139:渡し守
あとちょいと言われれば、あっさり期待が不安を上回った俺は、そわそわと歩みを速める。湖に近付くにつれて雑草もでかくなり、気が付けば見慣れた背高草が目に付くが、道草を刈るのもやめだ。
「止まれ」
ヤミドゥリが片手を上げ制止を促す。
何度目かの合図だ。俺も慣れてきたし、無駄に緊張することもなく即座に歩みを止める。こいつらの背後で縮こまって待つという、重要な作戦行動が俺には課せられているからな。
頭をヤミドゥリの背後から出すと、もっと先を、魔物を探知しながら歩いているシャリテイルが振り返ったのが見えた。
シャリテイルは横向きで前かがみになり、両手を前方でぐるぐると振り回すと、最後にこちらを向いて万歳しながら小さくジャンプした。
それを見たヤミドゥリは、大きく頷き返す。
「ふむ。アラグマが三体か」
あれで分かるんだ。
ゆっくりと距離を詰め、木々の狭間から目標を確認する。
川幅は街の近くと比べると倍はあるが、その中央に、アラグマ三匹がぷかぷかと浮いていた。同時に水礫の波状攻撃でもきたら、ミンチ確実……。
ヤミドゥリたちにとっては大した相手ではなさそうに思うが、まとまっているとあの特殊攻撃が面倒なんだろう。初めて慎重さを見せた。
「ちょいと片づけてくる。タロウは隠れて待ってろ」
移動しようとしたヤミドゥリをタンサックが止めた。
「待てヤミドゥリ、向こう岸にも気配があるぜ。ミズスマッシュかもしんねえ」
「こっちの周囲に、他の気配はないぜ」
「キューメイはここで待機し周囲の探知を。タンサックは来い。向こう岸を警戒してくれ」
キューメイが、こちら側の情報を出すと、ヤミドゥリは即座に指示を変えて動き出した。
「……木陰で待つなら任せろー」
俺は誰にともなく呟くと、狭い木々の狭間を体を横にしてすり抜けた。ここから頭だけ出して見物するとしようって……シャリテイル!?
「ぴょんぴょーい」
「キュッ、キュウ!」
シャリテイルは川へジャンプしていた。すぐに三匹のアラグマの腹へと次々に飛び移っていく。
こっちの心臓が止まる!
「だ、駄目だ。見てられない……」
同じ人間とは思えない動きをするが、それは魔物の方もだ。
「あまり、無茶はしないでくれよ」
なにが無茶で無茶じゃないかなんて俺に分かるはずもないが、はらはらしながら祈るしかできない。
シャリテイルが飛び移るたびに、アラグマは怒って冷静さを失うのか生成中の水の塊が崩れていく。そしてシャリテイルが川岸へ戻ると、アラグマもスクリューのように足を回転させて後を追ってきた。接岸したところを、即座にヤミドゥリが止めを刺していく。
一撃かよ……。
なんとも呆気なくアラグマは倒されていったが、今度は黒い塊が近付く。
ミズスマッシュは綺麗に編隊を組んで、水しぶきを上げながら水上を滑るように移動してくる。ボートレースならぬ、ミズスマッシュのレースとかやったら白熱しそうだが個体差なんかなさそうだから無理だな。
水上の勢いを保ったまま、川岸から飛び込んでくるミズスマッシュを、ヤミドゥリは下から斬り上げた。次には、俺が頭を出していた側の木からゴンと鈍い音が響く。
「うおっ」
裂けた胴体がぶつかり、跳ね返りながら消えていった。
ちょっと木陰から覗き見ているだけのつもりが、ここまで危険だとは。まとめ役が手で殴り返していたのも相当なもんだったが、中ランクはこれが普通なのかよ。
「頭も引っ込めておこう」
ため息とともに木の背後へ一歩下がると、踵が何かに当たった。この辺は密集しすぎて、木の根だか石ころが転がってるのかも分からない。
ちらと背後を見ると、大きな岩だった。幅は俺の背ほど、高さは腰かけるのにちょうどよい。黒っぽい地肌は赤や黒や緑とカラフルに苔むしているが、湿った感じはない。これだけ木々の隙間を埋めるように大きな岩を挟めば、魔物だって背後から襲おうにも邪魔だろうしと腰をかける。
意外だ。ずいぶんと座り心地がいい。
ほどよく尻が沈む柔らかさ、この世界では感じたことのない上等なソファだ。異世界には、やわらかい岩が存在するのか。
まてよ。
そんなものは見たことが無い。
なんで岩が、ほどよいクッションに……?
な、なんだろうね、こいつは。ハハハ。
高まる鼓動に静まれと念じつつ、そうっと立ち上がって体を反転させていく。ゆっくりと後ろに手を伸ばして木の幹を探り、後ずさりながら、そいつを見た。
汗が噴き出した。
見覚えがある。
ゲームの中の絵で。
今は側面を向いているが、背を辿り端を見れば、そこには巨大な瑪瑙が埋まっている。さっきは、そんなもんなかった。それは瑪瑙の石ではなく、まん丸の目玉だ。
絵は絵なんだと痛感する。
この存在感の違いばかりは、実物と接しないと、なかなかに慣れないだろう。
離れるにしろ木が邪魔だが、目を離すこともできず、後ろ手に木を伝いながら少しずつ距離をとる。
気が付けば、目玉の下が、ぱかっと開いたのが見えた。
絶望で真っ暗になる。
お、思い出せ。このカエルの化け物は、ケロンに違いない。ゲーム中レベル15ぽっちだ。大した敵じゃない。ここでは30くらいか。駄目だ死ぬわ。
他にこっちで聞いた情報といえば、上級者らは枕にちょうど良さそうと思うらしい。でかすぎるだろ!
だ、大丈夫。まだ動かないし、キューメイのところまで下がって教えなきゃ。
って、なんで気が付かないんだ。もしかして、こいつ気配消すのか?
ケロンは、じっと見ている限りでは微動だにしていないように見える。キューメイはどこだ。さっと後ろを振り返って位置を確認するが、いない!?
というか、動転して分からない。さっきから大分移動した気もするが、一メートルと動いていない気もする。
すぐに視線をケロンに戻す。横を向いていたはずのケロンは、体ごとこちらを向いていた。
一瞬しか、目を離してなかったはずだ。なのに音もなかった。
次には、俺がさっき貼りついていた場所にケロンはいた。
「え」
動きなんか見えなかったろ。
まさか、瞬きをした間に移動した?
そして、眼前には、赤黒い空洞が広がっていた。
それがバクンと閉じられる――俺の頭を飲み込むように。
させるか!
とっさに頭をかばうように両腕を上げていた。
その時ナイフを水平に持っち上げたお陰で、刃がケロンの口の端に刺さった。
「ゲヨンッ!」
柄を横に張っていたため、ケロンは閉じようとした自分の力で、頬を裂いていく。
隙間から入る光によって浮かび上がった、蠢く粘液質の喉が気持ち悪い。
あんなところに呑まれてたまるか!
「うらあああっ!」
完全に引き裂こうと柄を両手で持ち直すと同時に、足で喉の下辺りを蹴り上げて力を込めた。唇の薄い膜は裂け、勢いで俺は後方へと跳んだ。それとも、頭を振ったケロンに弾き飛ばされたのか。
「でっ!」
尻餅をついたが、すぐに飛び退る。
どうにか脱出できたが、今の内に木を回り込もう。回り込めるのか。こいつ、素早いなんてもんじゃない。
「ケロン! こっちだぜ!」
怒鳴り声と同時に、ケロンの背後から魔技が放たれた。
空気の矢が、ケロンの胴体に穴を開ける。
それでは消滅せず、ケロンは首だけを背後へ回し、口から何かを発射する。
舌による攻撃かと思ったが、違う。
「おらよ!」
キューメイは木を蹴って攻撃を躱すとケロンの側面に迫った。
伸びたのは、舌じゃなくて口だよ!
き、きめえええっ!
これが、枕にちょうど良いだ!? あいつら正気かよ!
「ブギュゥ!」
伸びた瞬間、杖で叩き落される。
あ、あれ、動きが見えるな。弱ってるってことか。
今の内に、他の奴らに知らせないと!
振り返ったところを、別の影が二つ飛び込んできた。
「えいっ」
「くたばれや!」
「ゲゴギェ!」
ぽよん――へんな音と生々しいうめき声が聞こえ、ケロンはつぶれながら真っ二つになった。
「シャリテイル、タンサック!」
見事に煙となったケロンを見ると、ほっとして二人に近付くが、タンサックは素早く動くと、キューメイの胸倉を掴み上げた。
「おう、キューメイ。てめえ、しっかり仕事しろや」
「悪い。兄貴。……タロウ。ギリギリになって悪かったな。下手に動くとまずい相手だったからよ」
「いや、キューメイもありがとう。助かったよほんとに」
タンサックは怪訝な顔で俺の顔を見ると、キューメイから腕を離した。毒気が抜けたようだ。
「なにやら、すんげぇ嬉しそうだな。意味わかんないんだけど」
「はぁ、タロウったら。また新しい魔物を見て悦んでるでしょ」
「嫌な意味が込められてるような言い方しないでくれ」
ヤミドゥリは申し訳なさそうに俺を見た。
「大抵ケロンは川を泳いでるんだが……面目ない。しかし、無事でなによりだ。俺の責任でもある。急いで湖の側まで移動しよう。視界が開けている分、ここよりはいい」
ここよりいいというのは、守りやすいという意味なんだろう。ヤミドゥリはこれまでよりも厳しい顔つきで合図した。俺たちはまた隊列を成して、移動する。
でもまあ、確かに俺は、別の興奮に舞い上がっていた。
体に活力がみなぎったんだ。久々の感覚だよ。
レベル25になったはず! よっしゃああああ!
思わずガッツポーズを取ってしまうのを変な目で見られたが構うもんか。もう次にレベルが上がるのは、一年とかそんな先になると諦め気味だったんだ。
俺の仕事はこれからだってのに、コントローラーを確認するのが今から楽しみでしかたがない。




