3. 寅一といずみ
仙堂家は、退魔で知られる一族である。
此処、櫻ノ国を守る、四家が一つ。東西南北に張られた結界管理も担う、それなりに大きな家柄だ。因みに仙堂家は、西地区担当である。
この国は昔から、魑魅魍魎の類に悩まされてきた。人の心の隙に入り込み、誑かし、唆し、喰らい。
時には夜な夜な行列を成し、夜が明けるまで人々を喰らい続けた。
人もただ、やられていた訳ではない。妖魔を退く為の技を、何年も何十年もかけ編み出し、進化させ成長させた。一握りの者しか扱えなかった退魔の術を、力持たぬ者でも扱える呪符を作り。刀や弓、槍などの武器にも、その力を施した。
ただの人でも、対抗できるようになったのである。
しかしそれは、余計な力を持った人が増長するという、厄介な問題も作り出した。素人が悪戯に、人ならざるモノ共を刺激するとどうなるか。
……残されるは毎回、千々にされた人であったものと、血痕。
憐れな者共は、最期に何を視たのか。
それは、知らなくても良い事だ。分からなくても良い事だ。
知ったところで、ただの人には成す術は無いのだから。
「これはどういう事です?」
目の前に広がるは、人であったモノ。濃い血の匂いが漂っている。
一人や二人ではない、もっと多い。千切れた男の腕が、刀を握ったまま転がっている。美虎はそれを一瞥すると、指示を出す。
他の妖魔が引き寄せられる前に、場の浄化をしておかなくては。
「…女の戯言と、聞き流しておいでだったと。そう解釈しても構いませんか?」
ニコリと笑う美虎。目の前の老齢の男は、自身の庭の惨状に落ち着かない様子だ。以前の居丈高な態度と比べるまでもなく、大人しい。
「私は言った筈です。例え身を守る物があったとて、扱う者が無知であるなら意味が無いと。心得がないなら、符を張り結界を作るだけに止めておけば、ここまでの事態にならずに済んだのに」
「…う、うるさいぞ!女如きが偉そうに、儂に意見するな!お前らは言われた事をやるだけでいいのだ!!」
黙々と処理を続ける、退魔の者達。ある者は天を仰ぎ、ある者は青褪めながら手足を動かし、美虎の様子を窺っている。
だって、明らかにお怒りなんだもの。顔はにっこり笑顔を張り付けているが、纏う気が、その無駄口共々妖魔に喰わせてやろうかジジィ。……って、言っているんだもの。
この状態の彼女を止められるのは、兄ぐらいしかいない。
「そもそもお前達が、最初に逃がしたのが原因だろう!!やはり女が上に立つと碌な事にならん!全員腑抜け揃いではないか!だから儂は話にならんと言ったのに、あの仙堂の若造めがぁっ……!!」
老齢の男の脳裏には、妹に任せると言った寅一が居るのだろう。これでもかと顔を歪め、美虎を睨みつける。
「これは紛れもなく仙堂家の失態!どう責任を取るつもりだ!!」
「あら、耳が悪いのかしら。此処の当主様は」
ぎ、と空気が歪んだ。
美虎は、何も無い庭に目を遣り、細めた。間に合わなかったか。
周りの者達も、ただならぬ気配に気付き各々の武器を手に構える。当主の男だけが鈍く、がなり続けていたが、美虎が投げ付けた符で口を塞がれ静かになった。
「死にたくなければ、大人しくしていなさい。私がやる。他の者は下がって」
美虎は、黒い空間を見据えた。
ぎ、ぎぎ、
ぎぎ、ぎぎぎぎぎ、ぎ……、
歪みが広がっていく。空間が裂けていく。
すら、と刀を抜き、構える。
「見つけた」
美虎の紅い目が、空間の奥に潜む、妖魔を捉えた。
「まだ、白湯の方がいいな。兄さんは起きたばかりだから」
いずみは大人しく受け取った。温かい湯呑。飲み頃の、程良い温度。
寅一に連れてこられたは、離れ。本宅を通り抜け、渡り廊下の先にあるそこは、日当たりも良く。縁側から見える庭は整えられ、季節ごとの花が植えられているようだ。
確かに、座敷牢よりは断然いい景色だ。久しぶりの外に、つい見回す。
「あぁ、此処は仙堂家の離れ。だいぶ古くて傷んでたから、あちこち修繕で手を入れたんだ。そこまで変わってはないけど、兄さんが分からないのも無理ない」
「…わ、わたしをマガツモノと知って、それでも家に入れたのか……?」
「いや、兄さんだし」
「そんな理由で入れるもんじゃありません」
いずみは頭を抱えた。上機嫌の寅一には、危機感というものが無いのか。本来は結界を張り、退けるモノである。
「俺は、例え鬼であろうと天狗であろうと人知を超えたモノだろうと、それが兄さんと分かったら必ず取り返す」
顔は笑っているが……、声音は真剣だ。この男は本気だ。
その姿勢に覚悟を感じ取れ、いずみは口を開くも、しかし何も言えず黙り込んだ。
「兄さんが覚えているのは、どこまでか訊いていいか?」
寅一は、ゆっくりと湯呑を傾ける。急ぐでもなく、責めるでもなく。
人に気遣いができる、優しい子だ。そう分かると、肩の力が抜けた。知らず知らず、警戒していたのだろう。
「わたしは……」
いずみは話した。
自分が何者かは理解している事。仙堂家の養子になり、退魔の仕事をしていた事。
弟妹がいた事。弟が、原因不明の呪いをかけられ、自分が身代わりになった事。
死を、覚悟していた事。
「強い呪詛だった、意識を何度も乗っ取られそうになった」
自分の中に、まだそれは居るのだが。しかも、意思を持って話すまでになっている。
この事はまだ黙っていようと、いずみは話を進めた。
「辛いか辛くないかって訊かれたら、辛かったよ。でも、」
「……」
「一之進と美虎の方が、わたしより辛かったんじゃないかと思うよ。優しい子らだからね。自分を責めていやしないかと思うと…心配だ。わたしは二人が生きて、元気でいてくれたらそれでいい。あの時、何もせず見殺しにしていたら、後悔していただろう。それは確かだから」
「……っ…」
「だからわたしはまん……どうした??!」
見上げると、寅一はしとどに泣いていた。人目……は無いが、何にも憚らず泣いている。
「にいざんのっ……想いがやざじずぎてっまぶじずぎて、だびぼびえだい……!」
「最初の兄さんしか分からないな!ごめんね??!」
いずみは急いで押し入れを探り、てぬぐいを持ってくると、寅一に渡した。
「話していいかい。……うん、わたしの記憶はここまでだ。わたしは何故生きているのか、此処に居るのか……訊いても?」
「……此処に居る理由は答えられる。俺達が捕まえたからだ」
落ち着いたらしい寅一が顔を上げたので、いずみは白湯を注ぎ渡してやる。縁側は明るく、青空が広がりいい天気だ。空になった湯呑を置き、寅一はいずみを見た。
「俺達はずっと、兄さんを探していた。兄さんの退魔の腕は、抜きん出てただろ。その能力を、必ず利用すると思ったから。死なせるより、依代として使う。……腹立つ事に、その予想は当たったんだけどな」
『当たり前だ。退魔の力を持っている依代なんぞ、早々手に入らんからな。お主の体を使い、我最強!と現世を謳歌しておったに。……こやつ、呪詛が効かん。全て無視して力押しで、我を捕らえおった』
「五年前、人の姿をしたマガツモノが居るって情報が入ってきて。兄さんの特徴と合致したから、それからはずっと追ってた。それまでは全く情報が無かったから、流石に分からない」
『あぁ、最初の方はお主を取り込もうと頑張ってた。抵抗が酷くて結局はこうなってしまったがの』
……何してんの?いずみは思わず無になった。
寅一には聞こえていないが、二つの話を合わせると、つまりこうだ。
偶然だが、退魔の力を持つ体を手に入れた『呪』。それを持っているという事は、自分を祓える者は居ないと言っていい。『呪』は自由を手に入れた。
しかし、体の持ち主が抵抗し、上手く使えない。それを抑える為に、それなりの年数を費やし。
やっと意のままに動かせるようになった頃、マガツモノに変化。『呪』にとっては上位になれたのだ、喜びの余り現世をヒャッハーしていた所を目撃され、それが寅一の元へ。
五年間、呪いを撒き散らしながら自由を謳歌していたが、敢え無く寅一達に御用に。
『その通りだ。お主、やるのぅ』
「兄さん、大丈夫か?少し横になった方が……」
ただただ、申し訳ない。そして恥ずかしい。
中身は違うとはいえ、体はいずみのもの。あの三人組が怯えていたように、『呪』がやらかした事は、いずみがやった事になるのだ。例え記憶がなくとも。
脱力し項垂れる兄を、寅一は気遣ってくれるが。できれば、自分で穴を掘って埋まりたいくらいである。
しかししかし。
いずみは矛盾に気付いた。
寅一は五年前に、情報を手に入れたと言った。『呪』は、五年で閉じ込められたと言った。
おかしい。
初期の初期は、『呪』も身動きが取れなかった筈だ。さっき自分でそう言っていた。どういう事だ。
「……寅一さん、」
「イチで」
「………イチ、とても大事な事を訊きたい。わたしは、何年行方知れずになっていたんだろう…」
「十年」
『え、そんなに経っておったの?我、もっと短いと思ってた』
………、…………ざっくりが過ぎる。
『呪』は、どこまでも、どこまでも適当な性格をしているらしい。
いずみはもう一度、寅一を見上げた。精悍な、逞しい青年だ。
そりゃ分からんよ。だって記憶にある一之進は、十歳の子供だもの。
「え、に、兄さん?!にーさーん??!」
いずみは優しい微笑みのまま、意識を手離した。
訳→ 「兄さんの想いが優し過ぎて眩し過ぎて、何も見えない……!」