176:崖を下る
がさがさと藪を掻き分けつつ、森の中を歩いている。
南の森とは違い、うねるように伸びた木々が密集しており、足元の根も浮いて絡まり合っている。それに加えて傾斜した足場の緩急が激しく、歩き辛いことこの上ない。
俺は片手で木々を掴みつつ、一歩一歩を踏みしめながら移動しているため、周囲を見渡す余裕はあまりなかった。
離れた場所から近付く何かの物音は聞こえていた。だが俺が反応するより早く距離を詰めたものは、頭上の枝葉の間から飛び出す。
忌々しいハリスンだ。
「クゥェケゥ……ぴケャッ!」
そして心配するまでもなく、前を歩く男にハリスンは叩き切られていた。男は振り返り、俺の手元を訝し気に見る。
「タロウ、まだ移動中だ。仕事するには早いぞ?」
仕事してんじゃねえよ。
飛び出したハリスンにビクッとして木を掴んだつもりが藪だっただけだ。
俺たちは今、北の森沿いに東を目指している。
本日の依頼場所は東の森付近だ。毎度のことながら、依頼書には曖昧にしか記されていない。
それにしても難易度が低い場所からと言うのが、東の森とは意外だった。俺が東の森に入り込んだのは、ウギのスプラッターなハウスまでだ。
こっち側の知識はないが山が近いからな、出る魔物も北の洞穴への道沿いと変わらないだろう。
放牧地の倉庫で待ち合わせというから、ウギを掻き分け草っぱらを突っ切って東の森に直行するものと考えていた。しかし思い出してみれば、放牧地側で冒険者の姿を見たことなどほとんどない。
聞けばジェッテブルク山側から伸びる道から入り込み、そのまま森の中を魔物掃除しながら巡っているとのことだった。
そう話してくれたのは、本日の引率を担当する冒険者パーティーで、そこそこ長くいるベテランとのことだ。
前回護衛してくれたオトギルたちと違い、見た目だけのモブ野郎ではなく、真っ当な方々に見える。
今思えばあいつらの笑みは胡散臭いものだったが、今回の三人は落ち着いた態度で、ごく自然に自己紹介してくれたのだ。
前を歩く岩腕族の冒険者がリーダーの、シムシ・テー。軽やかに周囲を移動しつつ警戒するのは森葉族のポプュ・ラース。背後には炎天族のエィジ・オブが控えている。
この人たちなら何気ない質問をしても、おかしな事態にはならないだろう。
「目的地は遠いのか?」
「ほう、獲物が待ちきれずに手が疼いてしまったのか。喜べ、もう着く。そこの斜面を登り切ったところだ」
もう俺の扱いがどうなっているかは無視するとして。
山に入り込んで幾つも丘を越えると聞いたときは、無事にたどり着けるのか不安だったが、早朝から出てきたというのに魔物の数は多くない。
朝の巡回前の時間帯だ。ばっさばっさとハリスンや四脚ケダマが飛んでくる時間のはずで、だからこそ討伐がてら森の中を進むのだと思っていた。
それなりに出るし討伐がてらではあるんだろうが、西に比べれば静かなほどだ。
西側と違って常に警備を立てたりしないくらいだし、こんなものなんだろう。
あまり戦闘がないせいか、地形の割には早い到着に感じる。
「思ったより近いな」
「そりゃあ、今日中に二ヶ所の対象を片付けなきゃならんからな。近い場所を選ぶさ。だが時間内に始末できるかどうかは、タロウ――お前の腕次第だ」
そんな重々しく言われると、自分の仕事内容を勘違いしそうになるぜ。
死地に赴く任務と言えば大変そうだが、そんな状況になるのは俺限定だろう。
依頼の内容に反して少人数だと考えたのは、こうして山中を練り歩くことに加えて、依頼を二件こなす予定と聞かされ少し心配になったからだ。
集合場所の倉庫前での会話を思い返す。
「い、依頼を二回分、ど、同時?」
声が裏返りかけていたな。少しどころの心配ではなかったようだ。
だって東の森の情報なんかないし!
同時攻略、なんて考えるとカッコイイ気がしないでもない。
同時っつうか、まとめて済ますってだけだが。
しかし大枝嬢、押し込んできたなぁ。
ふふ、俺が力をつけたと認められたということ……のはずはないな。
よっぽど花畑に人手が欲しいんだろうか。たんに二ヶ所回っても問題ない距離なんだろうけど。
そんなに青っ花に需要があるんなら、どうにか時間を作って行ってみようかな。
まあ、今は目の前の仕事だ。
続いたシムシの言葉が、逸れていた意識を森の中へと引き戻す。
「そう深さのない洞窟だ。二ヶ所くらい回ってちょうどいいくらいでな」
そこらへんは想像通りだった。ていうか、また洞窟なのかよ……。
森、と曖昧に書かれていたら洞窟と思っていいくらいじゃないか。
魔物が少なくて手持ち無沙汰だからか、シムシは辺りに注意を払いながらも、依頼の経緯などを語り始めた。
小さな依頼が重なったのは、この辺を回る奴らの二組が、各々気になる場所を周囲と話し合うことなく届け出てしまった結果のようだ。募集期間も短かったし、そういうこともあるだろう。
「前もって話し合っていれば、初めからまとめて依頼したよ」
西の森側と違って、そんな行き違いが起きるのには、別の理由があるらしい。普段はジェッテブルク山の麓を泊りがけで回っているが、戻ると数日は街周辺で過ごし、また他の奴らと交代で旅立つ。
その街に戻った期間に、東の森方面や他に手が欲しい場所へと向かうのだとか。
へぇ、また俺の知らない冒険者の日常を知ってしまった。
感心しつつも、シムシの背を訝しく見る。まず、詳細を話すシムシの顔に見覚えがあるなと思っていたのが、今の話でやっぱり見たと確信する。
「まさか、こっちの依頼で一緒になるとは思わなかったな」
「こっちの依頼?」
ギルドで見かけたような……といっても、ほとんどの奴らがそうだ。ただ、もう少しまともに話した記憶すらあるんだよ。
その謎は次に言われたことであっさり解けた。
「ほら、以前話したろ。山の方で手を借りたかったんだが、受付が締め切られて残念だったって」
「あぁ、岩場での依頼をしたかったっていう」
この俺を超危険地域へ送ろうと画策していた、とんでもない悪党じゃねえか!
「憶えていてくれたか! 俺たちゃ大抵は岩場から山向こうにいるが、たまたま戻ったところだったんだ。この依頼責任者と交代するところに、コエダさんから話が来てな。引率を引き受けることになった」
「あいつらの悔しそうな顔を見せてやりたかったぜ」
「随分と楽しみにしてたからな。代わりに、しっかり見届けさせてもらうぜ」
エィジとポプュが笑いながら言葉を添える。
俺はなんのアトラクションなんだよ。
本来の依頼代表に同情して良いのか分からないが、話が来たときはまだ居たというのに、そのまま出かけていったのは意外だ。
結構予定の決め方とかアバウトだと思うが、遠出だと準備にも時間がかかりそうだもんな。さすがに、出かけるところでの予定変更はできなかったんだろう。
大体、ここでの連絡も午前と午後とか大ざっぱだ。期日厳守だとかで胃がきりきり痛むこともなく羨ましい世界だよ。ああ、今では俺もこの世界の住人でしたね。
南の森にこもっているせいか、とても同じ世界に生きている気がしない。い、いや、俺だって花畑へ行ったし、大枝嬢にも低ランク冒険者のスタートラインに立てるとお墨付きをもらったようなものだ。これからなのだよ、うんうん。
「着いたぞ。そこが入り口への入り口だ」
よし、そろそろ気合いを入れようか。
幸いにも体調はいい。
昨日は無理をしたというのに、早めに切り上げたのが良かったらしく、体に疲れは残っていなかった。
お陰で、配分さえ間違えなければ俺だってなかなか戦えるではないかと、少しだけ良い気分を取り戻している。
良い気分に水を差す言葉が聞こえたような……入り口の、入り口?
洞窟に入るのはいい。もう慣れた。
だけど案内された場所に立てば、崖だった。
崖下へと視線を向けると、井戸の底かというように岩壁に囲まれた場所だ。底が見えるくらいだし谷底という感じではないが、決して落ちたくはない高さはある。
「あっちの崖下に、大きな穴が見えるだろう。あれが入り口だ」
「……ここを、下りる?」
なんで、出入り口が切り立った崖下にあるんだ。すっかりお馴染みの背高草に、狭い地面は埋もれている。
だがあろうことか、草の狭間に黒っぽい幾つもの影が、もぞもぞと蠢いているのを見てしまった。
あれ、ヒソカニだろ……。
「心配するな、梯子がある。飛び降りるのが苦手な奴もいるからな」
下り方を心配してんじゃねえよ。
言いながら示されたものを見て、思わず真顔になる。
蔦が絡みまくったような縄梯子で、岩肌の隙間から伸び放題の雑草と、半ば見分けがつかなくなっていた。
「俺が先に下りて、あいつらを殺る」
シムシが掴むと縄梯子は軋むような音を立て、冷や冷やしながら見たのも一瞬だった。
お前、梯子じゃなくて岩のでっぱり掴んでるじゃないか!
崖下からヒソカニを叩き割ってるらしい音が響いたが、シムシはすぐに動きを止めて見上げた。
「下りていいぞ!」
俺もなるべく、この怪しい縄梯子ではなく岩を掴もう。
いいだろう。俺だって手の力ならある、はず。
なんだっけ石の生えた壁をよじ登る、そう、ボルダリングとかいうやつ。あれに挑戦してると思うんだ。登ってるわけじゃないけど。そして下に見える鬱蒼とした草は安全マット。
大丈夫だ、ゆっくり下りれば。
次は、そこのでっぱりをキャッチして……。
ボリッ――鈍い音と共に、でっぱりは取れた。
なんてことでしょう。
岩と思って掴んだのは、固まった土だったのです。
「くふゅっ……ふぐぬぅ!」
空を掻く手を必死に別の塊へと伸ばす。キュッと音を立てて、手は固定した。
お、おぉ、落ちるかと思ったあああ!
とっさに掴みなおしたでっぱりは、ちゃんと岩だった。
なんだよ、あの土。紛らわしい色しやがって!
「ははは、軽快な掛け声だな!」
叫びだよ!
暗い色が岩だと判断すれば後は問題なかった。
問題なかった理由は、もう一つ。早速、滑り止めが身を助けてくれたらしい。なんという天啓!
どうにか降り立った場所の向かいには、頭を屈めなければくぐれない真っ暗な穴が、背高草に半分隠れて開いていた。
それらを気にもせず既に足を入り口に突っ込んでいたシムシに、なんなく降りて来たエィジとポプュも続こうとする。それを止めた。
「待ってくれ。こいつも片付けておきたい」
「こいつだと? こんなところに危険物が?」
シムシは険しい表情で、剣の柄に手をかけながら振り向いた。
なんでここの奴らは、こういう明らかに邪魔な遮蔽物はナチュラルに無視するんだよ。行動で説明だ。無言で背高草の殺戮にとりかかった。
「あぁ、そいつか!」
「なんと。真の敵は、眼前にあったってぇのか」
「戦いに身を投じる余り、俺たちゃ目が曇ってしまっていたようだな」
己の額をぺちんと叩くシムシに並んで、エィジも低く唸り、ポプュは空を仰いで目を眇めた。
初印象を修正。
やっぱりこいつらも、どこかズレているようだ。




