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彷徨のヘカトンケイル  作者: 真先
Stage4: 芝浦
13/23

芝浦【1】

 うらぶれたファミリーレストランで、ノブは途方にくれていた。


 行く場所が無い。


 覚せい剤売買で逮捕されたノブだったが、幸運にも一日拘束されただけで釈放された――それが不幸の始まりだった。

 仲間たちの下へは戻れない。

 何しろ自分のヘマで約二kgのダイヤモンド・ダスト――末端価格にして二千万相当――を失ったのだ。

 合わせる顔が無い。


 表参道ヒルズの売春クラブが摘発されたというニュースも聞いた。

 ノブの情報を元にヘカトンケイルが捜査したのだろう――しかし、ハルが 捕まったという情報は無い。

 おそらく逃げ切ったのだろう。


 ハルが健在ならば居場所を密告したノブを許すはずが無い。

 何らかの報復があるのは確かだ。

 早々に高飛びするべきなのだろうが、先立つものが無い。

 この店の支払いを済ませたら、財布の中には小銭しか残らない。


 身の危険を感じたノブは、恥も外聞も無く助けを求めた。

 ポケットに残された名刺を頼りに、電話をかける。


『そろそろ、連絡してくるころだと思ったよ』


 電話に出たのは名刺をくれた男だ。

 見透かすような物言いは気に食わないが、今は彼しか頼れる人間がいない。


『大方の予想はつくが……用件は何だ?』

「……自首する」


 恥辱に身を震わせながらも話を続ける。


「命を狙われているんだ、頼む! 助けてくれ! その代わりに俺の知っていることなら何でも話してやる。顧客の名前、仲間の潜伏先、ハルの立ち寄りそうな所――俺の情報を使えばハルを逮捕できるはずだ」

『証言だけではだめだな。逮捕するにはもっと確実な証拠がなければ』

「近いうちにでかい取引がある」


 携帯電話を握り締め、空いているほうの手でポケットをまさぐる。


「ダイヤモンド・ダストの製造元から直接商品を買い付ける。海外から大物が来日して商談するそうだ。大掛かりな取引で、俺も手伝う予定だったんだ。取引の現場を押さえればハルさんを逮捕できるだろう?」


 ポケットの奥からSDカードを取り出して確認する。

 このちっぽけなSDカードはノブにとって最後の命綱だ。

 うまく使えば、この危機的状況をきりぬけることが出来るはず。


『海外の大物とは誰のことだ?』

「俺たちはアイスマンって呼んでいる。……名前とか詳しいことは俺も知らない」

『日時と場所は? 』

「予定通りに行けば、取引は明日。……正確な時間と場所はここでは話せねぇ」

『……いいだろう。六本木の事務所に来い』

「駄目だ! 外歩いている所を仲間に見つかったらどうするんだ!? ……そっちから迎えに来てくれよ、いつもの黒塗りの車でさ!」

『わかった、わかった。で、今何処に居るんだ?』

「田町駅からちょっと行った所にあるファミレスだ。名前は……」

『……ああ、そこなら知っている。今から迎えをよこすから、おとなしく待っていろ』


 携帯電話を切ると、ため息をついてソファーにもたれかかる。


 一安心したら小腹が空いてきた。

 何か注文しようと思ったが、ウェイトレスの姿が見当たらない。


「いらっしゃいませー」


 出入り口のほうから声がする。

 接客中のようだ、どうやらこの店にはウェイトレスは一人しか居ないらしい。


(ひでぇ店だな……)


 閑散とした店内を見回す。

 昼前の客入りが悪い時間帯とは言え、席に座っているのは自分一人しか居ない。

 テーブルや椅子をみると細かい傷があった。壁や床の所々にも、補修した後が見える――唯一、窓ガラスだけは真新しい。


 全体的にさびれた印象の店だ。

 まるでヘカトンケイルが酔っ払い相手に乱闘した後のような……。


「…………?」


 益体もないことを考えていたため気が付くのが遅れた。

 ふと正面の席を見上げると、いつの間にか人が座っているではないか。

 赤い髪の白人男性は、断りも無く自分の席に腰掛けていた。

 大柄な体格に似合わない愛嬌のある顔立ちで、こちらに向かってニコニコと微笑んでいる。


 この店のウェイトレスは、愛想だけでなく頭も足りないらしい――二人しかいない客に相席させるなんて!

 文句を言おうと口を開きかけるが何しろ相手は外国人だ、日本語が通じるかどうかもわからない。


 逡巡している内に、向こうから話しかけてきた。


「Hello!」


 赤毛の男は陽気な挨拶と共に微笑んだ。


 §§§


「……そろそろ、連絡してくるころだと思ったよ」


 両手一杯にファイルを抱え、司は執務室に戻った。

 電話中の片桐に気を使い、静かに執務室のドアを閉める。

 うずたかく積まれたファイルに囲まれ、パソコンに向って一人黙々と作業を続ける片桐の下へ歩み寄る。


「大方の予想はつくが……用件は何だ?」


 携帯電話を片手に、片桐は作業を続ける。

 あきれる程の仕事中毒だ。徹夜だったはずなのにキーボードを叩く手に乱れは無い。


「証言だけではだめだな。逮捕するにはもっと確実な証拠が欲しい」


 片桐がこうも熱心に取り組む作業とは――有体に言えば隠蔽工作であった。

 政治的取引により合成麻薬『ダイヤモンド・ダスト』に関わる一連の事件は存在しない事件として扱われることとなった。

 それにともない事件に関する情報を改竄し、帳尻を合わせる作業が必要になる。

 データベースにある逮捕記録や捜査情報などを削除し、空白となったスペースに架空の情報を書き込む――楽でもなければ楽しい作業でもない。


「海外の大物とは誰のことだ? ……日時と場所は?」


 キーボードを叩く手をとめて資料の山を指差した。

 この上に乗せろといいたいらしい。


 仕事熱心なのは結構だが秘書としてはたまったものではない。

 片桐専属の秘書として任命された司は彼の仕事から生じる膨大な雑務をこなさなければならない。


『いいだろう。今何処に居る?』


 司は重そうに抱えたファイルをデスクの上に乗せた。

 既にデスクに積み重ねられているファイルの山は、さらに高さを増し今にも崩れそうだ。


「……ああ、そこなら知っている。今から迎えをよこすから、おとなしく待っていろ」


 携帯を切ると片桐はこちらに向き直った。


「資料はこれで全部か?」

「はい。これで全部です」

「よろしい。では、次の仕事だ」

「……げ」


 一息つけると思いきや。

 片桐は当たり前のように、新しい仕事を命じてきた。


「証人の護送を頼む。……壬生はまだ寝ているのか?」

「……はい」


 ためらいがちに答える司を見て片桐は鼻をならす。

 もうそろそろ昼過ぎだというのに、誠士朗はいまだに仮眠室から出てこない。

 昨夜、南部にへこまされたショックで不貞寝しているのだ。


「かまわん、叩き起こせ!」

「……はあい」

 落ち込んだ誠士朗を起こして任務に向かう――それだけでも大仕事だ。

「それで、どこの誰を連れてくるんですか?」

「お前らの良く知っている場所で、お前らの良く知っている人物だ」


 §§§


 救命病棟から響くサイレンの音で須藤は目が覚めた。

 待合室の長椅子で寝ていたために体の節々が痛い。

 背中の筋肉をほぐしながらのろのろと起き上がる。


 結局、昨晩は病院に泊り込むことになってしまった。

 病院なのだからベッドはたくさんあるはずだったが、看護師は病室で仮眠を取ることを許さなかった。

『病人でもない人間にベッドは貸せない』という理由だったが、単なる嫌がらせだろう。


(……まあ、無理もないか)


 眠気を振り払うように頭を左右に振りながら、待合室の隅に置かれた自販機でコーヒーを二つ買う。


 待合室は閑散としていた。

 ここは特別病棟であるため、一般の見舞い客は立ち入り禁止だ。


 両手に紙コップを持って病室の立ち並ぶ廊下を歩いてゆく。

 白い廊下に白い扉。どれも同じように見えるが、目的の病室を間違えることなくすぐに見つけることができた。


 廊下の突き当りの病室。

 その扉の周囲に黒服の一団が並んでいた。

 黒のロングコートに禿頭――ヘカトンケイル中野小隊の隊員達は、直立不動の姿勢で立っている。

 病室の前にたむろする一団を見るなり、須藤の顔が渋く歪む。


(……目立ってしょうがねぇな)


 渋面を浮かべたまま病室の扉の前に立ったそのとき、滑らかな動きで扉のすぐ脇に立っていた隊員が動いた。

 両手のふさがった須藤に代わり病室の扉を開けてくれる。


「……ありがとうよ」

「…………」


 愛想の無いドア・ボーイに礼を言うと病室の中に入る。

 病室はカーテンを閉め切っているため薄暗かった。


 やや広めの病室に一つしかないベッドには、少女が横になっていた。

 口は呼吸器で覆われ、右腕には点滴のチューブ、胸の電極はそれぞれ生命維持装置につながっていた。

 さらに全身を拘束具で四肢をベッドに括り付けられており、寝返りを打つこともできない。

 右手首を見ると擦り傷があった。

 昨晩暴れた時、拘束具と擦れてできた傷だろう。


 ベッドの側には付き添いの男が一人、パイプ椅子に腰掛けていた。

 黒いコートに禿頭という姿は表にいる隊員達と同じ格好だったが、左腕には隊長であることを示す腕章があった。

 入室してきた須藤に振り向くことなく。

 ヘカトンケイル中野小隊隊長、南部隆俊はベッドに横たわる少女を身じろぎひとつせずに見つめ続けていた。


「……徹夜したのかい?」


 コーヒーを差し出しながら南部に尋ねる。


「……ありがとう」


 コーヒーの礼は言ってくれたが、質問には答えてはくれない。

 もっとも、南部の落ち窪んだ目を見れば一睡もしていないことは明白だった。


「で、どうよ? 様子は?」

「明け方近くに禁断症状が出てひどく暴れた」


 受け取ったコーヒーを一口すすり、南部は説明を続ける。


「医者の手当てで、どうにか今は落ち着いている。……と、言ってもとりあえず薬で眠らせているだけだがな。専門の医者がいないので、ほかに治療する方法がないそうだ。目が覚めたら、また暴れだすかも知れん」


 付き添いと言っても、医者でもない南部にできることなどない。

 患者の容態は最新式の生命維持装置が管理しており、異変があればナース・ステーションに伝える仕組みになっている。

 本来ならば付き添いなど必要ないのだが、それでも南部は病室に残ることを主張した。

 気休めとは言え南部一人に付き添いをさせるわけにも行かず、安田も一緒にこの部屋で寝ずの番をしていたはずなのだが今は姿が見えない。


「……一徳はどこ行った?」

「ナース・ステーションだ。港小隊から電話があった。向こうで何かあったらしい」

「……ふうん」


 須藤は気の無い様子で答え、さっきまで安田が腰掛けていたパイプ椅子に腰掛ける。


「……なあ、いつまでこうしているつもりだ? あんた一人ぐらいは構わないけど、表の連中はなんとかなんねぇのか? 正直、邪魔でしょうがねぇぜ」


 隊長に倣って病室の外の隊員達も徹夜で警護をしているのだろう。

 隊長への忠誠心は見事だったが、正直邪魔だった。

 いくら人の来ない特別病棟とは言え、廊下をふさがれては通行の邪魔だ。


 本来ならば中野小隊の隊員たちが制服姿で渋谷区をうろついているだけでも問題なのだ。

 こうして付き添いができるのも、渋谷小隊の副長である須藤の裁量によるものだ。


 渋谷小隊と中野小隊は同じく隣接する港小隊とは違い、管轄をめぐってのいざこざも無く良好な関係を保っていた。

 ヘカトンケイル屈指の精鋭部隊を束ねる南部は、人格者としても知られている。

 傍若無人な須藤でも、南部にだけは敬意を持って接していた。


「昼には出て行く。それまでは我慢してくれ」

「……昼?」

「彼女を専門の施設に移送する。ここでは満足な治療が受けられない」

「……ち、ちょっと待てよ」


 慌てて須藤は問いただす。

 中野小隊が出て行ってくれるのは喜ばしいが、少女を連れて行かれるのは困る。


「この娘は重要な証人だ、勝手に移動させるわけにはいかねぇよ!」

「証人である以前に父親のいる娘だ。保護者の意向を無視することはできん」

「ああ、国会議員のパパね!」


 須藤は侮蔑も露に吐き捨てる。

 父親の政治力のせいで売人たちを見逃す羽目になったのだから無理もない。


「出来が悪くても娘は可愛いってか? そんなに心配なら顔ぐらい見せたらどうなんだ! 一晩経っても、見舞いにも来やしねぇじゃねぇか」

「富田議員が心配なのは自分の社会的立場だ。クスリ漬けの娘のことがばれると政治生命が危うくなる。移送するのも、マスコミの目から洋子を隠すためだ」

「…………」


 須藤の辛辣な皮肉を、南部はあっさりと切り返す。

 口調こそ淡々としたものだったが、後援者でもある富田議員を批難しているようにも聞こえる。

 一口コーヒーをすすり、南部は話を続ける。


「権力欲の塊のような男さ、自分の保身のためならば何だって利用する。教育問題を口にしているのも、票集めの建前。本人は娘の誕生日すら覚えちゃいない」


 紙コップを握る南部の手が、震えているのを須藤は見逃さなかった。


「そんな父親だから当然、親子仲は悪かった。喧嘩が絶えず、その度に家を飛び出していた。世間体を気にする議員は警察ではなく、俺達に娘を捜させた。洋子が家出する度に俺達が探して連れ戻して、連れ戻されてはまた家出して……。そんないたちごっこを何度も繰り返しているうちに、とうとうこんなことになってしまった」


 強く握り締められた紙コップは、南部の手の中で音も無く潰れる。


「家庭を顧みない権力の亡者が、彼女をどれだけ傷つけているかぐらい俺にだってわかるさ。……それでも父親なんだよ、捜索願を出されたら探さなくちゃならないし、見つけたら家に連れ戻さなけりゃならない。ましてや富田議員は俺達の支援者だ、逆らえるはずが無い」

「……ダンナ」


 独白を続ける南部の姿にいたたまれなくなり、声を掛けるが慰めの言葉が見つからない。


「本当は悪い子じゃないんだ。ただ、彼女を理解してくれる大人が周りに居なかった、父親も、韮澤も……そして俺も。彼女は被害者だ、大人たちの都合に振り回された可愛そうな娘なんだ。彼女自身は何も悪くない、悪くないんだ……」


 ベッドに横たわる少女を慈しむ様に見つめ、南部は何度もつぶやいた。


「悪い子じゃないんだよ……、本当は」


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