというのかと男は戸惑う。
王は続ける。
「なぜ、我らがこの地を離れなかったのかが、その存在だ。あの時、逃げ損ねたから、我らは今も生き延びている。もしあの時に撤退していれば、より強大な力を得た邪竜に、すでに絶やされていたやもしれん」
結果論かもしれないが、幾度も復活を目の当たりにしてきた王家だ。当然ながら、男よりもずっと深く邪竜と向かい合ってきただろう。その王の話だ。
「一人の気の触れた兵の行動が、現在まで我らの命を繋いだと考えれば、皮肉なことだと思わんか」
男は何とも言い表せない感慨に、口を引き結んだ。
「英雄の話はそれで終いだ。聖者よ、前回の決着の方法を話してくれるか」
王の求めに応じて、聖者は簡単に話した。一応男も研究院で働く以上は、全ての戦いの流れを、ある程度は聞かされている。
しかし、聖魔素が重要だということにのみ注目していた。
男は改めて聖者の話に耳を傾ける。
前回の邪竜復活時までに、先の王は全ての兵に対して聖魔素を付与した武器を配備した。だが、それらは全て、先の一戦で失われた。
その時点で、すでに聖魔素は人の世から消えたように思えるほどだったのだ。もう次回からその方法は取れないだろう。
「だから、後は知っての通り、残り少ない聖魔素を別の方法で活かさねばならないのだ」
それは研究院内では当たり前に聞かされてきたことだったから、一連の話に何かの意図が込められていることは理解できても、男には見当が付かない。
ジェネレション高爵が王に断りを入れ、男に助言した。
「まだ先の戦いを覚えている者はいる。なぜ武器を寄越さない、隠しているのではないかと考える者がいるのだ」
それだけ、聖魔素の存在が重要だと、重ねて言い聞かされていると男も気付く。
減っていると幾ら口で説明しても、受け入れられるかは別なのだろう。戦った経験のある者ほど、聖魔素に頼れなければ危険だと実感していることは想像できる。
王は、どれだけこの体質が重要なものかと説いたのだろうか。男は、実際の危険を目の当たりにしておらず、見通しが甘いと言われても仕方のない立場だ。
男の困惑を置き去りに、王は席を立ち、高爵と聖者も倣う。
彼らは別れの挨拶を交わすが、男へは声だけをかけた。
「軍馬を与える。好きに使え」
突然の言葉に、男は意味を計りかねて同行者へと視線を向ける。聖者は澄ましているし、ジェネレション高爵は来た時と変わらず悠然としたままだ。
だが男に顔を向けた高爵は、口の端を吊り上げた。
「良かったじゃないか。助力を得て、同胞に貢献したかったのだろう?」
男の混乱は、興奮へと変わる。
「あ……ありがとうございます!」
男は膝をつき頭を垂れた。
ようやく王は、男へと体を向ける。
「そなたには、英雄の資格がある」
王の意図するところに男は息を呑む。
「それを、私に望まれるのならば……いえ、力をお貸しいただけるというならば、私は喜んで英雄を演じます」
「はっきりと言いおる」
決して見逃すことは出来ない体質だと分かっているのか――そう説かれたのだと、ようやく男も気が付いた。どうせ利用するならば、表立って動くことを王は望んだ。より大きな期待で、聖魔素の武器を与えられないと不満を持つ者らを宥める理由にもなる。
どうせ利用されるならば自ら動きたいと、男も考えていたのだ。
「我ら人族は、レリアス王国の恩情に深く感謝いたします。未だ孤立する道を取る隠れ里へも、併合の道を働きかけると約束しましょう」
王は頷き背を向けた。話は終わりということだ。
王は男へ、最高の軍馬を与えると言った。
邪竜と戦う日は必ず訪れる。その日までに、恐れず戦うよう訓練された特別な馬だった。
英雄シャソラシュバルの名に恥じない働きをしろと示したのだ。
◇
それから兜の男を取り巻く状況は一変した。
国がシャソラシュバルの称号を与えた者の存在を発表し、人々は沸き立つ。
しかし研究院に属する立場であるとして、やたらな接触は禁じられたため、相変わらず方々へと聖魔素を集めに旅立ち、隠れ里の人々と対話し、研究に明け暮れる生活だ。
ただ、より自由に動ける身分となったことが、男には何よりありがたかった。
研究院の馬場で、男は艶のある赤味を帯びた馬の背を撫でた。
通常の馬より一回り大きく頑健だ。脚も太いが、なかなか駿足で、なにより目立つ。
「おまえは、戦場によく映えるだろうな」
いざとなれば王自身が駆るために育てられたと聞いた。危機において、どう反応するかまだ分からないが、その話だけでも信頼に値するだろう。
鼻を鳴らす馬の、白い毛に縁取られた面を見上げる。
「すまないが、僕と生きてくれ。お前がいてこその、英雄シャソラシュバルだ」
そうして時は流れ邪竜を退ける新たな方法を模索する内に、狼煙が上がったと、兵の一人が研究院へと駆けこんできた。
「邪竜の復活が近い。大きな魔震が観測された」
街から村へ、村から街へ。距離のありすぎる場所では伝令が馬をかけ、狼煙を継いで伝えられるものだ。
リベレスの声は硬かった。
「……早まっている」
復活の周期が早まっていると、リベレスは示唆した。
「いつでも出られるよう準備を」
指示を受けて、調査隊は慌ただしく動き出す。
「俺らも国に知らせたいが」
「すでに手配済みです」
「そうか、ありがとよ。んじゃ、シルバリース、こっちの荷物まとめっか」
カイが本国への知らせを確認し、シルバリースや他の使者らと共に物資を集めるため倉庫へと走り出た。
「聖者らは保管庫へ」
男もリベレスと共に、研究の成果物をまとめに走った。
荷をまとめて数日、今度は赤い狼煙が上がったと物見から届けられる。
緊急を知らせる赤色は、邪竜復活の報だ。
研究員らは固まった。
「よもや、ここまで早まっているとはな……」
常に冷静に見えたリベレスが、こめかみを押さえて溜息を吐く。疲れが見えた。
精一杯、急いできたつもりだが、それでも間に合うのかと不安が募る。
「とにかく出ようか。先に我らだけでも向かって、新たな道具について説明して回る必要もあるだろう」
「引き続き残った者は増産を優先し、随時送るよう手配します。それから、シャソラシュバル、あなたの馬も出来る限り早く護送するよう城へ依頼しますよ」
他の研究員へ後を託し、外へ出る。
目の前には随行の兵が二人と、一台の馬車だけだ。荷台には、新たな聖魔素の道具を積めるだけ積んだ。
「リベレス、カイ、シルバリース、準備はいいか?」
男は手荷物を運び入れ、荷台から声を掛ける。
「長い旅になりそうね」
シルバリースは距離のことを言っているのではないのだろう。彼女が乗り込もうとしたところに、兵が袋を手に駆け込んできた。
「出るところでしたか、良かった。こちらをお持ちください。収穫が間に合いました」
「これは、七種種じゃない! 助かるわ」
兵が持ち込んだのは、数種類の種を炒ったり燻したり乾燥させた保存食だ。その内の一種は腹の中で膨らみ、少量を持ち歩くだけで済む便利なものだ。最低限の栄養価であり、それだけに頼るわけにいかないが、短期間ならこれ以上の保存食はない。
それに視線を落とし、シルバリースには珍しく表情を曇らせる。
「これも、もうすぐ食べられなくなるのかしら」
「人の住める場所が、どんどん無くなってますからね……」
魔脈の変動が地形を急激に変化させ、農村などが被害に遭っている。
滅多に弱音を吐かないシルバリースだが、リベレスですら疲れを見せる状況なのだから、思わず呟いてしまったのだろう。
持ち込んだ兵もつられるように溜息を吐いた。
どうにか元気な声を装い、男は声を掛ける。
「そうならないための、僕たちだろう?」
「いけない……そうよね」
全員が乗り込み、リベレスが出発を告げた。
◆◆◆
ジェネレション高爵との再会で、ここへ来るまでに起きた王都での経緯を思い返した皆は、それぞれが苦い笑みを浮かべた。
高爵は鎧をまとっており、すでにくたびれた様子だ。長い一日を、報告を待ちながら過ごしているのだろう。
厳しい状況に違いなく、研究院からの支援に期待をかけているのは窺えた。リベレスは、さっそく新たな道具について伝えようとする。
「どうにか邪竜を封じるための目処は立った」
だが、高爵は渋い顔を見せた。
「どうにか、というところなのですな」
リベレスは俯く。見栄を張ろうと高爵には通じないだろう。しかし、そのどうにか形にしたものは、全霊を注いで作り上げた最高のものだ。
「過去の戦いにおいて、聖質の魔素が弱点であることは誰もが知るところ。此度も押し返せるだけの、画期的な発明であると自負している」
顔を上げたリベレスは、しっかりと言い切る。
ただ、量が足りるかどうかかにかかっているだけだ。もちろん、その情報も隠さず伝える必要がある。実際に体を張っているのは彼らなのだ。
「その聖魔素を掻き集めて開発したものが、これだ」
聖者は懐から分厚い布の包みを取り出し、手のひらで開いた。中にあるのは石ころだ。
ただの黒い石。
だが、光に翳せば青い光を通した。
「これを結界石と名付けた」
「それは、一体……」
「触れぬ方がよい。聖魔素を固めたものだが、ただ固めたのではない。多くの聖魔素を凝縮したものだ。我ら聖者ですら、直に触れるのは体に障るほどのもの」
量が足りないなら、一つ一つを強力にしようと考えた結果がこれだ。
気の遠くなる作業だった。あらゆる場所へ赴いては聖魔素の臭いをたぐり、手を触れて引き寄せる。集めたそれらを、時をかけて押し固めて行った。幾人もで手分けし、長い時をかけてこれだ。
一度固まり始めれば多少は早まるが、核を作るのが存外難しい。
これも希代のマグ研究家アゥトブ・レークの遺した資料があって形にできたものだったが、後に続いた研究員は、しっかりと彼の遺志を継いでいることを伝えた。
「これを利用し、意図的に封じることができると考えている。初回のように偶然でも、その後のように力を限界まで削ぎ落としてから、行き当たりばったりにでもなく」
リベレスの力強い言葉とは反対に、高爵は歯切れが悪い。
「それは……ならば王は、諦めたとでもいうのか。邪竜が我らの行動を学ぶと知っていて、なお封ずる道を進むと」
高爵だけでなく誰もが期待しているのは、邪竜を屠る方法だ。
だが、それが叶う見通しが立たないならば、せめて封じねばならない。次の対策を練る時間を稼ぐためにも。リベレスは臆せず続ける。
「もう一つの希望は、彼だ」
リベレスは兜の男を見た。
「シャソラシュバルの称号を賜った英雄か……しかし、それは。いや、なにか発見があったのですな?」
「この石は小型のものだが、一抱えもある大きなものを作った。それに触れ、運ぶことができるのは彼だけなのだ」
「なんと……!」
これだけ強力なものだ。現在研究院に属する、聖者の体内にある聖魔素の割合は少ない。兜の男には、半々で流れるのだが、それでも純粋な聖魔素に触れるのは危険なはずだった。
「なるほど、それが始祖人族の持つ特性だったということか」
生物が聖と邪の半々を内包して、なお体を維持できるということがすでに、現在の人類には信じ難いことだ。調べたところ、聖邪の魔素を同じ割合にすれば、均衡を取ろうと互いに作用し維持する力が増すと分かった。始祖人族が強靭だった証明にもなるだろう。
「研究内容についてなぞ語る時間は惜しかろう。さっそく渡したい」
「利用法についても急ぎ検討せねばならんな」
互いが現状の報告を終えて、リベレスは結界石の引き渡しのため、高爵と共に馬車へと戻る。
再び中庭へ出て、城壁の向こうへと目を向けていたカイは、リベレスを呼んだ。
「リベレス、俺は先に外を見てくるが構わないか」
「状況を確かめてもらえるのは助かるな。シルバリースと行け。だが、まだ街の外へは出るなよ」
いや別に一人でも、と言いかけたカイの言葉はかき消される。
「抜けているが貴重な戦力だからな。何かあっては困る」
「では案内の兵をつけよう」
高爵が兵を呼び、カイとシルバリースは案内の兵と共に中庭の外へ出た。
カイの様子を、シルバリースは半目で睨んだ。
「下りてすぐに抜け出そうとしていたのは、外が気になってたからなのね」
「あ? うーん、そうだったか?」
わざとらしく誤魔化すカイに、シルバリースはますます胡散臭げに見やる。
「それで? なんで楽しそうなのよ」
「面しれぇだろ。変なもんが外うろついてるって聞かされりゃ、はやく見たいって思うじゃねえか!」
「ハァ……こんな時に、よく暢気でいられるわよね」
「ああ、暢気だぜ。俺らの生まれる、ずっと昔っから、人間を脅して楽しむ化け物がいる。そう決まってんだろ? 出てけと言って、いなくなってくれるんなら、先祖たちも苦労してねえよ」
楽し気に言ったカイだが、幅広の剣を抜き、何かを叩き切るように振り下ろす。
突然の動きに驚く兵とは逆にシルバリースは、また変な行動してると白けた目を向けた。
しかしカイの笑みは、ぎこちなかった。
「いいか、相手は化け物だぞ? 何考えてっか分からねえんだ。いちいちそんなもんのご機嫌を窺ってたら……俺たちの人生は、どこにあんだよ」
今度こそ、俺たちの代で止めを刺す。これまでに挑んだ誰もが、そう言って消えた。それでも、シルバリースだって止めを刺すことを目指していたはずだった。
でも、どこか無理だと思い込んでいたみたいだと、気付かされる。
「カイ……そうね、化け物のヘンテコな趣味を笑ってやりましょ!」
城壁の上から見下ろす掘の向こうは草地だが、すぐに森となり、その森も灰色の山脈で区切られている。
「あの山あいから、魔物が現れるんです。それが森の中に多数いますから、常に警戒してください」
兵の説明を聞いたところで、この距離から岩山の様子は分からない。しかし、森の狭間が揺れ、待機中の隊が動いた。
「でけえな」
驚いたことに、兵が数人がかりで一匹の獣と戦っていた。馬ほどもある相手とはいえ、鍛えた兵がここまで手こずるのかと動揺する。
「あれが、この辺一帯に生まれてるっていうの?」
呆然と見下ろすシルバリースに、兵はそうだとだけ答えた。
邪竜の生み出した異形――現在は魔物と称される。
初めて邪竜が現れた時に存在しなかったそれらは、二度目の復活時に散発されるようになった。幾ら尋常ならざる体躯と強大な力を誇ろうとも、所詮は一個体に過ぎない。広範囲から途切れることなく続く幾千の人間の攻撃を受けて撤退したことから、学んだとしか思えなかった。
その時に邪竜が手足として生み出したのは、自身を模したものだ。人間よりは背のある程度の、小さな邪竜だ。抗う人間をそれらの手勢で遮り、自らの力ある咆哮で、全てを破壊し尽くすつもりだったのだろうか。
だが人間こそ学ぶ生き物だ。知り得たことを活かせるかどうかは別として、一度目の戦いで邪竜の本質がなんであるかの予想は、すでに立っていた。
邪竜は、混じりけのない邪質の魔素で形作られた存在である。なれば聖質の魔素を扱える者を集めて鍛えた隊を用意していた。
多くの兵が力を殺いだ後に、最期はその隊の者が、邪竜と共に山の巣穴へと落ちて行ったとされている。
三度目の復活時には、現在の魔物の原型が生まれた。
大きな鉤爪で山に張り付く邪竜だが、平原で動き回るには不向きの造形のため、地形に沿った形をとるようにしたのだろう。
また、魔脈自体を動かして地面を隆起させ山を作ることで、魔物を生み出す場所を増やし、人の行軍を難しくさせた。
すでに以前ほど聖魔素を持つ者はなかったが、国は研究院を設立し様々な技能を持つ者を集めて、次の復活へと備えていた。
聖魔素を持たぬ兵を、聖者と同等の存在に変えたのは、聖質のマグで加工を施した武具だ。
それら聖なる武具により、魔物の軍勢は討たれ、邪竜自身も追いやられる。いや、傷つくと、己が生まれたジェッテブルク山へと舞い戻っていった。
封じるのは良い手ではないと、人間側も気が付いていた。ジェッテブルク山にいる限り、邪竜を倒すことは不可能である。
国を挙げた大々的な調査を行った結果、ジェッテブルク山は、あらゆる魔脈が集約した場所だったのだ。力を殺いだと思っても、邪竜は純然たる邪質の魔素を幾らでも補充する。
山に戻る前に倒せればよかったのか、息の根を止めることができても再び現れるのか否か、判断できなかった。人間側も、魔物のせいで戦力を大きく減らしたところに、再び無傷の邪竜に戻られては壊滅してしまう。仕切り直す時間を得るために、その場は封じるしかなかった。
だから次は、もっと過酷な戦いになる。
次は何を学んでくるのかと各国は頭を痛めながらも調査、研究を進めていくが、聖質の魔素を持つ者はほぼ残っていない。
そして聖質の魔素自体も見られなくなっており、武具など数が必要な消耗品に回す余裕はない。
そこで考えを、場へ働きかけるものへと移し、結界石を作ったのだ。
「……これで、四度目となるのだな」
リベレスは、邪竜の復活を数えた。
邪竜との戦いから何かが見えてこないかと、残された記録を繰り返し思い返すのはリベレスの癖となっていた。
「今回の復活で、新たな動きは?」
高爵は首を振る。
「三度目までのように大きなものは、まだ分からん。が、魔物の現れる範囲は、確実に広がっている。この街の際まで現れるようになったのだからな」
それは想像の範囲内だ。これまでは毎回、大きな変化があったのだが。
「どうも我ら相手には、自らが作り出した眷属と山脈の要塞に任せて籠ることにしたようだ。記録にあるように広範囲を動き回ることはない」
「……では、なるべく傷を負う機会を減らすことを、学んだのだな」
リベレスは馬車の積荷へと手を伸ばした。
「日がある内に設置しよう。ジェネレション高爵、場所の選定を頼む」
「無難に城門の外から始めてもらおうか。私も様子を見たい」
兜の男は大きな袋を担いだ。小さめの結界石を詰めてある。特別大きなものは、もっとも邪竜に効果のある場所を定める必要があるため、今は保留だ。
結界石が魔物へ、どれだけの効果を発揮するかは未知数であった。
番の兵士らが森を警戒する背後で、兜の男は地面に穴を掘り、結界石を埋めていく。
胡散臭い目で男を見ていた兵達だが、すぐに困惑へと変わる。
「魔物が、寄ってこないぞ……」
それどころか、追い立てて近くに引き寄せてみれば、何かに気を取られたようで動きが散漫になり、容易く止めを刺すことができた。
効果は、リベレスらの想像以上に絶大なものだった。
「これは、素晴らしい! 安全に中心地まで進む道を確保できるだけで、どれほど助かることか!」
高爵も感嘆の声を上げ、安堵の笑みを浮かべる。安堵の息を吐いたのはリベレスと男の方もだ。
効果の範囲は魔物の動きを見ながら調整しつつ、間隔を定めていった。
それらの情報をまとめると、リベレスと男は二手に分かれて、兵達の通る道を補強するため馬で駆け回った。
特に、馬を駆る兜の男の姿は人々の目に焼き付いた。
しかも、彼の訪れた後は魔物を寄せ付けない場所となる。
高爵は彼こそがシャソラシュバルの名を得た者だと報を出し、すぐに男が名ばかりの英雄ではないと知れ渡った。そして研究院が無駄な活動ばかりしているのではないのだと、多くの者を納得させることもできた。
邪竜復活で、戦々恐々としていた街の住人や、兵士の中に改めて意欲が戻る。
なにしろ、いつどこから魔物が入り込むか知れない状況だったのが、背後を任せて戦えるのだ。
「これで、前だけを向いて戦えるぞ!」
間もなく、レリアス王国の諸侯や、ディプフ王国とパイロ王国からの援軍も続々と到着する。
結界石の効果を、その目で見た彼らも意欲を燃やした。
実際、結界石によって、邪竜との戦いは大きく変化した。
邪竜を押し留めることができるという自信へ繋がりはしたが、思わぬ落とし穴が待ち受けていた。
これまでの戦いよりも、はるかに数を増した魔物たちだ。倒しやすくなったといえども、果てしなく溢れ出るし無視するわけにもいかない。
戦況は膠着状態に陥った。
数ヵ月も経つと、それを希望と取るか、いずれ来る終わりを受け入れる猶予と取るかと、人々の心は揺れ始めていた。
リベレスら聖者の中にも焦りが生まれる。
結界石の効果が絶大であろうと、徐々に衰える。数年は持つはずだが、これだけの邪質の魔素に囲まれていれば、どれほど見積もりが当てになるか分からない。
兵達の道を確保した後、追加の結界石の作成を急ぐため、リベレスは単身王都へと戻っていた。
その間にも、状況は刻々と変化していることに気付いたのは、さらに数ヵ月の後だった。
砦内では、現状を打破するための作戦会議が行われていた。
ジェネレション高爵を中心に諸侯が並び、隣国の者と研究院の関係者らが向かい合う。
ジェネレション高爵が状況を簡潔に述べる。
「これほど長く、人と邪竜が争った記録はない」
だからといって、決して有利ではない。長引くほどに、人間側は眷属との戦いで疲弊している。
「だが、お陰で得られたことも多い」
これまでは、ひとたび戦いが始まってから、このように考える時間を持てることはなかったのだ。結界石による陣地を得て兵の交代も容易になり、よく観測できたおかげである。
「そして変わらぬこともあると分かった。邪竜本体を退けるには、やはり全戦力を投じねばならん」
そのつもりで決行の日を探っていたのだが、この膠着状態を安定と捉える者との間で、しばしば会議は紛糾した。眷属らも邪竜の一部であるなら倒すうちに弱るのでは、といった論があったのだ。
だがその仮説は覆されたと見ていい。長らく様子を見てきたが、本体が弱るどころか、魔脈の網は徐々に各国へと広がっている。
「とうとう眷属を生み出す魔脈は、王都マイセロへも届いた」
これには反対派も、口を閉ざすほかなかった。
誰も彼らをなじりはしない。実のところは、誰にも分らなかったのだから。すでに、内部で争っている猶予などない。
そろそろ潮時だろうと、ジェネレション高爵は問いかける。本当の限界まで粘る訳にはいかない。いや限界を計れるまでには、人も進歩したと受け止めるべきだろうか。
「一息に押し返さなければならないが、今回は眷属――魔物らの存在が問題だ」
ジェネレション高爵は声に力を込め、集った一人一人へと鋭い視線を向ける。
「そこで、まずは山の麓に結界を張る。そこを足場に、山を動かぬ主の元までシャソラシュバルが結界石を運ぶ。我らは、全力で彼らを山へ上げるぞ」
最大の結界石を、どこで使用すべきか、リベレスらと話し合って決めたのがこれだった。




