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モブは主役になれますか? ①

「モブC」

森部(もりぶ)(しい)です」

「似たようなものだろ」

「微妙に違います」

 椎の小さな反論など聞かずに「Cってところが絶妙だな」とひとりで納得しているのは、椎の上司である主任だ。

 椎が勤める会社はそれなりに大手の文具メーカーで、名前を聞くと誰もが「ああ、あの」と言うところだ。自社ビル三階にある総合事務部を入って右側の一角、管理事務課が椎の所属で、たった今のやり取りも就業中にはよく見られる光景――だと思う。その証拠に、先月新卒で入った新入社員たちも特段珍しいものを見るような目はしていない。代わり映えのない日常だ。

 白いデスクの並ぶ部内は電話の鳴る音やパソコンのキー入力をする音、上司や同僚に相談ごとをする声など、密やかながら様々な音が溢れている。

 どうせ自分はモブだ。わかっているから癪に障る。

 言い返してやりたいが、相手は一星(いちほし)潤理(じゅんり)というあきらかに主役級な名前と整った顔立ちにすっと高い身長、均整の取れた体躯と、言い返す要素がない。「ひとつの星」なんて、どう考えても主役だ。黒髪は椎も同じだが、潤理のものはつややかで、触れたら絶対に「さらっ」と効果音がつく。いろいろと揃いすぎていて逆に突っ込みたくなるけれど、持って生まれた人とはそういうものなのだろう。ダークネイビーのスーツによって大人の色気が増していて、観賞用としてはとてもいいと椎は思う。潤理も椎も同じ「し」を使う名前なのに、どうしてこうも違うのか。

 椎のこげ茶の瞳とは違う、神秘的な雰囲気をたたえる黒い瞳がパソコンのモニターをじっと見ている。切れ長で涼しげな印象の目が軽く細められた。感情の見えない瞳だ。

「それで、なにか問題がありましたか?」

「問題なんてない。このデータ、わかりやすかった。助かる」

「いえ」

 癪に障ることを言う男だけれど嫌いになれない理由は、小さなことでもきちんと評価してくれる主任だからだ。それでも苦手には変わりないが。

「本当にモブ顔だな」

「はあ」

 ペットでも見つめるように目を細める潤理に曖昧に頷く。それ以外にどう答えろと言うのか。

 たしかに椎は名前だけでなく、すべてがモブだ。目立たない顔面に一六九センチの平均的な身長と普通体型、秀でるところのない能力――抜きん出たものがひとつもなく、大多数の中に埋もれる存在だという自覚もある。

「一星主任と比べないでください」

「別に比べてるつもりはない。手を出せ」

 素直に手を差し出すと、手のひらに個包装のひと口チョコレートがのせられた。

「甘いもの食って機嫌直せ」

「へそを曲げているわけではないです」

 失礼します、と椎は自分のデスクに戻ってチョコレートをパソコンの隣に置く。

 なんだか子ども扱いされているようだ。以前聞いたところによると、潤理は椎の三歳上とのことだから二十六だ。三つ差があると二十三歳の椎も子どもに見えるのだろうか。

 潤理のような見た目だったら、椎だって主役になれたかもしれないのに、現実は厳しい。

「モブ、これもまとめてくれ」

「はい」

 つい普通に返事をしてしまうくらい、潤理に「モブ」と呼ばれることに慣れている自分がいる。だからといって他の社員が椎をモブ呼びすると、潤理は自分のことを棚にあげて注意してたしなめるから、よくわからない人だ。それでも反感を買わないのは、彼のその他諸々の人徳だろう。

 データを送ってもらい、内容を確認する。表計算ソフトに入力をしていたら背後に気配を感じた。振り向くと、身体をかがめた潤理が椎の顔の横からパソコンのモニターを覗き込んでいた。

「森部のデータはわかりやすいんだけど、ぱっとしないんだよな」

「モブですから」

「自分で言うな」

 呆れを含む冷ややかな視線が突き刺さった。

 かと思ったらおもむろにうしろから手が伸びてきて抱きかかえられるようになり、椎は身体が固まる。マウスに添えた椎の手に潤理の大きな手が重なった。

「ここをこうすると、もっと目を引くし見やすい」

 この距離はなんだ。緊張する椎などおかまいなしに潤理はマウスを椎の手ごと動かす。ごく自然にそうしている潤理に対し、椎の心臓は跳ねあがりすぎて口から飛び出しそうだ。

「聞いてるのか?」

「聞こえてますから、離れてください」

 ようやく身体を離してくれた潤理が、椎の顔を覗き込む。

「なんだ。俺を意識してるのか?」

「違います」

 意識しているのではなく、緊張していたのだ。他人とあんな距離で平然としていられる人はいないだろう。周囲からは嫉妬の眼差しを向けられていて、椎は縮こまる。その視線に気がつかないのか、今さら気にもならないのか、潤理は楽しそうに口角をあげた。

「モブはどんなタイプが好きなんだ?」

「仕事中ですよ」

「いいだろ」

 不真面目な主任だ。

 ふたりでこそこそと内緒話をしているように見えるのか、やはり羨望の眼差しがきつくなった。潤理の楽しそうな表情から、これは答えるまで逃げられなそうだ、とため息をつく。

「一星主任とは正反対な人がいいです。せめて『モブ』と呼ばない人を望みます」

 モブな椎を主役にしてくれるような、素敵な男性がいい。

 周囲には隠しているけれど椎はゲイだ。初恋から男性だった。気持ちを伝える勇気がないうえに、友だちなどの距離が近い人を好きになるばかりで、関係を壊したくなくて告白もできずに終わる。しかも最悪なことに、モブな椎は恋の相談相手にされるのだ。好きな人の恋愛話など聞きたくない。

 いつでも恋愛の主役になれず、脇役のまま――きっとこれは変わらないのだろうな、と思ったら「生涯ひとり身」という言葉がずしんと心に落ちた。

 潤理は椎の答えに「ふうん」と気のない声を出しただけだった。

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