177:天井の刺客
崖の底は狭い。あっという間に刈り取った背高草を束ねて隅に積む。ついでに、先に倒されていたヒソカニの抜け殻も拾い集めて端に寄せた。
ヒソカニの残す素材も不気味だ。
ミズスマッシュも硬い外殻を持つが、倒せば消えていく。モグーのヒレのように部分的に強化してあるんだろう。だからといって、カラセオイハエの羽やツタンカメンの甲羅といった、いかにも防具的な感じでもない。鋏のくっついた頭部のみを残して消えていく。本体は長方形で平べったいから、攻撃を補強するためかもな。
無駄な考察と片付けを終えて振り向けば、シムシは火を点したランタンを手にしていた。
そりゃ暗いもんな。
手ぶらで入り込むシャリテイルの行動が強烈で霞んでいたが、砦兵たちだって灯りは持ち込んでいたじゃないか。
俺も自前の子供用ランタンに火を点けさせてもらう。
「なるべくタロウは俺の真後ろを歩いてくれ」
シムシの指示に肯くと、穴倉へと踏み入れる。ひんやりと湿った空気に、かび臭さが混ざって嫌な感じだ。
入り口とは違い中の天井は高い。炎天族のエィジが手を伸ばしても届くかどうかといった高さがある。そう幅はないが普通に歩けるだけでもほっとする。
一息つくも、奥から届いた物音に緊張は高まった。
まだ微かではあるが、一歩進むごとに音は大きくなっていく。俺への依頼の中では、と注釈つきではあるものの、難易度が低い場所のはずだ。だからって出てくる魔物が、カピボーなどの生易しい相手のはずはない。
間もなく視界の異常にも気が付いて、ランタンを持ち上げる。天井が、もぞもぞと動いた。
ぎぃやあああぁ!
「さっそく居るな」
え、進むのかよ。止まらないの?
暗くとも、徐々に近づく天井がゆらゆらと蠢いているのが分かる。形を変え続ける洞窟なんかあってたまるか。
その黒い塊は形を歪に変えながらも、こちらへと移動している。
俺は鳥肌を立てながら先輩冒険者さんたちの間に縮こまりつつ、視線だけはしっかりと脅威から離さない。
蠢く天井の下に差し掛かかろうとしたところで、不意にシムシは足を止める。
ジャキン――揺らめく天井から一斉に、槍が降り注いだ。
ひぃいいいぃ!
こ、腰が抜ける。耐えろ、気をしっかり持つんだ。あ、足が震えているのは、武者震いなんだからね……!
飛び上がったせいで激しく揺れるランタンの灯りが、蠢く影の正体を捉えた。
天井にみっちりと折り重なるように張り付いた黒い物体は、コウモリの羽がついたイモリのような魔物。
以前シャリテイルからも聞いた特徴に重なるのは……コイモリじゃねぇか!
「タロウ、頭を下げてろ!」
「チキェキュケケッ!」
降って来たように見えた槍は尻尾のようで、すぐに天井へと戻っていく。
コイモリは尻尾の特殊攻撃を放つも、当たらなかったことに腹を立てたのか、バタバタと無秩序に壁面を飛び跳ね始めた。
正面に集まるコイモリに向けてシムシが長剣を振りぬくと、それだけで一息に掻き消えていく。
だが攻撃を避けて壁面へと貼りつき、這ってくるコイモリは、俺たちのすぐ横まで流れるように移動してきた。
ハリスンほどでないにしろ、四脚ケダマ程度には素早い。
俺の腕が通用するかどうか以前に当たるかも分からないが、掴んだナイフの柄に力を込める。
側面からはぐれたコイモリを、ポプュが細長い剣で串刺しにしていたが、低い位置から跳んできた一匹が俺の足元の地面を蹴ってジャンプする。
迷わずナイフを突き出した。
「チェキュぅ!」
よし、当たった!
ナイフは羽を掠り、コイモリは一声鳴くも地面に張りつき、体勢を立て直す。
うん、当たっただけだった……。
「ェキュッ!」
再び飛び跳ねたコイモリはポプュが始末し、さらに壁に増えたコイモリに絶望しかけた俺の視界をエィジが遮った。
「ほらよっ」
大して気合いの感じられない掛け声とは裏腹に、猛烈な勢いでエィジの鉄板が壁を撫でた。
衝突の音が洞窟内に反響し遠ざかるよりも早く、ほとんどのコイモリが、ぶちぶちと潰れ瞬く間に消えていた。
どんな武器だよそれ……。
「おぅ、便利だろ?」
エィジはニカッと笑うと、鉄板を肩に担ぐ。
鉄の板といっても、そのままだと掴みづらいからだろう、金属バットを潰したような造形で手元はやや細い。ただし、そのサイズは炎天族に合わせた代物で、本物のバットより二回りはでかい。
こんな狭い場所で、うっかり掠って、すり潰されるなんて嫌な末路だ。
取りこぼしたコイモリは、ポプュが素早く串団子にしていく。イメージ的にレイピアって感じの剣だが、よく見れば柄に大き目の魔技石が埋め込んであった。
いいなあ、魔技使い。
それにしても、ランタンの灯りも不十分な背後でこの動き。さすがは暗視スコープ並みの目を持つ森葉族だな。
「こっちもいいぞー。先に進もうぜ」
ポプュの報告に肯いて歩き始めたシムシの後を、俺はさっきよりも頭を低くして追うことにする。
はぁ、防具もフル装備で揃えたくなってくるな。
でも頭を守るやつは高そうな気配があった。今の防具だって偶然ストンリの趣味で在庫にあったから安く買えただけだし、武器もどうしようかと悩み始めているしで、まだまだ先の話だな。しばらくは、あまり考えないでいた方がいいだろうか。
シムシはランタンを掲げて周囲を確認しつつ、説明を始めた。
「タロウ、ご覧の通りだよ。この辺は、こうして天井から来るから、苔草に足を取られることも多いんだ。少しばかり歩き辛くってなぁ」
ちょっと歩き辛いとかいうレベルは越えてるだろ。
俺には天井や壁が気になりすぎて、まったく足元に気を配る余裕なんかない。
こいつらは危なげなく動いていたというのに、それでも苔草に足を取られそうになるってことがおかしいんだよ。
「また、放置して大量に生やしてんだろ」
「ははは、そういえば北の洞窟で、苔草部屋を片付けたんだったな。残念ながら、あれほどの場所は他にない」
残念さなど微塵もねえよ。
まあ、あんな異常地域が幾つもないと知れたのは良かった。
「じゃあ、道々で見付けたヤツを引っこ抜いていけばいいのか」
「基本はそうだな。ただし奥から進めてもらおうかと思っている。この先に、特に足場の悪い場所があってな。気が付けば岩陰から生えていて困っている。まずはそこを片付けてほしいんだ」
なんと、本当にただの苔草取りでいいのか。
そうそうキング苔草なんか育ててもらっても困るが。
そんなこと言いつつ、苔草ナイトとかメタル苔草とか、異常な奴が出てくるんだろ?
「ここだ」
間もなく到着したのは、分かれ道だ。
ただ、分岐する辺りが洞窟の入り口のように窄まっている上に、足元も岩がごろごろ転がっていて通り辛い。
その周辺から、ぴちょんぴちょんと水の滴る音が聞こえ、奴の潜伏先に間違いないと確信する。
近寄ってランタンを翳す。
聞いた通りに岩の段差や、ひび割れた隙間を狙って苔草がびっしりと生え、ぐにょぐにょとした姿をさらしていた。
これで、気が付けば生えていたで済ませるのか。
お前らどう見ても目を逸らしているだろう。
こんなこともあろうかと持ってきた大きめの道具袋の口を開くと、さっそく苔草へと手を伸ばす。
掴んだ感触に違和感がある。
滑らない!
ぬめぬめしたものだし、効果はそこまで期待していなかったものの、滑り止め加工は苔草取りに向いてそうだと思い立った自分を褒めてやりたい。
これなら、予想より早く終わるだろう。
「この量なら大して時間はかからないと思う。魔物の方は頼む」
「おぉ、頼もしいな。こっちは任せておけ!」
隙間のやつを取るのは手間だろうが、正直なところ、端を埋めてる程度の量で気が抜けていた。
キング苔草を倒し、苔草部屋を殲滅した後では、こんなもんただの雑魚だ。
ダメージがあるとすれば、じめじめとした穴倉の中にしゃがみ込んで、えぐいキノコを毟ってるという光景を考えるだけで気が滅入るくらいのものだ。
そう考えると、鉱山で働くってのも大変そうだ。
体質的には向いていても、こんなことを毎日とは気が滅入る。
専業の奴らはすごいもんだな。
農業なんて知識がないし、冒険者で生きていくのが駄目だったら単純な力仕事といったイメージで鉱山に行こうなんて考えたこともあったが、無理そう。
三日もすれば太陽の下に出たくて泣いてると思う。
鉱山で働く奴らは冒険者ほど多くはないようだが、あんまりそれらしき人族を街なかでは見かけない。砦前広場にはわんさか居るし、たまに大通り沿いの食堂や酒場から出てくるのは見るものの、山を行き来する人数と合わないというか。
北西側の住宅地が鉱山の人族向け区画らしいから、その辺の店で済ましているのかも。まあ俺も、あっちには用がないからな。
そんな坑内生活を想像して気が滅入りながらも、苔草退治にいそしんだ。
恐らく、この街にいる誰よりも、俺は苔草を滅したに違いない。
あれだけ苦労したら慣れもする。
シムシは大げさに嘆息を吐き、頭を振っていた。
「いや、参った。あんなに苦労した苔草が、こうもあっさり片付くとは」
「フッ、やれやれ、こんな仕事など軽すぎてお話にならないな」
余裕で終わって良い気分ということもあり、冗談のつもりで言ったんだが、こいつらに通じるはずもなかった。
「ぬぅ、見事だ。舐めていたわけじゃないが、俺だって幾度もこの武器で削り取ろうとしたんだ。だが、滑っていまいち効果がなかったんだぞ」
「俺だってそうだ。串刺しにしてやろうと突いても、暖簾を押すように切っ先を反らされて頭に来ていた……仇を討ってくれて、感謝の言葉もない」
なぜ素直に手で毟らないんだよ。
「まだ一カ所だ。次に行こう」
目に付いた苔草を引っこ抜きながら来た道を戻り、一度外へ出て別の洞窟へと向かったのだが、俺のテンションはすぐ下がった。
すぐ近くの似たような崖下に、同じような洞窟があって、生え具合もお揃いのような洞窟だったのだ。
中の分かれ道で繋がってないのが意外なほどだよ。というより、壁をぶち抜いたら繋げられるに違いない。
目に付く苔草を引っこ抜くと、岩肌に貼りついた根っこのような粘膜っぽい部分を、拾った岩の欠片でこそぎ落とす。
それで生えるのが遅くなるのかなど知りようもないが、気休めだとしても、やらないよりはマシだろう。
その欠片も袋に放り込み、口を縛って立ち上がる。
「これで終わりだ」
そう伝えたものの、どうも働いた気がしない。
「他に、少しでも気になる場所はないのか?」
「タロウが歩きながら片づけたのがそうだ。よし、終わったなら引き揚げよう」
「こんなじめついた場所に長居は無用だぜ」
「視界に嫌な影がないってのは、いいもんだな」
三人の嬉しそうな様子は、本心からのようだ。
他の依頼より少ない分量で、同じ報酬をもらうのは気が引けるという気持ちもあるけど、こいつらの気が済んだのなら良かった。
なんとなく物足りない理由は外に出て分かった。
まだ日が傾くにも早い時間だったのだ。
シムシたちもゴミ用の袋を持ってきてくれていたから、外へ捨てに出入りする時間を短縮できて早く済んだのもある。
暗い穴の中だと時間が過ぎるのも遅く感じたが、出入りと視界が悪い環境が大変というだけで、仕事自体に苦労はなかった。
いつもと代わり映えしないと言えばそうだ。
シムシたちは外に出ると穴を掘って、持ち出した苔草をぶちまけていた。
前は時間も人手もなくて臨時で外に捨てたのだと思っていたが、今回もか。
量がなければ、そうする決まりなのかも。
いや、シャリテイルは放置しようとしてたな……あれは例外に違いない。
初めの依頼ではキング苔草を持ち帰って捨てると聞いていたから、そういうものだと思っていたが、あれは量が量だったしな。
虫よけ用に持ち帰りたいだけにしては、多すぎた。
「タロウ、その袋も貸せ」
「ありが……ああ、いや、俺は持ち帰るよ。虫よけを作りたいと思ってたんだ」
そうだよ、すっかり忘れていた。
シャリテイルから、虫よけ薬なら道具屋のフラフィエか、薬屋のドラグに作ってもらえると聞いたんだった。
「虫よけなら、その大袋一つ分あれば作れるぞ」
「へえ、そんなもんなんだ」
乾燥させるというし、念のために多めに確保はするとして、残りは捨てよう。
作業を交代して邪悪な苔草を埋め立てると、不意に空いた時間をどうしようかと考えながら、俺たちは帰路についた。




