表参道【3】
「……やりすぎだろ」
『渋谷流』の取調べの一部始終を見学した高崎が率直に感想を述べた。
「どうするんだよ、あれ。あんなの見たら、弁護士が大騒ぎするぞ!」
高崎の言う『あれ』とは医務室で治療中のノブのことだ。
須藤がへし折った鼻を見れば人権派弁護士たちが山のように押しかけてくることだろう。
「騒がせておけばいいだろう」
手元の書類から目を離すことも無く、そ知らぬ顔で須藤は答える。
「弁護士が騒ぐのはいつものことだ。それが仕事だからな」
「慰謝料請求されたらどうするんだ!」
「踏み倒せ。ウチではいつもそうしてる」
「…………」
こともなげに言う須藤に、高崎の開いた口がふさがらない。
これが渋谷小隊のやり方であった。
渋谷小隊の検挙率はトップクラスだが、市民からの苦情はそれを大きく上回る。
綺麗事だけでは日本最大級の繁華街である渋谷の治安を維持できない。
ヘカトンケイルの悪評の半分は渋谷小隊のこの強引な捜査手法のせいだった。
「……だから、やめときゃよかったのに」
絶句する高崎に向かって誠士郎がつぶやく。
白い目でにらむ誠士郎の視線が痛い。
取調べが終わり、高崎たちは小隊長専用の執務室に移動した。
問題はあったが、収穫もあった。
渋谷小隊の二人は執務室にある機材を使い、ノブから得た情報を整理していた。
「……見つけたっすよ! 須藤さん!!」
執務室のパソコンに向かって黙々と作業を続けていた安田が歓声を上げる。
「よっしゃあ!!」
安田は渋谷支部に設置されたサーバーにアクセスして、住民情報を検索していた。
須藤はモニターを覗き込むと、液晶画面に浮かんだ文字を読み上げた。
どうやら誰かのプロフィールらしい。
「ソウ、……ショウザワ?……おい、何て読むんだ?」
「韮澤晴臣。表参道ヒルズの居住区画『ゼルコバテラス』の住人っす」
ニラサワハルオミ――通称ハル。なんとも安直なネーミングだ。
さらに須藤はプロフィールを読み進める。
「ええと、首都学院大学経済学部って……。大学生かよ、コイツ! 学生が住める場所じゃねぇだろ、ココ。俺より年下の分際で生意気な!」
「さすがに個人で借りているようでは無いらしいっす」
安田がマウスを操ると画面のの表示が切り替わる。
今度は不動産の登記簿みたいだ。
「……国際学生交流クラブ『フリーダム・ハーツ』?」
「所謂、インカレサークルってやつっすよ。暇をもてあました大学生達たちを集めてパーティーなんかをする、合コンクラブみたいなもんっす。サークルといっても半分、企業化しているみたいでイベント企画会社として会社登録もされているっす。かなり儲かっているらしく、この部屋も会社名義で借りてるっす」
「学生企業家って奴か? ……ケッ、気にくわねぇ。勉強そっちのけで遊び呆けている、金持ちのボンボンが!」
「データバンクによると、韮澤が東京に出てきたのは三年前。小中と地元の公立を卒業、高校時代に窃盗と暴行の前科があります」
いわゆる『上流階級のお坊ちゃま』ではないらしい。
大学生にして、企業家にして、ドラッグ・ディーラー――韮澤という男の人物像がどうにもつかめない。
「ここ数ヶ月の間に引っ越してきた住人を検索したらこいつが浮かび上がりました。良く
考えてみれば、ここはドラッグ・ディーラーの隠れ家としては最適っすよ。都心でありながらプライバシーは守られるし、周りはみんな金持ちだから顧客獲得にも困らない」
「ドラッグでしこたま稼いでいる、ってワケか? ……決まりだな」
須藤は不敵な笑顔を浮かべると、勢いよく身を起こした。
「一徳、渋谷に連絡。手の空いている者は全員、表参道ヒルズに向かわせろ! 大至急だ!!」
「あいさー!」
「到着したらその場で待機、俺たちもすぐに現場に向かうぞ! ついて来い!!」
須藤の後を安田が追いかける。執務室の扉を跳ね飛ばし、出口に向かって――
「ちょっと待て!」
駆け出す渋谷小隊の二人を、高崎は呼び止めた。
「あんたら、このまま帰るつもりか!?」
高崎の忍耐力はすでに限界に近づいていた。
いきなり押しかけ取調べ中に割り込み被疑者に怪我を負わせ――高崎でなくても怒りたくなる。
「……まあ、そう怒るな」
高崎の押し殺した声に気押されたのか、須藤は遅ればせながら礼を言う。
「今回のことは感謝してるぜ、ホント、マジで助かった。ありがとう、ありがとう」
形ばかりの謝意では足りないと思ったのか、あわてて安田が付け加える。
「そうっすね今回は俺たちの借りってことで、いずれまた別の機会に……」
「いずれじゃなくて、今すぐ返してくれ」
『……え?』
怒り心頭の高崎に不吉なものを感じたのか、二人は顔を曇らせた。
「現場にこの二人を連れて行ってもらおうか?」
高崎は有無を言わせぬ調子で言い放つと、傍らに控えていた誠士郎と司を指差した。
「……え?」
「……え?」
いきなり話を振られ、目を白黒させていた誠士郎と司は顔を見合わせると、
「えええええええええええええええええええっっっっっっっっ!!」
とりあえず絶叫した。
§§§
表参道ヒルズ。
近代建築の先駈けであった同潤会青山アパートの跡地に立てられた複合型商業施設。
表参道のケヤキ並木沿いに建てられたこの施設は、今ではすっかり東京の観光スポットとして定着していた。
商業エリアの隅々まで自然光が届くように設計された吹き抜け構造。
緩やかな勾配を描くスパイラルスロープ。
ユニークな構造の施設内に有名ブランドの店舗が立ち並ぶ。ファッション以外にもフレンチからラーメン屋まで、様々な飲食店が軒を連ねる。
観光地として、あるいはショッピングストリートとして、不動の人気を誇る表参道ヒルズ。
春休みシーズンともなると着飾った若者達で溢れかえる。
紙袋を抱えて歩く女性。観光ツアーと思しき一団。
ガイドブック片手に談笑しながら歩く少女達。
腕を組んで歩くアベック、そして
「いいか! 一斑は周辺を警戒! ヒルズから出てくる人間を徹底的にチェックしろ!」
『オオオオオオッツ!』
絶叫する黒服の男たち。
表参道ヒルズに集結した須藤率いる渋谷小隊の面々は、来客者達の迷惑も 顧みずメイン・エントランスのまん前を占拠した。
支部に連絡して呼び寄せた隊員達は約三十名、時間が無かった割によくこれだけ集まったものだ。
須藤は整列した隊員達の前で腕組みをして、満足そうに頷いた。
「二班は館内を捜索。 怪しい奴を見つけたら片っ端からしょっ引け!」
『オオオオオオッツ!!』
須藤の檄に応え、隊員達は一斉に鬨の声を上げる。
遠巻きに恐る恐る眺めていた来客者達は、突如起き上がったシュプレヒコールを耳にすると蜘蛛の子を散らすようにその場から立ち去った。
慌てて逃げ出す群衆の足音と子供の泣き声が響く。
「行くぞ野郎共! 一斑・二班は行動開始! 残りの連中は俺と一緒に韮澤の確保に向かう! 突入用装備の確認を怠るな!!!」
『オオオオオオッツ!!!』
三度上がる鬨の声を背にして、須藤は意気揚々と表参道ヒルズに突入して行った。
「……なんつーか」
黒服の一団が駆けてゆくのを、誠士郎は呆然と見送った。
「暑っ苦しい連中だな……」
「渋谷流なんでしょ、これが……」
高崎の命令で須藤たちについてきた誠士郎と司だったが、この体育会系のノリにはどうにもついてけない。
「何やってんだ、壬生! 置いていくぞ」
「はい、はい……と?」
須藤に急かされ表参道ヒルズの中に入ろうとしたそのとき、視界の隅を銀色の車体が横切った。
§§§
表参道ヒルズは多目的ショッピングモールであるが、最上階には居住スペースが存在する。
『ゼルコバテラス』と呼ばれるこの高級マンションは賃貸料も一級。高所得者しか入居することができない。
高級マンションというわりには通路は案外狭い。
須藤を先頭に隣に安田、背後に体格のいい隊員を数人従えて歩くと、いささか窮屈であった。
掃除の行き届いた廊下を進みながら須藤は後をついてくる港小隊の二人に向かって再度、確認する。
「いいか、韮澤を見つけても手を出すんじゃねぇぞ!」
「わかってますよ。……しつこいな」
うんざりとしたように司が答える。
高崎がこの二人を派遣したのは、事件を最後まで見届けるためだ。
港小隊で起きた事件を渋谷小隊が解決してしまっては面子が立たない。二人が現場に居れば少なくとも事件解決に協力したという体裁を整えることが出来る。
渋谷小隊の事件に港小隊の隊員を参加させるのは抵抗があったが、先に無理難題を押し付けたのは須藤達の方だ。無碍に断ることもできない。
韮澤の居住する部屋はすでに調べがついている。
部屋番号を確認するとチャイムを鳴らす。乱暴にドアを叩くが応答無し。ドアノブをひねると案の定、鍵がかかっていた。
「……留守のようですね?」
「居留守かも知んないぜ?」
後ろに控えていた隊員達に目配せする。
それだけで須藤の意図は十分伝わる。隊員達は持ってきた道具箱から重々しいハンマーを取り出した。突入用の破壊槌だ。
「……ちょ、ちょっと!!」
司が止める間も無く、隊員達は扉に向かってハンマーを振り下ろした。
高級マンションにはそぐわない、破壊音が響き渡る。
普段からやり慣れているのだろう。瞬く間に扉は玄関から取り外されてしまった。
「…………」
「これが渋谷流よ!」
絶句する司に得意げに語ると、無遠慮に部屋の中に入ってゆく。
「……っつ!」
須藤たちはまず、部屋中に立ち込める淀んだ空気に顔をしかめた。
次に部屋の中を見渡し、その惨状に絶句する。
奥行きがあるといえば聞こえがいいが、飾り気のないだだっ広いだけの室内。
家具といえば適当に並べられただけのカウチやソファーだけ。
その上に数人の少女達が寝転がっていた。
それでも住人の人数より家具の数が少ないのは明らかだった。足りない分は直接床に寝そべっている。
ハンマーでドアを破壊して入ってきたにもかかわらず、起きる気配も無いことから寝ているわけではなさそうだった。
まだ初春の時期であるにもかかわらず、下着姿で――中には全裸で――横たわり、ピクリとも動かない。
およそ高級マンションの一室とは思えない風景に隊員一同、呆然と立ちすくむ。
真っ先に動いたのは司だった。
嗚咽をこらえながら床中に転がる酒瓶やデリバリーの空き箱といったゴミを掻き分け、ソファーに仰向けで横たわる少女に近寄る。
「……大丈夫、まだ生きています!」
ピンクの下着に包まれた胸が上下していることからも、息はしているようだった。
しかし、健やかな寝息を立てて寝ているわけでもない。わずかに開いた瞼から三白眼が見て取れる。
少女たちは司に任せて、須藤たちは周囲の探索を始めた。
あたりをつけて足元に散らばるゴミの中を探ってみる。
食べかけのピザの間に何かが転がっているのを見つけ、拾い上げる。
「…………むぅ」
ダイヤモンド・ダスト。
見慣れた浅黄色の錠剤を見つめ、須藤は小さくうめいた。
「……とりあえず、救急車を呼びます。いいっすよね、副長?」
携帯電話を構え安田が許可を求める。
しかし有能な右腕は許可を待つことなく、速やかに119番に通報した。