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彷徨のヘカトンケイル  作者: 真先
Stage6: 晴海
21/23

晴海【3】

 初弾を外したクリスだったが、さして動揺はしていなかった。

 もともと命中するとは思っていなかった。競技射撃のように固定目標が相手ならば曲撃ちも可能だが、 戦闘射撃となると話が違ってくる。


 目標からの攻撃をかわしつつ、間合いの外まで移動して、動いている目標に狙いを定めて、安定した射撃姿勢を取りつつ引き金を引く――それがどれだけ難しいことか、言うまでもない。


「ハッ!」


 掛け声と共に突き出される警杖の突端を、クリスは紙一重でかわす。

 警杖を用いた司の攻撃は見事なものだった。

 強化ガラスで出来た警杖は、破壊力と取り回しのよさを兼ね備えたバランスの良い武器だ。

 突き、払い、打ち、薙ぐ。止め処なく続く連続攻撃にクリスは反撃の糸口がつかめない。


 司が一方的に攻撃を仕掛けているようにみえるが、形勢はむしろクリスが有利だった。

 その証拠に、防戦一方のクリスの顔には余裕の笑みが浮んでいる。反対に司の表情には焦燥が滲んでいた。


 何しろクリスの右手には一撃必殺の武器、拳銃が握られている。

 狙い難い頭や心臓でなくても、手・足・胴体のどこでもいい。

 命中させることさえできれば、致命傷でなくとも司は戦闘不能になる。


 司の攻撃をかわしながら、クリスは虎視眈々と反撃の機会を窺っていた。

 飛び道具は警杖の間合いの外からの攻撃を可能としている。

 そして、左手には近距離戦闘用の折りたたみナイフが握られている。

 長柄武器は懐の死角に入られたら最後、反撃することができない。


 司は拳銃とナイフ、二つの必殺武器を封じるために、常に攻撃し続けなければならなかった。

 間合いの外に逃がさないように、懐に踏み込ませないように。

 つかず離れず、警杖を巧みに操りクリスとの微妙な間合いを保ち続けていた。


 緊迫した膠着戦は司の神経のみならず、体力をも消耗させた。

 さすがに疲れてきたのか、司の動きが鈍り始めた。


(……もらった!)


 わずかな隙を見逃さず、クリスは反撃を開始した。

 疾風のごとく突き出される警杖をかいくぐり、ナイフを握った左手を横薙ぎに振るう。


 懐に入られて動転したのか、牽制の攻撃を司は必要以上に大きく跳び退いて避けてしまった。

 二人の間に三メートルほどの間合いが広がる。


「しまっ……!!」


 自らの失策に気付き、司は短い悲鳴をあげる。

 警杖の攻撃範囲外に逃れたクリスは、すかさず右手の拳銃を構える。

 人体の中心線に狙いを定め、二斉射。


 タタンッ!


 基本に忠実な軍隊射撃で放たれた銃弾は、二発とも狙い通りに命中した。

 完璧な射撃に手ごたえを感じたクリスは、会心の笑みを浮かべる。


「……あ!?」


 撃たれた司は朦朧とした表情でうめき声を上げる。

 小口径の拳銃弾では、胴体を貫通することはできない。

 威力もたいしたこともなく、司は二、三歩よろめいただけで、その場に立ちすくんだ。


「うあ、あ、……あああああああああ!!!!」


 胸元に穿たれた二つの弾痕を驚愕の表情で見下ろし、ようやく自分が撃たれたことに気がついたのだろう。

 司は恐怖に顔を引きつらせて、意味不明の叫び声を上げた。


 棒立ちのまま絶叫する司を見つめ、クリスは思案する。

 止めを刺すべきか?

 このまま手当てをせずに放置すればいずれは死ぬだろう。

 胸を撃たれたのだ、肺や器官に血が詰まれば息ができなくなる。

 死ぬまでにたっぷりと苦しむことだろう。


 渋谷の病院での失態は、プロとしての矜持を大いに傷つけた。

 憎きヘカトンケイルの小娘を、あえて楽にしてやる義理はない。

 嗜虐的な笑みを浮かべ、苦しみもだえる少女の姿を鑑賞していると、


「ああっ! ああああああっ、……危っぶないじゃないのよぉっ!!」


(……え?)


 突如、司が怒りの形相で襲い掛かって来た。

 予想外の攻撃にクリスは硬直する。

 脳天めがけて振り下ろされる警杖を、クリスは他人事のように呆然と見つめた。


 §§§


 突如、腕の中で少年が暴れだした。

 あと数ミリひねるだけで少年の首は音を立てて折れるはずだったが、首に回したステフの腕を誠士郎はがっちりと掴んで離さない。

 鍛え上げられたステフの両腕は丸太のように太かったが、手首だけは人並みに細い。

 誠士郎は手首を掴み、なんとか戒めから抜け出そうと必死でもがいている。


(往生際の悪い!)


 ステフは舌打ちをする。

 力比べに応じるかのように、ステフが首に絡ませた両腕に力を込めようとした瞬間、


「……ハッ!!」


 ステフは天地がひっくり返るような感覚に襲われた。


(…………え?)


 気がつくと、ステフは宙を舞っていた。

 投げ飛ばされたことにはすぐに気づいた。

 この浮遊感は少年時代、畳のない柔道場で何度も味わっている。


 驚きで混乱しつつも、体は反射的に受身の態勢を取る。

 顎を引き背中を丸め、衝撃に備える。

 が、落下地点に慣れ親しんだ硬い感触は存在しなかった。


『ウォオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォッ!!!』


 桟橋から投げ飛ばされれば、その先にあるのは海しかない。

 なす術も無くステフは夜の東京湾に沈んだ。

 長い悲鳴が途切れると同時、漆黒の海に白い水柱が上がった。


 §§§


 激しい戦闘だったが、以外にも深刻な負傷は無いようだった。

 危うく折られる所だった首の骨に異常はない。

 強打した背中が若干痛む以外には目立った怪我はないようだが、さすがに体力の限界だった。

 誠士郎は桟橋にへたり込んだ。


 疲労困憊であったが、先日の雪辱を晴らすことができて誠士郎は上機嫌だった。

 赤毛の男を投げ飛ばしたのは『小手返し』という技だ。

 掴んだ手首をひねり上げ、最小限の動作で相手を投げ飛ばす。

 合気道や柔術、少林寺拳法など古武術の間で広く教えられる関節技だ。


 初めて使った技だが上手くいった。渋谷の病院で南部に投げ飛ばされたとき、体を張って覚えた技だ。

 誠士郎とてヘカトンケイルの一員、一度見た技は忘れない。


 赤毛の殺し屋は未だに海中でもがいているようだ。

 水面を叩く音と共に、叫び声が聞こえてくる。

 背後から聞こえてくる水音を聞きながら、満足そうに微笑を浮かべつぶやく。


「……アマチュアが」


 一度勝利した相手に敗北するなど、素人もいいところだ。

 殺し屋などとうそぶいても、所詮金でやとわれた肉体労働者。首都の安全を担うヘカトンケイルとは志からして違う。


 柵にもたれかかりぼんやりと夜空を眺めていると、金髪男を片付けた司がこちらに向かって歩み寄って来る。


「あー、死ぬかと思った……」


 こちらも激戦だったようだ。

 憔悴しているが、怪我は無いようだ。

 拳銃で撃たれて制服の胸元に穴が二つ開いているが、血は一滴も流れていない。

 戦闘用ジャケットの下に着込んだ防弾ベストは、拳銃弾ならばほぼ完璧に防ぐことができる優れものだ。『ボディーラインが崩れる』と言って着るのを嫌がっていた司だが、今回ばかりは着用して正解だったようだ。


「……大丈夫なのか?」


 胸元の弾痕ではなく、警杖の先にこびりついた血痕を見ながら尋ねる。

 普通に殴っただけではこんなに血が飛び散るわけが無い。

 よく見ると、肉片もこびりついている。


「知らないわよ!! いきなり拳銃ぶっ放すような馬鹿相手に手加減してやる義理は無いわ!」


 相棒よりも殺し屋の安否を気遣う誠士郎に腹を立てたのか、口を尖らせ拗ねるような仕種でそっぽを向いた。


「まあ、息はしているみたいだから大丈夫でしょうよ。……そっちこそ大丈夫なの? なんかあの男、溺れているみたいだけど」


 警杖で海上を指し示す。海に落ちた赤毛の男は、飽きもせずに水遊びを続けていた。


「大丈夫だよ。大した怪我も無いだろうし、海に放り込んだぐらいじゃ死にゃしないさ」

「……泳げなかったらどうするのよ?」

「まさか、そんなベタなオチはないだろ。人間ってのは浮かぶように出来ているんだ。そう簡単には溺れないって」

「経験者のあんたが言うならいいけど。……で、いつまでそうしているつもり?」


 地べたに座ったままの誠士郎を、司が急き立てる。


「もう少し休ませてくれよ」

「だーめ。こいつら縛り上げてみんなの所に……」


 突如、お台場一帯に轟音が響き渡った。


「……何だ?」


 §§§


 マギーに誘われて仕方なくダンスの相手をしたが、一曲が限界だった。

 フォーマルなパーティーではダンスの相手を務めるのが常識なのだろうが、婆さん相手に踊っても楽しいわけがない。


 そもそも韮澤は社交ダンスなど踊ったことがない。

 見様見真似でステップを踏んでみたが、アイスマンの足を踏んづけないようにするのが精一杯だった。


 二曲目を丁重に辞退して、韮澤はダンスフロアを後にした。

 ボーイを呼びとめカクテルを受け取る。

 中身を確認しないまま一気に飲み干してしまったが、幸いノンアルコールだったようで口当たりは良かった。


 一息ついてフロアを振り返る。アイスマン――マーガレット、マギーは中座した韮澤に代わり、老紳士を相手にダンスを踊っていた。

 船旅で知り合った友人なのだろう、談笑しながら踊るマギーの姿を見て胸をなでおろす。

 どうやら機嫌を損ねずに済んだようだ。


「まさか、アイスマンが女だったとはね」


 唐突に、横から話しかけられた。

 いつの間にやってきたのか、韮澤の横に見覚えのある青年が立っていた。

 芝浦のマンションで追いかけてきた男だ。

 場違いな漆黒の制服を纏った青年はダンスフロアを見つめながら、親しげに話しかけてくる。


「驚いたね。どう見たって普通のおばさんじゃないか。麻薬王って言うから、もっとごっつい奴を期待していたのに。拍子抜けだ」


 パーティー会場ではヘカトンケイルの制服は良く目立つ。

 近くを通りすがるパーティー客達も訝しげな表情で見つめる。


「……あんたは?」

「ヘカトンケイル港小隊高崎亮太。昨日、芝浦で会っただろう? あの時は逃げられたが、ようやく追いついたよ」


 どことなく勝ち誇った笑みを浮かべ、高崎は振り向く。


「その格好でよく会場に入れたな? 招待状は持っているのか?」

「招待状は持っていないが、船長の許可は得ている。仕事で来ているんでパーティーには参加できないがな。残念だよ、俺も下手糞なダンスを踊りたかった」

「だったら、仕事をしたらどうだ? どうした? 俺を捕まえに来たんだろ?」


 挑発するように尋ねると、青年は憮然としてつぶやく。


「それはできない。ここは俺達の管轄外だからな」

「……だよな」


 予想通りの答えに、韮澤は笑みを浮かべた。


「ヘカトンケイルの活動範囲は東京市の二十三区内に限られている」

「ここは海の上。帝都の破壊神といえども、おいそれと手は出せない」

 皮肉を言うと、高崎は懐から携帯電話を取り出した。

「……だが、お台場は俺達港小隊の管轄だ」

「何だと?」


 高崎は意地の悪い笑みを浮かべると、取り出した携帯電話を韮澤の眼前に突きつけた。


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