183:魅惑の蜜
魔技石を試したことで、考えないようにしていた聖獣にもちょろっと興味を示したところ、即撃沈した。
でも嬉しい事もあったし、浮上しなければ。
嬉しいこととは、レベルアップだ!
上がったのはいい。いいけどさ……。
いや贅沢を言ってられる立場じゃないのは分かってるよ?
でも、せめてレベルアップくらい、魔物を倒した結果であって欲しいと願うくらいは許されてもいいと思うんだ。
「どうした、まだ苔草がしみるのか?」
「ただの汗だ」
心のな!
一際大きな、草が貼りついたまま腐って固まったような、岩に張り付いた土と根っこの成れの果てを削り落とす。それらを集めて袋に詰めると立ち上がった。
「このくらいでどうだ?」
「おう、綺麗さっぱりしたな。ま、目につかなきゃ俺たちはいいんだ」
またアバウトなことを。
草のゴミをまとめていたハゥスとドラッケも立ち上がった。
「よっしゃ、こっちも縛り終えたぜ」
「飽きっぽいお前がよく耐えたな」
「うっせえ。タロウの前で、中ランクの俺たちが怠けられっかよ」
普段は怠けてんのかよ。
まあ俺に対してというよりも、低ランクの前で下手なところ見せられるかといった響きだ。これまでの奴らが無駄に張り切ってる感じと同じように思えるけど、みんなさ、どんだけ見栄っ張りなんだよ。
たかが後輩ができたくらいで……後輩。
今後、人族冒険者を増やす宿命の刻が訪れんとすれば、俺が教え導く賢者のような立場になっちゃったりする、のか?
どうしよう、大変だ。そわそわする。ギルド長、早く誰かだまくらかして連れてきてくれないかな。ああまったく新人の前で張り切りたくなる気持ちはよく分かるよ。
何かマニュアルみたいなのでも、作っておいた方がいいかもな。
転草捕縛術とか、苔草狩りの秘術といったものなら、無駄に分厚い本が書けるだけの体験をしてきた。
ふっ、隠された指南書になりそうだ。
使われることなんかないだろうという意味で。
「じゃあ、戻るか」
束ねた草類は俺が山のように積んで背負う。
足早に戻りながら、人族冒険者の未来だとかに思いを馳せていると、日差しが顔を直撃した。
「うわっ、眩しい」
気が付けば出口だ。
帰り道には魔物は居ないし移動も早かったな。
昨日の洞窟よりも距離はあったはずなのに、外は随分と明るい。
作業量の多さだけでなく、魔物の数も多かったと思うが、苔草の範囲が少なかったせいかな。
そういえば一つ一つが小さく、根が細いせいか、引っこ抜き易かった気がする。
また余計な知識が増えてしまった。
「時間早すぎるな。他に仕事は?」
「うんにゃ、明日から嫌ぁな場所に出かけっから。もう上がりだ」
俺は他に片づけるもんはないかというつもりだったが、ハゥスは自分の仕事のことだと思ったらしい。明日の予定を辟易とした調子でぼやく。
言い方が悪かったと伝え直すが、やっぱりこれで終わりと言い切られた。
「仕事はメリハリが大事だぜ!」
ハゥスの言うメリハリは何か違う気がする。
そんなわけで残りは後片付けだけだ。
苔草は洞窟の側で、日の当たる地面に埋める。密かに増殖しないのかと恐れていたけど、結構な水気が必要らしいから、ここから繁殖することはないらしい。
他の、特に絡み草は根を下ろしやすいということで焼くそうだ。
焼却場は本来なら、ここからだと岩場方面の櫓近くにある場所を利用するそうだが、俺がいるからな。放牧地側の倉庫へ持ち帰るということになった。
道を戻り結界柵が見えてくると、自然とほっとする。
それは俺だけではないようで、全員の視線が柵へ向けられると、体から緊張感が抜けたような感じがした。
スウィたちだけでなく、これまで一緒に出掛けた奴らも、皆がそうだったように思う。
「いやぁ、やっと戻ってこれたな」
「ふあー気が抜ける」
ドラッケの頷きも緩やかだ。
こいつらはみんな、こんな魔物の巣を歩き回る日々を過ごしていて、戦えるだけの力もあって、慣れきって平気なんだと、どこかで思い込んでいた。
けど、やっぱり危険なことに変わりはなくて、不安もあるのかもしれない。
お気楽に見えるからと、甘えすぎていた。
あんまり、褒められた態度じゃなかったよな。
「……今日は、ありがとう。色々と勉強になったよ」
「へっ、勉強? ありがてえのはこっちだろ。依頼した方なんだし」
きょとんとした顔を向けられて、つい苦笑で返してしまう。
ここの奴らは立ち直り早いんだった。
それとも、すぐに頭を切り替えるようにしてるのかもしれない。
危険な場所に居れば、つまらないこと考えてる場合じゃないだろうし。
署名した依頼書を受け取ると、スウィは俺たちの家はこっちだと南を指差した。
「できれば飲みにでも行きたいところだが、明日の準備もあるから、悪いな」
「あーぁ本当にツイてねぇよな!」
余計な気を回さないでいただきたい。
二度とあのエグイ酒は飲まないと決めたんだ。
「お疲れ!」
適当に挨拶を交わすと、俺は街の方へ戻る路地へと足を向ける。
「タロウ、またな」
驚いて振り返った。
最後にドラッケが、意外と渋い声で声をかけてきた。
「ああ、また! でも、なるべく苔草は増やすなよ!」
勝手なことだけど、嬉しくなって大きく手を振る。
同じく三人が手を振り返しつつ、柵沿いに南の方へ歩いていくのを見ると、背を向けて走り出した。
やる気が沸いてきた。
時間があるなら、今日こそ青っ花採取だ!
ん?
あっち方面に帰るってことは……まさか、奥様方の生息地が、あいつらの……。
そんな、まさか、あの寡黙すぎるドラッケまで……?
どうやって、相手を仕留めたんだよ……。
思わぬ事実にダメージを受けかけたが、妄想回避スキルを発動し事なきを得た。
目的に集中だ。
花畑での採取作業には、スリバッチを倒す必要がある。
危険な任務だ。気を抜いてはならない。
コチョウとの追いかけっこで反省して、走り過ぎないように気を付けたものの、スリバッチの機敏な動きにつられて早く動く愚行を犯した。
しかし今回は、その配分もバッチリよ。三度目の正直だ。
恐れず、青っ花の巣へ突撃!
「ブビヴブー!」
「ひゃー」
思ったほど近付けない内に、いきなりスリバッチ三匹に追いかけられて情けない声が出た気はするが、予定通りだ。
振り向きざまの勢いに乗ったラリアットで叩き落してやった。
落ちたところを踏みつぶしたり、握りつぶしたりと、もうひと手間かかるのが悲しい。
スリバッチは虫らしく急停止したものの、全力で飛んできた勢いもあってか、避けるのは間に合わなかったようだ。
でかい分だけ、動きが大ぶりになるからだろうか。
「ゼヘェ……いつも、いつも、逃げてばかりと思うなよ」
巣に待ち受ける残りの二匹に向けて、猛然と小走りで駆け込む。
二匹は青っ花を守るためなのか、前に出るが、それ以上は動こうとしない。
初見で、足りない速度を補うためにジャンプで距離を詰めようとして失敗した。
でも案は悪くなかったはずだ。
あの時の俺とはレベルが違う。
今なら、跳べそうな気がする。
荒ぶった、鷹のポーズ――!
「ぶビャッ!」
「ヴャぶッ!」
広げた両腕それぞれに、ぐぎっと折れるような衝撃が走った。
どうだ、この研ぎ澄まされたダブルラリアットの味は!
折れた気がしただけで、スリバッチは花の上でもがいていた。
そそくさとスリバッチに近寄り止めを刺す。
「それじゃ、今日こそ蜜をいただこうか」
道具を取り出して、青っ花の傍にしゃがみ込んだ。
棒の、ぐるぐると渦を巻いた先端を、紫がかった青い花の中心へ突っ込んで、くるくると回す。
真ん中の黄色い粒々したやつも、くっついてしまうが、これは混ざっても問題ないんだろうか。
確か、前回は何も言われなかったと思うけど。
棒に絡んだ、でろでろとした蜂蜜のような液体を、手のひらサイズの茶色い木皿へ垂らす。掬っては、皿に落とす。
地味な作業だ。
「どうも、前より手応えが軽い気がする」
蜜ではなく、スリバッチの手応えのことだ。
前回よりも倒しやすかった気がする。
レベルが上がったお陰だろうし、ちょうど良かったな。
コイモリを倒した経験値は、結構でかかったんだろう。
でも、思えば意地になって俺が倒すのを、スウィたちが補助してくれていた。
本来の仕事よりも、負担をかけていたよな、絶対……。
落ち込むのも、今日の分は終わりだ。
レベルは28。ひとまずの目標である30まで、もう少し。
その、わずか2がでかいけど。
「この調子だと、遠いよなー」
いや体感ではそんな風に感じるけど、ちょい無理めかと思う魔物を倒し始めてから、着実に上がっている。
せっかく防具を手に入れて戦い易くなったんだ。
新しい場所で戦って戦って、戦いまくってやる。
花畑だけでなく沼地も殲滅だ。
「次は……次こそは、魔物を倒してレベルを上げてやる!」
木皿が満たされ蓋を締める。
よく見れば、回復薬の黒い入れ物と色違いだ。
二つ目の皿を取り出して再び蜜を掬い取る。
雑貨屋でもガラス製の入れ物は見ないが、割れやすいだろうし不便なのかな。
種族ごとに力が違うというのも影響がありそう。
見るのは窓ガラスくらいだが、それも小さいし分厚くて、表面は波打ちくすんでいる。
壺とか陶器はあるから、そっちがメインなのは材料の問題もありそうだ。
透過してガラス代わりになりそうといえば……一応、マグ水晶があるな。
使われてないってことは、何か問題があるんだろうか。
まあマグを吸い寄せる特性は、確かに使いどころが面倒そうではある。
「あんなに丈夫なんだし、もったいないよな」
今でも十分に、あちこちで使われているが、他にも応用できそうなもんだけど。
ああ、採掘量にもよるんだろうか。
硬貨にも使われてるなら、あまり他に割けないのかも。
思えば、小型のアイテムしか使われてるのを見た覚えがない。
人族最高レベルらしいオッサンが言うには、昔はマグタグも巨大だったというし、一つに使われる分量が実は多いとか、他にも俺の知らないことはありそうだ。
小型で、誰も考えてなさそうなやつで、冒険者にも使い勝手の良さそうなものなんてあるかな。
透明な装備……バイザーとか?
なんて色々と空想開発していると、あっという間に木皿五つは埋まっていた。
半畳ほどしかない場所に咲いてるのは十本もないが、丼サイズの花だ。皿五枚じゃ、この一カ所すら全部は採取しきれなかった。
皿を買い足した方が良さそうだな。いや、フラフィエはとりあえず五個セットで売ってくれたんだから、数にも意味はありそうだ。嵩張るし、たんに持ち運びのしやすさかもしれないが。
……ああ、金になる蜜が目の前にあるというのに。
一枚、二枚……五枚。皿が、足りない。
ようやく到達したお宝を前にして、採取道具が足りずに持ち帰れないとは。
恨めしく思いつつ魔の花畑を後にした。




