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彷徨のヘカトンケイル  作者: 真先
Stage1: 六本木
3/23

六本木【2】

 東京市一帯を取り仕切る売人のテツは、ご機嫌な様子でドイツ車の乗り心地を堪能していた。


 運転手つきの車というのは良いものだ。

 広々とした後部座席で踏ん反り返っていれば、ケチな売人でもいっぱしのドラックディーラーに見える。

 お気に入りのラップを聴きながらビールを一本飲み干したところで、目的地が見えてきた。


 六本木ヒルズ。


 整然と整えられた街路樹の間をスーツ姿のビジネスマンが歩いてゆく。

 有名ブランドのロゴが入った買い物袋を重そうに担ぎ、よろめきながら歩いてゆく中年女性。通りに設えられた前衛的なデザインのベンチに若者が腰掛け、携帯電話に向かってなにやら叫んでいる。

 週末だけにいつもよりも人通りが多いようだ。

 見上げると東京の観光案内などでおなじみの円柱状の近代的ビルが、春の日差しを受けて聳え立っているのが見える。


 運び屋のタキが操るアウディは高級ブティックの立ち並ぶ通りにスペースを見つけると、なめらかなハンドリングで静かに停車する。

 新入りの運び屋は無口で愛想はないが、運転技術はなかなかのものだ。

 中野のアジトから六本木まで――テスト代わりに乗ってみたが合格点だ。これなら安心して仕事も任せられる。

 つかのまのセレブ気分を満喫したテツは、車から降りると運転席を覗き込んだ。


「ここで待っていろ。エンジンはかけたままで、いつでも出せるようにしておけ」

「わかった」

「警官の姿を見つけたらクラクションを鳴らせ。万が一、捕まった場合の手はずは覚えているな?」

「ああ」

「……すぐ戻る」


 素直にうなずくタキに満足し、その場を立ち去る。

 うるさく言うのは好きではなかったが、けじめはつけなければならない。

 ドラック・ビジネスにかかわる人間は大抵、協調性だとか規律などとは無縁の人種だ。

 拾ってきた野良犬と同じように、ちょっと目を放した隙に勝手をはじめる。


(……このバカのように)


 待ち合わせ場所――ヒルズ・アリーナで子飼いの売人の姿を見つけ、心の中で毒づく。

 相変わらず図体だけはでかい。

 まだ肌寒いにもかかわらず上半身はタンクトップ一枚身につけただけ、筋肉で盛り上がった二の腕には真紅のバラが刻まれていた。


 もともとヒルズ・アリーナは野外劇場として使われる場所だ。

 特にイベントの無い今日は見通しがよく、待ち合わせ場所には最適だろう。

 ついでに『仕事』をするのにも最適の場所だった。


 声を掛けるよりも早く、ノブのほうでこちらを見つけたようだ。

 大きく右手を振りつつ笑いながらテツの元へと駆け寄ってくる。


「待ってたぜ! テツ。助かった、ちょうど『商品』が切れたところだ。頼んでいたものは持ってきてくれたん……ガッ!」


 最後まで話をさせるつもりなど無かった。

 力任せに襟首をねじ上げノブを黙らせる。


「……グガッ。カ、ハッ!」

「何考えてんだテメェ!?」


 この男の馬鹿さ加減にはつくづく腹が立つ。

 喉元を押さえつけられ呻き声を上げるノブを、一喝してから開放する。

 声が出せるようになったノブは、襟元を押さえながら言い返してくる。


「……何だよ。何怒ってんだよ!?」

「あいつらは一体なんだ!!」


 広場を指差し問い質す。広場には二人の男たちが通行人を呼び止め、なにやら話しかけている。

 二人ともノブと同じようなストーリートファッションに身を包んだ、体格のいい青年だった。

 別れ際に小さな袋を手渡している男達の姿は、一見するとティッシュ配りのアルバイトのようにも見えるが、配布しているのはそんな安っぽい代物ではない。


「……新しい仲間だよ、こっちで見つけたんだ。まだ雇ったばかりなんで大した仕事はできないが、とりあえず『試供品』を配らせている。六本木じゃ仕事を始めたばかりだからな、宣伝しなくちゃ」

「六本木で商売しろと誰が言った!? 勝手なマネしやがって! この事をハルさんに知られたら、どうなるか……」


 言い訳を始めるノブを一喝する。


 もともとノブは腕っ節の強さを見込まれて仲間に引き入れた男だ。

 同業者と揉めた時や支払いの滞った顧客を脅す時には役に立つが、ビジネスに関してはまったくといっていいほどの役立たずだ――釣り銭も満足に数えられない男が売人頭の自分を差し置いて勝手に商売を始めるとは笑わせる。


 そんなバカにもバカなりの考えがあったのだろう。激昂するテツにおびえながらも反論してきた。


「儲けが増えるんだから文句は無ぇだろ。それよりも売り上げが落ちたら、それこそハルさんは黙っちゃいねぇぞ?」

「…………」


 売り上げの話をされては口をつぐむしかない。

 全ての元凶は、あの忌々しい『渋谷の狂犬』のせいだ。


 テツ率いる売人仲間達は、今まで渋谷を拠点にビジネスを展開していた。

 しかし今月に入ってヘカトンケイルの取締りが厳しくなり、まともに商売することができなかったのだ。

 渋谷を追われたテツ達は中野にあるアジトで潜伏生活を余儀なくされた。

 商売をすることも出来ず、資金を食いつぶす日々が一週間以上続いた。このままでは先月の売り上げを大きく下回るのは明らかだった。


「なあ、よく考えてみろよ? 須藤がいる限り、渋谷じゃもう商売はできねぇよ。渋谷以外で商売できる所って言ったら、六本木ぐらいしか無ぇだろ?」


 ノブの言うことはもっともだった。

 確かに、在庫を抱えたまま何もしないわけにはいかない。

 渋谷で商売できない以上、移転先を探すのは当然の成り行きだ。

 そうなると、ノブの言うとおり、市内でも有数の繁華街である六本木は理想的な市場に思えてくる。

 が、それでも不安要素は拭えない。


「……ここだってヘカトンケイルはいるだろう? 六本木は港小隊の拠点だ、いくらなんでも危険すぎる」

「大丈夫だって! 渋谷と違って、港は取締りが緩いんだ。人手が足りないらしくってよ、隊員たちはみんな赤坂や青山のほうに出払っていて、六本木は手薄になっている。灯台もと暗しって奴でよ、昼間は見回りもほとんど来ねぇよ。たとえ見つかったとしても、六本木ヒルズの近くには『アレ』があるんだ。連中も派手なことはできないはずさ」


 自信たっぷりに断言されては納得するしかない。

 商売を始める前に調査をしておいたのだろう、腕力だけの男かと思っていたが意外と思慮深い。

 沈黙を了承と受け取ったのか、ノブはねだるような仕草で右手を差し出す。


「それで、『商品』は持ってきてくれたか?」

「……ほらよ」


 右手に抱えたポーチを放る。

 大事そうに受け止めたノブは、早速中身を検める。

 ポーチの中には、ビニールに包まれた浅黄色の錠剤がぎっしりと詰まっている――ノブたちの扱う一番の人気商品、ダイヤモンド・ダストだ。

 大量のドラッグを手にしたノブは、興奮のあまりため息を漏らす。


「……スゲェ」


 未だに不安はのこるがノブの言うとおり在庫を出すわけには行かない。

 一か八か、ノブにアジトに残っていた今月分の商品全てを預けることにした。


「こいつを週明けまでに片付けろ。出来るな?」

「これだけの量をか!? それは、ちょっと……」


 早速、泣き言を言い始めたノブを叱咤する。


「捨て値で捌いても構わねぇ! とにかく、在庫を出すわけにはいかねぇんだ。来週には新商品が入荷する。在庫を抱えたまま仕入れるわけにはいかねぇだろ!?」

「ああ『アイスマン』の事……」


 再びノブの襟首を掴んで黙らせる。やはりこの男は信用できない。

 ドラック・ビジネスに必要な慎重さに欠ける。


 身長ではノブのほうが頭一つ高いが目方ではこちらが上だ。

 売人頭になって腕力を振るう機会はめっきり減ってしまったが、生意気な若造を叩きのめすぐらいの腕力ぐらいは残っている。

 怯えた目つきのノブを力任せに引き寄せ、耳元に口を近づけドスの利いた声でささやく。


「……その名前を二度と口にするな。マジで殺すぞ?」

「……わ、わかったよ。わかった」


 これだけ脅しておけば十分だろう。カクカクと小刻みに首を縦に振るノブを開放してやる。


「いいか、とにかく慎重にやれ。赤字さえ出さなければいいんだ、変な色気出して稼ごうだなんて思うんじゃねぇぞ。ハルさんには俺がうまいこと言い訳しておくから、絶対ヘマはするな。特に、ヘカトンケイルにだけは絶対に捕まるんじゃねぇぞ。渋谷に次いで港にも睨まれたら、行くところが無……」


 ノブがミスをしないよう細かく指示をしていると、

 

 パッパァァァァァァァァッンッ!


 アリーナにクラクションの音が鳴り響く。


「…………!?」


 先ほど命じておいた運転手からの警告だ。

 あわてて周囲を見渡すと、アリーナの片隅からこちらに向かって歩いてくる、少年の姿を見つけた。


 随分と小柄な少年だ――中学生ぐらいだろうか、愛嬌のある顔立ちをした少年は興奮したように頬を上気させていた。


 少年が何者で何をしたいのか?

 少年は一言も口にはしなかったが身に纏った漆黒の制服と右手に持った木刀が――雄弁に何かを物語っていた。


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