185:魔の森に巣食う罠を断つ
最近は少し空気が冷えてきたと感じる。
「はぁ……」
吐いた溜息が白くなったわけでもないが、なんとなく首元の布を引き上げた。大きな季節の節目と言えば冬だけのような話だったが、近いのだろうか。どれだけ厳しい寒さなのかで、俺の稼ぎにも影響しそうだ。
ああ、でも、本来なら関係ないんだよな。
どんな状況だろうと、日々討伐してかなきゃならない場所なんだし。
空は抜けるように淡い青で、爽やかな草刈り日和だというのに、心なしか気が重い。どんな時もぐっすり快眠できるはずが、目の下に隈でもできてるんじゃないかという疲労感。
つい腰のポーチに手を伸ばした。パキッと乾いた音と感触が手の平に響き、再び溜息を吐く。
「また、マグ回復を無駄遣いしてしまった……」
こんな栄養ドリンクじみた使い方をしてはダメだと思ったはずなのに、誘惑に弱すぎる。
でも連日、急にマグが減るようなことをしたせいか、初回よりも疲れが取れなかった感じがする。今回だけは念のためだ。
まあ幾ら力が抜けて倒れるといっても、気を失うほどのマグ使用量じゃないんだから、一晩経ってMP回復してないってことはないだろう。だから多分、気分の問題が大きいんだと分かってはいるんだ。
マグ回復石を割るのが間に合わないなんて想定外だった……。
いや、あれは割るタイミングが少し遅かっただけだから。
そうさタイミングさえ合えば成功していたね。
初めから取り出しておけば良かったんだよ。
そうだ、なんで気付かなかったんだ。
次は成功する予感しかないな!
よし、気を取り直して仕事だ。
今日の依頼は、いつも以上に手を抜くことは出来ない。
昨晩は起き上がれるようになった時点でギルドへ行って、予定を調整してもらったからだ。残りの依頼内容を確認して、近い場所の依頼を二件まとめてくれるよう頼んでみた。
大枝嬢は早上がりだったらしく、代わりに対応したトキメを丸め込むのは容易いものだった。相談を終えるや、トキメが引率者へ繋ぎをつけるのに慌てて出て行ったのを見て、ちょっとだけ申し訳なかったが。
無理だったら伝言があるはずだが、ないからには受け付けられたってことだ。
無茶を言ったのは、やれることが増えたこともあり、もう少し時間が欲しくなったんだ。
いえ不貞腐れたテンションで余計なことをしたんです。分かってるよ。
向かう先の情報もなく仕事量がどれだけかも知れないのにアホだ。
しかし自ら仕事を増やしておいて頭を抱えてる場合ではない。付き合わされる人たちの方が大変だ。どうにか日が沈む前に戻れるように全力で行くぞ。
足に力を込めると、待ち合わせの西の端倉庫へと向かった。
西の森深く、歩き辛い木々の狭間を縫うように、腰を落として駆け抜ける。
周囲のいたるところから魔物の存在を木の葉が伝えるが、それらを避けて進むためだ。だが行く手の頭上から、枝葉を叩き折る大きな音が響いた。降り注ぐ枝葉を腕で払う間に姿を現したものは、こちらへ狙いを定めて突進する。
「しまっ、タロウ! そっち行ったぞ!」
変なところで区切るな。誰がシマタロウだ。
前を走って誘導していた本日の引率役が、切羽詰まった声を上げて振り返った時には既に、そいつは俺の元へと到達していた。
ヒュッ――風切り音が耳元を掠め、頬を冷ややかな空気が撫でる。
木の上から細長い体躯をしならせ襲い掛かってきた敵を、咄嗟に体を傾けて躱していた。
頭の側を通り過ぎた相手は、振り子の如く取って返し、背後から反撃してくるのは読めている。俺は即座に反転する。体を捻る勢いを乗せた腕を振り切った。
手にあるのは、マチェットナイフ。俺の敵で、こいつを逃れた奴はいない。スパンと、小気味よい音と共に敵は胴体を別たれ、ごぽごぽと口から赤い泡を撒き散らしながら、無様に俺の足元へと転がる。その頭を、容赦なく踵で踏み抜いた。
「相手が悪かったな」
朗報、俺氏とうとう人族の弱点を克服する!
手足を急に動かそうとすると制動がかかるなら、全身で動けばいいじゃない。
前から気付いて重心移動とかなんたらと心がけていたってのに、レベルが上がって力任せも楽になってくると、つい疎かにしてしまっていたことだ。
肝心なところで体が思い出してくれて助かった。これもケダマたちと命を削り合った修行の賜物だろう。
「わりぃな、間に合わなくて」
「別にいいよ。これは俺の領分だろ?」
「ああ、そうだったな。大したもんだぜ」
俺たちはニッと笑い合うと道を急いだ。
今日は目標物同士の間隔が広く、移動を優先している。基本速足で、問題なければ突っ切ると初めに言われていた。急な予定変更だったが、討伐対象の特徴が決め手となって引率者は同意してくれたらしい。というよりも、その方が助かるといった雰囲気まである。まるで元から承知だったとでもいうように、今日の引率役パーティーは移動速度重視のメンツだと言った。
そんな奴らが都合よく依頼者勢の中にいたのかと胡散臭いものも感じたが、そういえばトキメとの相談中に、これまでと比べて移動距離が長そうだから走れたらなぁ、といったことを漏らしたな。
早く依頼を片付けてしまいたい気持ちからだったが、普通には走れない人族同士だから許されるかと、愚痴混じりの雑談のつもりだったんだ。人族にとっては小走りが、普通に走るということになるのだと思い至らなかった。あとは、すぐ疲れる他の奴らとのバランスを考えたら無理臭いだろうなと軽く考えていたせいもある。
それをトキメが真に受けて、采配してくれたんだろう。迂闊なことは言えませんな。
ギルド職員は毎回、冒険者たちの報告時に雑談を兼ねたお喋りをしているが、そうしたことからも各人の能力を把握するように努めているんだろう。
「このくらいの速度で構わないか?」
そう声をかけてきた前を走るリーダーのタルギアは、森葉族らしい足の運びで、なんなく俺でも進みやすい道筋を選ぶ。
「ちょうどいいよ。けど、そっちが疲れないような配分にしてくれていいから」
「ハハハ、生意気いうじゃねえか!」
そして時に長く平べったい杖で、森葉族らしく木陰に潜む魔物が姿を現す前に探し当てて叩き切っていく。平たいとはいえ杖で叩き切ってんじゃねえよ。
「疲れるったら、スナッチじゃないの?」
横からかけられた、からかいを含んだ声は、俺と並ぶように走っている首羽族のスノーツのものだ。
「いつもと変わらねぇだろがー」
スノーツと逆側の、俺から背後につく岩腕族のスナッチは、抗議らしき声を上げたが声音は暢気だ。岩腕族にしては動きが軽やかだし、慣れているらしいのは窺える。
「こっちは崖もなく平らな範囲が広いし、木々も開いてっだろ? 走りやすいから、普段もこんな感じなんだよ」
タルギアの話に納得した。やっぱり、それっぽいと思った。もちろん走ると言っても、俺に付き合ってか小走りだけど。
西の森方面でも街から見れば南西の方角だ。花畑より西で、湖より南。ぐるりと囲む南の山脈との間辺り。
ゲームのフィールドマップにも、この辺りに入り込めるアイコンはなかった。完全に初めて来る区域だ。
理由も頷けるというか、ずっと木々が続いているだけで特徴的な場所はない。鬱蒼とした森は、緑よりも枯れかけたような茶色がまだらに目に付く。
葉が少ないのか、木々の間隔は狭くとも、地面の見える通り道が多い。いや、枯れた草が朽ちかけて土に還りかけている様子は、人の移動量が多くて自然と道筋ができたようにも見える。
地上に浮き出た木の根はどうしようもないが、北側のように起伏の激しい地面がないだけで、随分と移動し易い。
逆にそうでもないと、今日の依頼をこなすのは厳しかっただろう。
「次の対象はもうすぐだ。警戒しておいてくれよ」
タルギアの注意から間を置かずして、再び頭上が激しく揺れる。が、葉擦れの音は一カ所ではなかった。
「目標は右だ!」
「やっべ、ハリスンも来たぜ!」
「こっちからもだ!」
タルギア、スノーツ、スナッチと慌ただしく周囲に向けて攻撃を仕掛ける。
「タロウ、そいつは任せる!」
「了解!」
タルギアの指示を受けるまでもなく、俺を狙う不届きなターゲットへと向き直っていた。ひょろ長い胴体がしなり、その先端が眼前に迫りくる。
正面から挑むとは愚かな奴よ。
俺は、お前の天敵だぜ?
ナイフを振るまでもなく、全身を捻って力を込めた拳を叩き込んだ。めり込んだ拳は、そいつの口から飛沫を押し出し幹を赤く染める。
反撃を喰らう前にと項垂れた頭を鷲掴みにすると、口を両端から引き裂いた。
「瞬殺かよ」
「やるなー」
「さあ次行こうぜ次!」
俺が一体倒すまでにハリスングループを倒している奴らに褒められても微妙な気分なんだが。
とにかく、再び俺たちは走り出した。
俺が屠った敵の名は、振り草。
はいはい、どうせ植物だよ。俺が倒せるのなんてさ。
その振り草は極太の蔓草で、先端には人の頭ほど大きなウツボカズラの壺部分のようなものがくっついており、さらにはハエトリソウのようなギザギザが蓋をしている。
普段は枝上に鳥の巣のように渦巻いて虫が落ちてくるのを待っているようだが、小動物程度の相手ならば餌と認識し、捕獲しようと振り子のように木々の間を揺れて壺から消化液をぶちまけてくるという。
因みに消化液が赤いのは、マグを多く含んでいるからのようだ。
動くというより反応的なものらしいが、どうやって枝の上に戻るんだか得体の知れない生き物だ。よく見れば蔓の頭とは反対の先端は、細い根が枝分かれして木の幹に食い込むように伸びており、そこがゆっくりと蠢いている。
転草の仲間かなにかか?
相変わらず気持ち悪い植物しかいないな。当然、根っこから引き剥がしてはいるが、完全な駆除は無理なんだろう。
とにかくこの振り草は、この辺の森の中一帯に居るらしいのだが、距離を取って生えるらしい。食い合わないためかね。ものすごい栄養が必要そうだもんな。
まあ、その移動距離のせいで依頼を分けただけのようだというのが分かった。
さすがに、しばしば途中で休憩を取る。
それはタルギアたちのためであり、なんとなく俺は周辺の低木を剪定して過ごしてしまう。
「タロウも少しは休めよ?」
「水分さえ補給できたら、こうして立ち止まってるだけでも十分なんだよ」
見てるだけでウンザリなんすけどーという視線は無視。
「なら、いんだけどよ。それより助かったぜ。振り草は、いつもハリスンだとか大量に片づけてるときに限って飛んできやがんだよ」
タルギアは森葉族にしては、これまでに見た奴らほどガラの悪さを感じない。リーダーになるだけのことはあるようだ。スノーツやスナッチも、思いっきり頷きながら言葉を重ねる。
「あの蔦草さ、おこぼれに預かろうってのか、たんに動きが多くて反応するのか分かんねえけどよ。邪魔だったんだよな」
「そうそうー、横からあいつが跳んできて攻撃しようとした腕が絡まったりして、ドキッとして困っててさ」
「はぁ、そうなんだ」
ドキッとする程度ですか。
俺にはもう魔物と草の区分が分からなくなってきたんですが。
しかしハリスンが小動物に含まれるのか……おいおいレベル19の魔物に反応するだと?
なんて恐ろしい魔草なんだ……。
タルギアが飛びかかってくる振り草を止めようとするのは、迎撃の為ではない。
振り草が、俺に反応して跳んでくるのを止めるためだ。待てよ、俺はこれでもレベル28だぞ。
俺は雑魚魔物なみなのかよ……舐めやがって!
まあ、そんなだから逆に、タルギアたちは気持ちの悪い消化液を気にすることなく戦えると笑っていた。
いい囮になってるらしい。そうか喜んでくれて嬉しいよと俺も笑う。
「なんか目が笑ってねえよ?」
早朝だから魔物の数は多いはずだが、ある程度とはいえ避けつつ進めるのも、隠れられる岩陰やら洞穴がないからのようだ。
戻りが大変にならないかとも少し心配したが、他の冒険者も後からくるから、逆に楽になるそうだ。
「それに、この辺周るよりも、あっちまで行った方が効率いいんだ」
タルギアが示したのは南の山並みだ。
ああ、それもそうか。
ジェッテブルク山を中心に、輪っかに連なる山は、当然のように魔脈の影響で出来たものだったはず。
「あの中にも魔泉ってのがあんのか?」
「ああ、少ないがある」
魔泉で生まれるのって、どのレベルなんだろ。
ラスボスの邪竜がレベル99のはず。
ゲーム中では「??」と表示されていたから推測だが、その下に90未満の魔物しかいないんだから多分間違いない。
全ての雑魚魔物を生み出す大元と言ったって、邪竜レベルがぽこぽこ生まれてたら、とっくに滅亡してるだろうし。
魔泉から生じるのは別の魔物に違いないが、ケルベルスでも、まだ足りない気はする。
「そういえば、あの辺の山でペリカノンっぽい、嘴の大きな奴が飛んでるのを見たな」
俺は山並みの南の方を指さした。
ペリカノンはゲーム中レベル45の魔物だ。
当然、そんな大元になれるほどじゃないよなぁ。
なんだか最近、それくらいなら、そこまで強そうには思えなくなってきたな。
もちろん、俺が戦って生き残れるかどうかの話じゃないが。
あれ、俺一人で喋ってた?
山から視線を戻すと、三人が固まって震えながら、驚愕の目を俺に向けている。
なんだよ、その反応。
「お前、見たのか? あの、ペリカノンを……」
「人族のお前が、なんであいつを見たことがあるんだよ!」
「タロウ……ただのプラントハンターじゃねえとは思っていたが……」
しまった。
なんて誤解をしてくれるんだよ。
いや確かに誤解されそうな言い方だった。
「遠目に見ただけだから! いいか、勘違いして言いふらすなよ?」
「な、なんだ、そうだよな。街道を移動中には見かけることくらいある」
タルギアの呟きに、三人は重々しく肯いた。
「分かった。見かけたことがあるからって、そいつがペリカノンという名であり、ましてや嘴の大きな鳥に似た魔物だとか、やけに詳しいことなどは黙っておこうじゃないか」
「誰にだって秘密はあるもんな」
「……とんだプラントスレイヤーがいたもんだぜ」
これはダメだ。
さすがに大ぼらすぎる噂を流されてはたまらない。
「いやほら、馬車に同乗していた護衛の冒険者さんが居たとか、なにかあんだろ」
「あ、あああ! そっちか! そうだよな!」
「なんだ、驚かせるなよ!」
「ちょっと悔しかったじゃねーか!」
すぐに気付けよ。俺より人族の特性に詳しいはずだろ?
人を見かけだけで判断しないのは良いところなんだろうが、思わずジト目で見てしまう。
「ハ、ハハハ、やだな冗談だって。でもさ、もしかしたらタロウならって思っちゃうだろ?」
誰が思うか。
「さあ休憩は終わりだ!」
「そうだな、さっさと進もうぜ!」
「やる気が出てきたなー!」
そそくさと逃げ出すタルギアの後を追って俺も走り出した。
適当に魔物や魔草を蹴散らしながら進んで、昼前には折り返し地点に到着した。
山並みがあるから、これ以上進めないという基準のようだが、かなり手前だ。
これ以上は、俺を連れていくには超危険地帯になるんだろう。
「早めだが、昼飯食っておこうぜ!」
「うーっす」
さっき、もし俺がペリカノンと戦えたとしたら、ちょっと悔しいと言っていた。
だったらこいつらは、あいつと戦えるだけの腕があるんだろうな。
座り込んでパンをもぐもぐ頬張る気の抜けきった顔を見てると、そんな風には微塵も見えない。
余計なことを思い出させそうだけど、一応聞いておこう。
「さっきの、ペリカノンの話だけど」
「ん、なんだゃ?」
「あれを倒せるんだよな?」
「まあにゃ」
なんと、衝撃の事実を知ってしまった。
ペリカノンのことではない。
口に物つめたまま喋るのは、シャリテイルの癖じゃなくて、森葉族特有のものだったようだ。
ハムスターのように口に詰め込む仕草まで同じだとは……野郎で見たくはなかったよ。
「そろそろ魔物も減ってる頃だ。ぐるっと回りながら戻るぜ」
昼休憩を終えて立ち上がると、タルギアからルート変更を告げられた。
折り返し地点と聞いたから、少し位置をずらして来がけと同じく真っ直ぐ戻るのかと思ったが、そんな規則正しく魔草が生えるはずないよな。
なるほど、後の奴らが魔物を狩るのを待ってたのか。
帰りの方が長くなりそうだが、すっかり振り草の対処にも慣れたし時間は短縮できる。
それに、あんな不気味なものを放置していいはずがない。
だってあれ、炎天族でも子供には十分に危険だよな。
近付く前に魔物が危ないだろうけど。
それでも、できる限り潰して周ろうと気合いを入れなおした。




