132:陰鬱な職場
俺はランタンの薄ぼんやりとした灯りを頼りに、地面いっぱいにひしめく苔草を引っこ抜いて回っていた。
「はいっ」
「ブビビヴーッ!」
水がどこからか滴って壁を湿らせ、心なしか空気がじめついている。
暗い洞窟の奥で空気の流れが悪いのか、それとも気分のせいか。息苦しい気がして、首元にまとめていたポンチョの端を引っ張り緩めた。
「えいっ」
「ヴァビブベヴォッ!」
水は床まで滲みており、それがこの群生を作るのに貢献しているのだろうことは想像に難くない。
苔草の表面から滴る粘液質の液体も相まって、至る所がぬかるんでいる。足を滑らせないようにと、慎重に手を伸ばす。
「ぽかぽかっと」
「チキェキュケケッ!」
てらてらと照り返す歪なキノコを、しゃがみ込んで毟っていると気が滅入った。
……なんだ今の声。
通路の暗がりで魔物討伐していると思っていたシャリテイルだが、振り向けばそこにいた。
こえぇよ。
「タロウ。その手さばき、見事ね。スバラシイわ!」
一々魔物に怯えていたら仕事が終わらないし、周囲の様子を意識から断ち切って作業していたが、それなりに長い時間が経ったはずだ。
引っ切り無しに魔物が現れるわけではないとはいえ、シャリテイルは息を弾ませてすらいない。
「なにを倒してたんだ?」
最後の魔物の声には聞き覚えがない。
「コイモリよ。黒っぽくて平べったい羽を広げて天井にみっしりと張りついてるから、一気に来られると面倒なんだけど、今朝はしっかり討伐されてるようだから数匹いただけ。残念だったわね」
残念感はこれっぽっちもないです。
シャリテイルによれば、ここでのコイモリは飛ぶというより跳ぶらしい。
跳躍力の問題か、狭い洞窟内通路を好んで徘徊しているそうだ。
「そうか、コイモリか」
コイモリはゲーム中レベル17の魔物で、コウモリの羽が生えたイモリだった。
いつもながら何かを混ぜ合わせただけの姿に、なんのひねりもない名前だ。
こいつはハリスンほどではないが素早さもそこそこある。
俺が知っているのは数値上の話だが、聞いた限りでは、そう差はなさそうだ。
洞穴面では雑魚にあたるモンスターだったから、数がいるのも意外じゃないな。
特殊攻撃は、細長い舌による貫通攻撃……天井にみっちりいるんだっけ。
絶対に会いたくねえ。
「また一人でにやにやしてるわね」
「どこがだよ」
作業の進みはどうかと、全体を見回した。
湿ってより黒ずんで見える地面が、かなりあらわになっている。
半分ってところか?
今日中にいけそうだが。
「時間は、どのくらいある」
シャリテイルが持っているはずのマグ時計をあてにして聞いてみる。
「気の済むまでやっちゃってくれても構わないのだけど。そうねーまだ午後も半ばだから」
「なら終えられるな」
むしった苔草を、とりあえず放り投げてできた山を見て気付いた。
「たしか、洞穴の周辺に埋めると言っていたよな。外の森ん中まで運ぶよな」
「そうね」
「どうやって持ち出すつもりなんだ」
「道具袋があるじゃない?」
なんとなくそうかなって思いつつ、聞きそびれていたけどさ。
道具袋って、粗い目の布製だぞ。
ただでさえ苔草はぬめってるというのに袋は穴だらけだし多くを詰めないと移動が大変だし詰め込んだら変な汁でるし肩から担ぐか腰にぶら下げることになるがどっちにしろ……めちゃくちゃ汚れるじゃないか!
やっぱりカゴは必要だったな!
カゴだって滴ってたけど、詰め込まなくていいだけマシだった。
でも何度も運び出して戻る時間を考えたら、なるべく詰めたい。
うう、潰れてえぐい苔草シェークができそうで嫌だな。
「しかたない……邪魔だし、一度運び出そう」
「そうね」
道具袋を取り出し、膝の高さほども積んでしまった山へ近づいた。
ぐにゃっと掴んで山の上から袋に掻き込んでいく。
シャリテイルは器用に幾つかずつ手に取り、ぽいぽいと放り込んでいた。
「よく滑らずにつまめるな」
「そういえば、滑り止めの加工してあるからじゃない?」
「へえ、そういうのもできるんだ」
俺のグローブもそこそこ優秀だと思うが、滑り止めの機能はないらしい。
「適当にてんこもりで高いの作って! ってお願いしたから、多分ね!」
いい加減だな!
ちょっと期待しただろ。俺も加工してもらえないかと思ったのに。
いや、似たようなものはあるに違いない。
防具を受け取りに行くときにでも、ストンリに聞いておこう。
「今日は道具袋を多めに持ち歩いていてよかったわ。四袋あるのよ。二つくらい持てる?」
俺も四袋持っているが、倍増えたところでなんてことはない。
一つのサイズは、大きめの枕くらいだ。枕と違って丸々と詰められるが。
それらをまとめて持って移動して疲れを感じないんだから、以前の体と比べると随分とパワーアップしてるのにな……。
おっと、仕事だ仕事。
「全部持つよ。戦闘に邪魔なんだろ」
「助かるわ!」
縛って束ねたものを肩から吊るすのは、さすがに肩に食い込んで痛いか。
俺はポンチョを脱いで広げると、道具袋を包んで縛り背に担ぐ。
シャリテイルが風呂敷包みを背負って旅立った姿を思い出した。
あの姿を笑えないな。
そのまま歩いてみるが、あまり水が染み出てこない。
ポンチョ万能説。俺の中で劇的浮上!
これは歩きやすい。
機嫌よく移動しながらも周囲を見ていて、分かれ道を過ぎた。もうこの先は一本道だ。
魔物は遠くから近付いてくるはずだと、ふと思い出した。
今まで奥で足止めしていたなら、戻りはなにも出ないんじゃないだろうか。
俺は荷物の持ち損だったりするのか。
いや、身を守ってもらってるのだからそんな不満はお門違いだ。
というより、シャリテイルは楽しようなんてそぶりは全くないしな。
「こうも魔物が出ないと、そわそわするわね!」
戦闘狂かよ。
「出口に向かうほど、魔物は出ないんじゃないのか」
洞穴の外から魔物が入り込んでくることがあるなら話は別だが。
「どこか穴が開いてないとは限らないのよ」
「ああ、崩れやすそうな壁だよな」
「硬い岩盤も見つかっているから、全崩壊はないらしいけれどね」
それ生き埋めになりそうなんだが。
「でも、魔物が少ない内に急ぐほうがいいわよね」
「そうだな」
警戒のために普通に歩いていたが、多少ペースを上げることにした。
苔草を外に袋の中身をぶちまけてからすぐに戻ったが、すでに苔草広場より手前まで、魔物がちらほら出だしていた。
シャリテイルはまったく気にしていないようだが、俺は魔物の数が増えることが気になってくる。
幾らシャリテイルが強くとも、一人でカバーできる範囲は限られているし。
こうなったら俺にできることは、なるべく急ぐことだ。
むしるスピードを上げようとすれば、軋むように鈍る腕の筋肉。
その叫びを無視して、俺は人族の限界に、挑む!
ぬおおおおお――――っ!
「おっ、先客か? ってタロウじゃねえか!」
俺の気合いは霧散した。
「なにぃ? おおっ希少種冒険者がこんな穴倉に!」
「見ろよ、あの苔キノコの山。こりゃあ本物だぜ!」
「つるんつるんした床が、綺麗さっぱりじめじめするだけの地面に変わっているだと?!」
どうやら午後に巡回予定の冒険者たちのようだ。
やかましいが、これで魔物の心配はなくなったな。
ほっと息を吐いたそばで、雄叫びが響いた。
「ひゃっほーい! 飛んで跳ねても転がらないぜっ!」
「滑り込んでもいけるな!」
奴らはびょんびょん垂直跳びしたりスライディングし始めた。
なんなんだ、この喜びようは。
「そういや依頼を出しはしたが、えらく早く来てくれたな。ありがてぇ」
「おう、みんなで頼もうぜって盛り上がってな。おこづかいから少しずつ出し合ったんだぞ!」
おこづかい……カンパで成り立っていたのか。
「そうか。喜んでもらえたんなら良かったよ」
「ばばーんと報酬を弾んだからな。頼むぜ! ここはけっこう大変な場所なんだ」
笑顔になれる仕事って素敵だねってことで終わりたかったが、俺の耳は不穏な言葉を無視しきれなかった。
「ほう、そんなに大変な場所、だったのか」
「この辺、細い道が続くだろ? 広い場所がここしかないもんだから毎日魔物が吹き溜まってな」
「そうそう、魔物がおしくらまんじゅうしてんのよ」
「今まで苦労したんだよなあ。がははははっ!」
聞き捨てならないことを聞いたああっ!
シャリテイルうううぅ!
「ずしゃーっ! あはは、楽しいわねこれ」
一緒にスライディングして遊んでんじゃねえ!
「じゃあ、頼むわね」
「おうよ。この先は俺達に任せて存分に刈りな」
「……こころづよいよ」
俺は無気力に冒険者たちを送り出すと、何事もなかったかのように仕事を再開した。
そうして運び出しては戻りを何度か繰り返し、俺は最後の敵の前に立った。
「遺言は死んでから言え……よしっ終わりだ!」
とくに惜しむこともなく首を討ち取った。
「今の呪文はなんなの?」
「な、なんでもない」
しまった。思わず妄想を口にしていた。
まさか、今までも無意識に喋っていたらどうしよう……。
そうだ何事もなかったふりをするんだ。
「さあおわったぞ。あとかたづけをしようじゃないか」
「あっそうよ、急ぎましょう! もちゃっとしたこんな場所からは早く出たいものね」
シャリテイルはジャブを打ち込む勢いで、苔草の袋詰めを済ませた。
今まで、本気を出していなかったのか。




