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『―白石くんシリーズスピンオフ― 矢納正の思考実験 チャネリング前日譚』  作者: Dicek


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プロローグ+第1章 〈探るもの〉を探すものたち

皇學館大学の一画に、外部者は入れない宗教文化研究センターがある。

そこで行われていたのは、科学でも宗教でも説明できない“意識の観測実験”。

若き研究者・矢納正は、ひとりの少女に未来の可能性を託すことになる。

プロローグ


 2022年4月23日(木)宮内庁京都事務所前


「もう、きょうは泊まっていこうや、矢納やのう君」


 長時間の打ち合わせに疲れ果てた様子で、二宮透にのみやとおる教授が提案してきた。


「そうですか。ではホテルを探します」


 もう21時を過ぎている。連休前とはいえ、京都市中ですぐにホテルが見つかるかどうか。


「探さんでもええ。いつもわしが使う旅館がある。そこはいつでもガラガラや。時間は遅いが素泊まりならいけるやろ」


 そう言って二宮教授はショップカードを矢納に渡してきた。

 [旅館 十軒町橋]と記された旅館に電話し、二宮教授の名を出すとあっさりと予約が取れた。


「どや、オッケーだったやろ。なら、タクシー拾おか」


 比較的観光客も少ないこの時期、烏丸通りは空車のタクシーが何台でも走っている。矢納が手を上げるとすぐにタクシーが停まった。


「高瀬川の十軒町橋まで」


 二宮教授がぶっきらぼうに行く先を告げると、タクシーはすぐに発車した。


「さっきの会議ですが、宮内庁側の……」


 二宮教授が矢納を見て、口に指を立てて制止した。


「喋るな。ふたりきりになってからや」


「はい、すみません」


 矢納はすることがなくなり、タクシーのメーターをじっと見つめていた。

 二宮教授は遠ざかる京都御所の黒々としたシルエットを眺めていたが、やがて目を閉じた。






第1章 〈探るもの〉を探すものたち



(1)2022年4月8日(水)三重県皇学館大学 神学文化研究室



「[児童才能開発プロジェクト]? なんですか、それは」


 矢納 ただしは思わず二宮教授に聞き返した。


「文科省の事業だ。全国の小学生に知能テストを実施し、卓越した成績を残したものを集めて、ある思考実験をする」


「それは、わかります。でも畑違いじゃないですか? うちの大学がなぜそんな事を請け負ったんですか」


 今、研究所には他に人などいないことはわかっているのに、二宮教授はあたりを見回した。


「これは実際には宮内庁の事業だからだ。文科省は予算確保のための隠れ蓑らしい」


 宮内庁ならこの研究所と縁がないわけではないと矢納は思った。大阪周辺に多数ある前方後円墳の多くは天皇陵墓で、管理をしているのは宮内庁だ。ここはその考古学的考察と論文作成をする研究室なのだ。


「宮内庁が天才ちびっこを集めて、どうしようというんです」


「わからん。だが、国と大学が決めたことだ。従わざるをえん」


「思考実験の意図も解りかねますが」


「そうだろうて。これ以上の説明はわしにはできん、知らされてないんだ。だから2週間後、顔合わせを兼ねた会合が開かれる。君もいっしょに出てくれよ」


「それはいいですが、なにがなんだか……」


「わしも同じだよ」



 この日の午後、二宮と矢納は京都御所内の宮内庁京都事務所に呼び出されていた。

 ふたりは、3時間半かけて三重の皇学館大学からやって来たのだ。


「宮内庁京都事務所 次長の梅田です、よろしく」


「宮内庁書陵部陵墓課長の阿部です、よろしく」


 50代と思えるふたりの官僚が、名刺を渡しながら挨拶をした。


「皇学館大学 教授の二宮です」


「同じく助教の矢納です」


 皇学館大学のふたりも名刺を交換し、長テーブルの席に着いた。文科省からの人間はいなかった。だだっ広い会議室に4人だけの会合だ。事務所の職員がテーブルにペットボトルの水とお茶を置いて、そそくさと出て行った。

 梅田次長がまず口を開いた。


「[児童才能開発プロジェクト]の運営を皇学館大学さんにおまかせするに当たって、ご連絡事項をお伝えするためにお呼びだてしました。遠いところをご足労いただきありがとうございます。前もってお渡ししていた資料に、すべて掲載されていますので、お読みになられたことと思います。本日の会合では、そこに記載できないお話を直接させていただきます」


官僚らしい慇懃な口調で梅田が説明を始める。 


(記載できないことだって?)


 1週間前に届いた資料には、全国の11~12歳の小学生に対して実施した〈全国児童知能検査〉の得点データと、今後行われる予定の思考実験の内容と意図について説明があった。人数を20人に絞り込む作業は文科省のチームが行ったこと、思考実験の設計をしたのは、東京大学認知行動科学研究室内の特別チームであることなどが記載されていた。

 皇学館大学は、この思考実験の場所を提供すること、設営や撤収などの現場運営をすること、得られた実験データの管理と保存をすることとなっている。

 あとは、二宮ら神学文化研究室が、東京大学認知行動科学研究室のアドバイザーとなり、実験データの精査、考察に協力するとあった。

 矢納は何回読み返しても、なんのことなのか、皆目見当がつかなかった。


(やっぱりわからない。なぜうちの研究室なんだ。)


「では、資料に載せられないお話のひとつ目です。契約書にあった守秘義務の他にも、このプロジェクトと宮内庁の関係は口外しないでいただきたい。

 このプロジェクトは、あくまでも文科省の外郭団体と言えるNGO[AOB Any Other Business]が、皇学館大学神学文化研究室に委託している形をとってください。

 予算の調達の都合上、このような形を取っています。プロジェクトが始動したらAOBと連絡を取る必要はありません」


「ずいぶんと政治的なお話ですな」


 二宮教授が、怪訝さを顔いっぱいに出して聞き返した。


「そうです、政治的な側面が多々あることは否めません」


「とりあえず先を聞きましょうか」


「はい、ふたつ目のお話です。この会合には宮内庁京都事務所次長と、書陵部陵墓課長が出席しましたが、今後は、われわれ宮内庁の中の[PEO Project Execution Organization]という非公開部署の扱いとなります。報告は受けますが、今後われわれから直接指示が出ることはありません。全てPEO統括長の最上源泉もがみげんせんがプロジェクトの指揮を取ります。連絡はPEOからのメールで送られることでしょう。宮内庁専用メールサーバについては資料の最後のページに載せておきました」


「確かに」


「さて、これで最後です。3つ目のお話ですが、特に秘密を守っていただきたい事柄です。

 このプロジェクトの真の目的は、〈探るもの〉を育成することにあります。これをお伝えしておかないと、あなた方が思考実験のアドバイザーができませんので、ご説明します」


(〈探るもの〉?)


 宮内庁の説明は、矢納にとって少し意外な内容だった。それは迷信的な、あるいはオカルト的、都市伝説的なものだったのだ。


「天の啓示を受け取るもの、それを読み解くものを、われわれ宮内庁は必要としています」


「……。天の…啓示?」


「前方後円墳、特に天皇陵墓には、天からの啓示を受けるための設備があるとされています。占いや祈祷の場や祭祀場として説明されていますが、実質的には当時の権力者が、天からの預言を受け取るために作ったものであると言われています。その土地や国、いえ、地球全体の成り立ちや、人間の存続に関わる大災害などの預言を受け取っていました」


「それは皇室が取り仕切っていたことなんですか?」


「一部に関しては、あるいは……」


 皇室という言葉を出すことには、慎重な様子で梅田次長は続けた。


「とにかく、前方後円墳にその設備があるとわれわれは考えています。それゆえに前方後円墳の研究者の二宮教授にご協力をお願いしました」


「宮内庁管轄の古墳、特に天皇陵墓は、発掘調査をしていないはずですが」


「おっしゃるとおりです。公に発掘調査をしたのは、戦後すぐにマッカーサー元帥がGHQの権限で行った仁徳天皇陵発掘調査の一例のみです。

 とにかく、神の啓示を受け取れるもの、受け取った啓示の意味を正しく解釈できるものを、集めた子どもたちの中から探し出すことが、このプロジェクトの目的なのです。これは特に極秘事項ですので、おふたりだけに知っていおいていただきたい」


 矢納は実際のところ、梅田次長が言っていることが信じられなかった。

 都市伝説や古代日本史におけるオカルト的な仮説には、興味があっていろいろと知っているつもりではあった。だが、それを宮内庁が公に取り扱っていることが信じがたかったのだ。


(まさか、我が身にこんな話が降り掛かってこようとは……)



「これで、お伝えしなければならないことはすべてお話しました。いろいろと質問はあろうかと思いますが、それは今後のPEOとのやり取りの中でお願いします。

われわれがお話できることも、知っていることもこれで全てです。まずは、第一回の思考実験開催に向けての準備にとりかかっていただきたいと思います」


 そう言って梅田次長は、そそくさと荷物をまとめはじめた。ここまで一言も話さなかった書陵部の阿部もお辞儀をして立ち上がった。

 矢納と二宮教授は、連れ立って部屋を出ていくふたりをなかば呆気にとられて見ていた。


「なにやら要領の得ない話やったなぁ」


「PEOとやらからの連絡を待てということですかね」


 まだ座ったままでふたりが話していると、ドアを開けて宮内庁京都事務所の職員が入ってきた。


「事務所を閉めますので、お帰りの支度をお願いします」


 追い立てられるようにふたりは、宮内庁京都事務所を出て烏丸通に向かった。



(2)


 矢納と二宮教授は[旅館十軒町橋]の2階の部屋に案内された。4畳半程度の洋間と8畳の和室の続き部屋だ。

 洋間に置かれたソファに二宮教授は倒れ込むように座り、大きく息を吐いた。

 矢納も教授に倣うように、ドサッと向かいのソファに座る。

 午前中に三重を出て、長い時間の移動と、肩の凝る会議でふたりともくたくただった。


「風呂は11時半で閉めちまうらしい。矢納くん行ってきていいで」


「たしか大浴場と書いてありました。教授もいっしょに行きましょうよ」


「わしはちょっと遅れていくから、湯に浸かって待っとってくれ」


 なぜ遅れるのか不審に思いながら、矢納はひとりで部屋を出て大浴場へ向かった。



(たしかにこれは大浴場だ……。でも、なんで誰もいないのだろう)


 この旅館の規模にしては大きすぎると矢納は思った。町の銭湯くらいの大きさはあるのだ。


(泊り客はわれわれだけなのだろうか)


 簡単に体を洗って、湯船に入る。疲れた体がほぐされて、矢納はしばしうっとりと目を閉じる。

 ふくらはぎと太腿をもみながら湯に浸かっていると、15分遅れくらいで裸の二宮教授が入ってきた。


「やぁ、遅くなった、すまん、すまん」


「何してたんですか、教授」


「あの部屋に盗聴器がないか調べてたんや」


「盗聴器……ですか?」


「ああ、宮内庁、しかもPEOとかいう部署が相手じゃあ、一応な」


「なぜ宮内庁が?」


「あのPEOっちゅうのは、みかどの隠密忍者の流れをくんどる。わしはそう思う」


(また教授の陰謀オタク気質が発動してる……)


「帝の隠密……ですか」


「ああ、でもここなら大丈夫。風呂場には盗聴器も監視カメラも付けられん。万一見つかったら痴漢扱いになるもんな」


 そう言って、教授は今日の会合の内容について話し始めた。話しながら自分の考えをまとめるような、慎重な話しぶりだった。


「まずな、矢納くん。世界には歴史の節目に現れるリーダーたちがいるだろう。世界三大宗教の教祖や、広大な領土を築いた王、文明発達の基礎となった発明をした科学者なんかのことだ。君も思い当たる歴史上の人物があるだろう」


「はい」


「その人物たちは宮内庁の言う〈探るもの〉ではない。〈知るもの〉だ」


(いったい、なんの話が始まるんだっていうんだ)


「〈探るもの〉っていうのはな、そういう〈知るもの〉のような才能やカリスマ性がなくてもいいんだ。神の預言を正しく解読できる能力があれば、それで足りる」


「神の預言……」


「日本だけじゃない。大国の舵取りをしている者たちは、神の預言をもとに行動している。……現代もだ」


 教授も矢納と同じ様に都市伝説系の話が好きだ。今二宮はそのスイッチが、フルマックスで入っているみたいだ。いかに納得のいかない事業であろうとも、これを運営しないといけないことが決定している以上、その言い分けとして都市伝説や陰謀論はピタリとハマるのだろう。無理矢理にでもモチベーションを維持していくためには、そう思い込むしかないのかもしれないと矢納は思った。


「神から何を教えてもらっていたのでしょうか」


元寇げんこうで古代日本は滅ぼされるのか、関ケ原で東軍西軍のどちらが勝利を収めるのか、明治維新は成功するのか……。そういった節目節目の選択肢で、皇室が正解を選べなければ、皇統は絶えていたはずだ。皇統の人物は〈知るもの〉であり、〈探るもの〉ではなかった。天の啓示を正確に解釈できる人間が必要だった」


「自分が生き残る世界線を選び続ける必要があった」


「そのとおり。それは世界史でも同じこと。正解すれば文明や国は繁栄し、間違えれば滅びていった。そして日本は正解し続けてきた。これからもだ。そのための人材大募集ってことだな」


「そんな人材が子どもたちの中にいると……」


「そう思ってるんだろうな、きっと」


「[知覚推理]ですか。文科省が絞り込んだ20人は[知覚推理]のスコアだけを評価していたようですが」


「神の預言を完全に理解するのは[知覚推理]能力が大事だということなのかな。和歌山県にな、ひとりだけ135点のフルスコアをとった少女がいたようだ。まずはこの子を観察することになるかな」


「ギフテッドですか……。どんな子なんですかね」


「嫌でも顔を合わせることになる。思考実験はうちの研究室でやるんだからな。どんなことになるやら……」


 二宮教授はそう言って湯船から上がる。まだ頭も体も洗ってないのに、そのまま脱衣所へ引き戸を開けて出ていってしまった。


(明日は少しくらい京都観光できないかな。スケジュールはどうだったかな……)


 大浴場の天井から雫が湯船に落ちて、ポチャンと音を立てて反響する。ひとり残された矢納は、広すぎる大浴場が不気味に思えてきて、教授の後を追って湯船から勢いよく立ち上がった。




(3)


 2022年5月23日(月)皇学館大学 神学文化研究室 11時00分


 宮内庁京都事務所前での会合が終わって2週間が経った。

 4月に「児童才能開発プロジェクト」がここ皇学館大学で運営されることが決まってから、この研究棟の隣に『宗教文化研究センター』なる2階建ての施設が急ピッチで建設されている。きょうはここで第一回の思考実験が行われる日だ。


(やれやれ、うるさい工事がやっと終わったと思ったら、早速プロジェクトが動き始めちまった。まったく……。余計な仕事で忙しくなるな)


「矢納くん、書類やらデータやらはもう運び込んだ。東京大学認知行動科学研究室の人がもう来とる、隣に行って相手しとってくれや」


「えっ、教授はどこへ」


「わしは教授会議があるし、その後はお決まりの懇親会や。実験のことは君に任すからしっかりやってや」


(出た。また丸投げ……)


 二宮教授の学会発表用の論文とそのプレゼン資料作りも、研究所の年度計画も経理処理も全て矢納に任せてくる。今回もいつも通りだ。


「わ、わかりました。このプロジェクト用に文科省から与えられた教授のアカウントと、専用サーバのパスコートなどを聞いておかないとならないのですが……」


「あぁ、それはさっき君宛にLINE送っといたわ。それに全部書いといたから、よろしく」


「教授。守秘義務もある、国のプロジェクトですから、少しは漏洩に気をつけてくださらないと」


「大丈夫、大丈夫。こんなのはな、すぐに“当初の目的を達した為”って言って打ち切られるもんだ、お国の方からな」


「……」


「もう伊勢海老も旬が終わるが、ハマグリの季節じゃ。今夜の懇親会の料理が楽しみだのう」


 二宮教授はそそくさと研究室を出ていく。いつものことなので、特別になにかの感情が湧くわけでもない。早く助教の立場から抜け出して教授になりたいものだと思うだけだ。


(よし、一丁東大の面々に挨拶してくるか)


 矢納は机の引き出しから名刺入れを取り出して、隣の宗教文化研究センターへと向かった。



 東京大学認知行動科学研究室は4人のチームでやって来ていた。センターの入口にたむろって、田舎の山間地区に建つ大学の風情を珍しそうに眺めていた。


「こんにちは、神学文化研究室のものです。遠いところをお疲れ様です」


 4人の男たちが一斉に矢納を見た。全員がいわゆる研究の徒といった佇まい、大学院の研究室員、助教に共通する空気を纏った人間たちだった。思い思いの服装と髪型、健康的とは言い難い顔色と肌艶。矢納にしてみても人のことを言えたものではないが、今日は一応スーツを着ている。


(揃いも揃って、“昔ガリ勉今オタク”の典型だ)


 そう思ったが、顔には出さず笑顔でセンターの中へみんなを誘った。


「お昼になってしまう前に、簡単に打ち合わせをしましょうか。どうぞ中へお入りください」


 矢納は場を仕切ったり、会話を回したりするのは苦手な方だが、努めて明るい声でみんなを促した。

 みんな無言で矢納の後ろからついてくる。


「竣工したばかりで何もかも新しいんです。みなさんにお使いいただくお部屋も、広くてきれいですよ」


 矢納は言いたくもないお愛想を一方的に振りまいて、なんとか総合研究室に全員入れることができた。


(ふん、おまけにコミュ障ばかりだ。まだ誰の声も聞いちゃいないぜ)


 コの字に配置された長テーブルに4人がまばらに座った。そのせいで矢納は席を立って、名刺を配って回らなければならなかった。


「改めまして、初めてお目にかかります。皇学館大学助教 神学文化研究室の矢納正です。このプロジェクトの当大学での運営を任されています。責任者は二宮透ですが、本日は都合で欠席しています」


 矢納の正面に座っていた男が胸ポケットからパスケースを取り出して見せた。


「東京大学認知行動科学研究室の石川信一、この思考実験設計グループのリーダーだ」


 そういって石川が見せたのは文科省発行のIDカードのようだ。他の3人もテーブルに同じIDカードを置いた。


「自己紹介ありがとうございます。よろしければお名刺をいただけませんでしょうか」


「われわれのグループは最近急遽結成されたので名刺などはない。ご勘弁いただきたい」


(ろくな言葉づかいもできない奴らめ)


「それでは今後の連絡などはどうしたらよろしいでしょうか」


 矢納は愛想よく応えながら、コの字の内側に入って、それぞれのIDカードを確認し、名前を手帳に書き込んでいった。

 石川信一、岩下幸司、屋敷宗一郎、中根翼というのが彼らの名前だった。


「連絡は文科省専用メールサーバでのみ行う。そう指示されている。君の専用サーバにおけるメールアドレスは資料に載っていた。あとでそこに送信するから、私のアドレスはそこから拾ってくれ」


「わかりました」


「連絡するのは私にだけでいい。他のメンバーは思考実験ごとに変わることがあるからな」


「わかりました。では本日の予定を申し上げます。第一回の思考実験は14時から別室で始まります。文科省が選抜した20人の児童のうち、遠方のため参加できない子どもを除いた結果、このプロジェクトに参加をしてもらえるのは8名になりました。男子6名、女子2名、全員11歳です。実験の様子はこの部屋でモニターできますので、開始15分前までにはこの部屋にお集まりください」


「わかった」


 石川が応え、他の3名も小さく頷いたようだった。


「みなさん昼食はどうなさいますか」


「この大学に入って来たときに学食らしき建物を見た。そこに行って食べる」


「そうですか。仕出しのお弁当をご用意してありますので、子どもたちと同じ部屋で召し上がっていただくこともできますが」


「いや、そうはしないほうがいいだろう。被験者とはフラットな関係性を保ちたい。勝手にするから気を使わんでくれ」


「わかりました、では時間になったらここでお会いしましょう」


 矢納はそう言って総合研究室を出た。石川の他は誰も口を聞かなかった。


(まったくもって、鼻持ちならんやつらだ。あんなんで子どもたちのことが扱えるのだろうか……)



 第一回目の思考実験は、実験というよりよりPRI(知覚推理)検査と、共感能力テストを合わせたようなもので、デジタルパッドを使用する。

 問題は1問のみで、13人の人物が横一列に並んだ写真が表示されている。さまざまな人種、年齢、性別で構成されていて、タッチ操作で拡大することができる。


「次の写真の人物たちは、どのような関係性を持つか答えなさい」


(これが東大研究所の奴らが考えた問題か)


 矢納は手元のパッドで同じ問題を見ていた。そしていつの間にか子どもたちといっしょに問題を考え始めていた。他にやることがなかったのだ。

 この第一回の思考実験が行われるまでに、僕は[知覚推理]なるものをざっと調べていた。“関連性がなく、孤立した情報から〈類似性〉〈連続性〉〈規則性〉を探し、〈定理〉〈法則〉を仮定して、全体像を導き出す能力”ということだった。

 そして、この[知覚推理]を調べる問題の多くには正解が設定されていない。プロセスを説明させることによって能力を評価するものが多い。それ故にこれほどバラバラな人物を並べて、関係性をどう説明するかを知りたいのだろう。


(要するに、絶対に関係のない人物を故意に並べているはずだ。僕にわかるはずもない)


 矢納は早々に解答をあきらめて、所在なさげに天井を眺めていた。


 10分も経っていなかっただろう。最初の終了ボタンが押されたことが、矢納のパソコンの画面に表示された。3番のパッドを使っている子だ。

 さりげなくその子のことを見ると、おかっぱ頭に水色のワンピースを着た女の子だった。半袖から見える肌も日に焼けていて、いかにも田舎の小学生という風貌だ。しかしパッドから顔を上げて周りを見回している表情を見ると、大きな瞳が聡明そうに輝いていて印象的だった。名簿を見てみると、“日向・ダニエル・結” とある。


(ダニエル……、ハーフなのか? ミドルネームはクリスチャンネームに思えるが……)


 最後の8人目が終了ボタンをタッチしたのは、開始から45分後のことだった。


「はい、みなさんお疲れ様でした。15分休憩したあとに、最後に答えたひとから逆順に面接をします。その場で待つか、隣の部屋の保護者さんといっしょにいてもいいですよ」


 実験会場の子どもたちにそう告げて、矢納はいったん総合研究室に戻った。


「モニタリングお疲れ様でした。実験室の横に面接用の部屋を用意しています。そちらに移って準備をお願いします」


「了解だ。面接は私と、記録要員の岩下のふたりで行う。きみはどうする、立ち会うかい?」


「はい、そうするように教授にも言われています、今後のアドバイザーとして」


「ふん、わかった。じゃ、君が案内してくれ」


「わかりました、では付いてきてください、ご案内します」



 最後に解答した男の子から面接は始まった。胸につけた入館証を見せて名前を名乗って席に着いた。

 部屋には撮影用のカメラが三脚に据えられており、テーブルの上にはボイスレコーダも置かれている。

 そのボイスレコーダの位置を調整しなだら、石川が尋ねた。


「君の答えを読みました。君はこの人物たちが年齢の順番に並んでいると推理しているね。真ん中の人物が一番の年上、左右にいくほど年齢が若くなっていると」


「はい。髪の毛や皮膚の状態、表情から読み取れる威厳みたいなものから、そうじゃないかと」


「なるほど。真ん中の人物が一番年上で、両端にいくほど若くなっているということだね。では、右端の人物と左端の人物ではどちらが若いと思う?」


「えっ……、それは。それぞれ隣り合う人と比べていったので、一番離れている人同士だとよくわかりません」


「そうか。もうひとつ君に聞きたい。この人たちはなぜここに並んでいるんだろう、それは推理できたかい?」


「そ、それもよくわかりませんでした」


「よし、わかった。実験に協力してくれてありがとう、保護者さんたちのいる部屋に行っていいよ。総合研究室という部屋に行って次の実験の資料を受け取ってから、帰ってくれてかまいません」


 少年は少し悄気返った様子で、ペコリとお辞儀をしてから部屋から出ていった。矢納はなにか申し訳ない気持ちになった。


(子ども相手に当たりの強い物言いをする……)


 それからも同じような解答をする子どもたちと、同じような質問をする石川との面接が続いた。

 面接をしている石川は終始無表情で、研究対象と接しているという熱意のようなものがまったく感じられない。


(東大研究所の面々も、上から言われて仕方なくやっているような……。僕と同じようなもんか)


 矢納はつくづく、何で自分がこんなことやっているのかわからなくなってきた。矢納が研究しているのは、古代日本の考古学、それも前方後円墳の研究論文を作っているのだ。


(東京大学認知行動科学研究室も、こんなことやってらんないって、思ってるのかもな……)


 最後の面接が始まった。開始10分で終了ボタンを押した、あの少女の番だ。


「日向・ダニエル・結です。よろしくお願いします」


 少女はペコリとお辞儀してから椅子に座った。


「君の解答は、真ん中の人物はリーダーで、このグループはうまくいってなくて、リーダーは孤立している。特にリーダーの右隣3番目の人がリーダーを恐れていて、2番目の人は3番目の人を強く憎んでいる。このグループはまもなく崩壊する、とあるね」


「はい……、なんかそう思えたんで」


「どうして、そう思えたんだい?」


「表情や、体勢からそういう感情みたいなものが感じられたというか……」


「なるほど。どうして真ん中の人物がリーダーだと?」


「はい、他の人たちが、いろんな重心のポーズを取っているのに、真ん中の人は左右対称の自然体で立っていて、なんか偉い感じがしました」


「ふーん、なんか偉い感じね……。いろんなポーズと今君は言ったね。この人たちはポーズを取っているというイメージを感じたということかな」


「はい……。理由はわからないけど、この人たちはなにかの場面を演じていて、そのためのポーズを取っているように思いました」


「ほう……。もう少し詳しく説明できるかい?」


「表情や体勢から感情みたいなものがって、さっき言いましたけど、本当の感情じゃなくて演技しているっていうかそんなふうに思ったんです」


「わかった。実験に協力してくれてありがとう。きょうはお父さんかお母さんといっしょにここへ?」


「いえ、ひとりできました。電車に乗ってひとりで遠くまで行くって、やってみたかったんです。それで……」


「そうか、きみの名前にはダニエルというミドルネームがあるね。ご両親が外国の方なのかな?」


「はい、お父さんがアメリカ人です」


「お父さんはクリスチャンかな? ダニエルって洗礼名だろう。君もお父さんからクリスチャンの影響を受けているのかな」


「いえ、特にはなにも。わたしは洗礼も受けてませんし、英語も全然喋れません」


「ふんふん、わかったよ。どうもありがとう、総合研究室という部屋に行って次の実験の資料を受け取ってから、気をつけて帰ってくれたまえ」


「はい、ありがとうございました」


 少女は、立ち上がりドアの前でまたペコリとお辞儀をして出て行った。

 これで今日の実験は全て終わりということになる。


「お疲れ様でした。少し休憩なさってから、今後の打ち合わせを……」


「いや、すぐに来てくれ。岩下も撮影機材を撤収したらすぐに来てくれ」


(なんだ、なんだ? 急にやる気スイッチが入ったのか?)


 仕方がないので、3人が連れ立って総合研究室へ向かう。

 子どもたちは資料を受け取って帰ってしまった後で、部屋には屋敷宗一郎、中根翼のふたりが座っているだけだった。


「屋敷、今回の実験問題の設定資料を出してくれ、矢納さんに見てもらうんだ」


 屋敷が慌ててノートパソコンのキーボードを手繰る。「はい、どうぞ」と渡されたノートパソコンを、まだ座ってもいない矢納に押し付ける。困惑しながら椅子に座り、矢納はパソコンの画面を読み始めた。


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(左から)バルトロマイ 小ヤコブ アンドレア ユダ ペトロ ヨハネ キリスト トマス 大ヤコブ フィリポ マタイ タダイ シモン

各人物は英国ロイヤルシェイクスピアカンパニー(RSC)の俳優が、ダヴィンチ版の「最後の晩餐」をモチーフに体勢、仕草を演じる。ただし、テーブルはなく立ち姿とし、男女を取り混ぜる。背景や環境光は現代風で「最後の晩餐」を連想できないように配慮。


======================================


(RSCの俳優だって? えらく予算がかかってるな)


「わかりますか、矢納さん」


 石川が矢納を覗き込んで聞いてきた。


「何がですか?」


「あの子の答え、あの最後の面接の子」


「真ん中の人物はリーダーで、このグループはうまくいってなくて、リーダーは孤立している……。たしかそんな風な。……あっ」


「でしょう。リーダーはキリストです。右隣3番目の人がリーダーを恐れていて、2番目の人は3番目の人を強く憎んでいる……。そうも言ってましたね。3番目の人物はユダです。2番目のペテロは[最後の晩餐]の中ではユダを殺そうとナイフを持っています。そしてこの翌日、グループはキリストの磔刑によっていったん崩壊する」


「あの子が正解だったってことですか?」


「そうだ。しかも10分しかかかっていない」


「……」


「本来[知覚推理]のテストに正解はない。その推理の説明を評価するためのものだ。だが、われわれはあえて正解のある問題を提供した。こういうテイストの問題を上が望んだのでね」


「でも、キリストだとは見抜いているわけではないでしょう」


「そりゃそうだ、これはキリストではないからね。あの子は[最後の晩餐]も知らないかもしれない。しかし、この人物たちが演技をしていること、偽物の感情だということは見抜かれてしまった」


 石川の両目はにわかに輝きを放ちだしたように思える。あの女の子に興味が出てきたのだろう。


(だが、だからといって、どういうことなんだこれは)


 矢納にはこの畑違いの思考実験の、想定外の結果がどういう意味を持つのかまだわからなかった。


(つづく)

*最後まで読んでいただきありがとうございます。完結まで、毎日朝7時に投稿しますのでお楽しみに。

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