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面影  作者: 槇野文香(まきのあやか)
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第十九話

事は早く起こった。

 信明様の法事にため、兼忠殿と麗様が一部の近習とともに菩提寺にでかけたすきに、内田道興ひきいる家臣団が武装して迎えた。兼忠殿はわずかの手勢で、反撃することもできず、佐々木家の館の門の前で追い払われた。


「以外にも簡単に、すべてのことがうまくいった」

 と常春様が言った。

「兼忠殿は、もはや何の力もなかったのでございます」

 と私は言った。しかし、これで麗様はどうなるだろう。

「兼忠は妻と一緒に、自分の実家に逃げ帰ったようだ」

「それでは、長門家にいるのですか」

「そうらしいな」

 麗様は一応無事。そのことに私は胸をなでおろした。だが、佐藤家が兼忠殿の追い落としに手をかした事実がわかれば、さぞかし私を恨むだろうと思った。


 このことがあってから、佐々木家を、麗様を滅ぼしてしまったという事実が重くのしかかった。

 そんな折り、円徳殿が私を訪ねて来た。

「光安様が、この度の一件で話がしたいそうです」

「私も光安様にご説明したいと思っていました」

 光安様に会うにしても、何と言えばいいだろう。私が佐々木家に弓を引いたという事実に、光安様は悲しまれていることだろう。


 その日、私が寺に行くとどなたかの馬があった。寺に入り、光安様に会うと、いつになくそわそわしていた。

「明綱、よくまいった。今日はそなたに会わせたい人がいる」

「どなたでしょう」

「こちらへ参れ」

 光安様の手招きで部屋に入った。

「明綱、麗様じゃ」

 そこにいたのは麗様だった。

「これは」

「わしは、席をはずすからな」

 光安様はそう言われて、部屋を出た。

「明綱様、お久しぶりです」

 以前にくらべてやせられたようだったが、少女の面影は消え、凛とした大人の女の美しさをたたえた人になっていた。

「いつもあなた様は、突然、私の前にあらわれる」

 と私は言った。

「もう、お逢いできない人だと思っていました」

 と麗様が言った。

 ここに、逢いたかった愛しい方がいる。だが、私は言葉がでなかった。

「私は佐々木の家を失ってしまいました」

 麗様は悲しげに言った。

「内田殿にあなたはお味方したのですか」

 私は返事ができなかった。

「あなたは佐々木家で育った人ではありませんか。なんという人でしょう」

「申し訳ございません」

 私は詫びた。

「亡き父や、私を裏切るなんて」

「これも戦国の世の習い。私は佐藤家の家臣でございます。どうかご理解下さい」

 そのとき、麗様は涙をぬぐうように、顔を袖でおおった。

「明綱様、お覚悟を」

 その瞬間、麗様は懐に隠していた短刀を私に向けた。短刀は、私の右肩あたりまできたが、すぐに、麗様の手を抑えた。

「そんなに私が憎いのですか」

 麗様は、短刀を落とすと泣き崩れた。

「そんなに憎いなら、あなた様にうたれてもいいのですよ」

 麗様は泣きながら首を振った。

「それで、あなた様はここに私をおびきよせたのですか」

 麗様は涙にぬれた顔を私に向けた。

「あなたは、この度のことを手柄にして、佐藤様のご息女の小夜様と婚儀を執り行うそうですね」

「誰がそのようなことを」

「明綱様、あなたには私の苦しみなどわからないでしょう」

 私は麗様を抱きよせた。

「小夜様のことは嘘でございます。私は誰もめとる気持ちはありません」

「本当ですか」

「私には、今もあなた様への想いしかありません」

 麗様はようやく涙をぬぐうと言った。

「夫の兼忠様にたばかれました。あなたが、佐藤家の小夜様と恋仲で、佐藤家のために佐々木を滅ぼしたと」

 兼忠殿はそのような嘘をついたのか。

「明綱様、お願いです。私を連れて逃げて下さい。もはや、夫のところには戻りたくありません」

 私は、麗様を強く抱いた。このまま逃げてしまえば、このひとは私のものになる。だが、

「麗様、それはできません」

 と私は静かに言った。

「なぜです」

「それは、私が武士だからです。佐藤家の家臣の私が、他人の妻を連れて逃げ去るなどということをしたら、末代までそしられます」

「私は、人になんと言われてもかまいません。あなたと生きられるなら」

「私にはそれはできない」

 それが私の生き方だった。

「それでは、もう、これきりですね」

 と麗様が言った。

「麗様、私は生涯妻をめとりません」

 と私は言った。麗様が微笑んだ。私は麗様の髪に顔をうずめた。

「あなた様のすべてを、今ここにあるすべてを忘れません」

「明綱様」

 麗様は円徳殿に送られて、兼忠殿の元へ帰って行った。

「明綱、こんなことになろうとは」

 と光安様が言った。

「戦国の世に生まれた武士の運命にございます」

 私はこの時代に生きる悲しみを感じていた。


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