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「業火の将軍」シリーズ

業火の将軍

作者: 橘遼治

   一



 戦場は膠着していたが、徐々に趨勢は定まってきていた。

 そんな中、甲胄をまとった武将が陣の奥深くにある幕舎へ向かって歩いていく。

 さほど大柄ではないが、引き締まった体と切れ長の目を持つこの青年は、まだ20代の前半に見える。

 その幕舎の前に立つ歩哨に許可を得ると、青年将校は入幕し、奥にたたずむ少女の前でひざまずいた。

「このような姿で御身の前に参上したる無礼、なにとぞご容赦願いたく存じます、ミユ王女」

「構いません。そのようなことよりタクマ将軍、戦いはいかがなっておりますか?」

「は、お味方の勝利は確実なれど、国王陛下におきましては万全を期すため姫の御身をより安全な場所へお移しいたすようにとのこと、陛下より臣が命を受けましたゆえ……」

「敗けるのですね、我が軍は」

 そんなタクマの弁舌を、腰までの黒髪と、やや幼い顔立ちを持つ王女は静かに止めた。

「姫、そのような……」

「もしあなたの言うとおり我が軍が有利ならば、私の身を他に移すようなことはありますまい。ましてそのようなつまらない任務にタクマ将軍、あなたのような勇将をつかわすなど」

「姫……」

「陛下のご厚情はありがたいと思います。ですが私も王家の娘である以上、国と運命をともにする覚悟はできております」

「……姫、どうか御身を臣におあずけください。誓ってこの場よりお連れしてみせますゆえ……」

「そしてどこへ行くのです?」

 そのミユの言葉に、タクマは頭を下げたまま、一瞬身をこわばらせた。

「私にはなんの能もありません。生きてゆくにはこの身を売るくらいのことしかできないでしょう。また、ここに残って敗残の身を敵国にゆだねても、政略結婚の駒にされるか有力貴族の愛妾にされるだけ。さして運命は変わりません」

「……」

「それも王家に生まれた者の宿命のようなものでしょう。私のような世間知らずにも、そのていどのことはわかります。ですが……」

 ここでミユは言葉を切り、軽く息を吸い込むと、心情を込めて語をつないだ。

「ですが私には、心に決めた方がおります。その方以外の殿方に身を許すなど耐えられません」

「……」

 膝を折り、顔を伏せながら、タクマは耐えていた。自分にそそがれているであろう、悲痛なほどの想いを込めた王女の視線に。

 床に突いた拳を握り締める。と、その手にほっそりとした、やわらかい手がそえられた。

「姫……」

「将軍、私の首をお持ちなさい」

「!?」

「あなたほどの武将であれば、敵国も厚く遇してくれるでしょう。国と死をともにするのは私の義務ですが、せめて私の死を、あなたの未来に役立ててほしいのです」

「……」

 タクマは、自分の手が震えているのを自覚した。が、それだけではないことにも、すぐに気づいた。

 彼の手にそえられたあたたかい手も震えており、そのそばには涙が落ち続けていたのだ。

「お願いです、将軍。せめて、せめて私の最後のわがままを聞いて……」

「姫!」

 タクマは突然顔を上げ、落涙する王女に向きなおった。

「姫、これまでの臣の武勲のすべてを返上いたしますゆえお願い申し上げまする。どうか、どうか臣に御身をおあずけください。どうか……」

 二人が正面から見つめあったのは、これが初めてであったかもしれない。ミユは主筋、タクマは臣下、これまでの二人はそういう間柄だった。

 だからミユは、いまのタクマの目を見るのが恐かった。

 もしこの期に及んでもタクマの瞳の中にある自分への想いが「忠誠心」だけだったとしたら……

 だが、意を決してタクマの瞳を見たミユは、たしかに見た。そこに宿る、忠誠心に隠された自分への想いを。

「……わかりました、将軍のよいように。私をあなたに託します」

 だからミユは答えた。不安を圧して湧き上がる喜びとともに。



 半刻ほどのち、タクマは脚だけが黒い白馬にまたがって、まだ沸騰している戦場を疾駆していた。鞍の前輪には、肩までで切りそろえた髪で、武官候補生の服を着た少女が乗っている。

 タクマはなるべく敵兵のいない場所を選んで走っていたが、もとよりそんなところは多くはない。たちまち十数騎の敵兵に行く手を阻まれてしまった。

 すかさず戦闘態勢に入ったタクマに、その中でも主将格の騎士が声をかけてきた。

「待たれよ、もしや貴君はタクマ将軍であらせられるか?」

「いかにも」

「おお。ならばどうか我が主君の伝言をお聞きあれたし」

 タクマが無言でうながすと、その騎士は言葉を続けた。

「貴君の自国への忠義は完遂されておられるであろう。どうか我が国へ帰順なさってはくれまいか。もし我が主君へ忠誠を誓っていただけるなら、我が国でも将軍としての地位と富を約束なさるとの仰せ。どうか我らとともに来て、我が主君へ拝謁なさってはくださらぬか」

「……身に余る光栄だが、つつしんで辞退させていただく。おれはまだ、勅命(国王の命令)を果たしておらぬゆえ、これを成さねばおれの忠節は完遂されぬ」

「それはどのような勅命で?」

「すまぬがお教えするわけにはいかぬのだ。非礼の極みではあるが、どうかご容赦願いたい」

 非の打ち所のない返答に、騎士が次の言葉を探して視線をさまよわせる。と、タクマの前に座る少女に目が向いた。それに気づいたタクマが応じた。

「ああ、この娘はおれの妹でな、勅命を賜るに際し同行をお許しいただいたのだ。こんなところで死なせるには忍びなくてな」

 そう答えたタクマは、ふいに口元をほころばせた。

「つまりこのタクマは勅命を賜るに、主君に条件をつけるような男なのだ。しかも公私の混同を恥とも思わぬ。このような不忠者、いまさらそなたたちのご主君に必要あるまい」

 そして笑いを納めると、音高く槍をしごいて、なおも言いつのろうとする騎士の口を封じた。

「もうよかろう、ここは議場ではなく戦場だ。交わされるべきは言の葉ではなく鉄のはず。まださらにおれを翻意させたいのであれば、この槍と剣を折ってからにしてもらおう」

「……どうしてもお聞きいただけぬか」

「お互い騎士である以上、戦場の摂理に従おうではないか。もっとも……」

 ここでタクマは、誰にも気づかれないくらいわずかに視線を移し、少女の後ろ姿を視界に入れると、決死の覚悟を隠すように、表情を不敵なものに変えた。

「もっとも今日のおれは、万の敵が相手だとしても敗ける気がせんがな!」

 叫ぶと同時に、タクマは愛馬を敵兵の中へ踊り込ませた。



 それから四刻ほどして、戦闘は終わった。ミユ王女の国は亡びた。

 国王夫妻は自害。ミユ王女は、燃え上がった自分の幕舎の中から年恰好がそっくりな焼死体が発見されたため、自害したものとして公式文書に記され、二度と歴史の表舞台には出てこなかった。

 それが、彼女と同い年の侍女であり、彼女が脱出した後、自ら進んで身代わりを申し出たと知ったら、王女はどんなに自分を責めたであろうか……



 ……日没も近い時刻、真っ赤に染まった夕日の中、戦場を遠く離れた荒野に、一頭の馬と、それにまたがる二人の人間の姿があった。

 前に座るのは少女、後ろにまたがるのは青年。人馬ともに疲労の極みにあった。

 青年のまとう甲冑は返り血と砂に汚れ、ところどころに亀裂が走っている。

 青年自身の体にも、浅手ではあるが無数の傷が刻み込まれ、酷使された肉体とともに悲鳴をあげ続けている。

 彼自身の剣と槍は、とうの昔に折れ砕け、なくしてしまっている。

 いまその手に握られているのも彼の剣ではなく、敵兵から奪い取ったものだ。それも一本目ではなく五本目である。その剣も、刃がこぼれ、人血の油がこびりつき、使い物にならなくなっていた。

 今日だけで、いったい何人の人間を殺したか、彼自身覚えていない。それどころかいまの彼は、自分が生きてるかどうかもわからないほどに意識が混濁していた。

 と、突然、白と黒、そしていまは赤にも染め上げられた彼の愛馬が身震いして、彼の主人の体に激痛を走らせ、その意識を呼び戻した。

 永遠とも思える痛みがようやく去ると、彼は見た。彼が命がけで守り抜いた少女の顔を。

 彼同様、少女も返り血と埃に汚れているが、青年は彼女にはついに傷ひとつ付けさせなかったのだ。

 しかし、彼を見つめるその瞳に安堵の色はない。

 そのことをいぶかしく思った青年だったが、理由に思い当たると、彼は彼女の騎士として最後の仕事をした。

 残った力を振り絞って笑ってみせたのだ。

 それを見た少女は、押さえつけていたものを解き放つように、涙を流しながら、その細い腕を青年の首に巻きつけた。

 それが、青年が亡国の姫君から下賜された、最後の報奨だった……




 そして、いくばくかの時が流れた……




   二



「ただいま」

「おかえりなさい、あなた」

「…………」

 彼らの小さな家に帰ってきた、中背でひきしまった体と、作りは鋭いが温和な瞳を持つ二十代の「夫」は、「妻」からそう呼ばれることに、少々困惑気味だった。もう「結婚」して数ヶ月になろうというのにである。

「いいかげん慣れてください、『あなた』」

くすくす笑いながら、二十歳になったかどうかという美しい少女が、肩までの短い髪を揺らす。

 ざっくばらんな感じだが、所作の端々に上品で育ちのいい雰囲気が見え隠れする。だがそれは、村の人たちにとって好意の対象として受け入れられ、彼女はすっかり村の人気者のひとりになっていた。

「いや、そうはおっしゃいますが……」

「ほら、夫が妻にそんな言葉づかいをしてたらおかしいです。気をつけてください」

「夫」の当惑をおもしろがるように、「妻」はまたくすくす笑う。

 だが、この注意は実は、彼女たちにしてみれば命がけのことでもある。

「妻」の正体は、つい数ヶ月前滅んだ国の王女、「夫」の正体は、その国で最大の武勲を誇る将軍。そして彼らは、新しく樹立された国から追われる身であった。


 あの最後の攻防の後、戦場を離脱したタクマ将軍とミユ王女は、数日の旅の末、この村にたどりついた。

 当然身分も名も明かすことはせず、戦乱に巻き込まれて難民となった若い夫婦として村に置いてもらうことにしたのだ。

「夫婦、でございますか?」

 村に入る前、どういう立場の二人ということにしようか考えていたタクマに、ミユはそう提案した。

「はい、若い男女が一緒にいるのなら、それが一番自然だと思います」

 平然と、だがどこか楽しそうにミユは言ったものである。

「いや、それならば兄妹ということでも……」

「いいえ、あの時将軍はわたしのことを妹とおっしゃいました。もし敵国がわたしたちのことを探すとすれば、兄妹として生活してる二人を探すと思います。それは危険でしょう?」

「あの時」とは、戦場で馬の鞍にまたがったミユを敵国の将兵が見とがめた時である。

 たしかにあの時の将兵がそのことを報告していれば、そういう危険性もあるだろう。

 だが、ミユにしてみればこれは方便でしかない。

「しかしそれではあまりにも……」

「あら? 将軍はわたしと夫婦になるのがご不満ですか?」

「あ、いや、そんなことは……」

 こう言われては、タクマに反論の余地はなかった。


 こうして二人は、「夫婦」として新天地に落ち着くことができた。

 タクマは抜群の体力で、村の農作業において、すぐになくてはならない戦力となった。またこの青年は意外に器用なところがあり、家の修繕などの村の細かな雑務も手際よく処理してしまったため、すっかり村人から重宝がられる存在になってしまった。

 ミユは、生まれた時から王宮でほどこされた「花嫁修業」が役に立ち、妻としての家事を苦もなくこなし、さらにもともと庶民的な感覚を持っていたらしく、ご近所の奥さんや若い娘たちとも難なく仲良くなってしまった。

 また、学があることも認められ、暇な時などは村の子供たちに字を教えるように頼まれたりと、なかなか充実した日々を過ごすこととなった。

「ねえねえ、カレンお姉ちゃんはどうやってワタルお兄ちゃんと知り合ったのお?」

 ある日ミユは、近所の女の子たちからこんなことを訊かれた。カレンはミユの、ワタルはタクマの偽名である。

 この親切な村人たちをだますのは彼女にしてみれば心苦しいのだが、こればかりはしょうがない。

「最初はね、わたしのお父さんに紹介してもらったのよ」

「それじゃあ、お見合い?」

「ううん、お父さんの部下だった人。だからほんとにただ紹介してもらっただけよ。でも…」

「でも?」

「わたしは最初から好きだったかな?」

「うわあ、すごーい! それじゃカレンお姉ちゃんがけっこんしようって言ったの?」

「う〜ん、そうなるのかな」

「うわあ…」

 全員がどことなく憧れの目でミユを見た。

もっとも、彼女たちが考えてるほどロマンティックな雰囲気での「求婚」ではなかったが……


 その、妻から求婚された、ある意味情けない夫は、その日の仕事を終わらせ、家路を急いでいた。

 彼にしてみれば当初、この結婚は形だけのつもりだった。

 彼はもちろんミユを女性として愛してはいたが、生まれた時からたたきこまれた主従関係の枠を抜け出すことは容易ではなかったのだ。ミユはあっさりと抜け出してしまったが。

 だがそんな気持ちも、この村での穏やかな生活の中でだんだんと薄れていっている。

「そろそろほんとに『夫』の自覚を持たなくちゃなあ……」

 こんなことをつぶやくのも、彼にしてみれば大進歩だった。

 そんな彼の行く手に人だかりが見えた。どうやら政府の立て札が立てられてるらしい。

 彼としては、確認せずにはいられないものだった。そっと人だかりの後ろからのぞいてみる。だが少し距離があるために見にくい。と、すぐ前にいる小柄な男がタクマに気がついた。

「お、なんだワタルじゃないか」

「あ、コガさん、こんにちは。なんですか、あれ?」

 コガは二人の近所に住む、初老の庭師だった。もう子供たちも独立して夫婦だけで二人暮しをしており、若い夫婦になにかと親切にしてくれる。

「いやなに、山賊が出るから注意しろってことさ」

「山賊ですか」

「おお、ここからちょっと離れた村がやられたらしい。お役人や護衛の軍隊も来てくれるそうだけど、一応気をつけろってことらしいな」

「そうですか……」

 タクマとしては、いろいろな意味でかすかな苦味を覚える話だった。

 新王朝は急速に体制を固めていった。それにともなって治安もよくなっている。それはつまり、新しい国がタクマが忠誠を誓っていた国より優秀だということだ。

 国が滅びる理由は、十割の確率で自分たちの悪政や暴政のせいである。直接の原因のように見える他国の侵略や臣下のさん奪などは、最後の「つけあわせ」にすぎない。

 タクマ自身、どれだけ王宮の奸臣たちに言いたいことがあったことか。だが自分の職責を越えた行為を行なうことはできなかったのだ。

 さらに、村に役人が増えるというのも好ましくない。簡単に正体が判明するとも思えないが、さらに気をつけなくてはならないだろう。

 実際に新王朝で生存が確認されているのは「タクマ将軍」だけだが、戦場を脱出する際に彼がつれていた「妹」の正体をいぶかしく思っている可能性は高いのだ。用心するにしくはない。

 不思議に思われるかもしれないが、タクマには山賊そのものに対する恐れはなかった。それはタクマが実力で山賊に対抗できるという意味ではない。そのくらい新王朝の治安維持能力は信頼できるものなのだ。

 それもまたタクマに軽い不快感を与えるのだが。

「ま、カレンちゃんにも戸じまりをちゃんとするように言っときな」

「はい、わかりました。それじゃ失礼します」

「おお、また二人して遊びに来な」

 そう挨拶すると、タクマはその場を離れた。

「カレンにちゃんと言っとかなきゃな……」

 それはコガがしてくれたのとは違う内容の注意のつもりだったが、一緒にコガの注意も妻に告げておこうと考えなおすタクマだった。



   三



 その日の夜、二人だけの、あたたかい雰囲気の夕食が終わり、カレンことミユが食後のお茶を淹れた。

「カレンもすっかり庶民の食事に慣れたみたいだね」

「ええ、でももともとこういう食事の方がわたしに合ってるみたいです。あの頃の食事よりおいしい」

「そうか、そいつはよかった」

 微笑みながら、ワタルことタクマはミユが淹れてくれたお茶を、おいしそうにすすった。

 同じように茶碗を持ったミユが、ふと思い出したようにつぶやいた。

「そういえば、ハッちゃんどうしてるでしょうね」

蜂鹿ハチロクか……」

 蜂鹿号は、白い馬体に脚だけが黒いタクマの愛馬である。その名の通り、鹿のように軽妙に動き、蜂のような攻撃力を備えた、類まれな名馬だった。

 彼の初陣以来、一緒に幾多の戦場を駆け抜けてきたかけがえのない戦友なのだが、彼らがこの村に入る前に放したのだ。

「一緒に連れていきたいんだが、お前はあまりにも特徴があって目立ちすぎるんだ。勝手を言ってすまない。ここで別れよう。このまま野生馬として生きるもよし、新しい主人に仕えるもよし。お前ほどの軍馬なら、野生でも充分に生きてゆけるし、新しい主人も大切にしてくれるだろう。達者で暮らせよ」

 タクマとミユがやさしく鼻づらをなでると、悲しげにいなないて、蜂鹿は何度も振り返りながら荒野に去っていった。

「きっと元気にしてるよ。もしかしたらきれいな牝馬を見つけてるかもしれない」

「そうですね、うん、ハッちゃんもしあわせな結婚とかしてますよね、きっと……」

 なんとなく沈黙が降りる。

 それに耐えかねたわけではないが、タクマはさっき思いついたことを、やや唐突にミユに告げた。

「結婚式、しようか」

「え?」

「ほら、おれたちそういうのする余裕とか全然なかったけど、いまはずいぶん落ち着いたし、前に村長むらおさが言ってたけど、そういう催し物って村では歓迎されるって言うし、世話になってるみんなにお礼の意味も兼ねて……」

 言いながら少し照れくさくなり、それを隠すように饒舌になったタクマの舌が、突然止まった。

 ミユがうつむいて泣き出したのだ。

「カ、カレン?」

「うれしい……」

「え?」

「ワタルさん、わたしとの結婚いやがってると思ってたから…」

「ど、どうしてそんな…」

「だってずっとわたしのこと、奥さんとして見てくれなかったもの…どこかしらよそよそしくて…」

「そ、それはだって…」

「わかってる、わかってるけど、でもわたしはもう王女なんかじゃない。一人の村娘だもの、ミユじゃなくてカレンだもの。だから…」

 ここまでしゃくりあげながら言うと、ミユはまたうつむいて顔を手で覆い、そんなミユをタクマはやさしく、だが力強く抱きしめた。

 タクマは激しく後悔していた。自分のつまらないこだわりのために、ミユをこんなに苦しめていたとは思いもしなかった。

 なにか言おうと思うが、結局出てくる言葉はこれしかなかった。

「ごめん…」

 そんなタクマに、ミユはその胸に顔をうずめたまま首を振る。

「いいの、これからはずっと夫婦でいられるんだから… ここでずっと一緒に…」

 と、突然ドアがたたかれた。小さな音だったが、二人をハッと引きはがすには充分だった。

 なんとなくバツが悪そうに笑いあうと、ミユは涙をぬぐいながらドアへ向かい、タクマは椅子に座りなおした。

「はーい、どちらさまですか?」

「こんばんは、カレンお姉ちゃん」

 ドア越しに小さな女の子の声がする。

「あ、エラちゃん。ちょっと待ってね」

 あわててドアを開けると、そこには小さな器を持った五歳くらいのおしゃまな感じの女の子が立っていた。

 エラという名のその少女はミユの教え子の一人で、四人姉妹の末っ子だった。彼女の母親は、ミユにとっては料理の師匠でもある。

「こんばんは、エラちゃん。どうしたの、こんな遅くに?」

 しゃがみ込んでエラと目線を合わせると、ミユはやさしく問いかけた。だがそれに答える前に、エラは怪訝そうに問い返してきた。

「カレンお姉ちゃん、泣いてたの?」

「え?あ、ああ、うん、ちょっとタマネギ切ってたから」

「ふ〜ん… てっきりワタルお兄ちゃんに泣かされたのかと思っちゃった」

 ミユはもちろん、中で聞いてたタクマもドキリとするようなことをさらっと言うこの少女は、ミユにタクマとのなれそめを訊いてきた少女でもある。年の離れた姉がいるため、少し耳年増なところがあるのだ。

「そ、そんなことないよ。それよりどうしたの?」

「うん、お母さんがこれ持ってってあげなって」

 そう言いながらエラが差し出した器には、あんこともち米を使ったお菓子が四つ入っていた。

「わあ、うれしい。でもいいの?」

「うん、これね、お母さんが今日作ったの。すごくたくさん作ったからおすそわけだって」

「そう、お母さんにどうもありがとうって伝えといてね。それから今度作り方教えてって」

「うんわかった! それじゃね!」

「あ、ちょっと待って。危ないから送っていくわ」

「いや、おれが行くよ。カレンも危ないからな」

 そう言いながら、タクマが玄関へやってきた。

「ううん、大丈夫! あんまり二人のジャマしたらわるいから!」

 そう言い残すと、エラはすっかり濃くなった夕闇の中へ走っていった。

「……なんというか、負けるな、あの子には」

「そうですね」

 ドアの前に並んでエラを見送りながら、やられっぱなしのタクマは苦笑し、ミユはおかしそうに笑う。そしてその笑いをおさめると、ミユはポツリと言った。

「わたしもあんな子供が欲しいな…」

 こんなことをミユがタクマに言うのは初めてのことだった。「夫婦」でありながら、それくらい気を使っていたのである。

 昨日までのタクマなら、こんなことを言われたらどこか困ったような顔をするところだが、そんなミユの気持ちがいまはわかっているし、さっき告げたこともある。

 だから自然にうなずくことができた。

「うん、そうだね…」

「これからずっとここで暮らして、子供を育てて、ずっと静かに…」

「うん…」

「ワタルさん…」

 そっとタクマの肩に頭を寄せるミユ。その頭を軽くなでようとするタクマの動きが突然止まった。

「……ワタルさん?」

 怪訝そうにタクマを見上げたミユが見たのは、緊張した夫の表情だった。

「……なんだ…?」

 つぶやくタクマは、いまとなっては懐かしい、だがもう経験することがないと思っていた感覚に支配されていた。

 悪意や戦意が無秩序に混在して、圧するように迫ってくるこの感覚。戦場で何度も味わった感覚だった。だが戦場で感じるそれより、粗野で残忍な要素が多い。

「これは……!」

 思いいたったタクマは、突然外へ走り出した。

「ワタルさん!?」

「カレンは家に入ってるんだ!」

 そう言い置くと、もう振り返らずに走りつづける。


 タクマたちの家は、村の端の方にあるのだが、その反対側の端へ向けて彼は走った。その方向から、彼はなにかを感じたのだ。

 それほど広くない村を縦断すると、彼はいま感得したものの正体を見つけた。見つけたくもないものだった。

 家々が炎を上げ、人々が悲鳴をあげながら逃げ回っている。それは炎からのがれるためだけではなかった。彼らを追いまわす人馬の影があるのだ。

「山賊……!」

 知らせがあった山賊が、軍隊が到着する前に襲ってきたのだ。迅速な行動だが賞賛する気にもならない。

 巻き上がる炎の中、子供の手を引いて必死に逃げる母親がいる。年を取った母親を背負って、懸命に脚を動かす男がいる。手に手を取って、あえぎながら走る老夫婦がいる。

 そんな人々を、馬に乗って叫喚を挙げながら追い立て切りつける山賊たち。まさに地獄絵図だった。

 その信じられない光景をやや呆然とながめていたタクマの耳に、女の子の悲鳴が飛び込んできた。

「やだあ〜!」

 振り向いた彼の目に、山賊の一人に追い立てられる少女の姿が映った。

「エラちゃん!?」

 山賊の一部は他の場所からも侵入していて、タクマたちの家へおつかいに来ていたエラが運悪く見つかってしまったのだ。

「子供まで狙うか!?」

 叫びながら、タクマは近くにあったすきを握ると、槍投げの要領でエラを狙う山賊へ投げつけた。

 が、一瞬遅かった。エラの背中に山賊の刀が達するのと同時に、タクマの鍬が山賊の右手に刺さる。

「きゃああああ!!」

「ごああ!」

 エラと山賊の悲鳴が同時にタクマの耳に届く。落馬する山賊には目もくれず、タクマは倒れこんだエラに駆け寄った。

「エラちゃん!エラちゃん! しっかり!」

「エラちゃん!」

 聞きなれた声が、さらにタクマの耳に飛び込んできた。

「カレン…」

「エラちゃん、しっかりして!」

 タクマのただならぬ様子に胸騒ぎを感じたのだろう。ミユはタクマの言いつけを破って後を追ってきて、そして惨劇を目撃したのだ。

 ミユはそのままタクマのそばにしゃがみ込むと、その腕からエラを受け取り、背中の傷を確かめる。

 エラをミユにまかせたタクマは、落馬して脚を怪我したらしく、這うようにその場から逃れようとする山賊に近づくと、拾った刀の平でその顔面をなぐりつけた。

「がっ!」

 悲鳴を上げる山賊を冷ややかに眺めながら、その喉元に剣先を突きつけると、タクマは表情に劣らず冷ややかな声で尋ねた。

「何人いる」

「…………」

「お前らは全部で何人いるのかと訊いているんだ」

「…………」

「答えなくても構わない。お前を殺した後、別のヤツに訊くだけだ。だが答えたら命だけは助けてやる」

「……お前なんかが、おれみたいにドジを踏んだヤツ以外を捕らえられるもんかよ」

「それはそうかもしれんが、いまお前を殺すことは確実にできるぞ。その程度はわかるだろうが。どうする、ここで犬死にするか?」

 タクマの、単なる村人以上の迫力に飲まれ、ついに山賊は降伏した。

「……二十八人だ」

「それはお前らの全員か? それとも他に仲間がいるのか?」

「……全員だ」

「頭はどんなヤツだ。名前は?」

「名前はザカール。でかい図体で頭に赤い布を巻いている」

「そうか」

 そこまで聞くと、タクマは突きつけていた刀をそのまま突き通した。

 喉と口から血を吹き上げながら倒れこむ山賊の、口が利けたら確実にしたであろう質問にタクマは答えてやった。

「子供を後ろから切りつけるようなヤツとの約束を、どうして守らなきゃならない」

 そのまま死体は放っておき、タクマはミユとエラの方へ駆け戻った。

「どうだ、カレン」

「ええ、傷は浅いです。大丈夫、命に別状はないです」

 応急処置をすませたミユが心配そうなタクマに応じた。

「そうか、よかった…」

「でも、傷は残ってしまうかも…」

 ミユの声が沈む。それを聞いたタクマの表情も暗いものになった。

 と、突然彼らを照らす炎の光がさえぎられた。

 ハッとして顔を上げた彼らが見たものは、懐かしい、勇猛な戦友の姿だった。

「蜂鹿……」

「ハッちゃん……」

 一瞬、タクマとミユはどうして彼がここにいるのかわからなかったが、すぐに理解し、その理由に感動した。

 彼はずっと村の外れで暮らしていて、彼の主人たちを見守ってくれていたのだ。そして村の異変を見つけると、すぐに駆けつけて来てくれたのだ。

「ありがとう、蜂鹿……」

 小さくいななく愛馬の鼻づらをなでると、タクマはミユとエラを蜂鹿に乗せ、自分もその背にまたがった。

 鞍がないため多少安定感は欠くが、それでもエラの傷に響かない程度の速度で走ってゆく。

「こういう時のための避難場所は決められていたよな」

「はい、村はずれの洞窟です」

「よし、そこへ行こう。きっと避難してきた人たちがいる」

「はい」

「それから……出立の覚悟をしておいてくれ」

 タクマの声に沈痛なものが混ざり、ミユも表情を硬くした。

「……村を…出るんですか…?」

「……ごめん、ヤツらを放っておけない」

 タクマは決心していた。山賊を退治することを。

 そのためには彼の武勇を使わざるをえず、それは容易に新王朝の役人の疑惑の的になるだろう。

 もうこの村にはいられなかった。

「……わかりました、当然です。それでこそわたしの夫です」

 これから手に入るはずだったしあわせの数々を、ミユは一筋の涙と一緒に流し去り、健気に微笑んだ。

 それを見て、タクマはもう一度喉から押し出すような声で、自分の非力さを謝った。

「ごめん……」

「ワタル……タクマさんのせいじゃないんですから、謝らないでください」

 また健気に微笑むミユに、もうタクマはなにも言うことができなかった……



   四   



 派手な音を立ててドアがはじけ飛ぶ。

「……なんだ、じじいとばばあだけか。たいしたもんはなさそうだな」

 山賊の一人が、初老の庭師夫婦の家に押し入ってきたのだ。

「で、出てけ!お前らにくれてやるものなんぞ、ひとつだってあるか!」

 老いた妻を背にコガは山賊をにらみつける。だが山賊はそんなコガを冷笑した。

 なにも言わずに剣を振り上げ振り下ろそうとする。問答の時間すら惜しいということだろう。

「ひっ!」

 コガとその妻は、思わず目を閉じた。しかし、いつまでたっても剣が来ない。

 おそるおそる目を開けてみると、胸から剣をはやした山賊が、悲鳴を上げる間もなく絶命していた。

 驚くコガ夫妻の前で胸の剣が引き抜かれ、山賊が音を立てて倒れる。

 その背後にあったのは、村にひとつだけある武器倉庫から拝借してきた軽装騎兵の甲冑を着け、剣に付いた血を振り払う中背の男の姿だった。

 しかし炎が背後から照らしているため、顔はわからない。

「あ、あんた、いったい……」

 それには答えず、軽装の騎士は「はやく逃げて」と小さな声で言うと、すぐにその場を去っていった……


かしら、マーカスとウディが見当たらないですぜ」

「コールとカンディもです」

 炎に包まれた村の中で山賊たちは、奇妙な違和感の中にいた。

 完全に官憲のふいをつき、奇襲に成功してこの村を支配し蹂躙していたはずなのに、幾人かの仲間が行方不明になっているのだ。

 恰幅のいい体にこわもての髭をたくわえ、頭に赤い布を巻いた山賊のリーダー、ザカールも、村の中心にある集会場を兼ねた広場に馬を立てながら、なんとも言えない不安が湧いてくるのを押さえられなかった。

「頭、もしかしたら軍隊がいるんじゃないっすか……?」

「いや、それならもっと大々的に攻撃してくるはずだ。こんないるのかいないのかわからないようなやり方はしてこないはずだ」

「それじゃいってえ……」

「とにかく一回全員集めろ。どうするかはそれからだ」

「ヘイ!」

 命令された山賊の一人が、笛を吹き鳴らした。その音を聞いた山賊が、ぞろぞろ馬に乗って集まって来る。だがその数は激減していた。

「おい、たったこれだけか!?」

「ひい、ふう、みい……十四人!? なんだよ、そりゃあ!?」

「他のヤツはどうした!? 一体なにがあったんだ!?」

 次々と不審を口にする山賊たち。だが、それに答えられる者はここにはいなかった。

 炎が吹き上がり、それにあおられるように風が巻く中、山賊たちはうそ寒い気分をぬぐいさることができない。

 と、そこに遅れて馬の蹄の音が近づいてきた。

「お、もう一人いたか。どいつだ!? マシューか!? アンドロスか!?」

 少しほっとしたようにまだ来ていない仲間の名を呼ぶザカール。だがそれは、彼らの仲間ではなかった。

 あらゆる赤と朱の色が乱舞する広場に現れたのは、白と黒に彩られた駿馬と、鞍上に槍を横たえ、右手に剣を、左手になにか大きな袋を二つ持った中背の軽装騎士の姿だった。炎にあおられたその姿は、山賊である彼らの誰よりも小柄であるのに、彼らの誰よりも威圧感に満ちている。

「だ、誰だ、てめえ!?」

 山賊が頭であるザカールを守るように、騎士の前に立ちはだかる。その一団から十メートルほど離れた位置で、騎士は止まった。

「誰だっていってんだ!答えやがれ!」

 山賊の一人が声を張り上げる。だが騎士はそれを完全に無視して、冷厳な声でぽつりと言った。

「十四人か。ふん、数は合うな」

「なんだあ!?」

 とりあえず大声を出せば相手がおじけづくと思うのが、自分より弱い者としか戦ったことがない人間の通弊である。だが、いま彼らの前にいる騎士は、そんなものは歯牙にもかけなかった。

 うるさそうに体を揺すると、手にしていた大きな小麦袋を彼らの前に放り投げる。地面にぶつかって口が開き、なにか固まりがいくつも転がり出て来た。

 それがなにか山賊たちにはすぐにはからなかったが、炎に照らされたその正体に気づくと「うっ!」と小さくうめいた。

 それは彼らの仲間の生首だったのだ。

「数は十四、ちょうど半分だ。なんなら確かめてみるか?」

「やろおおお!!!」

 仲間を殺された反動と騎士の挑発に乗せられた十人ばかりが、彼らの仲間の仇へ突進してゆく。

 怒涛のようなその人馬の群れに、普通の人間だったら恐怖のあまり立ちすくむか、一目散に逃げ出すかのどちらかしかできないだろう。

 だが、騎士は普通の人間ではなかった。

 剣を構えなおすと、恐れの色もなくそのまま山賊の群れに突っ込んでゆき、正面から激突した。

 が、その場に残ったザカールを始めとする四人は、次に展開された光景に我が目を疑った。

 軽装騎兵の男が、おのおのの剣を振り下ろす彼らの仲間たちの体をすり抜けたように見えたのだ。

 もちろんそれは錯覚だった。騎士の神技に近い操馬術が、最小の動きで彼らの隙間をすり抜けたに過ぎない。

 だが次の光景は神ではなく、悪魔の仕業としか思えなかった。

 必殺の突進をよけられ、憤怒の表情で反転してくるはずだった十人が、まったくそのそぶりを見せず、そのまま走ってゆく。

 彼らの首が胴から離れ地面に落下したのは、そのすぐ後だった。

 馬にまたがった十個の首なし死体が、血を吹き上げながら首の後を追って馬から次々と落ちていった。

 騎士は、そのままゆっくりと残り四騎の山賊へ向かって愛馬を歩ませてゆく。

「あ……あ……」

 ザカールを含めた四人は、神と悪魔の技を持つ騎士に威圧され、その場に立ちすくんだ。

 騎士の背後には、彼らが点けた炎が巻き上がっている。だが騎士の鋭い瞳には、それに劣らない炎がゆらめいていた。

 それを点けたのも彼らであるが、その炎は彼ら自身を焼く業火となっていた。


 騎士――タクマは、彼らをこの場で全滅させるつもりだった。

 一人でも残せば、また仲間を募って村に報復しにくるかもしれない。そんなことをさせるわけにはいかなかった。最初の山賊に人数を聞いたのはそのためである。もっとも残党がいたとしても、その連中も退治してから旅立つつもりではいたが。

 タクマは、山賊や盗賊のすべてを憎悪するわけではなかった。戦乱が長く続くと、田畑は荒れ、商業は寸断され、他人を襲う以外に食っていく術がなくなってしまうことが多い。

 もちろん襲われる方にしてみれば、どんな理由があろうともたまったものではないが、タクマはこれまでずっと、戦乱を起こし、民草に迷惑をかける側にいたのだ。一方的に彼らを責める資格はない。

 しかし新しい王朝のもと、産業や商業は急速に安定し、真っ当な仕事は世にあふれかえるようになった。

 それなのにいまだに山賊などをやっている連中は、弱者を踏みつけにすることをなんとも思わない、どころか喜びを覚えるような輩なのである。遠慮をする必要はなかった。

 だが、いまのタクマを突き動かしているのは、こういう理屈だけではもちろんない。

「よくも村人を何人も何人も殺しやがったな、よくもエラちゃんを後ろから斬りやがったな、よくもミユのしあわせを壊しやがったな!」

 口には出さないが、表情で山賊の残党にそう告げつつ、タクマはゆっくりと彼らに近づく。

 山賊たちもすぐに逃げればよさそうなものだが、タクマが発する威圧感に圧倒されて、一歩も動けないのだ。

 山賊たちにしてみても、幾つもの修羅場を越えてきてはいる。だが、いま彼らが対峙しているのは、たった一人で主君の娘を連れて戦場を突破してのけるような、時代に冠絶する勇者なのだ。山賊風情が対抗できるものではなかった。

 しかし、山賊とはいえリーダーをやっている者はそれなりの精神力を持っているらしい。

 空気自体が重さを持ったような圧迫感からどうにか脱すると、ザカールは愛馬を駆ってタクマに向かって――来なかった。

 恐るべき敵に背中を向けると、一目散に逃げ出したのだ。手下を見捨てて。

「か、頭!」

 そんな頭の姿が、彼らの金縛りを解いた。が、彼らを焼き尽くす業火は、剣の形を取って、すでに彼らのかたわらまで迫っていた。

 一閃。ただそれだけで残された三人の首は宙を飛んだ。

 そしてタクマは鞍上の槍を手にすると、必死で逃げる大柄な男へ撃ち出すように投げつけた。

 ほとんど投げた瞬間に、タクマの槍はザカールの胴を貫通し、山賊の首領に断末魔の悲鳴を挙げる余裕すら与えなかった。

 馬から落下したザカールが地面へ激突する音、それは彼の人生が終わったことを示す音であり、「カレン」と「ワタル」の人生が終わったことをあらわす音でもあった……



   五



 炎上する村を遠くにながめながら、避難場所の洞窟に村人が集まっている。来ていない者も数多く、洞窟には不安と悲哀が満ちつつあった。

 その中でミユは、親が来ない数人の子供たちを抱きしめながら、夫が帰ってくるのを待っていた。

 幸いなことにエラの母親は無事だったので、彼女は母親の腕の中で、やや苦しそうだったが穏やかな寝息をたてることができた。

「カレンお姉ちゃん……」

 ミユの腕の中にいた一人の少女が、不安そうに彼女の名前を呼んだ。

「大丈夫よ、朝になったらきっとお父さんとお母さんがむかえに来てくれるからね」

 その可能性が低いことはミユにもわかっていたが、そう言うしかなかった。

「誰か来たぞ!」

 洞窟の外で見張りをしていた男が声を上げた。

「誰だ!?」

「わからん、だが馬に乗ってるみたいだ」

 それを聞いて、ミユは腰を浮かせた。

「お姉ちゃん……?」

 抱きしめられていた子供たちが不安そうな声を出した。

 そんな彼女らを見て、ミユは一瞬、どんな目に合おうともここに残りたいと思った。

 だがそうすればしたで、村の人たちに迷惑をかけることになりかねない。

「王女をかくまった」として処罰される可能性もあるのだ。

「ちょっと待っててね」

 そう無理に微笑むと、ミユは洞窟の入り口へ向かった。

 ちょうどそこへ、蜂鹿号にまたがったタクマが到着した。

 現れたミユに少し悲しげに微笑むと、タクマは出てきた村長へ向き直った。

「村長」

「おおワタルか! 無事でよかった。どうしたんじゃ、その格好は?まさかお前……」

 それには直接答えず、タクマは蜂鹿から降りると、四つに増えた小麦袋を村長の前に置いた。

「……これは?」

「襲ってきた山賊の首です。全部で二十八、全員に賞金が懸けられてるはずですから、村の再興の足しにしてください」

「……なに!?」

 あわてて袋の口を開けて中を確認しようとする村長を、タクマは静かに制した。

「子供もいます、後にしてください。それから……みなさんにお別れを告げたいと思います」

「なに?」

「訳あって、ぼくら夫婦はこの村にいられなくなってしまいました。今日これから旅立ちたいと思います」

「な、なんじゃと!?」

「お、おいワタル!? そりゃ一体…… い、いや、それよりお前……」

 狼狽したようにタクマに迫ってくるコガだったが、目の前にいるさびしそうな表情をした男が、彼が知ってる「ワタル」ではないことを、もう察していた。

 その他の村人たちも、次々とタクマに迫ってくるが、タクマはなにも答えず、

「それはぼくらからの餞別みたいなものです、みなさんにはお世話になりっぱなしでしたから… それから勝手なお願いを聞いてもらえれば、ぼくら夫婦は山賊に襲われて死んだと役人には報告してください。……それじゃ行こう、カレン」

「カレンお姉ちゃん!」

 タクマにいざなわれてそちらへ向かおうとするミユのスカートを、幾人かの子供がつかむ。

「カレンちゃん!」

 村の女たちも彼女の周囲に集まる。

「カレンちゃん、一体なんだっていうの!? どこに行こうっていうの!?」

「カレンお姉ちゃん、行かないで! 行っちゃやだよ! お母さんもいないのに、カレンお姉ちゃんも行っちゃうの!?」

 ミユは……なにも言えなかった。

 そしてその、泣き出す寸前というだけではないミユの表情を見て、女たちも子供たちも、なにも言えなくなってしまった。

 ミユは黙ってタクマの方へ向かい、その手を借りて蜂鹿の背に腰かけた。そしてその後ろにタクマがまたがる。

「それじゃみなさん、お元気で。本当にありがとうございました」

「……さよう……な…ら」

 ミユも懸命に別れの挨拶をした。涙が後から後からこぼれてくる。どうしようもなかった。

 蜂鹿はゆっくりと歩き始め、そしてだんだん速度を上げていった。

「ワタル!」

「カレンお姉ちゃ〜ん!」

 その声にも振り返ることなく、ミユとタクマは夜の闇の中へ消えていった……



 月のない夜の中を、二人と一頭は静かに歩いていた。

「また、三人だけになっちゃったな… あの時と一緒だ…」

「ううん、違います」

「ん?」

「あの時のわたしたちは主従でした。でもいまは…」

「うん、そうだな…」

 妻は夫に寄り添い、夫は片手を手綱から離し妻を抱き寄せた。



 月のない夜の中を、二人と一頭は静かに歩いていった……



   





おわり






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― 新着の感想 ―
[一言] 拝読しました。 バッドエンドを心配しながら読み進めましたが、別れはあっても発展的なものだったので、ホッとしました。 ありがとうございました。
[良い点] 文章が簡潔で読みやすく、私好みでした。ストーリーも読後がさわやかでよいと思います。恋愛要素のあるヒロイックファンタジーとして、楽しく読みました。 [気になる点] 悪いところではないのですが…
[良い点]  迫力のある描写とラストの読後感が凄かったです。
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