140:静かな湖畔の藪の陰から
湖に近付くにつれ、川原もやや広くなり見晴らしは良くなった。
カーブになってるからまだ先は見えないが、段々と木々の間隔が広がっていき、狭間からは光が差し込んでいる。
開けた場所が、すぐそこにあるってことだ。
もっと左右を見渡したいが、ちらちらと視界を遮って邪魔するものがある。トワィラ兄弟だ。ケロンとの遭遇で申し訳なく思っているらしく、あれから用がなくても俺の両隣を挟むように並んで歩いている。ウザさ倍増だ。
鬱陶しい気分を紛らわせようと、自然と会話も多くなる。討伐する際のワンポイントアドバイスを聞かせてもらえたりと、もちろん興味ある内容だ。それだけでなく感謝しなければとは思うが……。
「ケロンが、あんな目で追えないほど素早い魔物だとは、思ってなかったな」
ハリスンよりレベルは低く、敏捷値も突出してなかったはずなのに、不思議なもんだ。
俺の感想に二人はそれぞれ返す。
「ああ、あれな。素早いんじゃなくてよ。あいつは目ん玉を見ちゃならねえ相手なんだよ。キューメイ、お前、今日は休憩なしで訓練だから」
「だからさぁ、回り込むのにちぃっとばかり時間かけ過ぎちまったんだって。兄貴、しつこい。タロウは、ほんとゴメンな!」
アドバイスだか喧嘩だか分からないが。言われてみれば、あのぐるぐるした目玉には、思い当たることがある……。
「ああ、あれが特殊攻撃の催眠」
「ほー? よく知ってるな。シャリテイルから聞いた通りだ。催眠と呼んではいるが、幻影を見せるんだとよ」
前方のシャリテイルを見ると、聞き耳でも立てていたのか、そっぽを向くのが見えた。変な鼻歌でごまかしてるつもりか。
キューメイが兄の説明を続ける。
「その幻影と呼んでんのも、マグに投影したものだとかなんだとか、そんな屁理屈だったか?」
「屁理屈って……一応研究されたもんがあったろ」
ウザ兄弟は漫才しつつ、ケロンと対峙する際の注意点も話してくれた。
「一瞬前か後の位置にいるように見せかける、面倒なやつでさ。知っていても対処を間違うと、惑わされて怪我することもある厄介なやつだ」
「素早さ自体は、ハリスンに劣るくらいじゃね?」
そうだったのか。だから、途中から動きが見えるようになったんだな
「ま、この辺から、妙な特殊持ちの魔物が増えるってこった。だから、おかしなもんに気が付いたら、すぐに距離を取れよ」
タンキューに頷くと、改めてケロンの記憶を手繰る。
そうだよ。確かにケロンは催眠属性の特殊攻撃持ちだった。
これまた「ぐるぐるの目」だとかいう適当な名前がついていたはずだ。
ゲームでは耐性付きの防具を手に入れた後に会うから、それで苦労した記憶がないんだよな。
それがあんなに恐ろしいものだったとは。
あの停止したまま移動する動きは、催眠能力で錯覚を起こす能力か。
攻撃対象が俺からキューメイに移ったから、途中からは動作が追えるようになったってオチのようだ。
ハリスンとのステータスに、そんな馬鹿みたいな開きがあるなんておかしいと思ったよ。
シャリテイルが、カイエンの強さはおかしいと言える気持ちが少しだけわかる気がする。
カイエンが言ったわけじゃないが、やつの仲間らしき高ランクだか、中ランクの上位者連中は言っていたのだ。
ケロンを枕に眠りたいだとか、よっぽど力に自信がないと出ない言葉だ。
上位者じゃなくて、違う意味の上級者じゃないのかっての。
眼前に手のひらがひらひらと揺れる。
「目を開けたまま眠るなよ?」
つい考えこんでいる振りで、ウザ兄弟の存在をシャットアウトしようとしていたようだ。キューメイを見ると、真面目くさった顔している。
あ、なんだよ。今度は黙り込みやがって。じろじろ見んな。
一応話は聞いていたと思うが……なにか大事なことを聞き逃して怒らせた?
「おっとガンつけてんじゃねぇぜ。さっきのこと思い出してさ」
びびらせんな。さっきの?
「まさか、人族があれほど戦えるなんてなぁと、驚いたんだ。ちょっとだけな」
「お、そうか?」
分かるかキューメイよ。ふっ、漏れ出てしまうものだな。
夜な夜な阿鼻叫喚のカピボー地獄で鍛えた実力が!
なんせ、とうとうレベル25だもんな。25だよ。ゲームなら中盤のクエストをある程度こなせるようになって楽しい頃合いだ。
冷静に考えたら、ケロンのレベルが実質30だろうと、そこまで絶望的な差ではないんだ。そう、ゲームならね……!
「急に偉そうになったかと思えば、落ち込みやがった。浮き沈み激しいやつだな」
放っておいてくれ。情緒不安定な年ごろなんだよ。
「わりぃ、ちょっと無神経だったか。でも、お世辞じゃないぜ」
「俺も見たかったね。人族にしちゃ、タロウはなかなか目がいいようだしな」
「まったくだ。ハリスンの動きも追えるようだし、ケロンに攻撃を加えた人族冒険者なんて、前代未聞だぜ!」
そりゃ……今まで人族冒険者は存在しなかったじゃないですか。
統計のマジックは素敵だな!
木々を抜けると、眩い光と何にも遮られない青空が飛び込んできた。
「広いな」
思わず息をのむ。マップだと滝がついた水たまりのようなアイコンだったものが、丸くないし広すぎるしで、向こう側が霞んでるじゃねえか。霞ませているのは、反対側にありながらここからでも見える滝から上がる、怒涛の水飛沫のせいだ。比率間違ってんぞ。
「よっしゃ、到着したし休憩だ」
ヤミドゥリの号令で、そこらの岩に腰かけ、各々弁当を広げだす。まだ昼前だと思うんですが。のんきだな。
みんなもパンと水と漬物。俺と大差ないように見えるが、さらに奴らは干し肉の塊を取り出した。それを小さなナイフでスライスしてパンに挟んでいく。
憎い。
肉だけに。
俺の心は殺伐とした戦場に早変わりだ。
「ぬ、不穏な気配があるな」
ちっ、ばれたか。
「やれやれ、少しは休めるかと思ったのによ」
えっ、ち、違いますって。なにを本気で武器を手にしてるんですか!
「大した数じゃあない」
「タロウ。下がってて」
全員の視線の先に、ミズスマッシュがいた。
良かった。始末されるのは俺じゃなかったようだ。
陸上にいたミズスマッシュは、水上の半分のスピードも出ない、ちょろい相手だった。あっさり片づけられて、何事もなかったように座りこんで飯をかきこむ。
「んぐ。こっちは人を減らしてはいないのだけど。よっぽど奥地で強力な魔物が増えていたのかしらね」
「魔震のせいじゃないか? こんなところまで押し寄せてくるのが速い」
などとシャリテイルたちは見解を話している。
中ランクにとっても危険な部類に入る魔物は、この湖の向こう側からぼちぼちと現れ始めるらしい。この湖のお陰で山から直接下りてくる魔物が減るとか守り易いだとか、水生の魔物は強力な個体は多いが地上の魔物と比べて数は少な目らしいとか、俺にとっては興味深い話ではある。が、皆の何気ない口ぶりと、俺にはどうしようもできない恐ろしい内容のギャップに壁を感じて落ち付かなかった。
腹ごなしをして、目的地へ移動した。
少しだけ湖を回り込んだところに、小さな入江になっている場所があった。通過しなければならないというのに、色々と吹き溜まりやすいため困っていたらしい。
困るで済むのか? 草だか蔓だかに覆われて、何も見えないじゃねえか。
そう高さはないが、崖の窪みを蔓草が埋めている異様な光景を見上げ、大きく息を吸う。水が草の塊の下まで流れ込んでいて道は途切れている。
「だから、なんでこうなるまで放っておくんだよ。普段はどうしてるんだ?」
「そりゃおめぇ、より強大な力で踏み越えりゃいいじゃん?」
「私はあっち見てるわね」
答え代わりか、シャリテイルが目の前でジャンプして向こう岸へ渡った。
脳筋どもが!
俺だって飛び越えられるなら無視して通りたいよ。まあ目測で大した幅がなかろうと、俺に飛び越えられる気はしないし、邪魔するように絡んだ蔦の塊がはみ出している。どこから手を付ければ良いかと、しばし見分する。
「おっ、さっきまでビビってたのに、草を見たら興奮してきたかぁ?」
「ああ、そうだよ。さっさと終わらせるぞ」
誰が興奮なぞするか。だが無視。
そろそろ視界に入ったら即切ってもおかしくないほど草に反応できるようになったが、これはただの条件反射であって拗らせてこんなことで人の道を外れてたまるか!
「なっ……! なんて気合いだ」
「茶化してすまねえ。タロウの意気込みは伝わったぜ。なあ?」
「全く、今日は手ぇぬけねえな」
おかしな闘志を燃やしだした三人に激しくツッコミをいれたいが、身の安全が増すと思えば我慢だ。我慢。
「お、おぅ、こえぇ目で睨むなよ。これからは気ぃつかうからさ!」
「ぜひ、そう願いたい」
俺の仕事が減るだろうと知ったことか。
ギルド長は後続を増やしたいようだが、それにしても最初の作業ってのは大変なものだ。今のところは目に付くものを端から片付けていくしかないが、そのすべての作業が今後も必要なこととは限らない。
ここは継続して整備の必要があるなとか、最終的に判断するのは現場の冒険者とギルド長だ。俺にできるのは、その資料を揃えて道筋をつけるだけ。
ぬ――俺が、道を拓くだと。
「今度は、にやけだしたぞ……」
「やっぱり草に特殊な嗜好をお持ちだったか」
「聞こえてるからな」
睨むと三人は散った。
「し、仕事、仕事ぉ!」
「いい魔物日和だね!」
くそっ! また変な噂が立つに違いない!




