191:苔草との戦いの前に
ウィズーの悔し気な様子を見てツッコミたくなるけど、言って大騒ぎされたら面倒くさい。
でもなぁ、さすがに身の危険に関することだ。言わずにいて何かあった方が後悔しそう。
ウィズーが足を滑らせたことについて、俺は単純なことに気付いてしまった。
コイモリに跳び付かれて仰け反ったりする俺が、足を滑らせていない。滑りそうな感覚すらない。
レベルの低い俺で、これだぞ?
この差は、どう考えても例の効果以外にないじゃないか。
「ウィズー、一つ確認したい。どうか落ち着いて聞いてくれ」
「タロウ、お前……何か知っているんだな? いいだろう、なんでも聞け!」
俺が知りたいんだよ。睨まないでほしい。
ごくりと三人の喉が鳴る。
「……もしかして、靴に滑り止め加工を施してないんじゃないか?」
「な……っ!」
「うそだろ……」
「なんで分かった!?」
なぜかウィズーだけでなく、デープとダンマも並んで驚愕を見せる。
いやなんでって……分からない方がおかしいだろ。
適当な注文するのはシャリテイルだけじゃなかったらしい。
本当に装備とかに無頓着なんだな。信じられるのは筋肉だけってやつ?
これはストンリも苦労するはずだ。
その分、あれこれ好き勝手に試してそうだけど。
ため息を吐くと、俺は自分の足元を指差した。
「俺を見ろ。この覚束ない足取りでも、まったく滑らないだろ。おかしいと思わなかったのか?」
「たっ、確かに、その通りだ……そんな、へなちょこ筋肉でよく踏ん張れると不思議だった!」
「体幹はぶれぶれなのに器用に均衡を保つもんだなぁ、と俺も感心していたぜ!」
「でも人族ってそんなもんじゃね? って流していたというのに、まさか靴に秘密が潜んでいたとはな……」
おい、何かむかつくんだが。
「いい装備してるのに、なんで滑り止めはないんだよ」
あれ?
自分で不思議がっておいてなんだが、全部盛りで注文していたなら含まれていそうなもんなのに変だな。
「ふむ。言われて思い出したことがある」
ウィズーは片手を顎に沿え、何かを思い出すように目を細める。
もったいぶっているが、ズッコケないように心して聞かねば。
「その滑り止めってな一長一短でな。要は、動きを阻害する働きだ。多数の魔物相手には、足捌き一つとっても細かな力加減が必要だ。途中で動作を変えることの多い場面では、そのわずかな感覚のずれも大きなものになるんだよ」
なんと、思ったよりもまともな理由じゃないか。
「ま、だから俺たちは、余計なもんは省いてるってわけだ」
なるほど。
ふっ、とか皮肉な笑みを浮かべているウィズーには申し訳ないが、あえて言わせてもらおう。
「それを忘れてたら、意味なくない?」
「言うなああぁ……!」
頭を抱えて仰け反って叫んでるが、下手したらまた滑るぞ。
まずい。せっかく恥ずかしさをどうにか誤魔化そうとしている相手を突き落とすようなことを言うのは良くないな。こんな場所で置き去りにされたら俺が困る。
「えーと余計なこと言ってごめん。でも、滑り止め加工した状態で慣れるのもいいんじゃないか? ウィズーたちの身体能力なら、難しくないだろ?」
「そ、そう思うか? まあ、今度暇があれば、試してみるのもいいだろう」
あ、立ち直った。
ちょろすぎる奴らよ……。
「さすがは人族の冒険者だ。視点が違うな。今のは良い助言だったぜ」
そうですか。
多分ストンリじゃなくても、装備屋の奴に何かしら言われてると思うぞ。
ウィズーが俺たちに背を向けながら、さっと片手を上げる。
後についていこうとして、肩を横から掴まれた。見上げればデープだ。
「タロウ、ここで待つぞ」
「へ?」
今のは何かの合図?
コイモリ天井の数歩手前まで進んだウィズーは、足を止め腰を落とす。
ゆらゆらと蠢きはじめたコイモリが攻撃をしかける寸前、ウィズーは腰を捻り天井へと弧を描くように剣を振りぬいた。
ブンと空気を震わせ、天井の暗がりからは強い炭酸が一斉に弾けるような音が駆け抜ける。
「ふぁぎゃぁ!」
その激しい音と風に思わず叫び声を上げたのは俺だ。
傍に立っていたデープが、衝撃に飛ばされて転がって来た数匹のコイモリを杖で叩き潰していく。
ウィズーが振り向いて面目なさそうに頭を掻いた。
「ちっ……やっぱ小っこい相手じゃ、獲りこぼしは出るな」
「最近は大物ばっか相手してたもんな。腕が鈍るのはしょうがないさ」
「ガハハ! 的はでかい方が当てやすいからな。ケルベルスなら今の一撃で死んでただろうよ!」
などと三人は次元の違う話をしており……。
「どうだ? タロウの助言を俺なりに取り入れてみたぜ」
「いやいや、俺がなんの助言をしたっていうんだ!」
「なんのって、滑り止め加工がないなら、滑るような動きをしなきゃいいってんだろ? だから、そうしてみたんだよ」
大人しく加工する気になったのかと思えば、助言って、そっちかよ!
「俺のせいで時間食わせちまったな。ほら進むぜ」
上機嫌にウィズーは歩いていく。
なんとも不条理なものを感じるな!
しばらく歩いたところでウィズーは振り返り、笑顔で言った。
その額には汗が光っている。
「ここらで休憩するか」
さっき、スッ転びかけてからほとんど時間は経っていない。
やっぱり無駄に力を使ったんだな?
いや、転がる勢いを利用して受け身とって立ち上がった方が労力は少なく済みそうだが、こんな地面では酷か。
「そ、そんな無表情で見るなよタロウ、怖いだろ。少しだけだから、頼む!」
ついつい気持ちが顔に出てしまう癖をどうにかしたいと思っていたが、こんなやつらばかりだし、逆に手間が省けてこのままでもいいような気がしてきた。
「いや……ちょうどいい。俺はこの辺の苔草むしってるから」
「やったぜ!」
三人は口々に喜びながら、その辺の岩に座り込みかけて、今度は尻を滑らせそうになっている。……なんでウィズーだけでなくデープとダンマまで休憩を喜んでんだよ?
もういい仕事仕事。
さっきまでコイモリが多かったから、合間を縫って足元の邪魔なやつを毟るくらいにしていた。どこまで奥に行くかは知らないが、そろそろ一部でも徹底的に除去したいと思っていたところだ。
苔草をがしっと掴み、ぽこんと引っこ抜いていく。取り除いた苔草は、背中のカゴにぽいぽい放る。隙間のあちこちに生えていて面倒だが、そこそこ育ってる分、引っこ抜き易い。
東で見た巻き込み草などが生えてるところだと、小さい苔草が密集していて、つまみ辛かったしな。
ケムシダマはきもいが、お前の素材はまじで役に立ってるぞ。
一息ついたのか、背後で会話が始まり耳に届く。
「ほう、俺たちが水を飲むわずかな間に一面の苔草が綺麗さっぱりだとは、にわかには信じがたい光景だな。話に聞いた以上だ」
こいつらの雑談って、いつもは主題がよく分からないことが多いんだが、すぐ側で作業してるからか苔草退治に注目したようだ。
はたして普段から俺の行動はどのように話されているのか、知れる機会か?
「しかし、苔草が映えるな」
「どっちかといえば、生えてる?」
うるせえよ。
手で背中を探ると、カゴから細い苔草がはみ出たりしていた。押し込んで作業を続ける。
きっと噂話も、こんな風にわけの分からないノリで話されているんだろう。そうに違いない。
それより、そろそろルートでも聞いておこうかな。ここまで来たら、こいつらも実際的な話ができるはずだ。久々に来たらしいが、以前は日々通っていたらしく道に迷いはなかった。
「それで、どこまで進むんだ? できれば一番ここが面倒だって場所があれば教えてほし……なにを、やってんだよ」
会話がやんだところで質問をしながら、また一つ引っこ抜きつつ振り返り固まった。
「ぁあ?」
三人は腰かけたまま、両手を水平に伸ばして、頭にそれぞれの武器を乗せてバランスを保っていた。やけに真剣な顔でぷるぷる震えている。
休憩だとか言ってたよな?
俺は手にしていた苔草を振り上げた。
「うぉ、やめっ、タロウ……ちょ、待てっ、それ、投げんなっ……!」
しばらく苔草が跳ねたり打ち返されたりする音が洞窟内に響き渡った。
「ふぅ、草刈り魔だとか噂も聞いてたが、本物だったな」
「そう怒んなって。茶化してたわけじゃねぇんだよ」
「こうしたら足場の悪い場所でも動きやすいように鍛えられるかなあって、思ったんだって!」
ひとしきり投げた苔草を拾い直しながら、じろりともうひと睨みしておく。
「その調子なら、今日中に終わりそうだと思ってよ。こっちの最終地点と、もう一件の目的地も、奥で繋がってんだ」
ウィズーが肩をすくめてようやく答えたことに、少し驚いた。
「え、この奥繋がってんの?」
もう一件の依頼の洞窟は西側の山の麓に入り口があるらしいが、この奥で合流している。ただし俺たちが入ってきたのは南側だが、U字ってほど単純な道のりでもないし、出入り口同士は近くもないとのことだ。
なら、奥から戻りつつ片付けていけるか?
と思ったが無理だよな。
問題は、どこか重点的にといった話ではなく、全体的に広がっている苔草の除去ということだよ。捨てに出ないとカゴがいっぱいになってしまう。
仕方ない。結局、一番奥だという場所から引き返しながら片付けていった方がいいんだろう。確かに、同じ場所でも二件と分けた理由が分かるな。
休憩を終えると、少しでも急ぐために途中での作業はやめて、まずはその奥地までの案内を頼んだ。
うねるような道は、これまでの洞窟の中では最も歩き辛い。
距離感もつかめず、なかなか疲れる場所だ。
「そこを曲がったところだ」
ウィズーの知らせにほっとしたところ、すぐ後ろにいたデープが声を上げる。
「先に、いるぞ!」
何かがマグ感知に引っかかったのだろうが、緊張感のある声だ。
コイモリじゃないってこと?
速度を落として歩きつつ、何が出てくるのかと息をのむ。
奥の洞窟の壁には、ネジのような溝が見えるだけだ。
黒っぽい壁に対して、浮き出た部分は別の色で不自然だとは思っていた。
それが、ずるると動いた。
「ひぃ」
よく見れば、ミミズのようにぬめっている。
一部に、蜥蜴の足のようなものが見えた。
な、なんだよこれ。
でかい。ながい。
よく見りゃ、洞穴内部に沿ってぐるっとはりついているじゃないか!
その先端らしき部分が壁から離れると、空中から頭を伸ばした。
羽毛に覆われた頭部を占める大きな目玉がギョロリと俺たちを見下ろす。
巨大な頭部は、鳥だった。
しかし首から下に羽はなく、ぶよぶよした表皮があらわになっている。
肉のような赤みをベースに紫や茶黒い染みが浮いている、巨大なミミズ。
「な、なんですかね、これ……」
異様な気迫を放つウィズーは、武器を構えたまま答えない。
俺のやや前に来ていたデープが低く呟く。
「ナガミミズクだ」
こいつが?
頭にはゲーム画面に収まった小さな姿が浮かぶ。
絵でも気持ち悪いと思っていたのに、現実に見とうはなかった!
たしか、ゲーム中レベル35くらいだったっけ。
え、いきなり強すぎない?
不気味な魔物は、喉の羽を膨らませた。
「ホッホーゥ」
うわあ、まんまミミズクっぽいけど、すげえ低い。ほら貝かよ。
そんなことを思ってる間にナガミミズクは距離をつめていた。
早くは見えないが動きが大きいせいか、一度うねる度にかなり移動する。
近付いたナガミミズクは、曲がった嘴を開いた。
鳥のくせに、ごっつい牙がたくさんある!
ウィズーが水平に剣を薙いだ。
それだけで螺旋を描いた胴体は、剣も触れてないのに幾つかの場所で千切れていく。今のは何かの特殊攻撃だろうな。
頭を狙ったのではないのだろうが、避けようとした鳥頭の動きは機敏だった。
だけど残った上半身もまだ長い。ナガミミズクは毛を逆立てて激しい鳴き声を響かせる。
「ギニャアァァッ!」
ウィズーが次の攻撃を繰り出そうとする動作に合わせて、ダンマが飛び出した。
なぜか巨大肉切り包丁の面側を、バットのように振る。
炎天族の長身だからナガミミズクの顔の位置には届くが、なぜそんなことを?
その疑問は直後に解けた。
「ひょっひょーぅ……!」
今のは俺の声だ。
ナガミミズクの嘴から無数の牙が発射されたんだよ!
それがガツンガツンと包丁にぶつかり重い音を響かせるのに合わせて、別の音が重なる。ナガミミズクの頭の下に入り込んだウィズーが、その喉元へと剣を振り上げていた。
体から分断し、落ちる首にウィズーの回し蹴りが叩き込まれて飛んでいく。
そのまま透過した体は、崩れながら煙となりウィズーへ流れ込んでいた。
「ほら、そこが目的地だタロウ。ん? どうした……タロウ?」
「はっ……まさか、棘が防ぎきれなかったのか!?」
「し、しっかりしろタロゥー!」
ええい、しずかにしろ。
と、手のひらを掲げて意思表示する。
ちょ、ちょっとばかり、足がふる、ふるえているだけ、だし。
「き、気にするな。初めて間近に、見たから……」
「なんだ、驚かせるな。初めて見た魔物だから感動していたのか」
「ああ、そういや雑学だか集めてるんだっけ?」
「もしかしてタロウは研究家ってやつなのか? 人族にしては、こんな場所で冒険者になるなんて珍しいと思ってたんだよ!」
そんな、よく分からない話をして納得している三人を、ふらふらと追う。
よろけながらも、どうにか奥まで到着。
二つの地点が合流した通路の先からは、妙な空気の流れがあり、なんだか重々しい音が響いて不気味だった。
まったく落ち着けない。
「休憩するか?」
その提案には全力でNOと答えさせていただく!
一度目を閉じ、深呼吸。
くわっ!
気合いを入れて目を見開いたところで、なんにも覚醒はしない。
でも、どうにか普通に声は出せた。
「ウィズーたちは、休んでいてくれタマエ」
「やったぜ!」
俺は苔草に飛びかかった。
ここで全力を出さずして、いつ出すというのか!
「なんてこった……あれが、自然薙ぐ者の真の力か!」
「ここは高みの見物と行こうじゃないか」
「水うめー」
くっ……意地でも、今日中に終わらせてやる。
こんな場所に、二度も来てたまるかよ!




