20 :疑い晴れのち曇り
街道を南の森へ向けて、両腕を大きく振りながら競歩の如く歩く人影がある。
俺だよ俺。
律儀にも、それに付き合うのはシャリテイルだ。
肩を並べて歩くシャリテイルは、口を尖らせていた。
多分、俺が刈り取った草の納品証明をもらってからホクホク気分で、顔にも表れているからだろう。友達にも顔にすぐ出て分かり易いとからかわれていた。
だから諦めて思い切り喜ぶ!
午後も半ばで十六束刈れたんだ、二十束の目標は達成したも同然だよな!
「封印が大変なことになっているかもしれないのに、ニコヤカで羨ましいわ」
「まだ状況も分からないし。先の懸念より今日を精一杯に生きようではないか」
「よく悠長でいられるわね」
「野宿は嫌なんでゆるしてください……」
「もう……いいのだけど。あなたは来たばかりだし、私の方に責任があるもの」
意外にも責任感が強いらしい。
俺が気まぐれに案内役を頼んだばかりに、気苦労をかけさせてしまったかな。
「急ぐなら、先に行っても……」
「逃げるつもり? あなたの行動の検証のために向かうんじゃないの」
その理由、まだ有効でしたか。
急ぎましょうと言ってシャリテイルは足を速めたが、それでも俺の前に出る程度に合わせている。俺も真剣にサカサカと後を追うが、はたから見たら引きそうだ。
結果を考えれば気が急くのも当たり前、なのか?
街の様子からは、悲壮感などかけらも感じないが。
本当に邪悪なものが潜んでいるとして、それを住人がどう理解しているかを知る機会と思えば、俺も興味はある。
「結界は、すぐに、どうこうなるものではないのだけれどね」
「そんなもんなんだ」
いきなり壊れるといったものではないらしい。
もしそうなら、もっと焦ってるよな。
魔物を倒したときに得られるマグのように、はっきりと目に見える煙ではないが、結界も聖なる質のマグ――魔素を放出している。
日本で言えば、虫を退治するための霧を発生させる医薬品のようなものだろう。
そんなことを聞かせたら怒られそうだが。
「こっちよ」
シャリテイルが急に足を止めて森へ入った。
もっと先に通り易い場所があるから俺はそこから入っていたが、よく地面を見ると縫うように枝がはらわれている。
「藪で視界が悪いところもあるから、しっかり見ていてね」
シャリテイルの言葉に、景色を見回すのをやめて見失わないようにと慌てて後を追った。
ほどなくして、聖なる祠前を囲む木々の合間に到着した。ほんとに近いな。
隣を見れば、シャリテイルは困ったような顔をして立ち尽くしている。
本来なら入れないはずなんだったな。
俺が先に行くか。
小さく開けた場所に進み入って振り返ると、シャリテイルは木々の合間で身を竦ませているようだった。
「大丈夫だと、思うよ?」
多分。
というよりも、俺だけでなくシャリテイルも通れて欲しい。
おれは怪しい者ではないのです。
「そ、そうよね」
躊躇しているのだろうか、目を泳がせている。
それもわずかな時間で、すぐに意を決したように口を引き結ぶとジャンプで藪を越えてきた。
「えいっ! ほっ、ほんとうに押し返されない……」
それってさ、もし結界あったら跳ね返されて痛いことになるんじゃないのか。
さっきまでお前も通れるがいい、などと思っていたが、その意味を考えると気が楽になどならなかった。
目を見開いて呆然としているシャリテイルを見ると不安になってくる。
誰でも通れるってことは、結界が弱まっているのではという懸念に真実味が出てきてしまった。
「きっと、この辺だけよね。そうよそうに違いない。誰にだって、ちょっと力が出ない日ってあるもの。祠さんだってそんな日なのよ……」
シャリテイルは、さくらんしている!
またしても思い切り聞こえる声で呟いている。
独り言なら人のことは言えないが、今はこちらの世界に戻ってきてくれ。
聞いているのも面白いが、俺は祠の入口にかかる鎖に触れた。
正確には鎖の表面にある見えない壁にだ。
これに変化がないことに、今はほっとする。
「シャリテイル、こっちも試してくれないか」
「ふぇ? ああっやっぱり聖なる鎖に触れてるじゃない!」
「だから鎖じゃなくて、見えない壁だって。シャリテイルもここに立ってるんだから、同じことができると思うぞ」
「そ、そうね。試すわ」
そうして両手を猛禽類の爪のようにして前に突き出した。
掴むもんじゃないと思うんですが。
ともかく俺と同じく入口の壁に触れたシャリテイルは、思い切り息を吸った。
かと思うと、泣きそうな顔をして壁に張り付く。
「う……一体、どうしちゃったのよ祠さん。昔はこんなじゃなかったのに……あの頃の祠さんに、戻って?」
いや誰に話しかけてんだよ。
しばらくうんうんと唸っていたシャリテイルだったが、ぱっと顔を上げた。
「うぅん、でも。そう、これだけでは結界が弱まった、とは言い切れないわね」
悩みは解決したようだ。
あっさり気を取り直しやがった。
「ええとですね、無知で最弱冒険者の俺にも分かるように解説をお願いします」
「少し焦って我を失っただけじゃない。そんな卑屈な言い方しないで」
さすがにバツが悪かったのか、そう言いながら頬を赤くしている。
「だってね、結界は確かに有効なんだもの。この押し返す壁の感覚。少し話したけれど、この入口付近がこんな風だったのよ」
ほぅ、そうなんだ。
「だから、それが無くなったんじゃないのか? いや範囲が狭まったというか」
シャリテイルは首を振って否定した。
「祠の聖なる魔素の質が高いから、副次的な効果だっただけ。入口に張ってある聖なる鎖の効果は効いているわ。壁としてしっかりと遮断しているし、聖魔素のにおいもはっきりある」
ゲームに直接関係のない、専門的なことはよく分からないな。
「じゃあ、封印が解ける心配はないのか? でも何か気懸かりなんだろ?」
「ええ、問題があるとしたら効果の形が変化したことね。これはギルドに報告するとして、後は国に任せるしかないと思うわ」
え、国?
そんなおおごとになるのか。
「残念だけど、聖なる質の魔素を取り扱える技能持ちは、この街に居ないの。王都まで連絡しないとならないわ」
「あーそうなんだ」
ゲームのエンドは、もちろん主人公が封印したわけだけどさ。
最終のボス戦が終われば、自動で流れるメッセージに合わせて、静かになった山や街の背景が流れているだけだった。
陰鬱だった背景が、明るい色彩を取り戻していくような演出だ。
最期には、ジェッテブルク山を中心に、この地一帯を封印したという祠が光って終わりだ。
プレイヤー自身が何かを施したわけではなかった。
うん? どうも、ここも違和感があるな。
なんだろう。
最期、祠が光って――そうだ、その光は。
「青い光だ……」
邪竜を封じたことを、表示された祠の絵を青く光らせて知らされ、すぐにシーンを切り替えただけの演出だった。手抜きかよといったあっさりさだ。
現実にすると、視界全てを青く染めるほどの、膨大な聖なる質の魔素が必要ってのはありそうだな。
考え込みそうになるのをやめて顔を上げると、シャリテイルが目を丸くして俺を見ていた。
やべ、何かまずいこと言ったかな。
「よく知ってるわね。聖なる質の魔素は、青い光に見える。魔物の赤い魔素とは違ってね」
あれ、なにか感心されているだけのようだ。
でも今度は、憐れむような眼差しになった。
なんだっていうんだ。
「あなたって、冒険者やこの街に関係しそうなことには妙なところで物知りよね。よっぽど夢だったのは分かるけど、書物で調べたのでしょ。偏ってるし、頭でっかちなのが残念」
俺って知識をひけらかしてドヤ顔系のオタク扱いすか。そうなんですか。
間違ってはいないな。
不本意だ。
「どうかな。これで、俺が怪しい行動をしていたように見えた理由は分かってくれただろ」
シャリテイルは疲れたように頷く。
「ごめんなさいね。疑って悪かったわ。いえ、そのお陰でこの変化に気づくことができたんだから、あなたの方向音痴に礼を言うべきかしら」
「疑いが晴れたなら、それでいいんだ」
ふう、ようやく心配事が一つ減ったか。
俺の返事に、シャリテイルはいつもの笑顔に戻った。
「この変化が確認できただけでも十分ね。これ以上は私たちでは分からないでしょうし戻りましょうか」
俺は頷くと、街へ戻るためシャリテイルの後に続いた。
その辺の冒険者にはどうにもならないことだというならば、俺の憂いリストからも削除していいじゃん。そう思うと、次第に気持ちも晴れやかになる。
これで明日からはまた、草軍団の殲滅に励めるな!