第3章 探り当てた候補者
皇學館大学の一画に、外部者は入れない宗教文化研究センターがある。
そこで行われていたのは、科学でも宗教でも説明できない“意識の観測実験”。
若き研究者・矢納正は、ひとりの少女に未来の可能性を託すことになる。
(1)
2022年6月28日(金)皇学館大学 神学文化研究室 11時00分
第二回[児童才能開発プロジェクト]思考実験が行われる日の朝、矢納は実験の準備に追われていた。
例によって二宮教授は欠席だ。親類の法事があるらしい。
(東大研究所の連中が来る前に、日向結の情報を整理しておきたい)
矢納は被験者の出欠と座席の確認をして、試験に使うデジタルパッドの起動確認を急いだ。
準備を終えて試験官席にドサッと座ったときには、もう11時になっていた。
スマホにダウンロードしておいた被験者データを開いて、日向結の欄を凝視した。
(母親が宮内庁の女官というのは偶然なんだろうが、その出自が気になる……)
奈良県 橿原市出身。3代前の家長が橿原神宮の神官、その息子は宮内庁侍従であり、その娘は橿原神宮の巫女を経て宮内庁女官になっている。そしてその娘、美沙が結の母親になるわけだ。
(神官、巫女の血筋のものを宮内庁は採用しているのだろうか。3代続けて宮内庁勤務とは……。宮内庁とはそういうところなのか……?)
結の母親、美沙は18歳から女官として宮内庁入りしている。女官は侍従のもと、皇族の処々の雑務をこなす職務である。
(とすると、宮内庁の人間はみな、そういった血筋の人間で固められているのか?)
宮内庁の仕事のひとつに、古事記の解読、修復と保存というものがある。矢納の研究や、二宮教授の論文テーマと深く関わる古事記について、宮内庁の担当者に取材した経験が矢納にはある。原本の写真は見せてもらえたし、そのデータももらうことができたが、現物を見せてもらうことは拒否された記憶がある。
(つまりは皇統に関する伝統の継承と保全、そして秘密を秘密のまま保持することが宮内庁の存在意義なのだ)
古代日本にあったとされる邪馬台国の女王卑弥呼。その没後の「空白の4世紀」「空白の150年」を研究テーマにしている矢納にとって、大和朝廷すなわち皇統の始まりとなる時代の数々の謎を宮内庁は知っているのであれば、是非にも知りたいところなのだ。
奈良盆地に興った大和朝廷。その建国の地と言われている橿原神宮の神官の血を引く日向結。
専門外の雑務と思っていた[児童才能開発プロジェクト]が、日向結の登場で思いがけず自分の研究に近づいてきたことが、矢納をこの思考実験に力を入れる原因となっていた。
「やぁ、こんにちは矢納君」
試験室のドアを開けて石川信一が入ってきた。東京大学認知行動科学研究室のスタッフもいっしょだ。スマホを凝視していた矢納は、不意をつかれて弾かれたように立ち上がった。
「あっ、石川さん、スタッフの方々も。お出迎えせずに申しわけありません」
無礼を詫びる矢納に、石川は軽く手を振って
「いいんだ、いいんだ。今日もよろしく頼むよ」
前回の実験後、二人で飲んで語り合ったことで親睦が深まったのか、機嫌の良い表情で返事をした。
「はい、よろしくお願いします」
矢納は先に立って石川たちを総合研究室へ案内した。
*
「今回の設問は面白いですよ、まだ言いませんけどね。矢納くんもあとで子どもたちと一緒に考えてみてくれ」
石川は上機嫌だった。他のスタッフも前回と同じ面子だったが、みな同様に表情が明るい。
(どうしたんだろうな、前回はオタク然としていたのに……)
「なにやら、よく解りかねますが……」
「まぁ、始まればわかるさ。さぁ、モニタリングの設営をしておこうか」
相変わらず機嫌よくスタッフに指示し始めた石川を、矢納は不思議な気持ちで見ていた。
12時前になると被験者の子どもと保護者たちが到着し始めた。今回も参加者は8名だ。昼食をとったあと30分後に実験を始める段取りになっている。
矢納は控室に仕出しの弁当を運び込んだ。東大スタッフの岩下幸司が手伝ってくれた。
「2回目ともなると、みなさんも慣れてきたようですね。硬さが取れてリラックスできている様子で安心してます」
当たり障りないことを岩下に話しかけると
「なぁに、石川さんの機嫌がいいので、みんなホッとしているだけです。我ながら傑作な設問ができたって言ってましたから」
「そんなもんですか、はは」
弁当を子どもと保護者たちに配りながら、矢納は日向結の姿を探した。
部屋の一番隅っこに日向結はいた。弁当を渡す矢納に目で訴えかけてくる。
「どうしたんだい、なにか困ってる?」
「いえ、あの…、お昼ご飯が用意されているって知らなかったもんで、持ってきちゃったんです自分のお弁当……」
矢納は破顔して日向結の顔を見た。
「ははは、構わないよ。気を使わないで自分のお弁当を食べてくれ」
他の保護者の耳を気にして低い声で
「いいね、お母さんのお弁当か」
「いえ、あの……、お父さんが作ってくれました」
「へぇ、驚いた。いいお父さんなんだね」
「はい」
嬉しそうに応える少女の手元の弁当箱を見ると、ローストビーフとクレソンを挟んだサンドイッチと、小さなタッパーに見栄え良く詰められたサラダが見えた。
「ここで用意したお弁当より、美味しそうだね」
矢納はさらに低く、囁くように少女に言った。
「はい。あっ、いえ、そ、そんな……」
「ははは、ゆっくりとお食べ。今日もよろしくね」
弁当を配り終え、岩下と控室を出て総合研究室へ戻りながら矢納は考えていた。
(なんで俺は子ども相手だとこんなに気軽に話せるんだろうな。同レベルってことかな……)
(2)
「ではテストを始めます。手元のパッドに問題が出ますので、答えを入力してください。入力し終わったら終了のボタンをタップしてください。制限時間はありません」
前回同様に思考実験は始まった。矢納も子どもたちと同時にパッドの問題を見た。
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「世界の始まり」についてのさまざまな情報を集めました。これらを見て最後にある質問について自分の考えを述べなさい。
・シュメール文明における「世界の始まり」(挿絵):シュメール文明は紀元前4000年ごろに興りました。
原初の海ナンムが空の神“アヌ”と大地の神“キ”を生み出し、二人は結婚し、息子“エンリル“が誕生する。父“アヌ”は空を統治し、息子“エンリル“は大地を統治する。(以降10行程度の説明文が続く)
・エジプト文明における「世界の始まり」(挿絵):エジプト文明は紀元前3000年ごろに興りました。
太陽神“ラー”がこの世のもの全てを創造し、毎日太陽に乗って東から現れ世界を照らし、夜になると邪悪なヘビ“アペプ”と戦って倒し、翌日また東の空から現れる。(以降10行程度の説明文が続く)
・ユダヤ教・キリスト教における「世界の始まり」(挿絵):ユダヤ教は紀元前1800年ごろに生まれました。
唯一絶対の神“ヤハウェ”が7日間で天地のすべてを創造した。紀元前3761年10月7日とされています。最後に神自身の姿に似せた人間を作った。(以降10行程度の説明文が続く)
・仏教における「世界の始まり」(挿絵):仏教は紀元前500年ごろに生まれました。
仏教では天地創造の概念はありません。宇宙は様々なものが生まれ、滅んでいく場であると解いています。(以降10行程度の説明文が続く)
・日本神話(古事記)における「世界の始まり」(挿絵):古事記が書かれたのは西暦700年ごろです。
「天地初発」といわれる天地創造の年代については語られていません。5人の神が生まれ世界を作り、イザナギやイザナミなどの神々が次々と生まれ日本の国土を作ったとされる。(以降10行程度の説明文が続く)
・現代科学における「世界の始まり」(挿絵):地球が今の球体を形成したのは約46億年前
太陽系のの塵芥やガス物質らが互いに集まり固まって、衝突と合体を繰り返し球状の惑星を形作った。大気中の水蒸気が大量の雨となって降り注ぎ海を形成した。水を溶媒とした化学反応が繰り返され、生命の誕生につながった。(以降10行程度の説明文が続く)
質問:上に記したとおり、いろいろな文明や宗教にはこの世の始まり「天地創造」に関して記されたものが多くあります。
わたしたちの住む日本の神話を書いた「古事記」は、他の文明や宗教と比べてかなり後の時代に書かれたものです。それにもかかわらず、なぜ他の文明や宗教ですでに書かれた「天地創造」について改めて書き記したのでしょう。それぞれの共通点や相違点を考えながら、あなたの考えを述べなさい。
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矢納は何回も設問を読み、5分以上考え込んでいた。なるほど、それぞれの項目は挿絵入りで絵本のように構成されているが、登場人物などは小学生5年生の知識では知らないものも多いのではないだろうか。
(これは大人でもなかなか答えられる代物ではないと思うが……)
案の定、子どもたちの手は止まっていて、みな画面を凝視している。
今回も矢納は日向結を注視していた。結は画面に見入っていて、こころなしか楽しそうに見える。ほかの子どもたちの表情が固まっているのに比べて異質に思えた。
自分の知らない知識を楽しんでいる、そんな印象を矢納は持った。
*
30分後、矢納のパッドに解答ボタンが押された通知が届いた。やはり日向結だった。
矢納は日向結と目が合わないように、さり気なく試験場を見渡した。日向結だけが顔を上げてひとつだけの窓から外を見ている。もうパッドは閉じていて見向きもしない。
(天才肌、ギフテッド……、そういった類の子どもなのかな)
試験で設問者がどんな解答を求めているのか、設問にあるいくつもの情報や、設問に使われている言葉から、正解を仮定したうえで設問と照らし合わせて検証する。
確かに[知覚推理]を測る設問であるとは思うが、矢納は前回に続いて[知覚推理]の試験としては異例といえる“正解のある設問”にした石川の意図を考えていた。通常は、試験後の面談に重点が置かれていて、正解かどうかはあまり評価と関係しないものなのだ。
(「上からの要望」だと石川は言っていた。前回の“最後の晩餐”、今回の“世界の始まり”……。なにか恣意的なテーマ選びをしたように思えるが……)
いつの間にか60分が過ぎていた。被験者8名全員の回答ボタンが押されていた。
考えに耽っていた矢納は、職務を思い出して慌て気味に立ち上がって言った。
「お疲れ様でした。全員が解答されましたので、試験は終了します。前回と同じく控室で面談の順番をお待ち下さい」
子どもたちがガタガタと椅子を鳴らして立ち上がり、同伴してきた保護者たちの待つ控室へと歩いていく。2回目ともあって子ども同士で話しながら退室していく様子も見られた。日向結はというと、ひとりで一番最後に部屋を出て行った。自分が答えてしまってから実験が終わるまでの時間が長かったせいか、歩き方が気だるそうに見えた。
子どもたちが全員退室したことを見届けてから、矢納は総合研究室へ向かった。石川たち東大研究所スタッフたちがそこで実験の様子をモニタリングしていたはずだ。
「石川さん、実験が終了しました。30分後から面談を始めますので、準備をお願いします」
総合研究室のドアを開けながら、矢納は石川に報告した。
「お疲れさん、矢納君。今回の子どもたちの様子は面白かったよ、面談が楽しみだ」
相変わらず石川は上機嫌に見えた。
「すぐにお移りになりますか? 撮影機器のセッティングもありますので僕はもう面談室へ行きますが」
「ああ、俺もこのコーヒーを飲んだらすぐに行くよ。先に行っていてくれ」
(どうも、気分屋なところがある、この人は)
面談室のカギを棚から取り出しながら、矢納は心の中でぼやいていた。しかし気を取り直し、職務を遂行すべく総合研究室を出て行った。
(3)
ビデオカメラ2台、マイク2本を設置し、クラウドにつながったパソコン1台を立ち上げる。
矢納がひとりで黙々とカメラの画角の調整などをしていると、石川と岩下の二人が面談室に入ってきた。
「やぁ、すまんすまん、矢納君。あとの設置と操作は岩下にやらせるから、もう座っていてくれ」
ペコリと頭を下げて岩下が矢納のいる機器の方へ近づいてきた。
「では、よろしくお願いします」
岩下に声をかけ、矢納は石川の座る椅子から2つ離れた定位置に着席した。
「いい、設問だったろう。君には解けたかい?」
「そうですね。複数解があるように思いました。民衆の人心掌握と管理のために宗教は利用され、国家を運営する手段とされていたという仮定に立てば、1000年近く後発で建国された日本は、他の文明に倣って日本独自の神話を作り上げた……というところでしょうか」
「なるほど。複数解というのは?」
「本当に創造主がいた、というのも仮説としては成り立つかなと」
「うんうん、そうなるだろうな」
矢納は小馬鹿にされているようで苛立ったが、顔にも声にも出さなかった。
「11歳の子どもには少し難解な気もしました」
石川は椅子を少し後ろにずらし足を組んで、矢納の方へ体を向けた。
「大人は知識があるから、子どもには難しいと思ってしまう。だが、各宗教の経典の内容や、歴史的な前後関係、量子学的な宇宙論を知らない子どもたちのほうが達観できるということもある。この設問でそれがわかる」
「そういうもんですか。ところで前回に続いて設問の内容が宗教に寄っているのは何故なんですか?」
石川は少しだけ口角を上げて頷いた。
「上からの、文科省からのリクエストだよ。もっとも、文科省は隠れ蓑のような気がするがな。それが誰かは詮索しない。われわれは記述式、面談式の知能検査というジャンルと、その評価理論の開発を進められればいいのだから」
設置したカメラの横に立っていた岩下が「時間です」と告げる。すぐにドアがノックされ、スタッフに案内された最初の子どもが入ってきた。
*
「齊藤勉です、よろしくお願いします」
面談が始まった。石川とテーブルを挟んで相対して座り挨拶をした。石川はちらっと見ただけで小さく「よろしく」と言って、手元のノートパソコンの画面を見ている。
「斉藤君、君の解答よかったよ。もっと詳しく君の考えを知りたいから、いくつか質問をするからね」
「はい」
「日本という国ができた時に、世界の他の文明の真似をして、日本にも神様を作った――と君は解答しているね。学校ではもう日本の歴史の勉強をしているのかな」
「縄文時代とか、弥生時代とかの話を漫画で読んだりしています」
「ほう、漫画で……、いいね、楽しく勉強できそうだ。きみの言う“国ができた時”というのは、その弥生時代から100年以上経ったあとにできた大和王権のことで、古事記が書かれたのはさらに100年後だ。世界の他の文明の真似をするほど外国のことを知っている人がいたと考えたんだね」
「えっ、はい、まぁ、そうですね……」
「この時代、日本と付き合いのあったのは中国と朝鮮だけだが、この2つの国には“世界の始まり”を伝えるような大規模な宗教はない。もっと遠くの国から伝えられた情報ということになるね」
「……はい」
「いや、いいんだよ、君の考えが正しいかもしれないんだ。きみの言う通り、日本神話は誰かが考え出したものなのかもしれないのだからね」
「本当ですか」
「ああ、そうだ。過去のことなんか誰にもわからない。推測しているだけだ。君の推論もその中のひとつだ。歴史漫画をもっと先の方まで読んでみるんだね、ありがとう、次回もよろしく頼むよ」
「ありがとうございました」
少年は手応えなさげな顔で出て行った。
石川はノートパソコンに何かを書き込んでから、岩下に向かって手を上げて指をチョイっと動かした。次の子を呼べということらしい。岩下が耳につけたインカムでスタッフに指示を出したようだ。
二人目の少年が入室してきた。
「田中修です、よろしくお願いします」
「はい、よろしく、田中君。きみの解答は興味深かったよ、もっと深く知りたくてね、いろいろ質問をするよ、いいかい?」
「はい」
矢納は石川の面談に立ち会ってみて、石川の子どもたちに対する言動に感心していた。前回はあたりの強い言葉使いをしていたのに今回は改善されていた。
(大人相手にはぶっきらぼうだが、子どもには優しい物言いをする)
自分も子ども相手だと素直に会話ができるように、石川も精神年齢が幼いのではないかと思うようになっていた。
期待通りの評価が下せない子どもに対しても、相手の尊厳を守っている。
「君は歴史の勉強を、他の人よりも進んだところまでしているんだね。縄文時代の終わりから古墳時代にかけて日本に来た渡来人によって他の文明の宗教観が日本に入ってきたと答えている」
「はい、ヤマト王権を興し、日本を治めるに当たって民衆の心をひとつにまとめる目的で神話を考えたのだと思いました」
「うんうん、大人たちでも同じ事を主張している人は多い。私の大学で日本史を研究している教授もほぼ君と同じ事を言っているよ」
「本当ですか、先生の大学って東大ですよね」
「あぁ、まぁそうだ。だが東大って言ったって全てがすごいわけじゃない。ここ皇学館大学は古代日本史においては、日本のトップクラスだからね」
「そうなんですね」
「そうだ、ここにいる矢納助教だって前方後円墳に関してはスペシャリストだ」
ふいに名前を出されて矢納はびっくりした。石川は悪戯そうな顔で矢納を見て微笑んでいる。
「そうなんですか? 前方後円墳って奈良や大阪にいっぱいあるやつですよね」
少年に視線を向けられて矢納は戸惑った。かろうじて「そうですね」と返答して石川を睨む。
「はい、田中くん、よくわかりました。次の試験もよろしくな」
「はい、ありがとうございました」
少年は元気よく席を立ち出て行った。
「随分と子どもの扱いが上手なんですね。一回目の時は気づきませんでしたよ」
「ははは、精神年齢が近いんじゃないのかな」
自分が考えていたのと同じ事を言われて、矢納は苦笑した。初めて顔会わせしたときのオタク学者という印象からは随分と変わってきた。
その後も次々と子どもたちが現れ、石川と面談していったが、子どもたちの似通った考察と、おだてるような石川の対応が続いた。
矢納はこれのどこが“今回は面白い設問ですよ”という、石川の言葉と繋がるのかまったく理解できずにいた。
そして最後の8人目、日向結の順番が来た。
*
「日向結です、よろしくお願いします」
リラックスした口調で彼女は席に着いた。
「はい、よろしくお願いします。さっそくだけど日向さん、君の解答についていくつか質問したい。いいかな」
「はい、どうぞ」
「君の解答を読んでみよう。[ほかの国の“天地創造”は、世界のすべての人をまとめたいっていう目的があると思いました。神さまが世界や人を造って、その神さまの代わりに王さまがいたりして国を治めている。ゆくゆくは国を大きくして世界中を一つにまとめることが目標のように思う。でも日本の古事記の神話はそうじゃなくて、地球が形作られたあと、神様が日本列島をどうやって造ったか、神様やその家族たちがいろいろな湖や山を造ったという話が書かれている。古事記を作った人たちは、世界の宗教や神話を知っていたとしても、地球全体を一つにまとめるとか、世界中の人々の心をひとつにするとかということではなくて、日本に住んでいる自分たちの周りの人々、同じ民族の人々をいかに平和に治めていくかということを狙って書き換えた神話だと思います]とある。すごく面白い考えだと思ったよ」
「はぁ……」
「なぜこのような考えになったか、もう少し詳しく聞いてみたいな」
「……、はい。まず、“天地創造”の様子はどの神話も同じようなものだと思いました。ドロドロの大地と原初の海の状態から、神様が大地を固め海と空気と空を創るという感じで。だから本当にそんなふうに世界が創られたとしても、教祖様が想像したものだとしても、宗教書はその様子をそのまま書き記した。その後、元ネタは同じでも、それぞれの時代ごとに表現や神様の名前が変わったり、新たな宗教が生まれていったりして、国を統治する人はそれを利用して人々をまとめて行こうとした、ということなんじゃないかと感じたんです。でも、日本で古事記を書いた人は、日本列島が生まれた様子しか書きませんでした。まるで世界には日本しか無いような表現だと思いました。でも、その様子は世界の“天地創造”に関する表現とだいたい同じです。これは矛盾すると思って……。だって、世界には日本しか無いような書き方をしているのに、その様子は世界の宗教の“天地創造”とそっくりだから。ということは、古事記を書いた人は世界を一つにまとめて統治したいんじゃなくて、日本だけをうまく統治するために、世界の神話を日本用に書き換えたんじゃないかなって思ったんです」
石川は一瞬目を瞑って下を向いた。その後矢納に視線を合わせてきた。(どうだい、別格だろう)と石川の目は言っていた。
矢納も結の論理的な思考に驚いていた。そして、心に引っかかるものがあった。
(その時代に日本だけを平和裏に統治しようとした人物……)
「いやぁ、みごとな仮説だね。考古学学会がひっくり返りそうなアプローチだ。つまり、大地や地球、さらには宇宙そのものは物質的な反応を繰り返した果てに、必然的に生まれたものであり、宗教は人間社会の人々の心を一つにまとめるために生まれ、政治はそれを利用して国をまとめているということを前提にした考えだね」
「難しい説明はできないですけど、まぁ、そんな感じかもしれません」
「しかし、古事記を書いた人が日本だけを治めたいという推理の根拠が少し弱いかな」
「世界の神話のエピソードからは、人間に対する厳しさが感じられるのに、古事記の神話に登場する神々はとても人間臭いと思ったんです。だから世界の宗教の“天地創造”の話は、誰かが神様をすごく尊敬しているので、その偉大さを人々に知らせるために、それに見合う壮大な力を想像して書いたものであるのかなって。そして、古事記は日本の人々をまとまるためにはどんな神話を作ればいいだろうって、もしかしたら本当に神さまとお話しながら教えてもらったんじゃないかな、みたいな感じがしました。古事記の神様は喜怒哀楽も激しくて怖い神様もいるけど、人間に対してはあまりきびしくないっていうか、むしろちょっと優しい感じもしたんです。だから、日本の国造りも世界統一みたいな、だいそれた目標じゃなくて、身の回りの人たちが平和に暮らせるような国造りを目指してたんじゃないかなって思っちゃったんだと思います」
矢納はこのやり取りを聞いていて、これは自分の専門分野、研究テーマの範疇の話だと感じていた。この時代、日本の限られた範囲の領土を平和統治していた女帝がいたからだったが、この少女がそんなことまで承知しているはずもない。あくまでも[知覚推理]した結果の仮の結論なのだ。
今度は矢納の方から石川を見た。石川は矢納の視線を受け止めて軽く頷いた。
「いやぁ、驚いた。こっちのほうが勉強させてもらってる気分だ。いい面談だった、ありがとう。また次回もよろしくお願いするよ」
「はい」
少女は、日向結はニッコリ笑顔を見せて立ち上がった。
「あぁ、そうだ」
石川の言葉に、ドアを開けかけていた結が振り向いた。
「君のお父さんはアメリカ人だと言ったね。クリスチャンかい?」
「はい、教会に通ったりはしていませんが、カトリック信者です」
「そうか。たしか君にもミドルネームがあったね、日向・D・結だったかな」
「はい。日向・ダニエル・結です」
「ダニエル……、聖人の名前だ。洗礼名だな、君もクリスチャンなのかい?」
「いえ、洗礼も受けてないですし、教会にも行ったことはないです」
「そうか。変なことを聞いたな、許してくれ」
「いえ。じゃぁ、失礼します」
日向結が出ていき、ドアが閉まった。
「矢納くん、また今夜あのバーへ連れてってくれよ」
「えっ、なんでまた」
「君も話したいことがあるだろう? そういう顔をしてるぜ」
また軽く扱われたような気がして、苛立ったが「わかりました。今夜、体が空いたらホテルにお迎えに上がります」そう言って、矢納は面談室の片付けを始めた。
(4)
「随分とそのつまみが気に入ったんですね」
殻付きのクルミを割って一口食べている石川に向かって、矢納は話しかけた。
宇治山田駅前の伊勢豊受稲荷神社裏の「BAR-祈-」で矢納と石川は向かい合ってボックス席に座っていた。ほかに客はいない。
石川は手に持ったままの残りのクルミをしげしげと見た後、矢納に視線を移した。
「君が前回俺に謎掛けをしたんだろう、このクルミで」
「謎掛け? と、言いますと」
「クルミは明らかに脳のメタファーだ。心理学者の俺に向かって“もっと頭を使え”ってことだろう?」
「まさか。そんなことは思ってませんよ」
「ははは、それは冗談だよ、笑うところだ。だが、いい刺激にはなったよ」
まだ飲み始めたばかりで、酔っているわけはない。日中に引き続き石川の機嫌がよくて、矢納はだんだん不気味に思えてきた。
「どういうことでしょうか」
「矢納君、知能検査ってのはな……」
石川がおもむろに語り始めたのを見た矢納は、自分も腰を落ち着けて話を聞こうという気になった。
「現在子どもに行う知能テストの主流は“WISK-V”方式というものだ。「言語理解」「知覚推理」「ワーキングメモリ」「処理速度」の項目について筆記式のテストを行ない数値化して評価する」
「はい、このプロジェクトを担当するに当たって、一通り調べました」
「うん、流石だ矢納君、話が早くて助かるよ。今挙げた項目は言語を使った思考や論理の力で、主に左脳を使うものだ」
石川はクルミ割り器で「ガキっ」と割ったクルミを手に持って、矢納から見て左側を指さした。
「対して、右脳はひらめき担当だ。全く新しい仮説を立てたり、突拍子もない考察を思いついたりする。
目や耳から得た情報を左脳が解析し、右脳がその規則性や法則を思いつき、再び左脳がそこに矛盾がないか検証し仮説を立てる。これが[知覚推理]だ」
石川は白のハウスワインのデキャンタに手をかけた。慌てて、「あっ、わたしが」と自分が注ごうとする矢納を手で制して、石川はさらに話を続けた。
「従来の“WISK-V”方式は、優れたものを発見すると言うより、むしろ、ASDやADHDなどの発達障害を早期に発見して支援することが目的になっている。
このプロジェクトのようにギフテッドを探す目的の場合には適さない。そこで、われわれ研究所が取り組んでいる新しい知能検査の出番となったわけだが……」
「ちょ、ちょっと待ってください、石川さん。それを僕に話してしまうのは守秘義務的に大丈夫なんですか」
「問題ない。君には検査結果の考察とアドバイスを受けるということになっているからね。このくらいは知っておいてもらわないと、話が進まない」
石川は、またクルミを齧りながら笑い半分で答えた。
「どうも、変な建付けだと思ってはいたんだ、このプロジェクトは。優れた[知覚推理]の能力者を見つけるのに、アドバイザーが前方後円墳の研究者ときたもんだ。だから思ったんだ、これはそもそも日本古代史に関わるプロジェクトで、そんなことに無縁の文科省が予算を付けてまでやる事業じゃないと。文科省の影に隠れてこのプロジェクトを始めたのはおそらく……」
「わ、わかりました。その先は言わないでください。僕の大学側の契約には守秘義務があるんです。答えられない質問をされると、うまい酒が飲めなくなってしまいます」
石川は、目を見開いて矢納を見た。
「ぶわっはははっ、面白いな君は、ますます気に入ったよ。わかった、地雷を踏まないようにうまく話すから、もう帰ろうなんて言わないでくれよ」
矢納はいつもの大吟醸をロックグラスで飲んでいたが、そのグラスをテーブルに置きペコリと石川に頭を下げた。
「申し訳ありません、酒の席で野暮なことを言いました。もっと飲みましょうか、今夜は」
「そうしよう、そうしよう。そしてもっと話をしようか。
今日行った思考実験の設問を、俺が自信ありげにしてたことを不審に思っていただろう、矢納君。これのどこが面白い設問なんだよって」
「いえ、そんなことは……。ただ、前回は元ネタの“最後の晩餐”を巧みに隠していたのに、今回は情報がオープンで、これではただ人類史の見識を問うているだけなのではと感じました」
「うんうん、そう見えたかい。
前回は正解として“最後の晩餐”が用意されていた。タネ明かしをされたら「ああ、そうか」ってなるだろ。今回はテーマとして“世界の始まり”があり、正解としての“古事記の真意”がある。でも今回はタネ明かしの仕様もない。“世界の始まり”も“古事記の真意”も謎のままだからだ。答えはあるはずだが答え合わせができない」
わかったようでわからない。言葉は理解できたが意味が理解できない。矢納はロックグラスを持ったまま小さく頷くことしかできなかった。
「だが、答えを知っている者がいる。このプロジェクトを始めた、文科省の背後にいる者だ。君の地雷を踏みたくないから名前は言わないが、その組織は古事記を保存、管理し、おそらく古事記の編纂者の意図を代々伝え聞いている。われわれには答え合わせができなくても、今回の報告を見るだろうその者には解る。答え合わせができるんだ」
矢納は首筋がゾクッとした。
石川は彼自身が優れた[知覚推理]能力者なのだと気付いたのだ。これまでのいろいろな流れや、一連の情報からこのプロジェクトの真の目的に関する仮説を立てた。そしてそれは矢納たちが宮内庁から受けた依頼内容とほとんど合致している。
(東京大学心理学部 認知行動科学学科 石川信一助教……)
東京大学の無名の学者ではあるが、石川の能力と才能を認識して、返事もできずに矢納は沈黙した。
「いやぁ、奴らが日向結の解答を見てどんな顔をするやら、想像するとおかしくてね。どうだ、いい設問だったろう? 矢納君」
石川の上機嫌な顔に、矢納は声も出せずに見つめたままだった。
(いっそ、全部記憶を失くすくらい今夜は飲んでやる)
占い屋に客が来たのだろうか。地上から、ドアが軋む音が聞こえてくる。
駅前とはいえこのあたりは真っ暗である。地下の「BAR-祈-」では、誰も客がこないまま時間が過ぎていった。
足元もおぼつかないくらい酔った二人が店を出たのは、午前零時を過ぎていた。
(つづく)
*最後まで読んでいただきありがとうございます。完結まで、毎日朝7時に投稿しますのでお楽しみに。




