194:出立
このもぐもぐ族、とんでもないことを言ったぞ。
「もう、服が濡れちゃったじゃない」
「ご、ごめん」
シャリテイルが布を取り出して、ぽんぽんと服を叩くようにして水を拭う。
白いワンピースはプリーツ入りで折り重なっているはずだが、心なしか胸元が肌色に見える気がする。
いや今注目すべきはそこではない。そこではないから視線を外すのだ。シャリテイルがジト目になって杖を手に取ろうとしているから。
「それよりも! 遠征……遠征、だと」
口にしてみれば、より重く感じられる。
「……それって、主に高ランクを中心に、中ランクの上位者で固めた人員が本気装備でやっとこさ立ち向かわねばならないような高難度地域の魔泉を巡って凶悪な魔物たちと熾烈な縄張り争いでくんずぼぐれつとそりゃもうあれやこれやの大騒ぎで……どこの低ランク冒険者がそんなもんに参加するってんだ!」
事実を確認する内に動揺は強まり、ついドンとテーブルを叩いていた。
シャリテイルはジト目のまま、焦る俺の顔に向けて無慈悲にも人差し指を突き立てる。その指先から逃げるように頭を傾けるが、小癪にも指先は追尾する。これが指向性ってやつか。
俺が頭をまっすぐ戻すと、その指はぱたんと横向きになる。
さらには、くねくねと波のように揺らされた。
「はい、ケムシダマ君ー」
「遊ぶな」
ふぅ、とシャリテイルは溜息を吐く。
溜息つきたいのは俺の方なんだけど?
「これ、タロウには、とっても良い話なのよ?」
「どこが! なんで低ランクが遠征なんだよ!」
「あら、低ランクだって遠出する機会はあるのよ?」
えっ、そうだったのか……おや、そんなことを最近、小耳に挟んだ気がするのはなぜだろう。
「いやいや、そりゃ普通の低ランクだろ」
「タロウだって、普通の低ランクとして認められたーって喜んでたじゃない?」
「ぐっ……」
その通りだ。
「まあまあ、落ち着いてタロウ君」
落ち着けるはずがない。歯を食いしばり唸りそうになるのを堪えながら、シャリテイルが何を言うのかと、どうにか意識を集中する。
「ちょっと距離があるから、仕事を終えて戻る頃には日が暮れちゃうの。だから念のためよ。夜に森の中を移動するのは嫌でしょ?」
西の森の、しかも奥地を夜に歩くだ?
そんなの絶対嫌に決まってる!
あれ、でもそれじゃ。
「へっ、一晩?」
「もちろんよ」
シャリテイルはきょとんとし、俺の肩はぐったりと落ちた。
「驚いただろ、遠征なんて大仰な言葉を使うのはやめてくれよ」
「えぇ? 泊りがけになるから遠征で間違いないと思うのだけど……」
シャリテイルは不思議そうに呟いている。ま、まあ、そう言えなくもないか。
俺は一度見ただけだから、冒険者と砦兵とギルド職員も合同で出かけて行った大がかりなのが、ここの常識でいう遠征というものなのかと思っていた。
「うぅん……だったら、いつもとあまり変わらないのか?」
「もちろん。タロウだって毎晩のようにカピちゃんたちと遊んでるじゃない? その経験を活かす時よ! それが、少ぉしだけ長くなると思えばいいわ」
遊びじゃないんだが……。
「そうそう、同行者も普段の倍だから下手したらいつもより暇かもね」
さすがにそこは考えてくれてるのか。
ただし暇になるというのは俺のことではなく、シャリテイルの倒す魔物が減るという意味だろう。人員が増えたところで俺の仕事を手分けしてやるはずはない。
あーもう……。
「分かった。準備してくるよ」
その前にと急いで野菜汁を掻き込んだ。肉が喉を通り、野菜を噛みしめ、肉、今日は二きれの日か。残った汁を飲み込んだら肉。最後に水を流し込み、口を拭って立ち上がる。
「すぐ戻る」
「なるべく急いでね」
階段を駆け上りながら気づいた。
「肉ぅ! 三きれ、あったじゃねえか!」
ああぁ! 女将さんの白身のお返しってこれだったのかよ! くそっ!
なんでエクストラボーナスの日に限って、無残なことになるんだ……。
消沈しつつ箪笥を開いた。
「準備ったって、俺にまともな道具なんかないぞ」
まあ、どうせ翌日には戻ってこれるなら、食べ物があればどうにかなるか?
でも保存食、になるよな。
おっさんに弁当を頼んでも昼の分しかないし、洗えないとやばそうだから断った方がいいかな? うーん、明日の分はどうしよう。他の奴らは確か、干し肉とか肉を挟んだパンとか肉を漬けたようなやつとか食っていた。この時間じゃ総菜屋も開いてない。俺にそんな買い置きは何も……あったわ。
残り少ないが謎な木の実が余ってる。抑えながら食べれば三食分にはなりそうだし、こいつを片づけてしまおう。
中身は、嗅いでみた限りでは悪くなってないし、虫がついてる感じもない。箪笥の隅に置いた虫よけが効いてるのかもしれないな。
後は着替え。念のため他に入れ物を用意しようか。
肩に斜めがけできる小さなバッグを久々に取り出す。着替えのパンツとシャツは一枚でいいよな。
そうだ寝床もどうなるんだろう……テントは、ありそうもないよな。山小屋とかあるかなあ。岩場方面にあった連絡拠点くらいのもんでもあれば助かるが、すごく不安だ。色々な意味で。
野営するとして俺に用意できるのは、元々持っていたひざ掛けサイズの布くらいのものだ。洗って衣類の段にしまっていたため、それも取り出して詰め直す。
他には……外といえば、虫に食われるかな?
シャリテイルは気にしてないようだが、メタルサのようにやけに気にする奴もいる。俺がどちらの陣営かは明白だ。うん、虫よけも試しに持って行こう。
虫よけは少量ずつ別の袋に分けて箪笥の段ごとに置いていたが、余ったのも持ち歩くことはなく置いたままだった。その余りの分だけ取り出して鞄に詰めた。
元々、衣類の虫よけに興味本位で欲しかっただけだったし、外で使う日など来てほしくはなかったよ。
「ま、こんなもんだよな」
階下へ降りると、シャリテイルは戸口で待っていた。
「おっさんに弁当を断ってくる」
「もう伝えたわ」
「あ、そうなんだ。ありが……」
俺はじろりと睨んだ。
シャリテイルは口笛をふく真似をして顔を逸らした。
「じゃ行くわよー!」
逃げるように宿を飛び出したシャリテイルの背を見て溜息を吐きつつ、俺も通りへと踏み出した。
うっすらと明るくなりつつある大通りを速足で歩いていると、すでに通りで開店準備を進める人たちがいた。行商人たちだ。
随分と早起きだな。あの果物売りのおじさんもいる。
あ、これだ!
「シャリテイル、ちょっと待っててくれ」
ゴザを取り出して敷き始めていた、おじさんの側に駆け寄った。
「もう買い物できますか」
「いらっしゃい、もちろん構わないよ! ああ昨日の兄ちゃんか。白身はどうだったかい?」
「あ、美味かったです! それで、木の実は余ってませんか」
売り物の木の実は手のひらに収まる程度の量だが、十食分にはなるだろう。それで千マグなら、すごく安いはずだ。
「ええと、高いがいいのかい?」
「その、すいません。勘違いでした」
「ははは、いや意地悪で言ったんじゃないんだ。運が良かったね。一袋だけ残っていたよ」
「買います!」
干し肉や堅パンらしきものを売る店もあるが、ただでさえ動きに難があるのに荷物が嵩張るのは不安になった。お値段もな。
でも、せめて空腹感なく過ごしたい。やっぱり食べ物がぎりぎりというのは、精神的に良くないもんな。
千マグをタグで支払う。
そういえば、いつものようにタグで支払ってたけど、外はマグ硬貨が主だったはず。ここに来るような行商人は、街の特徴も把握してるんだろうな。
「毎度ありがとう。今度来るときは、多めに持ってくるよ!」
そ、それは他の冒険者が買ってくれると思います。
買い物を済ませると、端で待っていたシャリテイルに並んで歩き始めた。
「朝食についてた白身は、タロウが買ってきたものだったのね。いい日に来たわ」
しっかり添えられていたのか。俺は朝食自体、食べた気がしなかったよ……。
「それより木の実とは考えたわね。確かに荷物は減らせるし、その分お邪魔草を刈るのもはかどるでしょうし嬉しいわ!」
「……そうだね」
一体、どんなところに連れていかれてしまうんだろうか……はっ! そんなことも聞き忘れていたとは。
「どの辺に行くか分かるか?」
なんせ、はっきりとした目印があるわけでもない。長時間移動するなら、説明も大変だ。地図を見たって『森』としか書かれてないし。実際に歩いても、そうとしか書けないのも分かる。
「そうね、川沿いに進むわ。それから湖の向こうよ」
だから意外だった。
まさか答が返ってくるとは。
「はああぁ!?」
「あはは、目を剥いたらコエダさんみたいね。面白いわ」
み、湖の向こうって!
「か、考えなおそう?」
縋るように呼びかけたが返事はない。
そこにシャリテイルの姿はなく、随分と道の先を進んでいた。
「何してるのタロウ? 急ぐわよー!」
「なにをいきなり速度増してんだよ! 待て!」
超速スキップを余裕でかますシャリテイルを、本気小走りで追っていると、畑を超えて西の森に近い倉庫に到着していた。
くっ、なんで追ってきたんだ俺は……逃げれば良かったのに!
遠目にも分かっていたが、すでに人が待ち構えている。野郎どもが四人も。
シャリテイルをいれて五人って、倍じゃないだろ。約、倍だ。
「ねっ、私たちも入れてパーティー二つよ。心強いでしょ?」
シャリテイルは暢気に言うが五人だろ。一応はパーティー二組分にはなるか……私たち? 俺を数に入れてんじゃねえよ!
この際それはいい。
「なんで、お前らが?」
「なんで、タロウが?」
待ち受けていた野郎どもが、俺と同じ疑問を口にしていた。
「昨日の今日じゃねえか。俺たちの遠出に、なんでタロウが加わるんだ?」
困惑しながら答えたのはウィズーだった。
重なるような声は、ウィズーのパーティーメンバーの二人、デープとダンマだ。
「えぇ? まさか、これもタロウの依頼?」
「そんな、じゃあ、俺たちが昨日の依頼の引率を無理に引き受けたのは……」
ウィズーらは顔を見合わせたかと思うと、膝を折り地面に手を付いた。
「クソッ、なんてことだ! こんなことも見抜けなかったとは!」
「多めに出した小遣いの意味は……!」
「あれがあれば、もう一杯飲めたのに……!」
握りしめた拳で、ちくしょーと呻きながら地面を殴っている。
こいつらが引率で大丈夫なのか心配になってきたんだが。
放っておくことにして、苦笑して見下ろしている残りの一人に目を向けた。
そいつも俺の視線に気づくと、にかっと笑う。
「よっ、草タロウ。久しぶりだな!」
一人朗らかに笑う面を見て、俺はあることに気付き青褪める。
「バカイエン……」
高ランクが、同行だと?
そんな奴が必要な場所なんぞ、いくら護衛がパワーアップしたところで、ええと、なんか余波で消滅しそうじゃねえか!
「タロウどこへ行くんだ。そっちじゃないぞ?」
無意識に全力で帰ろうとしていたが、振り返ればシャリテイルがいた。
にこっと、悪意のない笑顔が返ってくる。ズルイ。
項垂れつつ西の森へと向き直った。
「ほら行きましょ。デープ、先に先頭をお願いしていいかしら」
「おう、任せとけ。こうなったら意地だ!」
先に魔物を片づけていくためだが、デープの後をウィズーとダンマは鼻息も荒く続いた。失った小遣いの痛みは魔物退治で晴らすのだろう。
渋々と俺も歩き始めた。俺の近くをシャリテイルが歩き、やや背後をカイエンがのんびりと歩く。
俺は動揺を誤魔化すように、ナイフで枝葉をはらいながら行くことにした。
「はぁ……最後に、でかい依頼が待っていたもんだ」
俺の呟きは、パキッと枝の折れる音にかき消えていった。




