第七話
佐藤家で、私は若い御家来衆に剣術を教えることになった。この時代、激しい領地争いが起こり、強い者が弱い者をねじ伏せる下剋上の時代へと入っていた。
その日も朝から激しく稽古に励んでいた。
「この頃は剣の稽古に熱が入りますね」
ひとりの女人がそこに現れた。
「これは小夜様」
稽古をしていた数人の御家来衆が跪いた。私もその方が小夜様とわかり、木刀を置きその場に跪いた。佐藤家には何人かの姫君がいたが、小夜様は嫁いだ先から実家にお戻りになった姫君だと聞いていた。
「そなたが明綱か」
小夜様は私を見て言った。
「はい、この度、佐藤家にお仕えすることになりました佐々木明綱でございます」
「噂にたがわぬ剣裁きですね。関心いたしました」
「どうです明綱。私と勝負してみませんか」
と小夜様が言った。
「それはできません。お怪我でもしたら困ります」
私はすかさず言った。
「それはどうでしょう」
「常春様に叱られます」
「父上は剣に励むことを怒るなどということはありません」
と小夜様は言うと、もうたすきをかけ、傍らにいた侍女に稽古用の木刀を用意させていた。
「それではまいりますぞ」
打ち込む用意をしている。私は致し方なく木刀をかまえた。
「やあ」
と小夜様は声を上げると、意外にも素早い動きで木刀を振りかざしてきた。油断があったため、その木刀は私の袖をきった。すぐに体をそらしたが、小夜様は激しくついてきた。それを強くはらうと、小夜様の木刀は手を離れ、空中に高く上がると地に落ちた。
「失礼いたしました」
私は一礼をした。
「最初すきがありました。女子だとばかにしましたね」
小夜様の呼吸は荒く、手は赤くなっていた。
「申し訳ございません」
「そなたの気持ちはわかりました」
と小夜様は言うと、稽古場を離れた。
「たいへんな姫君でしたね」
傍にいた三村という御家来が言った。
「あのご気性だからなあ」
他の御家来衆もあきれたように言った。小夜様はご気性が激しいため、出戻りになったという話だった。
佐藤家での生活にも慣れ始めた頃だった。私はご領地内の市に、気晴らしに出かけるようになった。佐藤様はいろいろとご領地内の商いに気を配られ、市はたいへんな賑わいをみせるようになっていた。そのため、他のご領地からも人がやって来るようになっていた。
その日は天気も良く、市では大道芸人が踊りなどを美しく披露していた。その踊りは、この地方ではあまり見られないような雅な風情があった。多くの見物客が出て、拍手喝さいをして楽しんでいた。私も見物客の後ろの方で見ていると、ひとりの侍女らしき人が話しかけてきた。
「明綱様ですね」
見ると、佐々木家の侍女である美代殿だった。
「こんなところでお会いするとは」
私が驚いていると、
「お元気そうで安心しました」
と美代殿が言いました。
「明綱様、少しお時間を頂けませんか。あなたに逢わせたい方がいます」
「私に、どなたですか」
「お逢いすればわかります。私について来て下さい」
と美代殿はそう言うと、私を案内するように歩き出した。しばらく歩き、そして小さな茶屋の奥の部屋に私を連れて行った。
「明綱様」
そこにいたのは麗様だった。
「私はしばらくして来ます」
と美代殿は言って、私たちを二人にした。
「麗様、どうなさったのです」
私は無謀なこの訪問に言葉を失った。
「明綱様、いけないとわかっていますが、お逢いしたかったのです」
「あなたはもう、兼忠殿の妻です。お逢いすることできないのです」
「でも、どうしても逢いたかった。麗はいけない女です。今もあなたを慕っているのです」
それは私も同じだった。どんなに逢いたかっただろうか。私の中では、今も恋の情念は燃えていた。麗様は私の胸にすがりついてきた。私はそれを払いのけることはできなかった。
「明綱様どうしても、もう一度だけお逢いしたかった」
私は麗様を抱いた。
麗様は私に逢うために、佐藤様のご領地内に密かに従者を放っていた。
「光安様の処へ行くと言って、館を今朝出ました」
「兼忠殿は怪しみませんでしたか」
「夫は出かけています」
「兼忠殿は、私たちのことを疑っていますよ」
麗様は私の胸から顔を上げて言った。
「あの人は猜疑心の強い人です。あなたのようなやさしさがない人。私はあの兼忠様にはなじめない」
「でも、あなたの夫だ」
と言うと、私は麗様から体を離した。
「麗様、これ限り、もうお逢いしません」
麗様はうなだれた。
「これが定めですね。私と明綱様は結ばれることは許されないのです」
別れ際に、麗様が扇を私に渡した。
「私の思い出に持っていて下さい」
扇をひらくと、藤の花があった。
「これをあなただと思います」
と私が言いうと、麗様が寂しげに微笑んだ。
私は麗様が侍女とともに去っていく姿をずっと見送った。これが本当の別れだと自分に言い聞かせながら。