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彷徨のヘカトンケイル  作者: 真先
Stage1: 六本木
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六本木【1】

 東京オリンピック開催を間近に控え、多発する都市型犯罪に既存の警察力による防犯体制では不十分であると判断した当事の『東京市』は、政府直轄地へと移行と同時に特別区内に置ける防犯体制の抜本的改革を行った。

 同時に有志による市民警邏隊『ヘカトンケイル』を設立。治安維持の執行力として活動を開始した。

 ヘカトンケイルは発足間も無く大胆な組織運営と積極的な活動により、期待を大きく上回る成果を挙げた。

 その行き過ぎた防犯活動により、やがてヘカトンケイルは市民達の反発を招くようになる。

 いつしか東京市の守護神たる黒服の自警団は、市民と犯罪者、双方から侮蔑と畏怖の眼差しで見つめられるようになった。




 仮眠室で目覚める朝はいつだって最低だ。

 硬い寝台に薄い毛布。

 そして、相棒の手荒いモーニングコール。


「……壬生! 起きなさい! 壬生!」


 甲高い声と共に引き剥がされる毛布。春先とはいえまだ冷たい外気が全身をさらされ、壬生誠士郎は眠りの淵から引きずり出された。

 眠気をふりはらうように身を起こし、相棒の顔を恨めしそうに見上げ尋ねる。


「……何時だ?」

「もうお昼よ。いい加減起きなさい」


 夜番を終えて眠りについたのが明け方。

 半日寝ていたわけだが、まだ寝足りない。


 不規則な生活により体内時計が狂っているせいだ。

 幸い腹時計は正確なままのようだ。眠気が覚めてくると同時に、今度は空腹感が押し寄せてきた。

 取り敢えず、胃の中に食料を放り込みたかったが、せっかちな相棒はそれを許してはくれない。


「高崎さんが呼んでいるわ。すぐに来て頂戴」


 相棒の三沢司は、笑顔が可愛いと小隊内では評判の美少女なのだが、一度怒らせると手に負えない。

 誠士郎を怒鳴りつけると、仮眠室から出て行った。


(メシ食う暇もないのかよ)


 寝台に脱ぎ捨てたままの上着――ヘカトンケイルの制服である漆黒のジャケットを掴むと誠士郎は寝台を降りた。


 司の後を追うように、制服の袖に手を通しながら通路を小走りで歩いてゆくと、同じく漆黒の制服に身を包んだ隊員たちとすれ違った。

 誠士郎と同様、小走りで通路を駆けて行く。


 誠士郎の所属するヘカトンケイル第三小隊――通称港小隊――のオフィスは、六本木ヒルズの高層ビル、森タワーにある。


 潤沢な資金運営されている六本木支部には、オフィス特有の閉塞感はない。

 強化ガラスを多用した内装は、見通しが良く奥行きを感じさせる。


 磨き上げられたガラスが起きたばかりの誠士郎の姿を映し出す――我ながらひどい有様だ。

 寝癖が跳ね上がったボサボサの髪の毛。可愛げのない荒んだ瞳の周りには、青黒い隈が彩っていた。

 成長期の終わりに差し掛かった肉体は、たいした栄養を与えていないにも関わらず、訓練と実戦の積み重ねで引き締まっていた。


 春休みが明ければ高校二年生。

 青春の盛りにあるというのに、ガラスに映る少年は人生に疲れきった姿をしていた。


 迷宮のような通路を抜けて、司と誠士郎は小隊長室の前にたどりついた。


 小隊長室の中では制服姿の隊員たちが話し込んでいるのが見える。

 主に話しているのは右腕に腕章をつけた青年で、身振り手振りを交えながら隊員達に何かの指示をしている。


 打ち合わせをしているところに割って入ることもできず、誠士郎と司は小隊長室の前で話が一段落するのを待った。

 暇が出来たせいか、眠気がぶり返してきた。

 大あくびをする誠士郎を、横から司が咎める。


「しゃんとしなさいよ」

「しょうがねぇだろ。寝て無ぇんだから」


 あくびをかみ殺しながら、誠士郎は言い訳を続ける。


「昨日の夜中に市民からの通報があって……」

「田町のファミリーレストランで『未成年が酒飲んで暴れているので何とかして欲しい』って、店の支店長から通報があったんでしょ?」


 眠気交じりの言い訳を、司は素早く遮った。


「……何で知ってんだ?」

「それで酔っ払ったヤンキー相手に大乱闘した挙句、店の中滅茶苦茶にしたんですって?テーブルをひっくり返して、食器や椅子をぶっこわして、最後に窓ガラス突き破って外に飛び出したんでしょ? ……あ、それから、支店長をぶん殴ったんですって?」

「……いや、だってよ! 仕方ないじゃん!? 酔っ払い相手じゃ話し通じないし、こっちだって必死だったんだよ。それに、ちょび髭のオッサン――支店長だっけ? てめえで通報しておきながら『店を壊すな!』だとか勝手なことぬかしやがって! そりゃ間違ってブン殴っても……って、だから何で知っている!?」


 必死で言い訳をする誠士郎に、平然とした様子で司が答える。


「今朝のニュースでやってたわよ。ぶっ壊れた店の前で、顔腫らした支店長が一部始終を説明してたわ――殴ったのあんたでしょう? グラブの跡がくっきり浮かんでたもん」

「…………」


 概ね司の言うとおりであったので誠士郎としては沈黙するほか無い。


 昨晩深夜、酔っ払いが暴れているという店主の通報を受けた港小隊は、現場である田町のファミリーレストランへと向かった。

 現場に到着すると通報どおり、未成年と思しき酔っ払い三名が店内を荒らしまわっていた。

 酩酊状態の少年たちは制服姿の誠士郎たちを見つけるや否や、有無を言わさず襲い掛かってきた。


 酔っ払い相手では誠士郎たちとしても強くは出れない。

 怪我をさせないよう、穏便に相手を制圧しようと模索しているうちに店の被害はますます拡大していった。


 おまけに壊れ行く店の惨状を見かねた支店長が突如、乱闘の真っ只中に割って入り――不良少年と間違えた誠士郎の右フックが顔面にクリーンヒット。

 騒動が終わり、傷だらけの隊員たちが拘束された三人の少年を連行。

 壊滅的に破壊された店内に残されたのは、床に横たわる支店長の姿だけだった。


「おかげでテレビを見た市民から苦情が殺到、事務所中の電話が鳴りっぱなしでさっきまですごかったんだから。店側はヘカトンケイルを訴えるつもりらしわよ、修理代と治療費を払えって。高崎さんは対応に追われて一睡もしてないようよ。……だから、いつまでも眠そうな顔してるんじゃないの!」

「……わかったよ」


 港小隊は現在、小隊長が不在であるため副隊長の高崎が代行として小隊の指揮を任されている。

 ただですらオーバーワークの高崎にこれ以上負担をかけるわけにはいかないことぐらい、誠士郎も自覚している。


 程なくして隊員たちは小隊長室から出てくる。


「……それじゃ、よろしく頼むぞ」


 小隊長室から出た隊員達は四方へ向かって駆け出してゆく。

 隊員たちを見送り、腕章の青年は誠士郎たちに向き合った。

 いつ見ても背が高い。誠士郎と向き合うと自然と見上げる姿勢になってしまう。

 日頃のトレーニングの成果だろう、身長に見合うだけの筋肉もある。

 しかし愛嬌のある顔立ちのせいか、指揮官としての威厳に欠けていた。

 右腕の腕章は最近になって身につけるようになった――少しでも指揮官らしく見えるようにしたいのだろう。


 壬生たちに中に入るように促すと、ヘカトンケイル第三小隊副長、高崎亮太は充血した目つきで誠士郎を見つめた。


「昨晩はご苦労だったな。よく眠れたか、誠士郎?」

「……ええ、まあ」


 赤い目をした高崎に向かって、寝足りないとはさすがに言えなかった。

 曖昧に答えると、高崎は疲れたように説明を始めた。


「結構。夜番明けに申し訳ないが出動だ」


 机の上に山と詰まれた書類の中から、高崎は真新しい調書を取り上げ読み上げた。


「田町で確保した酔っ払い三人組の件だがな。とりあえず事情聴取したんだが、様子がどうもおかしい。攻撃的な態度、極端な躁状態、身の回りの汚れに対する過剰反応……」


 高崎が列挙した聞き覚えのある症状に、誠士郎はすぐに思い至った。


「……それって、もしかして?」

「酔っ払っているだけかとおもったんだが、一応検査をしてみた。……薬物反応は陽性」


 やっぱり。と、深いため息と共に誠士郎はつぶやいた。

 ヘカトンケイルが扱う事件のち、麻薬がらみの犯罪は少なくない。

 被害者、あるいは加害者の多くはごく普通の一般市民――それも未成年が大半だ。それだけ麻薬犯罪は市民生活と密接なかかわりがあるといえる。


 年若いが経験豊富な誠士郎は何度も麻薬事件に関わっている。

 三匹の大トラが実は麻薬中毒だったと聞かされても今更驚きはしない――だからといって、憤りを感じないわけではない。


「アルコールの影響で一気に回ったらしい。三人の内、二人は重症でそのまま病院へ直行。一人だけ何とか話を聞きだすことができた。そいつの話によると、最近ヒルズ周辺で覚醒剤取引が頻繁に行われているらしい」

「何ですって!!」


 六本木ヒルズは港小隊の拠点だ。

 ヘカトンケイルの目と鼻の先で麻薬売買を行うとは、大胆にも程がある。


「ガセに決まっていますよ。警察に引き渡されるのが怖くて、出鱈目言ってるんだ」

「俺も、そう思ったんだがな。……これを見せられたんじゃ、信じないわけにもいかない」


 ため息混じりに、高崎が胸ポケットからビニール袋を取り出す。

 半透明の小さなビニール袋の中には薄いブルーで色付けされた錠剤が入っていた。

 MDMA、一般では『エクスタシー』の名前で知られている。

 ラムネ菓子のような可愛らしい外見をしているが、強い依存性をもつ覚醒剤だ。


「身体検査したら出てきた。ヤンキー共の話じゃ、通りすがりの男から貰ったそうだ、……タダで貰ったって言っていたから試供品だな」


 販売経路を開拓する際、売人は『試供品』として無料で麻薬をばらまく。

 麻薬というものは一度試したら最後、二度と止めることが出来ない。

 二回目以降は有料になり、中毒症状が進むにつれ徐々に値を吊り上げていく――ドラッグ・ビジネスの常套手段だ。


「なにかしら、このマーク?」


 錠剤を手に取り司がつぶやいた。

 表面に刻印されたアルファベットの『D』の文字を二つ重ねたマークを見つめ首をかしげる。


「売人たちの間では『ダイヤモンド・ダスト』って呼ばれている。かなりの上物らしく、高額で取引されているそうだ――試供品をバラ撒いているということは、進出してきたのはごく最近ってことだ。本格的に出回る前に売人を根こそぎとっ捕まえる」


 手のひらの上で覚醒剤をもてあそびながら、高崎は手順を説明する。


「売人は『ノブ』と名乗っていたらしい。身長約百八十センチ、色黒で右腕に薔薇の刺青をいれているそうだ。現在ヒルズ全域を警戒態勢に置いている。数が勝負のローラー作戦だ、六本木支部だけじゃ足りないから新宿からも助っ人が来ている。壬生の担当はけやき坂通り、司とペアだ――いいか、ここは『六本木ヒルズ』だということを忘れるな! くれぐれも穏便に頼むぞ。昨日みたいな大騒ぎはゴメンだからな」

『了解!』


 敬礼と同時に威勢よく駆け出した誠士郎の後を、慌てて司が追いかける。


「ちょっと、待ってよ!!」


 誠士郎の顔は緊張感で引き締まっていた。

 先程までの気だるい様子は微塵も感じられない。

 制止する司の声に振り返ることなく、誠士郎はけやき坂通りの持ち場へと走ってゆく。

 

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