表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面影  作者: 槇野文香(まきのあやか)
8/24

第八話

 麗様から頂いた扇は、あの方の移り香のする扇だった。

 最後の別れの、あの麗様の顔が扇を見ると思い出されてならなかった。

「この頃は気もそぞろですね」

 私の稽古を見ていた小夜様が言った。

「今日の稽古、何だか気が抜けているように思えます」

「申し訳ございません」

 私は自分の心の乱れを恥じた。

「まるで恋煩いでもしているように見えます」

「御冗談でしょう。私にはそんな暇はございません」

 私は木刀を下におろした。

「そなたは、女子のことばかり考えているのではないか」

 小夜様が皮肉っぽく言った。

「決してそのようなことはありません」

 そう言いながらも、私は自分の顔がほてってくるのを感じていた。

 小夜様は私よりもだいぶ年上であるため、感がいいようだった。実際、私は道ならぬ思いを断ち切ろうともがいていた。あの日の再会のとき、思わず麗様を抱いてしまった。別れてからも、あの時の麗様の姿を愛おしく思い出してしまうのだった。


 夏の入道雲が空にあった。厩で馬の背をなで、その様子を見ているときだった。小夜様がいらした。

「明綱、私はこれから馬で遠乗りをしたいと思う。そなたもついてまいれ」

「小夜様、残念なことにこれより用がございます」

「そのようなこと、後にすればよい」

 とあっさりと小夜様が言った。

「小夜様がそうおっしゃるのならば、お供いたします」

 私はしぶしぶ小夜様のお供をすることにした。

 小夜様はかなり馬をとばした。はるか目の前に行く小夜様の馬を、私は自分の馬にむちを打ちながら、懸命に追いかけた。やがて川に近づくと、小夜様はようやく馬を止めた。

「ここで馬を休ませましょう」

 川で馬たちに水を飲ませたあと、近くの木に繋げた。水面が陽に反射して、きらきらと立ちのぼるように輝いていた。

「明綱、私たちも休みましょう」

 と小夜様は言うと、包みを差し出した。

「むすびですよ。お食べなさい」

「これはかたじけない」

 私たちは川べりに座り、むすびを食べた。

「何かあったのですか。この頃様子が変でしたよ」

「そうでしょうか。別段、何もございませんが」

 私はむすびを食べながら言った。何故、そんなに私のことを気にかけるのか、小夜様が鬱陶しく思われた。

「聞きましたよ。佐々木家の麗様とそなたのこと」

 と小夜様が急に言った。私の心臓が強く打ち始めた。

「忘れられないのですね」

「とんでもない」

 私ははっきり言った。

「忘れられないも何も。麗様と私は何もございません。あらぬ噂を本気になさらないで下さい。第一、あの方は兼忠殿という夫がいる身。私とは関係ありません」

「そなたがそう思うなら、それでいいのですが」

「誓って、それが真実です」

「それなら、聞いていいですか」

 小夜様は真顔で言った。

「私のこと、どう思います」

 小夜様の目は私をじっと見ている。私は返答に窮した。

「本当に鈍い人ですね」

 と小夜様は言うと、立ち上がった。

「明綱、もう帰りましょう」

 小夜様は馬に乗ると、館を目指した。

 小夜様はさっぱりとしたご気性だったので、女性としてはあまり気かけてはいなかった。でも、あのときの小夜様は一人の女だった。

 それから私と小夜様は変わらなくしていた。

 夕時、私が自分の部屋に一人いると、小夜様の侍女のお菊殿が来てこれをどうぞと、新しい着物を差し出した。

「小夜様からです。小夜様が縫われたのですよ」

「えっ、小夜様がこれを」

 どういうことかと私は思った。

「あなたの着物がほころんでいたからです」

 あの小夜様が縫い物をされるとは、信じられない気がした。

「それは、しかし、頂いていいものでしょうか」

「小夜様のお心遣いを拒むおつもりですか」

 侍女がむっとした顔で言った。

「いや、そんなつもりは、ただ申し訳ないと思いまして」

「ただしこの事は、あなた様の胸におさめておいて下さい。小夜様にもお礼を言わなくても宜しいそうです。他の者に気づかれたら困るからです」

「誠に、お気遣いいただき、ありがたき所存。小夜様にはお礼を申し上げて下さい」

 私はお菊殿に礼を言い、頭を下げた。

「小夜様にお伝えしておきます」

 と言うとお菊殿は部屋を出て行った。小夜様のお気持ちはありがたいものだったが、小夜様には、これからどう接すればよいのか迷うところだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ