6. 取られて行きし、山々を【中】
「養子というのはなぁ!!」
曰く、此処は山人界の入り口に近い山だという。
神々がおわす神界よりも低いが、当然ながら常人では見る事は叶わぬ世界だ。
「他所様の子を引き受ける事だ!他所様の子だぞ?!」
寅吉が此処へ導いたのは、絶対に邪魔されないからだという。
此処へ来るには、青天坊の案内が必要なのだ。流石の青天坊も、安易にほいほい山人界へ連れていくような真似はしないそうだ。
「生みの親に代わって大事に慈しみ、立派に丈夫に育て、教養を叩き込む!それが他所様の子を引き受けた、養い親としての最低限の礼儀!!」
しかし、人である筈の寅吉が何故、山人界に出入りできるのか。
彼はとうに、現世には別れを告げている。孫の顔も拝めた、大往生であったとか。あの世へ渡る前に、青天坊に会いに行ったその時、天狗の修行してみん?とお気楽に誘われ。寅吉当人も、未練も無いしやってみるかと軽く承知し、今に至る。
似た者同士である。
「なのに!なのにだ幸祐あの馬鹿!!早紀恵も早紀恵だ大馬鹿!!もー馬鹿!馬鹿野郎共が!!」
『一人でよく騒ぐ奴だの』
「何処へ出しても恥ずかしくない退魔師に育てたのは認めるよ!あぁ認めるさ、でもな?!」
やんわりと、土下座止めてくれと告げられた寅吉は、今はゴロゴロと地面を転がりまくっている。痛くないのだろうか。
「それ以外のやりようを知らないからって、もうちょっと何かあるだろ!お前も赤子から無敵だった訳じゃねーのよ幸祐ぉぉ!!」
止めあぐねていたが、突然無言で起き上がる寅吉に、いずみは静かに見守る。
「あの歪んだ家庭に居ても、いずみが変に捻った性格にならんかったのは、偏にいずみの母御の育てが良かっただけだわ」
打って変わって、静かな声音。しかし、怒りが滲み出ている。
寅吉は此の世の者ではない。だから、現世には干渉できないという。青天坊なら多少可能だが、それでも深くは立ち入らない。現世と幽世、そして山人界。明確な線引きがされているのだ。
「…あの、」
「馬鹿共が本当に申し訳ございませんでした!!!」
「いえ、謝らないでください、初代様。そもそも怒ってもいませんし」
「何言ってんだお前っっ!怒っていいし、恨み骨髄に徹していいんだぞ?!」
「青天坊様にも言いましたが、わたしは仙堂家の皆を恨めませんよ」
寅吉はポカンと、困ったように笑ういずみを眺める。
「……いずみ、お前……人生何周目だ」
「そう仰られても……」
どう返せば良いやらと悩むいずみに、深い、ふっかい溜息を吐く寅吉。
「当の本人にそう言われちまったら、おいらが騒ぐのもなぁ。けど、謝りたいのは事実だ。そんで、礼を言いたいのもな」
お前が居なきゃ、仙堂家は潰れてた。
至極あっさりと告げられ、いずみは思わず聞き返すが、間違いではないらしい。
「先に言っとくと、おいらは先見って能力持ってる。それで視えたは、落ちぶれた仙堂家だ。でもそれ自体は、仕方ねぇと思ってた。どこの家でも、浮いたり沈んだりがあるからな」
視える先は、その時の人の動きで変わるものだという。ほんの些細な事で、未来はがらっと変わる。
今も仙堂家が大家のままなのは、子孫達の頑張りも、勿論ある。
「聞かされてねぇか?幸祐の親共の話」
「…どうでしょう、あ、ありがとうございます」
そのままだと汚れるからと、寅吉に引っ張られ、大きな切り株に腰を下ろす。
「確か……無関心、だったと」
「そうだ。跡取りができれば全て果たした、ってな具合に、あいつらは全部幸祐に押し付けた。自分らは外で遊びまくってな、金が欲しい時だけ、親の顔になってやがった。ろくでもねぇ奴らだ」
早紀恵との婚約を勝手に決めたのも、その両親だったそうだ。
寅吉の目が若干鋭い。
「正直な?そいつらの馬鹿具合を見たからよ、幸祐のこじれた馬鹿具合は可愛いもんだと見守ってたんだ」
しかし、馬鹿である事は変わりないらしい。
中々の言われようだと、いずみは耳を傾ける。
「早紀恵。あいつが駄目だった」
「…、」
「あいつが少しでも、幸祐に寄り添おうとしてたら変わったかもしれねぇ。でも、あいつは何もしなかった。幸祐の状態を分かって、知って、駒にしようとした」
駒。真門からも、出た言葉だ。
やりかねない。幸祐はそう言っていた。
目の前の寅吉は、あの時見た幸祐と同じ笑みを浮かべている。
「早紀恵はな、幸祐を手玉に取って、仙堂家を牛耳りたかったんだよ。主人を立てるいい奥様演じて、上っ面の優しい言葉で懐柔しようとしてたっけな」
「……、……」
だから、余所余所しかったのか。
顔を引きつらせ、目を逸らすいずみに、寅吉は少年らしい笑顔に変えた。
「そ、お前分かってんな。幸祐そういうのにすぐ気付くから、逆に警戒されて夫婦仲良い悪い以前だったんだわ。もう、よく一之進と美虎できたねってぐらいになー」
明るく笑い声を上げる寅吉であるが。恐らくもう、笑うしかないのだろう。
夫婦はこじれにこじれたまま、仙堂家の先は真っ暗であった。半ば諦めていたが、ある日正反対の先が視えたのだという。
それが、幸祐といずみが出会った日だった。幸祐に未来が視えていた筈はないのに、彼は迷いなく養子にしたのだ。それからは、緩やかに好転していく。
いずみが特別、何かをした訳ではない。けれど、変わった。
何処か、閉塞感が漂っていた仙堂家。養子となった子は、しっかりした子だった。相手が師でも、無茶な要求をされたら負けじと言い返す子であった。そのやり取りを、楽しんでいた幸祐。師弟のその様子が、周囲の空気も変えていったのかもしれない。
「幸祐の顔が、作り物めいたものじゃなくなってよ。おいら嬉しかったんだ。ようやく、あいつも人らしく生きられるんじゃねぇかって。すぐに、終わっちまったけどな」
気に入らない者が居た。変わっていく仙堂家を、許容できない者が居た。
「後は、お前の覚えてる通りだ」
「……怒っていますか」
寅吉は目を細めて、笑う。
「だっておかしいじゃねぇか。お前は人生壊されたのに。幸祐は受けなくてもいい罰を受けたのに。一之進と美虎は奪われて裏切られて、散々傷付いたってのに。あいつは全部放り投げて、さっさとあの世へ行こうとしてやがった」
現世から離れようとする魂を捕まえるのは、寅吉には容易だった。
天狗は惑わせるモノ。迷わせるモノ。寅吉は幽世への道を隠した。導を失った魂は、さまよい続けた。
「守る肉体が無ぇ、剥き出しの魂だ。それで現世をウロウロしてたら、ただでは済まんわな」
傷付き、崩れていく魂は嘆いた。
何故こんな目に遭わなくてはならないのか。理不尽に現世から切り離されたというのに、何故誰も救いの手を差し伸べないのか。
どうして私ばかりが、こんなにも不幸なのか。私の居場所は此処ではない、私に相応しい場所は此処ではない、誰も彼もが私を妬む、邪魔をする。あァ、ナンテ不幸ナノカ、
「あれだけやっといて、人に縋ろうとする。図々しいもんだ」
――いずみがいなくなって、さきえが何度も来たけど、入れてやらなかった
いずみは、童子がそう言っていた事を思い出す。
あれは、単に離れに入れなかったという意味ではなく、仙堂家自体に入れなかったと言っていたのだ。迷わされた彼女が助けを求める相手は、夫か子供らだ。
「あの、」
「知らなくていいさ。知ってどうとなる訳でなし」
寅吉は、天狗の目になっていた。纏う空気も変わり、そのままにやりと笑うのだから、上位の魔と錯覚してしまいそうだ。
けれど、その応えで分かった。養母の魂は、輪廻の輪に入る事もできなかったのだと。
『ただの人が天狗に成るとは。初代からぶっ飛んでおるの』
「ぶっ飛んじゃいねぇよ。ちゃあんと修業したから、おいらはこう成ったんだよ」
『よくよく、メンドウな一族よ。あの親子といい、この天狗モドキといい』
「おいおい言ってくれるじゃねぇか、誰がモドキだと?大天狗とまではいってねぇが、お前を抑えるぐらい、おいらにはワケねぇぞ」
『ん?』
「あと、面倒なのは本当それ。拗れ拗れてのあれで、今持ち直してんの奇跡だからな。いずみには感謝と申し訳ねぇ気持ちでいっぱいだ」
ぴたりと黙ったマガツモノに、いずみも気付き寅吉を凝視する。
マガツモノは、外には出ず内で喋っているのだ。聞こえない筈なのだ。
「あの、」
「おいらには聞こえてるぞ。好き勝手やってんのかと思ってたら、意外と大人しいんだな。いずみを乗っ取ろうとしてるんでもねぇし」
「天狗…だからですか?」
「さぁ、分からん。まぁ青天坊も聞こえてそうだな。そいつは警戒して、隠れてたみてぇだが」
トン、と胸を指され、マガツモノは呻き声を上げる。油断した自分を悔いているようだ。
「マガツモノは、ずっとこんな感じか?」
「はい。気付いた時にはもう、意思を持ってました…」
ふぅん。寅吉にじぃと眺められ、いずみは思わず居住まいを正す。そのままぐるぐると周り、正面に戻った時には何か思いついたような顔で。寅吉が指を動かすと、ひゅるひゅると細い風の音。
それは紐のように腕に巻き付き、投げる仕草でひゅる、といずみの中へと吸い込まれる。
「え、」
「じっとしてろー、……おし、捕まえた」
がし、と掴んだ風の紐は確かに張っており、何やらマガツモノが騒がしい。バタバタと暴れているようだ。しかし、痛みや不快感は無い為、いずみは首を傾げるしかない。
『何をボケっとしておるか?!こやつ、我を出そうとしとるぞ!!』
「えっ……、初代様?!」
「動くなって。安心しろ、言ってたろ。お前とこいつを離すのは無理だって。青天坊ができねぇ事は、おいらはもっと無理。でもな、ほい釣れたあぁぁぁ!!」
『ぎゃあぁぁぁぁ!!!』
すぽーん、と出てきたは、風の紐に雁字搦めにされた、黒い丸の物体。思わず自身の胸をさするいずみだが、やはり痛みも何もない。
驚き固まるいずみと、ぶら下がる黒い物体、にんまりと笑う寅吉。
「こうして切り離すのは、できる。見ろいずみ、こいつがマガツモノ、の一部だ!」
『はーなぁぁせぇぇぇ!!!お主も助けんかぁぁぁ!!』
びちびちびちと、雁字搦めのまま跳ねる黒い物体…もとい、マガツモノ。簡単に抑えている寅吉の力はやはり、遥かに上のようだ。
こうなってしまえば、できる事などない。いずみは覚悟を決め、座り直した。
「…分かりました。初代様に止めを刺されるのなら、本望です」
「違うよ?!なんて勘違いしてんだお前!!」
「え?」
『ぬぅおぉぉぉ全然抜けぇぇん!!』




