第三話
私がいつものように、剣の稽古を庭先でしているときだった。麗様が突然いらっしゃった。
「明綱様、この頃、お話することがあまりないですね」
私は剣を振り下ろしてから言った。
「剣の稽古が忙しいのです」
「でも、以前はよく母上様と私のいる奥にいらしたのに」
私は麗様をまともに見ることができなかった。私の心を知られたくなかった。かえってそっけない素振りで気持ちを隠そうとしていた。
「この頃、母上も様子が良くなく、伏せがちです」
「存じております」
そのため、信明様も奥方様のことを気にかけて顔が曇りがちだった。
「私は寂しい。明綱様が元服してから遠くになってしまった気がします。子供の頃はよく遊んで下さったのに」
「もう、子供ではないのです。やるべきことがあるのです」
私はまた、剣をかまえ始めた。
「それならよろしいです」
麗様は多少怒られたようで、そのまま立ち去った。後には、麗様の香の香りが残されていた。
麗様は母君が病に伏せがちのため、近くの神社へ病気平癒の祈願のため、しばし参拝していた。いつもは侍女がお供をしていたが、ちょうどその日、侍女は別の用事で使いに出ていた。また、このところ不穏な者の出没があったため、信明様が私に供として麗様について行くように命じた。
「宜しく頼む明綱」
と信明様が言った。私は躊躇して、顔をそむけた。
「どうしたのじゃ、明綱、この頃そなたがつれないと麗が怒っていたぞ」
と信明様が言った。
「いいえ、そんなことはありません」
「そなたと麗は兄妹も同然だ。そうであろう」
「申し訳ございません。わかっております」
私は顔を伏せてそう答えた。
麗様の後から私はついて行くことになった。
私たちはあまり言葉を交わさなかった。初夏の頃で、空高く鳥が舞っていた。
麗様は市女笠をかぶり、その歩く姿は、私には眩しく感じられた。
神社で無事参拝を終え、帰り道の半ばほどのところで麗様が足を止め、後ろを振り向いた。
「今日は本当に良き一日でした」
と麗様が言った。
「誠に、天気も良く、無事参拝できたことは良きことです」
と私は動揺しながらも答えた。
「それにこうして明綱様に見守られて、麗は安心できました」
そして麗様は続けて言った。
「これからも、こうして二人で歩きたい」
私は一瞬沈黙した。
「それはできません」
「なぜ」
「なぜと言われても、そんなことはできません」
麗様が顔を膨らませて、私を睨みつけた。
「さあ、帰りましょう」
私のほうが先に歩きだした。麗様は下を向き、市女笠に顔を隠し、どういう表情なのかわからなかった。
それ以来、私と麗様は言葉を交わすことはなくなった。
信明様の奥方様のご容態は、秋を迎えて悪くなる一方だった。そして、冬の初め頃お亡くなりになった。
信明様、麗様の悲しみは深く、佐々木家自体まるで死んだような静まりかただった。私も奥方様の慈愛によって成長できた身だったので、信明様、麗様共々、悲しみをかみしめていた。
ある日のことだった。その日の月は格別に美しく見えた。私がひとり佐々木家の離れの私の部屋にいると、信明様が酒を持たれて入って来た。
「久しぶりにそなたと飲もうと思ってな」
と言った。月の光のせいか顔が青く見えた。私は信明様の様子から胸騒ぎを覚えた。
しばらく酒を酌み交わしてから信明様が言った。
「実は麗に縁談の話が持ち上がっているのだ」
そうか。そういう話だったのか。私は心が冴え冷えていくのを感じた。
「それは喜ばしいことでございます」
心と裏腹に私はそう言った。
「安川殿からのお話で、安川殿の重臣、長門兼行殿の御子息との縁談じゃ」
安川家はこの地では権勢を誇っていた。
「こんな良いお話はまたとないことでしょう」
と私は言った。
「そなたはそれで良いのか」
と信明様が言った。
「良いも、悪いも、麗様のご縁談に私が口をはさむことなど、できるはずもございません」
私は自分の苦しみを見抜かれまいとしてそう言った。
「そなたに聞いてみたかったのだ」
と信明様が言った。
「安川殿からの申し入れである以上、無碍にはできぬのだ。いたしかたないな。これからのことを考えると」
と信明様はそう言うと、縁談の話はやめて酒を飲み始めた。