178:青っ花城砦陥落
東の森内にある洞窟の苔草群生地にて、潜伏する障害物の撤去活動を終えたタロウは、不意に足を止めた班長の背から力が抜けたのを見る。
我ら山道整備班は砦近くの結界柵まで無事に帰還したのだ。
振り返った班長シムシは、気の抜けたような笑みを浮かべて振り返った。
「いい休養できたなー」
あれでかよ……まあ、こいつらにはそうだろうな。
仕事が終わったというのに、まだ明るい道をのんびり歩いていると、気分が暇でナレーションつけながら帰ってきてしまった。
「タロウ、噂通り今日の仕事ぶりも見事だった。いずれは岩場方面も頼む」
全力でお断りだ。
街に戻っても日が暮れる気配はなかったが、シムシたちに無理矢理どこかへ連れ去られることもなく解散だ。
たんに俺が大袋を抱えているせいかもしれないし、線引きのしっかりした人たちなのかもしれない。
やはりオトギルたちパーティーが、異様に突っ走る性質だったに違いない。
シムシ、エィジ、ポプュは手を振ると、のんびりと歩きながら、ギルドではないどこかへ去っていった。砦の横を抜けて西へ向かうなら、岩場方面の連絡所と呼ばれている小屋に報告でもするのかもしれない。で、ついでに俺のホラ話を吹聴するのだろう洞だけに。
そうしてシムシたちと別れると、俺は一度宿まで戻ることにした。
苔草袋は持ち歩くには大きすぎるし、水気もあるから重さもあるため、いったん宿に置いておこうと思ったんだ。
井戸の側から桶を拝借すると袋を突っ込み、部屋に戻ると椅子に置く。側の机には、魔物帳やら書き散らしたメモが乗ったままだ。
ぺらとめくって、ゲーム情報の他に新たに知ったコイモリの特徴も書き加える。
「天井トラップ、四脚ケダマなみに這う動きがキモイ、結構柔らかい……っと」
レベル17のコイモリを倒せた、かもしれなかった。
攻撃して羽を裂いてやったし、傷を負わせたのだから倒したに等しい!
虚しいからやめよう。
そもそも団体行動する内の一匹と向かい合って、どうにか掠り傷を与えられた程度だからな。
あーやだやだ、これだから最弱種族はさー。
おっと、くだを巻いてる場合じゃなかった。
日がある内に出かけなきゃ。
苔草のべたつきも気になるが、どうせ汚れるし時間が惜しい。洗濯もなし。
宿を飛び出して空を見れば、日差しは黄色くなりかかっているところだ。
時間は十分にある。
青っ花……挑戦してみるか?
思い立った勢いで、俺は草原を越えて花畑の端に立っている。
「血迷ったかタロウ……」
仕方ないんじゃ。
大枝嬢の笑顔を思い出すと、どうにも期待に応えたくなってしまう。
す、少しだけだ……。
問題は、未だスリバッチを倒せるかどうかは未検証ということ。
仮にも花畑最強のコチョウを倒せたならば、レベルの落ちるスリバッチも倒さない訳にはいかない。
どうせやりかけだったんだし、どのみち次は挑戦しようと思っていたから、良いタイミングだったとも。
大きく深呼吸すると、草とは違う甘みを含んだ青臭い匂いが鼻腔を抜けた。
あ、こっちにも花粉症とかあるんだろうか。
幸いにも元の世界では発症してなかったが、こっちでも罹らないとは限らない。
見るからに、ここの花は強そうだし。
そんな心配は今はいい。討伐できるかどうかが先だ。
こんなところに入り浸るのは嫌だが、俺に選択できるほどの行き先などない。
もし、うまくスリバッチに対処できるなら、巡回ルートに入れざるを得ないだろう。
「行ってやろうじゃないか」
力強く一歩を踏み出したところで、こんだけ花がでかいなら花粉も鼻に引っかからないのではないかと思った。
広々としているし風も遠くまで薙いでいくが、時に何か飛ぶのは虫だったり葉屑だったりする。目が痒くなったこともないから、そんなに飛来するものではなさそうだ。
ゆっくりと目的の場所へと近付く。
青っ花が咲く一角に、飛んだり花に乗ったりしている蜂が数匹。
恐らく学校のプールの端と端ほど離れているはずだが、十分に何か判断できる。
サイズのせいで距離感がおかしい。騙し絵を見ている気分だ。
緊張から額を汗が伝う。
一人でここまで近付いたのは初めてだ。
遠距離からの攻撃で気を引いて逃げる戦法でいくつもりだが、俺に扱えるのは石ころだけだ。
それもボールほど思ったように投げられるものでもないから飛距離は期待できない。あまりに素早く動こうとすると、走るときと同じく制動がかかる感覚があるからな。
もっと昨日よりも近づかないと。
逃げる方向を振り返る。結界柵のある街側だ。
目的のスリバッチ一体にあたりを付けると、石が届きそうな位置を見定めて足を止め、深呼吸した。
なぁにコチョウに劣るレベルなんだ。
それでもスリバッチの方が恐ろしく見えるのは、やっぱりあの機敏な動きと硬そうな上に、数匹が固まっているからだろう。
おもむろに腕を上げ、覚悟を決める。
そして石を、投げる!
山なりに飛んでいく石を目で追いつつ、すぐさま手は剣を掴む。リーチが欲しいから殻の剣だ。
そうだ。
ストンリが言ったように、低級素材の殻製の剣だろうと、低ランクの魔物ならば問題なく斬れるはずなんだ。
これまでの手応えからしても確かなことだ。
無暗に怖がる必要はない。いけるいける。
石が、背を向けていたスリバッチの横を掠めて落ち、青い花をしならせた。
「ブビッ!」
「げっ! なんかすごい怒ってる!」
慌てて回れ右して走るが、うわこいつすばやい。
「ヴビビー!」
二匹が全く同じような動きで前後しつつ飛んできた。
行動範囲を調べようと、ちらちらと背後を見るが、少し離れた程度では諦めてはくれないらしい。
しかも、花畑が途切れようかという場所に差し掛かったが、まだ速度を落とさない。
くそっ、レベルが低い分、結界にも反発しづらいのか。盲点だったぜ!
コチョウと違い無駄な動きはない。
しかも、二匹は飛びつつもさらに前傾するのが目に入った。
まだ早く飛ぶ気かよ!
そう思った瞬間には、物凄い勢いですっ飛ぶ。
「ひいぃ!」
ゲームにはなかったが、他の魔物と同様に突撃だとかの特殊攻撃なのかもしれない。
そんな考えが浮かんだときには、すでに背後まで迫っていた。
二匹の黒い複眼顔がはっきりと見えるほどだ、ここで反撃しないとまずい。
体ごとひねって走る勢いと力を乗せた剣を、袈裟懸けに振り下ろしていた。
「うぉらああぁ!」
「ブヴャッ!」
「ビャッ!」
でたらめに振り抜いた剣は一匹目を叩くと、勢いのまま二匹目を巻き込み地面へと落ちる。刃の方じゃなくて平の方が当たってしまった……。
地面に叩き付けてダメージを与えようにも、花のクッションに遮られるのが問題だ。
落ちたスリバッチは花に押し返される。起き上がる前に倒さなければ!
などと意気込み過ぎたのが敗因だろうか。
「びぇ!」
これはスリバッチではなく俺の口から出た呻きだ。
思い切り体を回転させたために、そのまま俺もスリバッチ二匹の上へと重なるように落ちていた。
「ヴャッ!」
「ビャヴヴっ……」
巨大花に埋もれながら、赤いマグが体にまとわりつくのを、俺は死んだ目で見ているだろう。
押し潰して殺してしまうとは。
「……うわーい、たおせたぞー」
これが俺クオリティ。
いいんだ。倒せたことは倒せたんだし。
いや余裕。もう余裕でいいだろ。
のそりと起き上がり花の狭間から頭を出す。
飛んできた二匹以外のやつらは、青っ花周辺に留まったままだ。
どうやらスリバッチは縄張りを守ろうとする方が優先らしい。
「残り、三匹か……」
数が減ったやつらが同じ行動をとるかは分からないが、低ランクの魔物の行動パターンは貧困だ。
次も一、二匹で来てくれればいいけど。三匹に追われると厳しいな。
とはいえ、偶然に……いや俺の確かな身のこなしによる実力で数を減らした今しか攻めるチャンスはない。
俺は膝立ちのまま、石を投げた元の位置まで花の海を泳いだ。
素材名、青っ花。
誰しもが採取依頼を青っ花と呼んでいるのは確認済みだ。
しかし正しく必要な部分は、青っ花の蜜だ。
まあ蜜以外に用途はないから、そのまま呼ばれているんだろう。
思えばゲーム内のアイコンも花の絵だったが、花ごと毟るのではないことは、フラフィエとの採集作業でも知ったことだ。
スリバッチらが種子を集めて育てているのだとすれば、これもケダマ草と同じく人の手による生育が難しいんだろうと思う。
それとも利用先が限定的で、商売にするほどは儲けが出ないためだろうか。
そう考えれば、なるべく花を傷つけないように戦った方がいいんだろうな。
傷つけられるほど、近寄って戦う身体能力なんかないけどさ。
とにかく確実に欲しがっている層がいる。マニア垂涎のアイテムと言うと、結構なお宝に見えてこなくもない。報酬は安いらしいが。
その求めていた素材が、燦然と眼下に輝いている。
のだが、俺は恨めしい気分で見下ろしていた。
指をくわえて眺めるしかできないからだ。
せっかく恐ろしいスリバッチ軍団を倒しきったというのに、採取道具がない。まさか倒せるとは思ってなかったんだよ。そこまで自分を信用してない。
「悔しすぎる」
定期的に来るなら、毎回スリバッチと戦わなければならないんだ。いつまでも物欲し気に見ていないで、今は諦めて帰ろう。
「ふぅ……どっこいしょ」
じっと眺めていたのは、また膝が震えていたからだよ。せめて、もう少し素早さがあればなぁ。
先ほどの戦闘を思い返して溜息を吐いた。
俺の祈りも空しく、残りのスリバッチは三匹とも一斉に襲ってきたのだ。
ひーひー言いながら逃げるも、三方から攻められてはまずい死ぬ。先制攻撃だと、突進が来る前傾姿勢を見た瞬間に振り返って剣を振っていた。
三匹を斬る!
などと気合いを入れようとも格好良い殺陣など披露できるはずもない。
しかし、ぶれぶれの一撃は偶然にも、先頭を飛んでいたスリバッチのすり鉢を叩き落した。
あれ外れるんだ。
意識がすり鉢へ向いたものの、当のスリバッチも敵の存在を忘れたように、転がるすり鉢を追いかけ花々へと頭から飛び込んだ。その先は俺の足元だ。とっさに羽を掴んだら意外と軽かった。
他の二匹も一瞬すり鉢に意識が向いたように空中で静止したが、すぐに気を取り直して飛んできたから、考える間もなく掴んだスリバッチを振り回していた。
ぶつかった衝撃で掴んでいたやつは羽が千切れ、ぶつけた一匹と共に地面へ転がる。
そのすぐ側にいた一匹が反射的に避けて停止した隙に胴体を掴み、そいつも地面の二匹へぶつけるように放り投げた。
「ヴャバッ!」
同じサイズだからか、俺が押し潰したときほどの衝撃はないらしい。ぶえぶえ鳴きながらも体勢を立て直そうと、必死に短い脚で互いの胴を足場にしようとして余計に絡まり目を回すスリバッチ。
だが、油断は禁物。ここは確実な技でもって仕留める!
俺は片腕を曲げて持ち上げると、殻の肘当てをスリバッチ球へと照準を合わせて飛び込んでいた。
「喰らえ!」
闇の果てまでをも穿つ閃光の如き、肘――エルボー・イン・ザ・シェル!
「ヴビゃヴャーッ!」
初めの二匹を押しつぶしたときに、うまいこと肘が刺さったようだったから試してみた。思った通り殻装備の威力でも十分だったようで、三匹の胴をまとめて叩き折ることができた。また欠けたかもな。でも装備なんて使ってなんぼじゃい。
それから這いずるようにして青っ花の元に到達し、足を休めがてら溜息をついていたのだった。
「こいつは使えるのか?」
スリバッチが落とした小さなすり鉢を手に取る。
フラフィエが拾っていた記憶はない。ゲームでも、すり鉢は落としてなかった。誰かに聞いてみればいいか。
ささやかな戦利品を道具袋に突っ込むと、のろのろと街を目指した。




