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彷徨のヘカトンケイル  作者: 真先
Stage2: 表参道
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表参道【2】

 高崎が予想していた通り、応接室は大騒ぎだった。

 礼儀知らずの誠士郎に接客などできるはずがない。

 案の定、二人の来訪者と激しく言い争っていた。


「だから、とっとと帰れって言ってんだよ!」

「あんだとコルァっ!」


 一人は長身で痩身の男。

 細長い手足を振り回すたびに、黒いニット帽に押し込んだ長髪が揺れる。

 誠士郎を睨みつける凶悪な光を宿した目と、怒声を発する薄い唇は共に吊りあがっていた。


「いいから、高崎を呼んで来い! てめぇじゃ話になんねぇ!!」

「高崎さんは今取り込み中だって言ってんだろうが! 須藤!」

「須藤『さん』だろうが! 舐めた口たたいてるとシメんぞ!!」

「まあ、とりあえず。落ち着きましょうや、須藤さん」


 もう一人は穏やかな顔をした男。

 黒いブルゾンに黒いベレー帽。

 糸のような細い目が特徴的な、人畜無害を絵に描いたような青年だ。


「落ち着いてられっか! 時間がねぇんだ、一徳」

「だからってお子様相手に喧嘩したってどうにもならないっすよ。おとなしく高崎さんがくるのを待ちましょう」


 青年は長身の男をやんわりと宥めつつも、さりげなく毒舌を交えることを忘れなかった。

 その見え透いた挑発に『お子様』は簡単に引っかかる。


「……誰がお子様だってぇ?」

「よせ、壬生」


 応接室に駆けつけた高崎は誠士郎をなだめると、黒服の二人組に挨拶した。


「お待たせしました。須藤さん、安田さん」

「よう、久しぶりだな」


 須藤京介。

 二十三区屈指の歓楽街を擁するヘカトンケイル第十三小隊――通称渋谷小隊の副隊長。

 性格は短気で粗暴。渋谷小隊の実質的な現場指揮官であり、『渋谷の狂犬』の二つ名で管轄区の内外に恐れられている。


「お久しぶりっす。高崎さん」


 安田一徳。

 同じく渋谷小隊所属で、須藤の右腕。

 冴えない容貌に反してなかなかの辣腕家であり、小隊内の事務的な交渉・手続き等の一切を取り仕切る。


 漆黒の制服が示すとおり二人はヘカトンケイルの隊員だ。

 港小隊の誠士郎達とは、所属は違えども首都の治安を守るヘカトンケイルの仲間であることには変わりない。

 しかし、彼らの間には刺々しい空気によって隔てられていた。


「で、本日はどういったご用件で」

「ノブを返せ」

「……は?」

「いいから、ノブを返せって言ってんだよ! あいつは俺の獲物だ! てめぇらには渡さねぇ!!」


 港小隊代表として折り目正しく応対する高崎に向かって、須藤は有無を言わさぬ調子で詰め寄った。


「……ちょ、ちょっと一体、どう言う事なんです。俺の獲物って……」

「ノブはウチでも捜していたんすよ」


 激昂する須藤に代わり、安田が事情の説明を始めた。


「ウチって、渋谷小隊が?」

「ええ。元々、ノブはセンター街を根城にしていたケチな売人だったんすよ。ここしばらく姿が見えないと思ったら、六本木で捕まったって聞いたんで。こうやって駆けつけてきたってわけっす」

「……要するに、逃げられたってことかよ」


 先程のお返しとばかりに、挑発するように誠士郎が横から口をはさむ。


「……あンだとォッ!」

「逃げられたんじゃないっす。泳がせていたんっすよ」


 誠士郎に掴みかかろうとする須藤を遮るように、間髪いれずに安田が会話に割り込む。


「泳がせていた?」


 微妙な言い回しに引っかかるものを感じたのか、高崎が片眉をあげる。


「ええ、売人捕まえたって意味無いっすから。薬物汚染を本気で取り締まるには仲買人を叩かないと」


 麻薬ビジネスにおいて、売人は末端の人間でしかない。

 売人達を支配している仲買人を抑えない限り、麻薬汚染を根絶することはできない。


「最近、渋谷でもドラッグが随分と出回っているようなんすよ。泳がせて様子を見てたんっすが、一向に仲買人と接触する気配が無くって。そうこうしているうちに、六本木に逃げられたというわけで……」

「それもこれも、お前らが手ぬるいせいだぞ!」


 言い淀む安田の後をついで、再び須藤が高崎に詰め寄る。


「こっちで取り締まり強化しても、港小隊の管轄内に逃げちまったら元も子も無ぇ――昨日の騒動は知っているぞ。あの野郎、六本木支部の目の前で商売をしてたんだってな? 舐められてんだよお前ら!」

「何を偉そうに説教たれてんだ!」


 港小隊の防犯体制を糾弾する須藤に、誠士郎がすかさず反論する。


「元を正せばお前らがノブを泳がせていたからこんなことになったんじゃねぇか! 大物つりあげようと欲かいて、逃げられたんじゃ世話ねぇぜ!」

「犯罪者に舐められたらヘカトンケイルはお終ぇなんだよ!!」

「渋谷の不始末、こっちに押し付けようとしてんじゃねぇよ!!」

「いーかげんにしなさい!」


 延々と言い争う須藤と誠士郎の間に、司が割ってはいる。


「誠士郎、あんたちょっと黙ってなさい。重要な話ししているんだから」

「須藤さんも。話、進まないっす」

「…………」

「…………」


 司と安田に諌められ、二人は黙り込む。

 仏頂面で拗ねたように口を尖らす二人の姿は、まるで兄弟のようにそっくりだ。

 二人が黙ったのを見計らって、安田は話を再開した。


「それで、ノブは何かしゃべりました?」

「まだ何も。今、尋問している最中……」

「はぁ? まだ何も聞き出していないのかよ!?」


 あきれたように須藤が声を上げる。


「捕まえたのは昨日の夕方だろ? 一晩かけて何やってたんだ!?」

「そんなことを言ったって、夜間の取調べは禁止されているし……」

「そんな規則、律儀に守ってんじゃねぇ! もういい! 俺が訊問する。取調室はどこだ?」

「……そういうわけには」

「時間が無ぇんだよ! ノブが拘置所に送られたら俺たちじゃ手が出せない。いいから、ここは俺達にまかせろ。お前らに渋谷小隊式の訊問って奴を教えてやる」


 §§§


 港小隊と渋谷小隊は犬猿の仲であることは秘密でもなんでもなく、誰もが知っている公然の事実であった。

 大小の程度の差はあるが、担当区域が接する小隊同士には自然と軋轢が生じるものだ。

 とりわけ外苑西通りを挟んで隣接する港・渋谷両小隊の不仲は有名で、管轄区域と警備方針において何度も衝突していた。


 特に誠士郎は常日頃から渋谷小隊――とりわけ須藤に対して激しい敵愾心を抱いていた。

 若者らしい潔癖さゆえに彼らの違法ぎりぎりの捜査手法が許せないのだ。


「本当にあいつらに任せていいんですか?」


 取調室の外で高崎、司、誠士郎の三人はガラス越しに中の様子を窺っていた。

 ガラスの向こうでは取調べを中断してほっとかれたままのノブが退屈そうにパイプ椅子に座っている。

 もうすぐ取調べが始まる、というのに誠士郎はまだ不満がぬぐえないらしい。


「しょうがないだろう。あいつらの言うことも一理ある」


 ヘカトンケイルはあくまでも民間の自衛組織である。

 活動範囲は犯罪者の捜索から確保まで。その後は公的司法機関の手にゆだねられる。


「俺たちの仕事は警察や検察に犯罪者を引き渡せば終わりだ。でもな、今回だけはそうはいかない。支部の目と鼻の先で商売するなんてふざけた連中は根こそぎブッ潰さなくっちゃ気がすまない。 あいつらの台詞じゃないが『犯罪者に舐められたらおしまい』だからな」

「…………」


 取調室にいるノブの姿を見つめ、凄然と微笑む高崎に誠士郎は不満と共に息を飲んだ。

 普段は温厚で気さくなので知られてないが、高崎はとても短気な性格だ。

本気で怒ったときの高崎の恐ろしさは港小隊の隊員全員が知っている。


「どの道、ほっといたらこのヤマは警察に持ってかれちまう。ここはひとつ連中のお手並み拝見といこうじゃないか。うまくいけばそれでよし。失敗したら別の手を考えるさ」


 頭に血が上ってはいたが、打算を働かすだけの冷静さは残っているようだった。

 そのまま取調室の中を見つめていると、ドアが開き渋谷小隊の二人が入ってきた。


『……須藤!』


 入ってきた須藤の姿を見るなり、ガラスの向こうに居るノブは悲鳴を上げて立ち上がる。

 逃げ出そうとしたつもりなのだろうが、あいにく狭い取調室に逃げ場所などありはしない。


『よう!ノブ、久しぶりだ……なっと!』


 立ちすくむノブに向かって須藤はいきなりパンチを叩き込んだ。


『……ブッ!』


 顔面に拳を受けたノブは再び椅子に座り込む。

 鼻が折れたらしく、顔の下半分がみるみる真っ赤に染まってゆく。


『何やってんっすかー、須藤さん』


 半笑いの顔で安田は、二撃目を放とうとする須藤を止める。


『……あーあー、こんなに血まみれにしちゃって』

『おお、悪い悪い。あんまり久しぶりなもんだからさ、勢い余ってブン思わず殴っちまったぁ』

『……ちょっと、上向いて。はい、首トントンして、トーントーン……。はい、おっけ』


 まったく悪びれた様子のない須藤を押しのけ、血まみれのノブを安田が手当てする。

 ティシュを鼻につめて、首の後ろをやさしく叩く。


『いやもうホント、すんませんねぇ。須藤さんてば力の加減ってものを知らないんだから』

『がたがたぬかすな。ちょっとしたスキンシップじゃねぇか。最近、人とのふれあいに飢えてんだよぉ。なあ、ノブぅ』


 止血が終わると再び須藤の攻撃が始まった。

 いかにも親しげな様子でノブの首に腕を回して抱きつく。


『会いたかったぜぇ、ノブ』

『だ、だんでおばえがごごにいぶんだ?』

『ん?『何でお前がここにいるのか?』だって? 決まってんだろ、お前が六本木デビューしたって言うからさ、お祝いに来たんだよ』


 血の香りも気にせず、須藤は頬ずりをする。気色の悪いスキンシップに、 ノブは全身を痙攣させた。


『渋谷はもう卒業か? センター街も飽きちまったか? 昔はお友達をたくさんつれてきて遊びにきてくれたのによ、寂しいじゃあねぇか。 またみんなで遊びてぇなぁ。同窓会名簿とかあったら教えてくれよ、なあ!』

『……ぐがぁあああああ。ぶほっ、ごかはあああああああっ!!』


 くだらない冗談を言いながら、須藤は首に回した腕を締め上げてゆく。


『なあ、教えてくれよノブ。俺、友達いねぇんだよぉ。お友達紹介してくれよぉ。なぁなぁなぁなぁぁぁぁぁぁっ!!』

『……いや、だから。そうやって首絞めてたら答えられないっしょ』

『……そういやそうだな』


 安田に指摘され、須藤はあっさり手を離した。


『……ゲホッ、ゴホッ、グホッ』

『呼吸を楽にしてー。すってーはいてー、ゆっくりーゆっくりー。……ねぇ、ノブさん。俺たちはあんたを痛めつけるつもりなんてないんっすよ、ただ話をしに来ただけなんすから』


 咳き込むノブに近寄り、安田が背中をさすってやる。


『二、三質問に答えてくれるだけでいい。そうすりゃあ俺たちは渋谷に帰れるし、あんたも痛い思いもしなくてすむ。お互いのためにも、ここはひとつ素直に答えちゃくれないっすか?』

『……べ、べんごじを。べ、べんごじ、べん……』


 壊れたようにノブはつぶやき続ける。鼻を折られた上に首を絞められたのだ。

 酸欠で頭は朦朧としているはず。もはや自分でも何を言っているのかも理解していないだろう。


『ああ、弁護士ね、弁護士。ええ、もちろん呼んであげるっすよ。……でもねえ、ノブさん。こっちにも事情ってもんがあるんすよ』


 虚ろな瞳のノブに向かって、安田は猫なで声で話しかける。


『あんたにはいろいろ話を聞きたいんっすけど、ホラ、弁護士の前では話せない事ってあるじゃないっすか、色々。そういう『秘密のお話』ってのを今のうち片付けときましょうよ――弁護士が来る前に』


 安田の申し出に、ひどい鼻声で答える。


『……わがっだ』


『解った』と言ったつもりらしい――ノブは小さくうなずいた。


『よーし、それじゃあこいつの出所を聞かせてもらおうか?』


 須藤はポケットから取り出したものをスチールデスクに叩きつける――ビニールに包まれた浅黄色の錠剤。


『新型麻薬『ダイヤモンド・ダスト』こいつを扱っているブローカーの名前を言え!』

『……ば、ばるざん』

『あ?』

『ばば、ばるざんだっ!』

『何言ってんだかわかんねぇよ!!』

『ぎゃん!!』


 聞き取りづらい鼻声にいらだった須藤は、ノブの顔面を殴りつけた。

 殴った拍子に鼻につめたティッシュが吹き飛び、再び出血する。

 おかげで鼻の通りが良くなったようだ。二発目が来る前に、はっきりと答える。


『……ハルさんだっ! みんな、ハルさんって呼んでる!!』

『本名は!』

『……本名は知らない、本当だ。仲間はみんな愛称で呼び合うことにしてるんだ』


 滂沱と流れる鼻血にかまわず必死の形相で答える。どうやら嘘は言っていないようだ。


『居場所は!?』


 それだけは話したくないらしい。

 哀れみを請うような目つきで須藤を見上げるが、鋭い眼光に拒絶されうなだれる。

 やがて、消え入りそうな声で――本当に小さな声でノブは答えた。


『……表参道ヒルズ』


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