表参道【1】
人間関係の醸成こそがビジネスの基本――それが韮澤晴臣の経営哲学だ。
人が金を動かし、金が人を動かす。
ビジネスを行う上で重視すべきは効率よりも、利益よりも、何より人間を大切にすることだ。
哲学と呼ぶほど大仰なものでは無いのかも知れない。
人間関係を重んじるのは、ビジネス以前に社会人として当たり前のことなのだから。
――それがたとえ反社会的なドラック・ビジネスであったとしても、だ。
だから、韮澤は部下達の不手際にはなるべく鷹揚に構えるようにしていた。
ファミレスのアルバイトとは訳が違うのだ。
事情も聞かずいきなり怒鳴りつけるような横暴な振る舞いをすれば、たちまち部下達の信頼を失ってしまう。
「……だからよ、とりあえず落ち着けよ。テツ」
なだめるように、やさしく語りかける。
それでも携帯電話から響く怯えきった声に、韮澤はため息を一つ吐いた。
(……俺って、そんなに恐れられていたのか?)
自分で言うのもなんだが、物分りの良い上司であると思っている。
仲間とのコミュニケーションには常に気を遣っていたつもりだ。
親しみやすいように愛称で呼び合うのはもちろんのこと、プライベートでも積極的にコミュニケーションを取るよう心がけている――バーベキュー・パーティーを開いて仲間たちを労ったのは先週のことだ。
それなのに、仲間たちは一向に韮澤に馴染んでくれない。
最も信頼する売人頭のテツにいたっては、韮澤にに対して腫れ物に触るような態度で接するのだ。
「だから、それはもういいって。……とにかく、落ち着いてくんねぇか? 何言っているか分かんねぇからよ。……もういい、お前はしゃべるな」
電話口のテツは完全に取り乱していた。
これ以上、実のある話を聞けそうに無いと思った韮澤は、ひたすら謝罪を繰り返すテツを黙らせた。
「いいか? 俺が質問をする。お前はイエスかノーで答えるだけでいい、OK?」
一問一答ならば受け答えできるはず。言葉を選びつつ、噛んで含めるように慎重に尋ねる。
「……つまり、ノブが捕まったんだな?」
質問をすると電話の向こうでテツは、馬鹿正直に『イエス』と答えてきた。
失笑してしまうが、とりあえず会話は成立しているようだ。
「……うん、じゃノブは今、警察か?」
今度は日本語で『いいえ』と答えてきた。
「警察に捕まったんじゃないのか?」
今度も日本語。『はい』という返事。
「……ってことは、ヘカトンケイルに捕まったのか?」
今度も『はい』と答える。
ようやく会話が噛み合ってきた。テツが冷静さを取り戻すと同時に、徐々に事情が明らかになってゆく。
「それで? お前は無事なんだな? ……うん、よかった、よかった。……お前が謝ること無いだろ? 勝手に商売始めたノブが馬鹿なんだから。お前は悪くないって。お前は、悪く、無いんだ。分かったな? 大丈夫、ノブは俺が何とかするから……泣くなよ、鬱陶しい」
嗚咽するテツに相槌を打ちつつ、会話を進める。
「で、お前今何処にいるんだ? ……池袋? そうか、他に行く場所無いもんな。 よしよし、じゃあしばらくそこにじっとしていろ。他の連中に勝手させないよう、お前がちゃんと仕切るんだぞ、いいな? ……ああ、それとな、こっちに車を一台まわしてくれないか?」
§§§
「車、ですか?」
目頭を押さえながら、テツは電話の向こうの韮澤に尋ねた。
「ああ、テツが捕まったんなら其処もヤバイですね。……心当たり? ええ、ありますよ。タキって言う運転手なんですけどね、腕のほうは保障します。……アウディです、色はシルバー。……わかりました、すぐに迎えをよこします。はい、はい。それじゃ、どうも!」
恐縮しきった様子で、ここにはいない韮澤に向かって何度も頭を下げながら携帯電話を切った。
「……仕事か?」
テツの傍らには運び屋のタキが控えていた。
内容はすべて聞いていたらしく、会話が終わるのを見計らって尋ねてきた。
「ああ、すぐに迎えに行ってくれ」
「…………」
新入りの運び屋は返事をしなかった。
無言で佇むタキの顔には、不満気な様子がありありと浮かんでいた。
「……どうした、タキ?」
「なあ、テツ。俺は運び屋なんだ、運転手じゃない。俺とこの車を、タクシー代わりに使うのはやめてくれないか?」
「文句をぬかすな、新入り」
先ほどまで取り乱していたとは思えない冷静さで、タキの不平をぴしゃりと制する。
「今度の乗客は俺達のボスだ。くれぐれも粗相のないようにな。ハルさんは気前のいい人だ。うまいことやって気に入られれば、いろいろ仕事を回してくれるかもしれんぞ?」
「……わかったよ。それで、どこに行けばいいんだ?」
「場所は――」
§§§
「……弁護士呼んでくれ」
「ああ、かまわないぞ。……秋山信人君」
本名を呼ばれて、ノブの顔が引きつる。
――わかりやすい男だ。
瞬く間に青ざめてゆく売人の顔を、高崎は面白そうに見つめながら尋問を続ける。
「驚くことは無い。お前、傷害で一度挙げられているだろ? 前科があれば、身元を調べるのは簡単だ」
「……弁護士呼んでくれよ。それまで何も喋らねぇぞ」
「弁護士なんて呼んでどうする?」
おもむろに黒皮のポーチを取り出し、机の上に叩きつける。
半開きのファスナーから水色の錠剤がこぼれおちた。
「二kgの覚醒剤持ち歩いている所を現行犯逮捕されたんだ。どんな腕の良い弁護士雇ったって、刑務所行きは免れない。……確実に三年は喰らいこむぞ」
「…………」
やや強めの口調で脅しを掛けてみるが、ノブは答えない。
どうやら本気で黙秘権を行使するつもりらしい。ノブは無言のまま腕組みして、静かに瞑目する。
「出所したらお前はヒーローだ。お仲間達は大歓迎で出迎えてくれるだろうよ。お前のドジのせいで、約二kgのMDMA――末端価格にして二千万相当――を押収されたんだからな」
「…………」
相変わらず沈黙したままだったが、表情を見ればノブの考えていることは手に取るようにわかる。
仲間達の怒りの形相を思い浮かべているのだろう、ノブの顔面にはびっしりと脂汗が浮かんでいた。
ちょっと脅しが効きすぎたようだ。今度は幾分、和らいだ口調で語りかける。
「お前に残された道は二つ。塀の向こう側に一人で行くか、皆で行くか――取調べに協力的な姿勢を見せておけば、裁判官の心象も良くなるぞ? うまくすれば執行猶予がついて一年ぐらいで出てこられるかもしれない……」
「…………」
「お仲間達より先にお勤めを終えて出所すれば、少なくとも逃げる時間ぐらいは稼げるかもよ? ……まあ、俺は別にどっちでも構わないぜ。選ぶのはお前だ」
ノブの視線が取調室の中を泳ぐ。
必至でポーカーフェイスを取り繕うとしているようだが、動揺しているのは傍から見ても明らかだった。
本当によく表情の変わる男だ。この調子ならば、口を割るのも時間の問題だろう。
「仲間の名前と居所を言え。そうしたら、弁護士でも何でも……」
後一押し、という所でノックと共に取調室のドアが開いた。
「高崎さん」
半開きのドアから司が顔を覗かせ、高崎に向かって手招きをする。
「……何の用だ?」
苛立ちを抑えつつ、司の元に歩み寄り小声で訊くと、緊張した面持ちで彼女は答えた。
「須藤さんと安田さんがお見えです」
「……渋谷の?」
突然の来客に高崎は、あからさまに渋い顔をする。
取調べはタイミングが重要だ。
今ここで取調べを中断すれば、ノブは落ち着きを取り戻してしまうだろう――そうなれば一からやり直しだ。
また時間をかけて訊問しなければならない。
「いまいいところなんだ。後で行くから、それまで適当に相手をしておいてくれないか?」
「今、壬生が相手をしているんですけど……」
「……駄目だろ!」
取調室を飛び出すと、高崎は大慌てで応接室に向かった。