モブは主役になれますか? ③
翌日は土曜日で休みなのをいいことに、ずっと考えごとをしていた。
考えることはただひとつ、昨夜の潤理のことだ。
彼の言葉が頭の中にまわるたびに首を横に振る。モブが主役になんてなれるわけがない。しかも潤理は苦手なタイプだ。
――俺が森部を主役にしてやる。
でも昨夜の彼は雰囲気が違った。椎の話をたくさん聞いて引きあげてくれた。
突然スマートフォンが鳴り、跳びあがりそうになる。もしかして、と画面を見ると、やはり今まさに考えていた人からの着信だった。
『なにしてる?』
「なにもしてません」
まさか「昨夜のあなたの言葉を思い出して悩んでいました」とは言えない。
『じゃあ出かけよう』
「俺といても楽しくないですよ」
とりあえず断ると、電話の向こうで潤理がため息をついたのがわかった。姿は見えないけれど、絶対に呆れた顔をしている。
『そういうところがモブなんだよ。俺が主役にするって言っただろ』
たしかに言われたけれど、まさか本気なんて――心臓がばくばくと激しく脈打つ。本当に自分も主役になれるのだろうか。
車で迎えにきてくれた潤理は、さすがとしか言えないファッションセンスだった。白いシャツのボタンをふたつはずし、濃紺のテーパードパンツをあわせている。シンプルな服装がスタイルのよさを際立てていた。車は赤のSUVで、彼の落ちついた印象とは少し違って驚いた。
「いい天気だな」
「はい」
たしかによく晴れていて暖かい陽射しが降り注いでいる。心地よい陽気を植物も喜んでいるようだ。新緑がきらきらと太陽の光で輝いて見える。
「どこに行くんですか?」
「まずは食事をしよう」
助手席側のドアを開けてくれて、シートに座る。時間を見るとちょうど正午をすぎたところで、昼だとはっきり認識したら椎のお腹が鳴った。
「いいタイミングで鳴るな」
「聞かなかったことにしてください……」
恥ずかしくて頬が熱い椎を見て、潤理はくつくつと喉の奥で笑っている。穴があったら入りたい。
車が走り出し、ちらちらと運転席を盗み見る。恰好いいとは思っていたが、度を超えている。ハンドルに添えられた骨ばった大きな手はしっかりしていて、大人の男性の手だ。
急にどきどきしてしまい、首を横に振る。
「どうした?」
「本気なんですか?」
「なにが?」
減速して赤信号で停まり、潤理が椎を見た。わかっていて言わせようとしているのか、あれは冗談だったからなにを言われているのかわからないか、どちらだ――しばし考えて、きっと前者だろうと結論を出して口を開く。
「俺を主役にするって」
「本気」
迷いなくはっきりと答えが返ってきて、期待に心臓がとくんと跳ねた。でも、どうしてそんなことをしてくれるのだろう。
「主任はつきあってる方はいないんですか?」
「いたら嫉妬してくれるか?」
信号が青になり、また車が進む。無表情に前を見据えた潤理の表情から、今の言葉はなんの意味もこもっていないように感じる。ただの軽口かもしれない。
「そんな身分不相応なことはしません」
自分で言って傷ついたが、それが事実だ。椎が嫉妬をするなど許されない。
「あのな」
潤理がちらりと横目に椎を見る。その視線が鋭く、少し怖くて思わず姿勢を正した。
「椎は今主役なんだ。そういうモブ思考は捨てろ」
「椎」
「そう。椎が主役だ」
「主役」
呼び捨てにされたうえに、主役だと言われた。「椎」の響きが鼓膜をくすぐる。
また信号で停まり、椎を見た潤理が器用に片方の眉をあげた。
「恋人が名前で呼んでなにが悪い」
「恋人⁉」
「そう。椎は俺の恋人だ」
「……そんな……」
潤理が恋人なんて、そんなことがあっていいのか。思わず動きが固まった椎を睨むように相手が目を細める。
「そう思え。主役になれる恋がしたいんだろ?」
「あ、ああ……そういうことですか」
思うだけでいいのか、とほっとした。潤理はあくまで椎を主役にしようと、恋人のふりをして恋愛指導をしてくれるつもりなのだ。彼の恋愛指導は実践がメインということらしい。男同士に抵抗はないようだ。
「椎も『主任』はやめろ」
「じゃあなんて?」
「『潤理』」
「……っ⁉」
呼吸が止まるかと思った。そんなのは無理だ、と言いたい気持ちが表情からわかったのだろう、潤理がまた片眉をあげる。
「それくらいこなせ。主役になりたいんだろ」
「は、はい」
もうすでに「なれない」のほうに天秤が傾いているが、姿勢を正して気持ちを引き締めた。「無理」という言葉が使えるのなら、こんなことにはなっていない。もちろん、主役になれるのならそれは嬉しい。
「あの、……じゅ、潤理さん」
「まあ合格」
よかった、とほっとする椎を見て、潤理はわずかに口角をあげた。彼にずっと聞きたかった大事なことがある。
「潤理さんはどうしてこんなことにつきあってくれるんですか?」
潤理の眉がぴくりと動いたので、怒っただろうか、と心配にはなったが気になるのだ。椎を主役にすることで、この人はなにか得るものがあるのか。
「なにか楽しいですか? 得になりますか? 男同士でもいいんですか?」
考えてみても潤理が得られるものがなにもない。むしろ労力を使って疲れるばかりだし、特に根っこからモブの椎を主役にするなど、気力も必要だ。それを自らやると宣言するということは、椎が思いつかないだけでなにかがあるのか。あるのならば、ぜひ知りたい。
「あのなあ」
大きく深いため息をついた潤理がちらりと椎を見て、もう一度ため息を吐き出す。
「損得でやってるわけじゃないし、楽しいかどうかは俺の勝手だ。男同士だからなんなんだ。そういうことは聞かないのが正しい。察しろ」
「……察する……」
ものすごく難しい課題を出された。以前も同じ言葉を言われた気がする。飲みに誘われたときだ。
「察する」
もう一度椎は呟く。二度言うくらい答えの見えない言葉だ。なにをどう察しろというのか。せめてヒントがほしいが、それも教えてもらえなそうだ。そういう言い方をされるともう同じことを聞けないので、仕方がないと窓の外を見る。少し落ちつこう、と静かに深呼吸をしてみた。
車は静かに走る。休日で道は若干混んでいて、いろいろな車種が走っている。その流れを見ながら、なんとはなしに自分の手のひらを指でなぞった。窓に映る自分は期待と戸惑いを宿した瞳をしている。椎の向こうにはまっすぐ前を見る潤理も映った。
どうしてこの人はこんなことをしてくれるのか――答えをもらえなかった問いは心で燻った。




