あるマグ研究家の記録と、使者の気苦労・三
アゥトブが新たに提案した行き先は、ジェッテブルク山の麓だった。
全ての元凶である邪竜が復活したと聞いた直後にする判断だろうかと、アローインは開いた口が塞がらない。
アローインにとっては、それほどとんでもない考えだった。いや、ただ溜息をついて頭に手を当てているサイも同じ気持ちらしい。同じ研究家でも、やはりアゥトブのものの見方は、かなり独特なのだろう。どうにか形にならない言葉を紡ぐ。
「何を考えている。あまりに危険だ!」
「だからこそだ」
「では理由を、お聞きしても?」
「単純なことだよ。影響の要因が現れたのだ。邪竜に関連するものは活性化するだろう。ならば邪竜に近いほど調べやすい。アローイン、ちょうど良かったな」
「ちっ、ちょうど良い!?」
今まさに邪竜が暴れているだろう場所へ、あえて向かおうとする。しかも、都合が良いとでもいう風に軽くだ。いずれこの男に驚かずにいられる日が来るのだろうかと、アローインは衝撃に固まった頭を振った。
「……よもや、こんな時に中心地へ向かおうなどとは思いませんでした」
ひと呼吸置くとアローインは諦めの溜息をつく。
「ええ、いいでしょう。向かおうではないですか。そう連絡を入れます」
「連絡か。一つ頼みたい」
アゥトブが自ら何かを訴えようとするなど珍しいことだ。アローインも注意深く耳を傾ける。
「各調査隊へ、出来得る限り調査を続けるよう伝えてほしい。もちろん、国の危急に駆けつけたいと思う者は多いだろう。無理にと言うつもりはない」
ただし調査が遅れる分だけ、さらなる困難を前に取り返しがつかなくなる可能性もあると、アゥトブは最後に付け加えた。
アローインには、あえて嫌味を込めたように思えた。アゥトブなりに釘を刺したのだろうか。確かに、もし今回も勝てたとて、これまでと状況は変わらない。それどころか悪くなる一方だ。
毎回、多くの人間の死によって、どうにか人の世は守られているのだ。身動きのできなくなる日は、遥か未来のことではない。
アローインは難しい顔をしたが、伝えると請け負う。
そうして手配を済ませ、食料などを受け取ると、三人は領主の館を辞去した。
明るくない喧騒が街を包み、物々しい集団が街を次々と出て行く。
その後に続くようにアゥトブ隊も街を出た。特に追うつもりはない。彼らは急いでいるため、ついていこうにも振り切られるだろう。
緊迫した面持ちでいたアローインも、兵と引き離され徐々に辺りが静かになると、胸の内はもどかしさとも困惑ともつかぬ感情に取って代わっていた。
「レーク殿、今さらですが、どうかお聞かせ願いたい。なぜ、今時分にジェッテブルク山なのです。おっしゃるとおり、邪竜の目覚めによってマグの動きも活発になるでしょうが、悠長に観察できるとは思えません」
煽るようなことを言ったアゥトブだが、結局は徒歩なのだ。
虫がぎーぎーと、鳥がかぁーと鳴く道を歩いていると、自分は何をしているのだろうかと、アローインは疑問に思わないではいられなかったのだ。
アゥトブは不機嫌に口を歪めつつも、はっきりと答えた。
「距離を考えたまえ。兵たちと同時に到着すれば戦うことになるぞ。それでは調査にならんだろう。遅れて到着する頃には、各国の軍も集まり交戦中のはずだ。彼らが押し留めている隙に周囲を調査するに決まっている」
あろうことか同胞を盾に調べようということらしい。なるほどと納得もできるし、アローインも今はそこを言及しない。ただアゥトブの歳では、以前の邪竜戦が実際にどのようなものであったか知らないだろう。
だがアローインには、城から学ぶように見せられた資料があったし、実際に戦った祖父らの残した記録もある。アゥトブよりは詳しいのではないかと、意見の交換を試みることにした。
「しかし、どこまで近付けるかもわかりませんよ。レーク殿は、どの程度ご存知ですか、邪竜の動きを――以前の戦いでは、麓の平原地帯全域で争った記録があります。邪竜自体が小山ほどの巨体を持つそうですから、三国の兵が共同戦線を組んでさえ、一つ所に留めるのは無理だったとか。そうでなくとも邪竜はマグを……いえ、無論、戦局がどうなるかなど、ここで言っても仕方ありませんが」
アゥトブは、多少は国の長老らから聞いたことがあると答えたが、詳細は知らんと言い切った。ただし、と続く。
「逆に俺たちが着く頃には、邪竜は返り討ちにあっている可能性もある。そうでなければ、死ぬのが早いか遅いかだけの違いだ。ならば探るに相応しい場所で、今我々にできることをすべきだろう」
飄々と振る舞うアゥトブだが、研究にかける熱意は誰にも劣らないことに、アローインは改めて気付かされた。
「真理に辿り着くには困難を伴うものだ。知りたいものが大きいほどにな。我らの求めるものは、最も過酷な場所にある」
アゥトブは、我らと言った。その通り、アローインにも課せられたことである。
自分勝手に振る舞うアゥトブだが、人の心を失ってはいないのだ。私も国と民のために戦う身。使命を果たすには、命をかけねばならないこともある。それが今なのだ。否、これ以上の状況があろうか。アローインの胸の内に、くすぶっていた使命への炎が燃え立った。
眼前の危機へ立ち向かうという、行動するに疑問の余地のない任務ではあるが、そんな時だからこそ余計に、果たして己の行動が正しいのかどうかと迷いが生じることもある。
しかし、別の視点を持つ者も、今が戦いのときだと言うのだ。背中を押してくれる者があるというのは、これほど心強いものだろうか。
アローインは、腹の底から沸き立つ感激に打ち震える。
「なんということだ。その通りです……死を覚悟しつつも、最後の刻まであがく。単純ながら、これ以上の生き方はあるまい!」
拳を握りしめて意気込むアローインの姿に、サイとアゥトブは白けた視線を向ける。
「なにか、勘違いをしてないか」
「アローは、けっこう思い込みの激しいところがあるのよね」
しかしアローインには、そんな二人の態度も腹を括った冷静さとしか映らなかった。
◇◆◇
街道を歩くアゥトブ隊の横を、幾つもの部隊が通り過ぎて行った。
彼らを横目に歩き続け、冬季が過ぎゆくころ、ようやくアゥトブ隊はジェネレション領へ到着した。
「貴方は寄り道が過ぎます」
「何も無駄なことはない」
アローインは、さすがにアゥトブも急ぐだろうと思っていたのだが、甘かった。
焦るアローインの心情をよそに、アゥトブはときに脇道へそれて、植物や虫やらを追いかけたのだ。
街道では、何度も馬を駆ける兵とすれ違った。現在は各地が連絡を密にしているのだろう。彼らを目にする度、戦場へと進むに進めぬ己が身にアローインは歯を食いしばり、今は課せられた任務に励むのだと耐えていた。だというのに、アゥトブの調子は変わらない。
「川辺で釣り草を発見したときは、君も魚が食えると喜んでいただろう」
「それは野営時のついでです。別問題ですよ」
「はいはい、その辺にして。ジェネレション高爵の館に着く前に日が暮れちゃう」
サイは欠伸をしながら、二人のたわいもない言い合いを止めた。アゥトブは話している内に白熱するような性格ではないし、アローインも半ばやけくその暇つぶしだ。本気で言い争う気はない。それはサイも理解しており、呼び止めたのはアローインに館までの道案内を頼もうと思っただけだ。
しかしサイの言葉に、アローインは考え込むように眉根を寄せる。視線は街の状況へと向けられていた。
サイとアゥトブも、つられて周囲を見渡す。
「どこも、人だらけね」
「ほぼ兵のようだな」
最もジェッテブルク山へ近い領であり街だ。辺境だが、かつてより前線基地として人を集める必要があったため、王都に次ぐ大都市ではあるのだ。
それが大きな通りまで、人でごった返している。しかし、人の数ほどの喧騒は聞こえず、誰もかれもが疲労困憊といった体だった。
「これじゃ、宿にも空きはないと思うわ」
「そういえば、外に野営している者を見かけたな」
「ジェネレション高爵の砦など、より大変な状況でしょうね」
そうは言いつつも、どこかで食料や水を確保しなければならないのだ。
「そうですね、なにかしら現状の話を聞けるかもしれませんし、調査隊などの相手をしていられるかということなら、追い払われるだけで済むでしょう」
「アローも、図太くなってきたわよね」
そうして三人は、ひとまず領主を訪ねてみることにした。
間もなく訪れた砦では、想像通りに怒号の飛び交う別の戦地と化していた。
兵らが準備に走り回る中、アローインらを出迎えたのは年若い次期当主だ。
ジェネレション高爵は、自ら隊を率いて出ており留守とのことだった。
「しかし、話は伺っております。現在までの報告をまとめてありますので、書斎へどうぞ」
ありがたいことに、ジェネレション高爵は調査の重要性を理解してくれていたのだ。
書斎に案内されたのは、他の部屋が手一杯のためもあるようだ。怪我人が集められ、介抱する姿もあちこちに見られた。
胸を痛めながらも、書斎へ着き報告書を手渡されるや、アゥトブがひったくるようにして広げ目を走らせる。
アローインとサイも待てずに、横から覗き見た。
「これは……大発見だ!」
各々が驚きの声を上げた。
理由は分からないが、魔脈周辺に聖質の魔素が集まるような現象が起こっていることを、王立研究院の調査隊が発見したのだ。
発見は偶然だったようだ。
元からその場にあったのか、邪竜にまつわる現象が形作ったのか。
そこは湖沼地帯で岩盤などがなく、まるで魔脈が血管のように浮き沈みすると噂の地域を調べていたときのことだ。
歩ける場所も足が沈みそうな土に覆われているのだが、突如、激しく揺れ、柔らかな地面が裂けて地中が露わになった。恐らく邪竜の復活に呼応したのだろうと、すぐ後に彼らも知る。
その浮き上がって崩れかけた断層の一部は、マグを内側に取り込み保持する水晶を含む鉱床だった。それを調べようと採掘していると、研究員の一人が緊迫した声を上げた。
「聖魔素のにおいだ!」
さらに掘り進めたところ、あるものが見つかった。採掘者は痛みを訴え触れることができない。周囲に聖質の魔素を集めた、自然の結界。
それは、形を持っていた。
「このような異形など、見聞きしたことはない……一体、どういうことなんだ」
「だが、紛れもなく聖質で出来ているぞ。聖魔素を持つ私ですら、触れるのは憚られるほど、純粋な聖魔素だ!」
邪竜の如くマグで作られたらしいそれは、ぷよぷよと蠢くものの攻撃などはしてこない。
邪質ではなく、聖質のマグで作られた存在だったのだ。
『ピチョーン!』
この時見つかったのは、透明な雫型の異形。
後に森の雫種と呼ばれるようになった聖獣だった。
聖獣と呼ばれるに至ったのは、それらの調査を進めるうちに、同じく聖魔素で作られた中では恐らく最大の種となるであろう、鳥のような蜥蜴のような、見方を変えれば牛でもあるような四足の個体が見つかったからである。
様々な形態を持つものをまとめて呼ぶのに、最上の獣から聖獣と名付けたのだ。
アローインは感嘆の声を上げた。
「いやはやレーク殿、おみそれしました。調査を続けるよう忠告した、貴方の言った通りだった!」
「やはり、多くの人間が動けば発見も早いものだな」
アゥトブとサイは、聖魔素で形作られた異形についての報告に幾度も目を通す。
自身が長いこと追ってきた研究の一部が、他の者の手によって異例の速さで露わになっているのだが、アゥトブには焦りや悔しさによる気負いは見えない。
逆にサイは、言葉は柔らかだが興奮を覗かせていた。
「そう……そうだったの。これが、地上から聖魔素が消えつつあるように見えた原因なのね」
三人は、各々の見解を口にし熟考する。
集められた報告を俯瞰してみれば、魔脈に吸い寄せられている。聖魔素は、そうとしか思えない動きを見せていた。
しかし、反発するはずのものを邪竜が引き寄せるだろうか。違うとするなら、逆なのだ。聖魔素が、邪魔素の働きを抑えようと押し寄せている。
それが何故かまでは、はっきりしないが、この分であれば近い内に答えに近付けそうである。
国は、厳密にこれを調べろといった指示は出していない。邪竜や、それが現れてより異変を見せる魔脈に関連しそうなものならば、些細なことでもよいから調べろということらしかった。アゥトブは不満どころか、多角的な視点を得られてありがたいと考えていた。
「でも、なぜなのかしら……」
サイは頭の中であれこれと仮説を立てているのだろう。それがしっくりこないと、都度に何故だと繰り返す。
それらの何故に、アゥトブなりの自問自答を繰り返す。
どちらが先なのだろうか。
聖魔素は、邪竜より先に姿を取り入れていたのか?
場に応じた形だ。
それを、邪竜も学んだのだろうか。
だが、それはどちらかの影響によるものか、各々が学んだ末に集約した結果なのだろうか。
調べるしかないと、アゥトブは呟く。
彼らしく体を動かし、考え過ぎるのではなく、ありのままを観察するのだ。
「では、次に取り掛かろう」
翌朝、起き抜けに上着を手に取り出かけようとするアゥトブを、アローインは溜息を吐き、今すぐですかと文句を言いつつも追いかけた。




