2. 仙堂家の、うわさ
「は……?」
「……い、いえ、ですからその、先代様がですね…」
鹿沼は思い切り目を泳がせ、言葉を探す。現当主、寅一の顔をまともに見れない。無意識に障子に手を伸ばし、己を隠すよう滑らせる。
彼は何一つ悪い事はしていない。なので、見たもの聞いたものをそのまま伝えればいいのだが、上座から伝わる威圧感で本当にいいのかと自問自答を始めてしまった。もう一方の障子に手が伸びる。
「鹿沼」
真門の固い声に、びくりと止まる。
「開けなさい。そして全て寅一様に伝えなさい。貴方が先代様を止められるとは、誰も思ってませんから」
障子から半身を覗かせ、鹿沼は真門に目を向ける。頷かれた。
控えている三井と馬淵も、力強く頷く。言っちゃえよ、と。鹿沼は意を決し、障子を開け放った。
「『いずみ連れて出てくるって言っといてくれ』と、先代様が仰っておりましたぁ!!」
「何で大人しく伝言頼まれてんだ止めろや!!!」
「無理ですね!!怖いですもん!止めんなよって言ってましたもん!!空気が!」
「そういう時ばっか空気読むんじゃねぇよ!!」
「何言ってんですか!そういう時だからこそ読むんですよ空気は!」
「屁理屈抜かすな!何処行きやがった?!」
「あ、聞いてません」
「聞けや!!!」
寅一とて、鹿沼があの男を止められるとは、微塵も思っていない。しかしせめてなりとも、機転を利かせてくれてもいいだろう。というか、兄とのんびり散歩なんて自分もまだしていないのに。
怒りと悔しさと嫉妬と当主としての責任感が綯い交ぜになった寅一は、鹿沼の胸倉を絞めずにはいられない。
アカンアカンおかしい顔色になってる見た事ない顔色になってる!!……と、止められるまで寅一は無言で絞め続けた……。
美虎は、自分の父親がどういう人間か、実の所よくは知らない。
しかし、良い父親かと問われたら、即否定するだろう。他人のような身内。身内だが他人。美虎の親への感想はそれだった。
幼い頃は兄達と過ごし、余り接触しなかった上、寂しいとも感じなかったのだ。両親からはなくとも、その分、愛情を示してくれる兄達が居た。なので、当主としての顔しか知らないと言っていい。
兄が継ぐと、すぐにふらりと出て行ってしまったので知る機会も無かった。
「……」
知りたいとも思わないのですけどね。美虎は内心で吐き捨て、前を歩く父の後姿を一瞥。視線はいずみに向かう。
いずみは笠を目深に被り、二人に付かず離れずの調子で歩いている。まるで、使用人ようではないか。内心は大変不満ではあるが、目立つのは兄の望みではない。美虎は悔しさを呑み込んだ。
「何も、お前まで付いてこなくとも良かったのに」
「私が居たら何か不都合でも?貴方の勝手を許すと、イチ兄様に怒られてしまいますので」
「ずっと閉じ込めておくつもりでもないのだろう?アレが好き勝手暴れるのなら考えものだが、上手く抑えられているようだし、散歩程度なら許してもいいんじゃないかい」
「だったらまずは現当主に伺うべきです」
「思い立ったが吉日、というじゃないか。それに、私相手だと絶対許可は下りない」
当たり前だろうがよ。……と、寅一が居れば怒鳴っているだろう。美虎とて、気持ちは同じである。
幸祐は、全て分かってやっているのだから質が悪い。いずみが本気で否と言えば、この自由人も引き下がっていた筈。しかし弟子の勘か、ただ単に長い付き合いで慣れたか、意外にも拒否しなかったのである。
「……何処へ向かっているんですか、幸祐様」
「もう少しだ。お前もよく知っている場所だよ」
「知ってる、……」
仙堂家からしばし歩き、様々な店が連なる大通りに出る。多くの人々が行き交う中を抜け、大橋を渡ると人通りは減った。周辺は田んぼや畑が広がる鄙びた場所だ。幸祐の足取りは迷いが無い。通い慣れていると、よく分かった。
「街中はいくらか変わっただろうが、此処ら辺りは、十年経っても変わらないな」
「……あぁ、あの、御社ですか」
記憶を探るように辺りを見回していたが、ふと、呟くいずみ。
「仙堂家が、管理しているんでしたよね。よく掃除に来てました」
「私とイチ兄様とで、来た事もありましたわ」
「そうだったね、二人は掃除しながら遊んでたっけね」
柔らかく微笑む姿に安堵し、美虎は父を見据えた。一体、何が目的なのか。
中々迫力のある睨みを見せる我が子は気にせず、幸祐はいずみに振り返った。
「名は覚えているかい」
「……、ありましたか?わたしは、ただ御社としか…」
「無いよ。それじゃあ、噂はどうだ?」
うわさ。いずみは足を止め、記憶を探るように空を見上げた。鳥が羽を広げ、滑るように飛んでいく。
――知らないのか?いずみ。あのな、お前が行く仙堂って家にはな、
誰かの声が、頭に響いた。けれど顔が出てこない。確かに幼い自分と話しているのに、姿がぼやけて分からなかった。思い出そうとするほど、輪郭を失い消えていく。
――天狗が、憑いてるって、
「仙堂家には天狗が憑いている……?」
「それだ」
鼻先でぱちん、と手を叩かれ、思わず目を瞬かせ幸祐を見上げた。ぎゅうと手を握られる感覚に、見れば美虎が不安気な顔で。
「お前は思い出そうとすると、途端に空虚になるね。そのまま消えそうになるくらい」
「え、……」
「やはり自覚無しか。記憶を整理している時も、そうなってる。私が不安になるくらいだ、と言ったらどういう程度か分かるか?」
「そんな、大袈裟な」
「お前がまた居なくなったら、私は発狂する」
「そんな断言、聞きたくありませんでした」
「私は大発狂します。そしてこんな都など消し捨てます!」
「対抗しなくていいんだよ、美虎。それだけはやめようね?都を巻き込むのは、やめてくださいね?幸祐様」
今此処に居ない寅一も、きっと同じ反応なんだろうな、といずみは思う。
記憶を探っている最中、たびたび慌てた様子で呼ばれていたからだ。ただ、頑張っていただけなのだが、まさかそこまで存在を消していたとは。基本放置の幸祐が、こうして口に出すという事は、相当だ。
仲が悪い筈の親子から、揃って疑り深い目を向けられ、いずみは反省した。
「それよりその、天狗というのはただの噂なのでは?」
常人には無い力を持っていると、畏怖や嫉妬であらぬ話を勝手に作られる事、ままある。その噂も、そういった類だろうと別段気にもしていなかった。しかし、心底驚いた顔の美虎を見止め、いずみは幸祐を改めて見上げた。にやりとした顔が返ってくる。
「…事実なんですか」
「お前には一之進が継いだら、話そうと思っていた事だ」
「私、兄様はとうに知っているものだと……」
本来は、当主から次の当主へと語り継がれる天狗の話。寅一と美虎は呪に関しての書物をひっくり返している時に、偶然にも知ったらしい。そして、『入らずの地』と呼ばれるこの場所に居るという事も。
「大層な呼ばれ方だが、此処は初代の生家があったってだけだ。まぁ、面白半分で踏み入れた者は迷わされるけどねぇ」
「あの御社は…」
「入り込むのがあまりにも多いから、足止めに置いただけらしい」
仙堂家の者なら、迷う事無く天狗の元へ行けるという。御社の奥、鬱蒼とした木々の向こうで、初代の生家を守り暮らしているそうだ。だからといって、天狗の血を引いているという訳ではないらしい。過去一度も、仙堂家の者が天狗と契った事実は無い。
ただ、そこに居る。偶に様子を見る。偶に気が向いたら力を貸す。
それだけ。崇め奉れとも、何とも言わない天狗だそうだ。
「初代馬鹿なんだよ」
「初代馬鹿」
「何かと言うと初代様と比べますわ。確かに、初代馬鹿ですわね」
まぁ会えば分かるよと促され、幸祐に引っ張られる。
「私らはともかく、お前だけ迷わされても困る。手は離すな」
「では私もっ。これではぐれませんわ!」
「う、うん…?」
右に幸祐、左に美虎と、しっかと両脇を固められ、いずみは『入らずの地』へ足を踏み入れる。
空気が変わった。
妖魔が作り出す結界内に入った感覚と似ているが、ずっと澄んだ空気だ。神域と言ってもいいかもしれない。親子の足取りに迷いがないので、いずみは手を引かれるまま足を動かす。
『……こやつらの口ぶりからするに、天狗とやらに何度も会っておるよな…?』
これまで大人しくしていたマガツモノが零した呟きに、やっぱりそうだよね?といずみは内心で物凄く頷いていた。




