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『―白石くんシリーズスピンオフ― 矢納正の思考実験 チャネリング前日譚』  作者: Dicek


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第5章 未来を知りたい理由

皇學館大学の一画に、外部者は入れない宗教文化研究センターがある。

そこで行われていたのは、科学でも宗教でも説明できない“意識の観測実験”。

若き研究者・矢納正は、ひとりの少女に未来の可能性を託すことになる。

(1) 2022年12月19日(月)皇学館大学 神学文化研究室


 矢納は宮内庁サーバーに入り、PEOからのメールを読んでいた。

 来月1月末の実験で[児童才能開発プロジェクト]はいったん終了するという内容だった。

 実験対象者を日向・D・結ひとりに絞ることに方針変更してから2回の実験を行ってきた。結の予定に合わせて実験の日にちを設定できるようになったので、11月に連続で二回行なうことができたのだ。


「二宮教授、教授は実験の終了後のことについてなにかご存知なんですか?」


 珍しく研究室にいる二宮に声をかけた。


「プロジェクトの運営は君に任せている。君の知っている以上のことは知らないよ」


 二宮がそう答えたが、矢納はその口調になにか含みがあることを感じた。


「しかし、契約の期間は1月以降もまだ残るじゃないですか。どういうことなんでしょうか」


「そうじゃのう、何も聞いてはいないが予想していることはある」


「それは?」


「うん、まぁ……。例えばじゃな、日向・D・結の母親、宮内庁書陵部の女官なんだが、来年度から配属変更される。どこだと思う」


「はぁ」


「古市陵墓監区事務所だ」


「……」


「わからんかね、応神天皇陵じゃよ、恵我藻伏岡陵エガノモフシノオカノミササギの前方後円墳の敷地内にあるんじゃ」


「大阪の羽曳野ですね」


 さすがに研究対象の前方後円墳のことについては反応が早い。


「実験対象者をそこに近づける必要があるんじゃないのかなという気がするのう」


「どういう理由で、そうお考えなのですか」


 二宮は自分の考えを熱心に聞いてくれる矢納を嬉しそうに見ていて、口角がこころなしか上がっている。


「直近の二回の実験は結ちゃんのチャネリング能力を探るものだっただろう」


 たしかに夏に宮内庁京都事務所で行った総括会議で指示された通りに、チャネリングテストを行ったのだ。まったくやったことがないことだったので、矢納も東京大学認知行動科学研究室の石川もとても苦労した。

 矢納は彼の亡母が除霊師だったこともあって、千葉の実家へ帰り、母の蔵書を調べに帰郷したくらいだ。その足で東大へ立ち寄り、その成果を石川と話し合い実験の方法を研究した。降霊術やイタコの作法などを調べ、さらにアメリカのライヨラ大学のオカルト好きの研究仲間からチャネリング方法を聞いたりもした。


「ええ、なんの成果も得られませんでしたが」


「そうだな、彼女が知覚推理能力も長け、さらにチャネリング能力まで持ち合わせているとは思えんもんな。だがやつら―PEOは、彼女に[神の啓示]を読み解かせることを諦めないだろう。その[神の啓示]を受け取る場所は前方後円墳にあるとPEOは言っていた。一つは仁徳天皇陵だったんだろうが、あそこはマッカーサーが無理を通して先に発掘調査してしまった。残る場所が応神天皇陵の前方後円墳なんじゃないかな」


「……!」


「わしらがいくら発掘調査をしたくても、宮内庁が決して許可をしてくれないあそこじゃよ」


「なるほど……」


 突拍子もない推論に驚いていた矢納だが、だんだんと頭が追いついてきた。


「あそこの石室は、1934年の室戸台風による土砂崩れで石室が露出して、旧宮内庁があわてて埋め戻したという……」


「おっ、頭が回ってきたな、矢納くん。あそこがこのプロジェクトの中心だ、そう思わんか」


「完全にわれわれの研究範囲ですね。それでこのプロジェクトがうちの大学に」


「だが、バカな顔で知らんぷりしとけよ。やつらの秘密を知りすぎると、われわれの研究を潰されかねんからな」


「はい……」


 矢納は返事をしたが、すでにかれの頭の中では様々な考察がぐるぐると渦巻いていて、上の空の表情だった。

 二宮はそんな矢納を見て、もう一度ニヤリとすると


「じゃぁ、わしは教授会議に行ってくる。その後はまた懇親会じゃろうから、あとはよろしく頼む」


 ひょうひょうと出ていく二宮の後ろ姿を、矢納は頭を下げて見送った。



 二宮教授が出ていった後、矢納は自分の机のパソコンの画面を見ながら考え込んでいた。

 画面には宮内庁サーバのPEOからのメールが映ったままだ。ダウンロードができないのでスマホを取り出して画面を撮影する。

 何気なく画面の隅々まで眺めていると、スクロールした最下部にいくつかのリンクがあることに気がついた。

 マウスポインタを当ててみると、

 ftp://eganomofushioka_2.va

 と表示される。


(えがのもふしのおか……、エガノモフシノオカノミササギのことか?)


 どうせ入れないのだろうと思いながらクリックしてみると、以外にも画面が切り替わってデータベースのようなページにジャンプした。

 背景には見覚えのあるAOBのロゴが薄く敷かれている。宮内庁の隠れ蓑になってこのプロジェクトを発注してきた、文科省の外郭団体である。


(宮内庁のサーバからAOBへのリンクがあっても不思議ではないが、なぜ「エガノモフシノオカノミササギ」なんだ? ただの隠れ蓑のはずのAOBが、このプロジェクトの中心かもしれない応神天皇陵に関わるアドレスを持っている)


 疑問を感じながらも、矢納はリストの上からクリックしていく。


==================================

――階層1の記録へのアクセスを開始します。

――本サーバは、AOBに帰属し、当該アドミニストレータよってのみ保持・管理されています。

――変更、削除、ダウンロード、コピー等の権限はユーザにはありません。

――違反行為が確認された場合は法的処理を行います。

==================================


 アラートウインドウが表示された後、ファイルのリスト画面に切り替わった。

 矢納は一番上のファイルをクリックすると、パスコードを求めるウインドウが開いた。

 宮内庁サーバに入るためのパスコードを試しに打ち込んでみたが、やはり通用しない。


(結局見られないんじゃないか……。しかし、気になる)


 ファイル名も数字の羅列で、内容の推測もできない。

 「バカな顔で知らんぷりしとけよ」という二宮教授の言葉が矢納の頭をよぎった。


(アクセスログは当然サーバに残る……)


 矢納は回線ごとログアウトすると、椅子の背もたれに思い切り寄りかかり天井を見上げた。


(PEOの言う[神の啓示]とは何なんだろうな?)


 われわれ人間に対して、なんらかの示唆をする神の言葉を[神の啓示]というのだろうが、そのタイミングは“神”しだいのはずだ。人間側がわざわざ人材を探し出してまで、[神の啓示]を今聞きたがるPEOに矢納は違和感を感じていた。


(日向・D・結は巻き込まれてしまったな……)


 矢納は、無垢な好奇心に目を輝かせていた少女の姿を思い浮かべて、やるせなさ気に天井に向かってため息をついた。




(2)


 2022年12月19日(月)東京都千代田区宮内庁書陵部


 宮内庁非公開部署PEOの和室で統括室長の最上源泉が床の間を背に座っている。

 床の間には掛け軸が掛けられ、古い御璽箱ぎょじばこが置かれている。

 下座には男女ふたりの人間が正座していた。


「日向君、通達したように君は古市陵墓監区事務所へ移動となるわけだが……」


「承知しております、最上様」


「〈探るもの〉の候補が君の娘になったことは驚いたが、これも因縁なのだろう。恵我藻伏岡陵エガノモフシノオカノミササギへ自然に接近できるように計らったのだ」


「はい、心得ております」


「君の横にいる阿部と連絡を密にして、PEOとしての行動をするように」


「はい、承知いたしました」


「書陵部女官としての勤めも怠りなきようにな」


「承知いたしました」


 女は日向美沙、日向・D・結の母親だ。奈良県 橿原かしはら神宮の神官の血筋で祖父は侍従、母は女官と代々宮内庁に囲い込まれているといえる。「これも因縁だろう」と最上源泉が言ったのはこのためだ。神武天皇を祀り、建国の地ともいわれる橿原神宮の神官の血筋というのは、宮内庁にとって特別のものだ。美沙は聡明そうな深い目をして最上を見つめている。


「安倍様、いろいろとご教授をお願いいたします」


 美沙は横にいる阿部に顔を向けて頭を下げた。


「よし、日向君はもうよい」


 最上が告げ、美沙は部屋を出ていった。

 それを見送り、襖が閉まってから最上が阿部に聞いた。


「アメリカ側の情報はどうだ、詳しくわかったか」


「はい、USAID(米国国際開発庁)の職員がやっと接触してきて、例の件についての確認が取れました。「2206年の環境大変化」に関する[神の啓示]は実際にあったようです」


 男は事務的な声で報告した。


「そうか……。やはりな」


「さらに、“Identity of Universe”OperationというプロジェクトがUSSFで立ち上がったそうです」


「USSFじゃと」


「はい、アメリカ宇宙軍です。横田基地に在日米宇宙軍も発足させました」


「……。“Identity of Universe”とはなんだ」


「はい、〈万物の正体〉とでも訳しましょうか、アメリカが行っているチャネリング対象です。“神”とも違う存在というか……」


「マッカーサーに出し抜かれた、仁徳天皇陵石室にいた存在ということか」


「あるいは……」


 最上は目を閉じて考え込んだ。男はじっと最上の言葉を待っている。

 やがて目を開いた最上は呟くように話し始めた。


「何にしても、180年後のことだ。しかし、アメリカには急ぐ理由があるということか……。われわれの活動とアメリカ側のプロジェクトが対立することもないし、われわれには先を争う必要もない。じっくりと日向・D・結の〈探るもの〉としての完成を待とう」


「はっ、かしこまりました」


「チャネラーは見つかりそうか? あの〈探るもの〉候補の少女は、どうやらチャネリングはできないみたいだからな」


「手を尽くしておりますが、未だに……」


「よし、〈探るもの〉が恵我藻伏岡陵エガノモフシノオカノミササギの近くに移るのは来年4月だ。それまでに目星をつけろ」


「はっ、かしこまりました」


「では、さっそく動け」


 男は立ち上がり出て行った。最上はしばらく座ったまま和室に残っていたが、しばらくして手を叩くと襖を開けて女官が現れた。


「書陵部長と会う。段取りしてくれ」


「かしこまりました」


 女官はすぐに出ていった。

 最上もようやく立ち上がり、振り向いて床の間に一礼してから和室を出て行った。




(3)


 2022年12月24日(木) 千葉県富津市


 矢納は再び千葉県へ帰郷していた。次回で最後と言われたチャネリング実験の資料を実家に取りに来たのだ。

 実家の父の部屋の本棚には相当な量の書籍が収められておる。そのほとんどがスピリチュアル系、オカルト系、都市伝説系の本である。

 父親にはメールで実家に帰ることと、本を借りていく旨を伝えてある。矢納は父親の部屋でそのまま座り込み、いくつかの本を読みふけっていた。


 「幽体離脱入門」。今、矢納が読んでいる本はいわゆる幽体離脱について書かれた本だ。内容は多岐にわたるが、体を離れた思考が好きな時間軸、好きな場所へ瞬時に行くことができるといったことが体験談として書かれている。

 眉唾物だが、矢納には引っかかるものがあった。


(好きな時間軸に行けるということは、いわゆる高次元にいるということなのだろうか。それならば“神”のいる次元ともつながっていて、接触できるってこともあるのではないか……)


 奇書に囲まれた空間で、矢納の思考は完全にオカルト好きの少年の頃に戻っていた。


(次元上昇による“神”との直接の接触。それはそれで、チャネリングと同じ効果があるのではないかな……)


「思考と心と魂」。次に矢納が手に取った本は、心霊現象にやや科学的なアプローチをしているものだった。

 思考というものはつまるところ、脳の神経細胞とニューロンによる電気信号のやり取りなのだから、物質の触媒があってこそ存在ができるものである。したがって体を離れても存在しうる“残留思念”なるものは、代わりとなる触媒がある空間にのみ存在できる。それがいわゆる心霊スポットである、とある。

 密室で動きのない淀んだ空気、マイナスイオンが多く飛び交う滝などの水辺、規則的に分子の並んだ重金属等々に、何者かの思考が宿るらしい。

 “心”とは、思考の中にある“意識”のことであり、“魂”とは自我であり、器のように思考を包みこんでいるとこの本は言っている。


(規則的に並んだ分子の空間、淀んだ空気……)


 矢納は前方後円墳の石室を、なんとなく思い浮かべた。実際に見たことはないが、作られてすぐに密閉され、出入り口もない古墳の竪穴式石室には、古代の空気が淀んで動くこともなく充満しているのだろうと想像した。PEOのチャネリング計画の中心であろうと二宮教授が予想した、応神天皇陵石室……。そこに“神”の思考が封印されているとしたら……。


(“神”と次元を揃えることがチャネリングの条件ということか。チャネラーが次元上昇するか、“神”の方がこちらの次元に降りてくるかだ。だが石室に“神”の思考がすでに用意されているのならば、チャネリング能力がないものであってもあるいは……)


 不意に部屋のドアが開けられて矢納の父親が入ってきた。本を読みふけっていた矢納は驚いて座ったまま後ろに飛び退いた。


「くっくっくっ。どうした正、びっくりしたのか、あはは」


 笑いながら近づきてきて、矢納の放り出した本を拾い上げた。


「ふーん、こんなの読んでたんだ、もう考古学はやめて俺の手伝いでも始めるのかな」


「まさか、研究室の仕事に必要になったんだよ、こういう情報が」


 矢納はややムッとして答えた。びっくりした姿を見られてバツが悪い様子だ。

 窓の外を見ると、いつの間にか夕方になっていた。腕時計を見ると16時半だ。昼過ぎにこの部屋に入ったのだから、かなり長い間本を読みふけっていたことになる。


「まずい、夕方から約束があるんだった。お父さんもう行くよ」


「なんだ、忙しいやつだな。今夜はここに帰ってくるのか」


「多分。今夜泊まって、明日朝に三重に戻る」


「久しぶりなのにな」


「仕方ないだろう、正月にはまた来るからさ」


「へぇ、今度の正月は帰ってくるのか、珍しいな。もう何年も寄り付かなかったくせに」


「正月早々に東京で用事があるんだよ」


「まぁいい。出かけるならさっさと行け」


 矢納は居間に置いたバッグを取って玄関に向かう。急いで靴を履き出ていく矢納に、父親が「おい」と声をかけた。

 矢納がドアを閉めながら「なんだよ」と振り向くと父親が言った。


「メリークリスマス、正」


 矢納は「なんだよ」と言った口の形のまま固まった。


「早く行け」


 矢納が何も言葉を話せないままドアが閉まった。



 東京都文京区東京大学本郷キャンパスに矢納はいた。千葉から急いで来たが時間は18時前になっていた。

 17時半に行くと約束していた矢納は急ぎ足で理学部の研究棟へ向かう。

 3階の一番奥に、石川の研究室はあった。「認知行動科学研究室」と書かれたプレートがドアに付いている。


 半分開いているドアを一応ノックして、部屋の中を覗くと石川はひとりだけで応接用のソファに寝転んでいた。

 矢納が見ると目を開けて、無言で口角を上げた。


「すみません、遅れてしまいました」


「おっ、もうそんな時間か。まぁ、こっち来て座ってくれ、矢納君」


 石川は体を起こしながらそう言った。眠っていたわけではなさそうだ。


「実家からチャネリングに関係するかもしれない本をいくつか持ち出してきました」


「ほう、どれどれ。いかにもオカルトなタイトルと装丁だな」


 石川は「幽体離脱入門」を手にとってパラパラとページを見た。


「お疲れの様子でしたね。研究室に泊まり込みなんじゃないですか」


 石川はニヤッと笑って矢納を見た。


「そんな風に見えたかい? 瞑想してたんだよ。なかなかに難しい」


「瞑想……ですか」


「ああ、おれ自身もチャネリングができないものかなと思ってな」


「できそうなんですか? チャネリングが」


「だめだな。おれには無理そうだ、煩悩が多すぎるのかな。瞑想状態になることができない」


「……、石川さんもご苦労なさっているんですね。力を入れて取り組んでいただきありがたいです」


「ははは、まんざら心理学とも無関係ではないように思えてきてね。今後の研究テーマにならないか検討もしているんだ」


「なるほど。それはそうと今夜の打ち合わせはスタッフの方々はいらっしゃらないのですか」


「ははは、矢納君はひょっとして今日が何の日か知らないのかな」


「と、言いますと」


「クリスマスイブの夜だよ。若い連中が残業するわけないじゃないか」


「あっ、そういうことですか。いや、クリスマスイブなのは承知してましたが……」


「まぁ、君は神道の大学にいるわけだしな、さもありなんってことか」


「ええ、神道や仏教の連中ばかりに囲まれていますんで。それじゃ今夜の打ち合わせは中止ですか」


「いや、君と俺のふたりでやろう。どっかで飲み食いしながら話そうか」


「はい、わかりました」


 石川と矢納は研究室を出て行き、東大の赤門を通って、クリスマスで賑わう本郷の市街地に向かって歩き出した。




 石川の連れて行った店の名前は「蛭子(EBISU)」だった。

 本郷の市街地の外れ、水道橋駅前の繁華街との狭間にぽっかりと口を開けた住宅地の一角に、その店はひっそりと建っていた。

 かなり築年数の経った平屋の一軒家を改造したビストロである。

 「クリスマスイブに予約もなしで入れるんですか」と矢納が心配したが、店の佇まいを見るとすぐに納得した。


「いい店だろう。ここはいつでも空いているんだ」


「営業しているんですか」


 小さな看板がかかっただけの入口は、普通の住宅の玄関のようで、頼りなく照明が灯っている。


「心配しなくていい。早く入ってきてくれ」


 石川はさっさと引き戸を開けて中へ入っていく。矢納はおそるおそる後に続いた。

 床は靴を脱がずに上がれるように改装されていた。


「いらっしゃい、石川先生」


 高齢の男性が出迎えた。店主らしい。他に客の姿も、店員の姿もない。


「メリークリスマス。今日は仲間を連れてきたよ」


 石川は三つあるテーブルの一つに陣取り、早く座るように矢納に目で促した。


「ちょっと待ってくれ」


 立ち上がった石川は、キッチン横の冷蔵庫から瓶ビールを取り出し、カウンターに置かれたタンブラーを二つ持って戻ってきた。


「マスター、ビールもらったからね」


 そう言って、手にした栓抜きで瓶の栓を開け、矢納のタンブラーにビールを注ぐ。


「メリークリスマス」


 石川がタンブラーを寄せてくる。矢納も手に取り、軽くぶつけた。

 チン、とくぐもった音がして、静かな店内に響いた。


 半分ほどを一気に飲んだ石川が、話を始めた。


「例の実験だがな。闇雲にチャネリングの訓練をしたところで、何回やっても成果は出ないだろう」


「ええ。初めてのことなので、手応えもありませんし」


「原因はな、結ちゃんがチャネリングする対象が“仮の設定”だからだ」


「……なるほど」


 矢納はビールをちびちびと舐めながら、耳を傾けていた。


「PEOの考えている本番のチャネリング相手は誰なんだろう。君は知っているのかい?」


「いえ、聞いていません」


「想像もつかないか?」


「……」


 矢納は、二宮教授の考察を話すべきかどうか迷っていた。

 だが今は石川も皇學館大学と同格でプロジェクトに参加している。京都の宮内庁事務所の総括会議にも顔を出している。問題はないだろうと思った。


「言ってくれよ。もう俺と君たち皇學館大学側は同じチームだと思っているんだ。蚊帳の外はひどいだろう」


「いえ、そんなことはありません。ただ……」


「ただ?」


「少しぶっ飛んだ話に聞こえるかもしれません。二宮教授の考察によると、チャネリングの相手は古墳時代、ヤマト王朝の長が交信して“天の啓示”を受けていた相手だそうです」


「ヤマト王朝? 古墳時代?」


「ええ。あるいはそれ以前――邪馬台国を治めていた卑弥呼が神託を受けていた相手でもあると」


「総括会議で“天の啓示”を受け取るとは聞いていたが……やっぱり相手は神さまってことかい?」


「どうでしょう。そうかもしれませんし、もっと根源的な存在かもしれません」


「わからないなあ。もう少し詳しく教えてくれ」


「僕も理解しきれているわけではありません。ですが、ヤマト王国は古墳時代の末期に興り、やがて飛鳥朝廷に形を変えていきます」


 矢納はビールを一口飲み、唇を湿らせて続けた。


「飛鳥朝廷とは、推古天皇の即位から平城京遷都までの律令国家です。古事記にもあるように、皇統とは神武天皇から始まる血筋で、神武天皇はイザナギとイザナミの子孫。つまり、皇統とは“神の一族”です。その神の一族が“神の啓示”を受けるというのには違和感がありますよね。ですから、神とは違う、もっと根源的な存在なのだと考えたのです」


「うーむ、わかったような、わからないような……」


「そうですよね。われわれは日本の古代史にどっぷり浸かっているので、こういう発想になってしまうのかもしれません」


「……で、その“根源的な存在”とチャネリングできるかを、どうやって実験する?」


「やはり、実際にその相手に呼びかけてみるしかありません。天の啓示を与える存在を、現在調べているところです」


「そりゃ、まさに君たちの専門分野だな。おれの出る幕はないってことか」


「そんなこと言わないでください。力を合わせましょう、石川さん」


 石川は返事をせず、テーブルを立つと、カウンター脇の冷蔵庫から瓶ビールを取り出した。


「君の調査次第ってことは、今夜のところは男二人でイブの夜にビール飲むくらいしかできないな。わざわざ東京まで出てきてもらったのに」


「いえ、実家から資料を持ち出せましたし、無駄足ではありません。正月にももう一度こちらに来ます」


「まあ、飲め飲め」


 石川が矢納のタンブラーにビールを注いだ。自分の分にも注ぎ、一気に半分ほどを飲み干した。


「……天の啓示ってのは、何なんだろうな」


「啓示や予言は、ほぼすべて未来のことを告げたものです。例えば卑弥呼は神託による治世をしたと言われています。未来の出来事を知り、それを基に国を治めていたのでしょう。邪馬台国の後に興ったヤマト王朝の、代々の皇統の王たちもその存在と交信し、血筋を絶やさずに守ってきた。以降、侍たちにさんざん利用されながらも血脈を保てたのは、未来を神託されていて、正しい選択肢を選んだからではないかと、僕は考えています」


 オカルトめいた古代史を熱心に語る矢納を、石川はにこにこと眺めながらビールを飲んでいた。



 ふと、足元に妙な感触があった。

 酔いが回ってきた矢納は、テーブルの下を覗き込んだ。


「……?」


 黒い猫が、いつの間にか足元に顔を擦り付けている。


「おっ、蛭子ちゃん。やっと来てくれたな」


 石川もテーブルの下を覗き、猫を“蛭子”と呼んだ。


「蛭子? この店の飼い猫ですか」


「そうだ。この子が目当てで、俺はここに来るんだ」


「へえ、そうなんですか。それにしても“蛭子”とは……」


「猫の名前にしちゃ、変わってるよな」


「店の名前も[蛭子]でしたよね。“EBISU”ってふりがながありましたけど」


「ああ、店は“えびす”だが、この子は“ひるこ”なんだ」


「意味深ですね」


「なんでだい?」


 矢納はビールを一口飲んでから、古代史オタクらしい調子で語り出した。かなり酔っているようだった。


蛭子ひるこっていうのは、イザナギとイザナミの最初の子どもです。立ち上がることができない不具者だったため、葦の船に乗せられて海に流されました。流れ着いた島で助けられ蛭子えびす、つまり恵比寿様のえびすになったと古事記にあります」


「また古事記かい。この仕事は日本古代史に縁があるなぁ」


「いえ、古代史そのものに関わる仕事なんです、このプロジェクトは」


「そうかい? 俺は“神様のお告げを通訳できる天才ちびっこ”を探す仕事だと思ってたがな」


「表向きはそうです。でも、結局選ばれたのは日向結ひとりだけ。その母親は宮内庁書陵部の女官で、祖父は侍従。おまけに先祖は橿原かしはら神宮の神官です。橿原神宮は神武天皇を祀った日本建国の地ですから、古代史と皇統の成り立ちに直結します」


「そうかいそうかい。矢納くんはこういう話になると生き生きしてくるなあ」


「さらにですよ。結ちゃんの母親――書陵部の女官は、来年の四月から大阪に異動になります。どこだと思います?」


「い、いや、わからん」


「応神天皇陵の監区事務所です。前方後円墳の応神天皇陵。あそこの方形部には竪穴式石室があって、謎が多いんですよ」


「ほほう」


 石川は身を乗り出してきた。


「宮内庁は、われわれがどんなに申請しても発掘許可をくれません。石室には隠さねばならない“何か”があるように思えるのです。戦後、GHQのマッカーサーが真っ先にしたことは、仁徳天皇陵石室の調査と青森の“キリストの墓”といわれている土地への訪問です。日本にはなにかすごい秘密が隠されていると思っていたからでしょう。応神天皇陵にも、きっとすごい秘密がある気がします」


「そこに日向家は引っ越していくと……」


「そうです。和歌山から大阪の羽曳野へ。結ちゃんが前方後円墳の近くにいたほうが、都合がいい理由があるんじゃないかと思っています」


「天の啓示の解釈者が、前方後円墳の近くにいるほうが良い理由……か」


「チャネリングの対象者が、そこにいるってことではないかと」


「応神天皇陵に……」


「はい。おそらくは石室の中に」


 矢納はそう言って、タンブラーを手にした。だが空だった。


「ビールはあそこの冷蔵庫から出してきてくれ。俺は今、動けない」


 石川の膝の上には黒猫の蛭子が寝ていた。背中の毛を撫でながら、動く気配がない。


「その状況じゃ仕方ないですね」


 矢納は立ち上がり、テーブルの空き瓶を二本手に取った。カウンターへ向かう背中に石川の声が届いた。


「君は本当に日本古代史が好きなんだな。うらやましいよ、好きな研究に打ち込めていて」


 矢納が新しい瓶を持って戻ってくる。


「どういうことですか。石川さんだって研究室に泊まり込むほど、心理学に打ち込んでいるじゃないですか」


 石川は自分のタンブラーを指さし、「注いでくれ」と目顔で伝えながら言った。

 膝の上の猫が起きてしまうから、手しか動かせないのだ。


「俺たちの研究は、所詮は知能検査会社への“売り物”だ。やりたくない研究なわけじゃないが、思考や意識の深淵に迫るものではない」


 左手で蛭子の背を撫でながら、右手で注いでもらったビールを口にする。


「二宮教授と僕の研究は、どこかに売れるようなものではありません。教授がいつも警戒している論文スパイにも狙われるはずもなく、常に存続の危機です」


「そうか……。隣の芝生は青く見えるってやつかな。いや、愚痴っちゃったな。すまん」


「いえ。でも今回のプロジェクトも、最初は予算欲しさに請け負ったようなもので、不本意でした。けれど結局はこうして古代史の研究に寄せられてきて、驚きましたが、やはりうれしいです。石川さんとこうしてお話できるのも、このプロジェクトのおかげですし、ありがたいと思っています」


「真摯な研究態度を見て、君が喜ぶように神さまが計らってくれたんだろう。きっと」


「そ、そんな……」


「なんたってクリスマスイブだからな。神さまは神さまでも――キリスト様か。はは」


 石川の笑い声が消えると、外の風が軒を鳴らした。

 矢納はグラスの底に残った泡を見つめ、胸の奥に、得体の知れない静けさを感じていた。



(つづく)

*最後まで読んでいただきありがとうございます。完結まで、毎日朝7時に投稿しますのでお楽しみに。

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