128:泥まみれの対峙
悪餓鬼ビチャーチャに挑め!
なんと、特殊クエスト発生だ。心の中でジャジャーンとジングルをつけつつ気持ちを切り替える。暢気なのか異常なのか分からない状況だが、冒険者の仕事なのは間違いない。
現在、俺とシャリテイルは、ターゲットである泥人形と車一台分ほどの距離を取って誘導しつつ後ずさり中だ。動作は遅く危険らしい危険は感じないが、相手の横幅もあって大きく見えるし、地面も平らではないから足を取られないよう気を付けながらで冷や冷やする。うっかり躓いて、でろでろとした足に踏まれたくない。
それにしても……こんなに楽な、というと語弊があるか。
どうしてこんな魔物に、住民はあんな叫び声をあげていたんだ?
「タロウ、ちょっとそのままでいてね。門を開けてくるわ」
「分かった」
シャリテイルは風のよう身をひるがえす。あの俊敏さの十分の一でいいから、俺も欲しい。
溜息交じりで遠い目になり、泥人形を振り返ると、やや距離が詰まっていた。
間近に見ると余計に不気味だ。どこに目があるのか、そもそも顔があるのかすら分からない。
光の加減か、頭から泥水がゆっくりと湧きだし、体を伝いながらぬらりと流れ落ちて見える。汚ねぇチョコレートフォンデュだ。
流れを追うと、不思議なことに地面まで滴り落ちる量は少ない。たぷたぷの腹回りをじっと見れば、泥が体を巡っている?
ますます気味が悪いが、泥を体に留めるような特殊能力があるんだろう。
つい興味を引かれて観察してしまった。
これ以上近付くとまずいかな。下がろう。
大きく下がろうとしたとき、泥人形の腕が広がった。思ったより機敏だ。
その幅広い泥のヒレは、眼前でしなった。
咄嗟に顔をかばおうと上げた左腕を覆うようにして、でろっとした泥の網が、べちゃりと貼りついた。
「ぅ、うおおおお!」
気持ちわりいいぃ!
住民の叫びの謎は解けた。くっ、身をもって知ることになるとは……。
それから、ちかちかと視界が陰る。こんなときに立ちくらみ?
まさか、マグ、吸われてる……?
急いで振り払おうと、ナイフを叩きつけようとしたが、広がった泥の網に腕ごと沈み込む。
「え!? どど、どうすりゃいいんだよ!」
気を抜いた自業自得だが、窮地に立たされ動転してくる。
必死に下がれば、ぶちゃぶちゃと引きちぎれるような感触はあるが、ねっとりと絡みつくようだ。
ああこれ、腹回りの動きと同じか。泥装甲の下に腕があるようには見えないから、何かで泥の体を維持してるんだ。で、その引き寄せる力が、こうして捕縛にも役立つと……どどどうするどうしよう。
踏ん張って思い切り上半身を捩る。泥縄が伸びた瞬間に、掛け声が聞こえた。
「えいっ」
次いで視界を遮ったのは、杖だ。
腕に絡みついていた泥が弾け飛び、不意に体が浮く。
「うわっ……でっ!」
思い切り後方に力を入れていたのと泥で滑って、尻餅をついた。
やっぱり、こうなるのか……。
「タロウ、餌をあげないで? 本体にくっついてる間は、あの泥からもマグが吸われるわよ」
「餌って……いや助かったよ」
「さっ急いで!」
立ち上がると、わずかにぐらついた。
ああもう、マグ低下の眩暈って本当に嫌だ。
頭を振って急いで下がり、もう一度大きめに距離を取る。
「じゃあ、もう一度いきましょう。初めに見せたくらいに、付かず離れずがいいわよ。あー杖が汚れちゃったわね」
シャリテイルは魔物との距離はそのままで、俺から横へと距離を取った。そこで杖を振り泥をはらう。それでも少し飛んできたんですが。
その時、またもや異変が。
泥人形は速度を上げ……そして俺へと真っ直ぐに近付いてくる。速度を上げたといっても、大人がやや早めに歩く程度。
もしかして、さっきもシャリテイルが離れたから速度を上げてきたのか?
「なんでこっちに来る」
シャリテイルが無言で、てくてくと俺の横へと近付く。
泥人形は速度を落とす。
さっとシャリテイルは跳躍して俺から離れる。
このクソ人形……。
俺の方にだけ、ふらふらと寄ってきやがる!
「うわぁ、これは新発見ね! この泥団子君、弱い子を判別するんだわ」
シャリテイルは顔の前でポンと手を打ち、破顔する。
なんて言いざまだ。俺は嬉しくない。
「魔物もランクが上がると、取り込みやすそうな対象に鼻が利く種類もいるのだけど、泥団子君もがそうだなんて初耳だわ。いえ、そもそも民家に入り込もうとするのは、そういうことだったのかしら?」
滅多に出ないから情報が少なかったのと、シャリテイルは楽しそうだ。
泥団子め、俺が弱いからって舐めやがって!
「いいわね。これを逆手に取りましょう」
「何をする気だよ」
「距離間はそのままに、少し速度をあげて、それから刺激してみましょうか」
「なっ!」
「まあまあ、簡単なことだから」
そうして俺はシャリテイルに指示され、一人泥人形の前に立った。
「どうした、おまえのちからはそんなものかー」
つい棒読みになってしまうが、仕方のないことだ。超危険ランクに分類されてもおかしくない特異な魔物だからな。
町内放送でイノシシが出たから気を付けましょう、といった注意報が出されるレベルの恐ろしい相手なのだ。
しかし、幸いにもここではそれなりのランクの冒険者が即座に派遣されるのだから、なんとも心強い。
当然、緊急事態だから、たまたま居合わせた冒険者だって手を貸す決まりがあるのだろう。決まりなんかなくとも、手助けしたいのが人情ってもんだ。
なんだが……何故それが泥人形に石を投げることになるのか。
「もうちょっと気合い入れなさーい、タローる!」
北欧の妖精みたいな呼び方をするな。
またそこらの石を取って、渾身の力を持って投げる。
にょろにょろと伸びる泥の腕へと石ころはヒットすると、べちゃりと泥が跳ね返り、地味にこっちの全身の汚れも酷くなっていく。
泥まみれになるのが俺だけって、嬉しくもなんともねえ!
こうなったらヤケだ。
「ほら来いってんだよ!」
「その意気よ!」
シャリテイルは、離れた位置から見物するように囃し立てた。
攻撃して刺激すると、魔物の方も臨戦体勢になり動きは機敏になる。それを利用して、追い出すのにかかる時間を短縮しようということだった。
「ほんと、誘導が楽で助かるわね」
確かに、初めの遅さと比べれば格段に速くなったけどな。
溜息をつきたくなるのを我慢しつつ俺は囮になり、シャリテイルは時に泥人形を背後から追い立てながら、柵の外まで誘導する任務に集中するのだった。
苦労の甲斐あって、ほどなくして柵の外まで連れ出すことに成功。
「わあ、あっという間ね」
「俺には果てしなく長い時間に思えたよ」
時間は短縮されたはずだが、俺の忍耐が試される難敵だったぜ。
「シャリテイル。待たせたな」
一息つきつつ、さらに森の方へのろのろと移動していたとき、炎天族の男が現れた。待たせたと言いつつ、急ぐ様子がないどころか欠伸交じりだ。
「やっほーキグス。ちょうど連れ出したところよ」
おお、あれが他の高ランク……なのか?
炎天族らしく長身だが、平均より幅もあるように見える。
が、恰好がおかしい。そこの農夫のように、シャツと目の粗いオーバーオール姿で、生地は所々擦り切れかけている。腰の幅広の革ベルトには、小さめの道具袋が幾つかあるが、どう見ても戦闘職の恰好ではない。
ただ一つ、大きな革のホルダーに差してあるのは、武器ではなく工具にも見えるんですが……。
「もしかして、休日?」
「ううん、今日の待機組。彼が高ランクの、キグス・フィルドよ」
「待機組?」
「高ランクの内一人は、街の近場にいるようにってギルドとの契約ね」
なるほどと頷いた。
何か異常事態があったら大変だもんな。あ、今回がそうか。
しかし、ギルドでも遠征の時にも見覚えがない。
五人の高ランク冒険者の内、カイエンと、もう一人の炎天族がこいつか。
やっぱ、即戦力なら炎天族がトップなんだろうな。
以前考えたレベルのことを思い出した。強い奴が、より多く魔物を倒すから強くなる。その証明のような気がしないでもない。たった五人の少ない割合で結論付けるのも無理やり過ぎるが、遠征組の他の面々を改めて思い出してみて、そう思えたんだ。どっちにしろ漠然としたものだな。
「それにしても今回は、連れ出すのが随分と早かったじゃないか」
「えっへん、こちらにおわすタロウが編み出した追い出し戦法よ!」
「やめてくれ」
「ははは、おかげで仕事が楽になったな」
キグスが笑いながらホルダーから取り出したのは、手斧らしきものだった。柄は長めで先端は斧より小ぶりだが、分厚く片方が尖っている。ピックハンマーっぽいなって、ええええ!?
それを手にした瞬間に――泥が弾け跳んでいた。
「ひぇっ!」
俺は息をのむことしかできなかった。
豪快な破裂音と飛び散る音と泥水の雨を残し、キグスは何事もなく武器から泥を払いまたホルダーへと戻す。
泥人形から大量の赤い煙が抜けると、残された体の泥はグズグズと崩れ落ちていった。
はえぇー、これまたあっさりと……なんて馬鹿力だ。
そう速く動いたようには見えなかった。だというのにハリスン並みの素早さで移動し、攻撃を加えたと思えば元の位置に立っている……少なくとも、俺の目にはそう映った。
しかも、そんな無茶に見える動きをしてさえ、まだ余裕を感じる。
力任せタイプに見えるせいか西の森のまとめ役を思い出したが、はるかに格上。
まとめ役が夢見ていた、素手での高ランク素材ゲット。この男なら、素手でペリカノンだって撃退できると思えた。
「これで、おしまい。でいいんだな?」
「ええ、他の報告はないわね。後は、奥の森方面への増員手配だけど、私の方で報告するわ」
「頼んだ。じゃ、タロウもお疲れ」
そうして、軽く片手を上げるとキグスはさっさと戻っていった。なんか、だるそうな来がけよりキビキビと戻っている気がする背を、呆然と見送る。
高ランクなんて、たまに大物を倒したら後は左団扇で過ごしてるんじゃねえの、なんて思っていた。
見えないところで確実に、みんなの支えとなってるんだな。




