196:滝の拠点から高みの見物
「ゲキュルゥ……」
「ひぃ……」
叩き落された六脚ケダマが、俺の足元に転がって消えた。
カイエンの野郎、よそ見しながら何気なく斬りつけてんじゃねえ。大道芸か。
どれだけ六脚ケダマはいるんだよ。そりゃ最弱ケダマサイズにしたら、そう多くはないんだろうけどさ。
大体な、ケダマから四脚ケダマは体積四倍程度のサイズアップだったろ。それが四脚から六脚では、十倍で済まないほどでかくなってるじゃないか。卑怯すぎる。
誰か山の麓の魔物と大差ないとか言ってませんでしたっけ?
俺をその辺までは近づけなかったんだろうが、今はその親切が恨めしい。前もって知っていたら今回は逃げていただろう。どうにか恐怖は退け、殊勝なことを考えはしたものの、不気味なことに変わりはない。
俺はな、巨大蜘蛛に襲われるパニック映画とか、大嫌いだったんだよ!
巨大なケダマたちは次々と目の前で消えていくが安心感はない。こんなトラウマもんの討伐は嫌すぎる。すでに精神力ゲージは危険域に達した。まだか、拠点はまだなのか!
六脚ケダマ第二波を退けたものの、俺の虫よけはもうゼロよ。
「ここまでか……」
とうとう俺は地面に膝をつくと、両手で顔を覆ってうなだれていた。
「しくしく」
うう、もうやだ。おうちかえりたい。
「……草でつつくな」
本気で泣いていたわけではないが、途方にくれて我を見失っていたようだ。
草の攻撃を察知して顔を上げたら、シャリテイルだけではなく全員が草を手にしていた。じろりと見上げる。
「い、いやぁほら、草を補給すれば元気になるかなって?」
気が付けば、襟首や頭の布やら隙間のあちこちに草が生えていた。
おもむろに俺が立ち上がると、シャリテイルたちは、びくっとして後ずさる。
「さあ進むぞ。こうなったら野営地点まで休みなしだ」
「え、えええぇ! そんなむごい!」
こんな場所に留まる方がナンセンスッ!
情けない声が背後から追うが、さっきまでの恐怖心はどこへやら、俺はずかずかと先を歩き始めた。なにか悟りの境地にいたった気分だ。
砦兵のメタルサだけが、やたらと虫よけに拘っていた理由を身をもって知った。
フラフィエが大変なものを欲しがるんですねと言った理由も、俺がこんな場所になにしに来るんだと思えば驚かれて当然だな。もっと買っておけば良かった……。
二度と来ることはないから、もう必要ないのは実に残念!
休みなし宣言をしたが、歩き始めて間もなくシャリテイルから声がかけられた。
「元気出して。もうすぐ野営拠点が見えるわよ?」
おお救いの神よ!
やっぱり、これ以上は巨大ケダマを見たくないんです。
以前、湖まで来たとき、川側の畔までは昼前に到着した。湖は大きいが、回り込むだけなら、そう時間はかかってないと思う。
滝の側では急斜面を上りつつ、戦闘も多くて時間を取られたが、それでも昼を過ぎたくらいだろうか。
随分と早い。たしかに休まず歩けば日帰りできる距離だろう。
まあ、まだ仕事は何もしてないけどさ。
「ほら篝火が見えたわ。あそこが、この辺の拠点なの」
急な傾斜だし頭上は木々に隠れている上に昼間だから分かり辛いが、枝葉の向こうに揺れる火が揺れたようだった。
以前、湖で金たわし草を討伐したときに、篝火用の燃料にすると聞いた。その場所に違いなさそうだな。
岩場方面に向かう途中にも、しょぼいけど掘っ立て小屋や櫓があるくらいだし、一定の間隔で拠点を築いてるんだろうか。というか、こいつら頻繁に休憩とってるくらいだし、そうしないと大変だよな。
無造作に積まれたような岩の階段を黙々と上って、ようやく到着だ。
土よりも岩の地肌が多い場所に踏み入る。滝に流れ込む渓流脇に目をやると、やや高い岩場に拠点はあった。見晴らしの良い場所の確保と増水対策とか?
「やっほー交代に来たわよ」
シャリテイルが篝火に近付きながら手を振った。
また交代だとか、とんでもないことを言ってるが、もう落ち着けるならどうでもいいや。
手を振り返す冒険者たちのいる場所は、滝の上というか裏側というか。
転落防止に作ったのか天然なのかは分からないが、滝の方に人の高さほどの岩の壁が半円状に囲んでいる。湖は見えないが向こう側には青空が広がっていて、ジェッテブルク山も街から見るより少し小さい。
岩壁の手前には丸太で四角く組んだ枠があり、その中に火があかあかと燃えていた。その周囲に野郎どもが八人ほど。これまで見た中では結構な大所帯だ。
しかし岩に腰かけていたり、地面に座り込んでいたりと随分とリラックスした様子が恐ろしい。これが強者の余裕か。
よくもこんな場所で暢気にしていられると思うが、知らずほっとして顔が緩む。
「ようやく来たか!」
「今回は長めにお願いしちゃって大変だったでしょ? 助かったわ」
「いや理由は分かったし、逆に運が良かったぜ! なあ?」
そう言った男が俺を見て顔を輝かせ手を振ってくる。俺も引き攣り気味に笑顔で返した。
篝火の側まで来ると、待機側の奴らは俺を見て笑い声をあげた。
「一瞬、森に馴染み過ぎて分からなかったぜ!」
そういえば草を挿したままだったな……。
「いやー、すげえな。タロウがここまで来るとはなぁ」
「いずれは他の街みたいに、人族の冒険者も当たり前になるかもしれねえのか」
「わくわくするぜ!」
お前らの目は節穴か? それとも能天気細胞は俺と大差ないのか。
俺を囲む面々をよく見ろ。
毎回たかが人族冒険者一人に上位陣を連れ立っていたら大赤字だろうが!
「じゃなー」
そいつらは待っていただけらしく、シャリテイルと幾つか報告を交わすと、荷を担いで去っていった。
さっそくウィズーらは、いつもより多めの荷物を降ろして空いた岩に座り込む。
「遅くなったけど、お昼ご飯にしましょ」
「わーい!」
シャリテイルの呼びかけに、みんなそこらの岩に座って嬉しそうに荷物を漁りだした。
俺も篝火に近い適当な岩に腰かけて、小さな袋を取り出す。初期装備の余りの方の木の実だ。
腹はふくれるが、わびしい食事だな。
野菜まみれでも、おっさんの弁当の方が食べた実感あるし、まだ楽しみがある。
「タロウは木の実か。金持ちだな!」
ウィズーの意外そうな声に少しムカついた。
そりゃ金とは縁遠い生活してるよ。いやいや僻むようなことではない。
「ふっ、食べ物にはこだわるたちでね……」
「ああ、なんか仕事も細かいもんな」
自嘲気味に言ってみただけだ。
「信じるな。色々混ざってて飽きないけど、やっぱり普通の食事の方がうまいよ」
「はぁ?」
なぜか手を止めて、全員が俺の手のひらを覗き込む。
なにをビックリしてんだ。寄るな怖い。
「それ、七種種じゃねえか……」
「軍の遠征でも上層部くらいにしか配られない完全食と聞いたぞ」
「まさか、タロウって実は人族の偉いやつ?」
えっ、これってそんな良いもんなの?
なんだその情報。俺の方がビックリだよ。
「そんなんじゃない……街にくる途中で、譲ってもらえたんだ」
まあ、嘘ではないよな。
「なんだそういうことか! いい行商人に乗せてもらえたんだなあ」
「ええと、食うか? もう残り少ないし、新しいのも買ったから構わないけど」
「食う! いや交換だ! 普通の肉しかないけど、これでどうだ?」
「肉だと? 頂こうか!」
なんと、木の実長者になってしまった。
無料で手に入れたものと交換なんて気が引けるけど、手のひらにある赤茶色い塊に感動していた。
肉だ……本物の肉だ。拳ほどの肉が幾つもある。憧れの、ぺらくない肉の塊だ!
きっと今朝の肉を味わえなかったのは、この運を引き寄せるためだったに違いない。
ありがとう、お肉の神様。
齧ってみるとビーフジャーキーほどは硬くない。
ウィズーたちは何種類か持ってきているようだし、水気が多いものを先に食べているようだ。そこらの枝を拾って刺し篝火に突っ込んでいるのを見て、俺も真似する。
落ちてる木の棒ってのに抵抗感があり、少し炙ってから肉を刺した。
改めて肉を炙っていると、なんとも食欲をそそる匂いが漂ってくる。ふと篝火の横に、カップ麺のような塊が置いてあるのが目に入った。あれ、金たわし草の成れの果てか?
「そのくらいで、いいんじゃね?」
「よっしゃ食おう食おう」
肉の準備ができると、岩に座り直す。
俺以外は、一つまみずつ配った種を嬉しそうに齧り始めた。
「おお、本当だ。色んな味がするな!」
ウィズーやダンマが普通に齧る横で、森葉族二人は一気に頬張っていた。
こいつら、分かってやってるのか?
「おい、デープ、シャリテイル。それ腹で膨らむからな? そのくらいでも結構な量あるぞ。気を付けろよ」
「なんぐぁと!」
「さきに、ひっへよ!」
どんな経緯で、こいつらはもぐもぐ族になってしまったのだろうか。
むぐむぐしながら、二人は水で流し込んでいた。余計やばくない?
まあ、あれくらいなら大丈夫か。
「久しぶりに食ったけど、やっぱりこいつが一番うまいよな。街にくる行商から買えるやつは、味気なくてうんざりしてたんだ」
一人だけ、にこやかに余裕な発言をかますのはカイエンだ。
へえ、木の実にそんな違いがあるんだ。
おい。
慌てて新しく買った木の実の袋を覗いてみた。
言われてみれば、全体的に茶色っぽくて見た感じカラフルさが足りない。
俺の持ってる方も全体的にピーナッツっぽい茶色なのは同じなんだが、もう少し目に付くものがあった。白いカシューナッツっぽいのや、ソラマメっぽい緑色やら、ひまわりの種に似て縞々っぽいものなどだ。
ためしに新しい方を一つまみ齧ってみる。
ポリッ――なんてこった、マジで味気ない。
そうだよな、普通はなんにだってグレードがあるよな。どうりで安いわけだよ……それでも俺には高価だというのに。
いいんだ肉が食えたし、美味いし、肉のうまみが引き立つし……。
今晩から味気ない食事のみになるとしても、今はこの至福を堪能しようではないか。
あ、やっぱり肉は晩飯用に少し残しておこうっと。
食事を摂り終えると、みんな緩みまくっていた。
大丈夫なんだろうか本当に。
こだましてるのか距離感はよく分からないが、妙な鳴き声が聞こえたりしてるんですけど。
大欠伸しているシャリテイルを、思わず半目で見てしまう。
「にゃふあぁ、いい陽気で眠くなっちゃうわね。って、タロウどうかした?」
鋭い。
だらけているように見えて、警戒はしているに違いない多分。
やっぱさ、俺思うんだ。
俺の依頼は、ついでにやっちゃおって魂胆なんだろうって。
だってそうでなけりゃ、なんでカイエンたちが俺の同行を知らないんだよ。
そうだよ。なんか突然、朝っぱらからやってきて予定に調整が入ったと言っていた。
みんなはシャリテイルのことを待っていたから、遠出自体は予定通りだったってことだ。
「予定調整って、本当は俺の予定とは関係ない気がしてさ。どういう意味だったのかなあと」
つい恨みがましく言ってしまったせいか、シャリテイルは狼狽えたような様子を見せる。
「それはぁ……タロウがいけないのよ? サッサカサーっと秘めたる草力を発揮して依頼を片付けちゃうんだもの。予定が狂っちゃったんだから」
十件以上も依頼を用意すれば、しばらく時間を稼げるだろう。その間に用事を済ませておこうではないか……ククク。
などと、まるで初めから別の目的のために用意されたように聞こえるんだが。
さすがに被害妄想が過ぎるか。
よく分からないが、とにかくもっと時間がかかると思ってたわけだ。
「あ……なるほど、そうか」
「分かってくれたのね? そういうことよたぶん!」
単純なことに気が付いた。
比較的楽な場所から始めたのは俺に、ここらの環境に慣れてもらうためだとして、徐々に厳しめの場所へと移行するはいいが、後半の場所ではそれなりの人員が必要だ。しかし人手は余っているわけではない。ギルドとしては独占契約らしいシャリテイルに頼みたいため、予定を合わせようと調整していた。
だけど俺が勝手に依頼日をずらしたり早く終わらせてしまって、この泊りがけの日に重なってしまったのだ!
それなら、この危険な遠足を招いたのは俺自身だったか……。
だからって、なんでこんな場所に俺を付き合わせようなんて考えるんだよ!?
そう叩きつけようとした言葉は出なかった。
「ケダマちゃんみっけ!」
シャリテイルはすでに俺が納得したと思ったのか、そこらをうろついていた。今はケダマはケダマでも草の方を見つけて喜んで摘んでいる。
こんなとこに来てまでケダマ草採取かよ……俺も見習った方がいいかな?
なんとなく立ち上がって、周囲を見渡してみた。
半円状に囲んだ岩壁の向こうには、竦むようにダイナミックな光景が広がっている。滝壺を叩き日差しを受けてきらきらと輝く水飛沫の狭間に、ときに黒い点々が物凄い速さで飛び交う。
ミズスマッシュの滝登りかよ……。
「ああ、湖のやつらは、あがってこれないぞ」
俺が見ているものに気付いたらしいカイエンの言葉に少しだけほっとする。
「そうか。ここらの川は何が出るんだ?」
「何も出ない。流れが速いだろ?」
ああ、すぐ流されちゃうもんな。拠点にするくらいの場所だから、考えてはいるだろう。結界からも結構離れているように見えるが、魔物の分布が変わるなら、ここらもカバーしてるんだよな。
そういえば、強い魔物が結界に急に近付いたらどうなるんだろう。すぐに分裂?
魔物が痛い目に遭うと言ったのはビオだっけ。
などと逸れる思考は引き戻された。
「だから森側だけ気を付けてればいいぜ」
森側って、すぐそこから木に囲まれてるんだが。
「危険じゃねえか!」
「交代で番すっから、へーきへーき」
カイエンの平気は、まったく信用ならない。
それよりも、俺が辺りを見回していたのは、別に魔物を警戒してではない。小屋らしきものが見当たらないのが気になっていた。
ぼろくてもいいから、あってほしかった。
だが、あるのは篝火の近くに作られた、腕ほどの丸太を並べた囲いのようなものだけだ。余裕で人ひとりは入れそうではあるが、その用途はすぐに知れた。
ウィズーが近寄ると、囲いの天井をぱかっと開いた。上部は蓋かよ。
木製のゴミ置き場のようだ。中は底も丸太で、そこへウィズーたちは余分な鞄を置いていった。
みんな体格いいから大きな道具袋一つ増えたところで邪魔そうには見えないが、食べ物のようだし重そうではある。
俺も布きれしか入ってない鞄を置いてみた。大して意味はないだろうが嵩張るよりはいい。失くして困るようなものでもないし。
それだけだよ。
テントがないどころじゃない。
聞きたくはないが、もっとも必要なことをウィズーに尋ねる。
「どうした? ああ、用を足すのは森の、そっちだ。こういった丸太の囲いがあっから。行く前には必ず誰か呼べよ」
そんな絶望的な答えが返って来た。
ふと現実逃避で、遠くの空を眺める。
街からはほとんど意識したことのない周囲の山並みが、より近く感じられる。
ゲギャー、ゲギャー……ゲギャー……。
そんな声も微かに空に響き渡っている。数羽の飛ぶ鳥のサイズも、街道で見たときより大きい。落ち着かねえ……。
俺の不安を気にかけたわけではないんだろうが、ウィズーパーティーが立ち上がった。
「腹も落ち着いたし、先に一仕事してくるぜ。あいつら邪魔だろ?」
ウィズーがシャリテイルに伝える。
あいつらとは、視線から察するにペリカノンらしき鳥のことらしい。離れて見えるが、すぐに飛んでこれそうだもんな。
ペリカノンが結界のどこまで近付けるのかは知らないが、この辺りで食い止めるようにしてるはずだ。
岩場方面の小屋も境目らしき位置にあると感じたから、そう思っただけなんだけど。まあ安全度の目安というよりは、巡回の引継ぎとか仕事の都合だろうけどな。
「お願いするわ。私たちは少し待って後を追うからよろしくね」
ウィズーらが沢を離れて森に分け入る背を、複雑な気持ちで見送りながら、力なく呟いた。
「後を追うんだ……」
「私たちの仕事もあるでしょ? ペリちゃんがいるとちょっと面倒だものね」
すっかり旅路はここで潰えたと思おうとしていた。
俺の仕事はこれからだったよ。




