第一話
「今年の雪は早い」
元御家老の佐々木明綱様がおっしゃいました。
寒い朝、戸を開けますと、御屋敷の庭にはうっすらと雪が降り積もっておりました。
「お風邪を召さないようにお気をつけ下さい」
と私は言いました。
「綾、いっしょに庭に出てみないか。雪景色もまたよいものぞ」
明綱様のお言葉ゆえ、私は草履をはき、明綱様と庭に出ました。今日は天気も良く、遠く富士山が見えるほどでした。
「今日は久しぶりに気分がいいのう」
ご高齢の明綱様はここのところ、病に伏せがちでした。なにぶん、佐々木明綱様は戦国時代を生き抜いてきた連戦練磨の武将。体中いたるところ傷だらけでございます。それが寒くなると、うずくのでございました。頑健な方でしたが、ご高齢となってくると、それも耐え難いものでした。
「殿、そろそろお部屋にもどりましょう。寒うございます」
と私はさとすように言いました。
私は佐藤家の元御家老佐々木明綱様にお仕えする侍女でございます。明綱様にお仕えして、もう二十年ほどになります。私の父は佐藤家に仕える武士でしたが、若くして戦で亡くなりました。その後、すぐに母を病で失い、私は佐々木明綱様にお仕えする身となったのです。明綱様は武勇にすぐれている上に、笛の名手でもいらっしゃいました。
「殿、久しぶりに殿の笛が聞きとうなりました」
と私は、部屋にもどると所望いたしました。
「そうか。私もこの雪を見て、そなたに聞かせたいと思ったところだ」
明綱様はそう言うと、引きずった足で静かに座ると笛を取り出しました。
「我が心のままに」
と言うと明綱様は吹き始めました。その音色はどこか、はかなげで悲しげで、心をうつものでした。
「殿の笛の音は不思議な美しさをもっております。はかなげで悲しいのに引き込まれてしまいます」
と私が言いますと、明綱様がいつになく悲しい目をして私を見ました。
「そろそろ、綾にいろいろと話さなくてはならないのう」
明綱様の言葉には何か決意のようなものを感じました。
「話すこととはどういうことでございましょう」
「そなたには苦労をかけてしまった」
と明綱様は言うと私の手を握り抱き寄せました。
「そなたとは一女までなしたのに、妻にしなかったこと詫びたい」
私は明綱様の胸に抱かれて申しました。
「とんでもございません。こうして私を引き取り、情けまでかけて下さったこと嬉しく思っております」
それは本心でした。
「そなたが哀れだった。しかし、私は妻をめとらぬと決意する理由があったのだ」
「それは」
確かに、この方の妻になれたらと何度か思ったことはありました。でも、明綱様とは身分の違う身でもあり、しょせん許されざることとわきまえておりました。
「そなただけには知ってほしい。私の事を。そして、この私を許してほしい」