20. 怨霊
「ごめんくださいまし」
広い、仙堂家の玄関口で、真門華恵は訪いを告げた。
ざわざわと騒がしかった奥が、ぴたりと静かになる。
「姉上は御在宅でしょうか。約束していたのですが」
カラカラカラ、と廊下に続く引き戸が開けられる。人の気配は無い。華恵は気にする様子もなく、草履を脱いで先へ進んだ。
ゆっくりと廊下を進む華恵の前には、使用人の背が。案内するように先を歩く。奥へ行くにつれ、使用人らが慌ただしく行き来する。
全く、なんだってこんな時に来るんだろうね、気が利かないったら
一之進様が襲名する大事な日だよ、少し考えれば分かるだろうに
奥方様はこの日を待ち侘びていたんだよ、妹御は水を差すような真似を……
すれ違うたびに華恵の耳に入るよう、声高になる顔の無い使用人達。
あぁ、いそがしいいそがしい。使用人らはいつもそう零し、揺れながら消えていく。
華恵が目を向ける時には、廊下には誰も居ない。気配も、音も消える。
「そう。今日は、新しい当主が生まれる日なのね」
庭園は仙堂家の新たな門出を喜ぶかのように、色鮮やかな花々が綻び、艶な香りで満ちる。四季の花全てが狂い咲き、風に揺れていた。
見上げた空は白く、陽光が無いにも拘らず妙に明るい。
しばらく佇んでいると、奥から音が戻ってくる。随分と賑やかだ。
あな、めでたやめでたや
なんと聡明な御子達なんでしょう
この家の未来は明るいぞ
流石は奥方様の子だ、幸寅様の子だ、奥方様あっての、この家だ
大事になされよ幸寅様、こんなできた奥方は他におらん
あぁ、めでたやめでたや……
華恵は襖をすぱんと開けた。賑やかな笑い声が溢れる。
広間には祝い膳が山と並び、酒樽まで積まれ、祝う為に集められたモノらが、手拍子足拍子と踊り盛り上げる。そのモノらも、顔が無い。
華恵は構わず、広間の奥へ向かう。そして、上座でゆったりと微笑む姉の前に座った。
「姉さん、こんなにおめでたい場に呼んでくれて、ありがとう」
早紀恵は、華恵を見ていない。宴を眺め、満足気に微笑んでいる。
その肩を抱き、寄り添っているのは幸寅だろう。膳の前で大人しく座り、親達を眺めている子供二人は、一之進と美虎。
しかし、同じく顔が無い。
家族でも、これか。予想していた事だが、華恵は呆れた。
顔が無い幸寅が、一之進を指す。
お前はもう一人前だ、これからお前が仙堂家を盛り立てろ
『寅』を継ぎ、お前は今日から『寅一』と名乗れ
一之進がゆっくりと頭を下げる。
はい、謹んでお受け致します
父上、母上の恥にならぬよう、これからも精進して参ります
それを見ていた美虎が、肩を揺らす。笑ったようだ。
兄様、そんなに固くならずともいいのよ
母様の言う事を聞いておけば、全てうまく収まるわ
この家の繁栄は、母様の御蔭だもの
幸寅も笑う。
ああ、そうだ
早紀恵が居てこその、仙堂家だ
私はお前と一緒になれて、本当に果報者だ
一之進も顔を上げ、笑った。
あはは、あはははは、ははははは。
感情の無い笑い声が、木霊する。早紀恵は終始、満足そうに微笑むだけ。時折そっと、幸寅に擦り寄る。
――ああこれが、姉が求め、欲した形か。
華恵は目の前の、ばかばかしい寸劇を眺めていた。
こうして虚構の世界を作ってしまう程、早紀恵は欲していた。何が何でも手に入れようと、もがいて、もがいて……そして、呪詛に手を出した。
「……滑稽ね。貴女は全然変わっていない。子供の頃から」
早紀恵は、妹に目を向けもしない。ただ、己の世界に浸っている。
取るに足らぬという事か。華恵は目を細める。今も昔も、姉は妹を見くびっていた。
「……駄目よ、姉さん。足りないじゃない。もう一人、居るでしょ。家族が」
ぱしん、と手を叩くと、鳶色の髪の少年が現れる。もう一つ、ぱしんと叩き、黒髪の女が現れた。
二人も、やはり顔が無い。
早紀恵の表情が、初めて歪んだ。
「いずみ君も家族なのに、仲間外れは酷いわ。あんなに、一之進君と美虎ちゃんを可愛がってくれていたのに。この子も一緒に祝いたい筈よ、ね?ほら、こんなに仲良しなのだし」
兄妹はいずみに走り寄り、揃って抱き着く。
「義兄さんも。唯一のお弟子をあれだけ褒めておいて、呼ばないなんて酷い事、しないでしょ?」
幸寅は立ち上がり、いずみの隣へ。
早紀恵の目が、ようやく此方へ向いた。
「そうそう、今日はおまきさんも呼んだのよ。お茶仲間だったのでしょう?受け入れるフリをして、子を流す薬を飲ませていたのよね。おまきさんが教えてくれたわ」
――ヤメロ、ヤメロ、カエセ、
『早紀恵、私がお前の思い通りに動かないからといって、周囲に当たるのは子供の癇癪そのものだ。やめてくれ。……いずみは離れに移す。お前は手を出すな』
――ヤメロ、ハイッテクルナ、
『そんなに嬉しいかよ、兄さんが消えて。俺が何も知らないと思ってんのか?!馬鹿にすんな!!』
――チガウ、チガウチガウ、カエセカエセクルナッッ
『母親面しないでっっ!!アンタなんて大嫌い!兄様を返せっっ返して!!!』
――私ノ、セカイヲ壊スナアァァァァァ!!!!
宴の場が消える。賑やかだった広間は静まり返り、あちこちにひっくり返った膳が散らかる。
早紀恵の顔は崩れ、土気色の肌が露になっていく。床に手をつき、喘ぐだけの早紀恵を見下ろすは、夫と二人の子。
助けを乞うように手を伸ばしたが、返ってくるのは冷たい紅。
夫も、子らも、早紀恵から離れ、消えていく。
動かない体で必死に這い、手を伸ばし続ける。
――チガウ、私ハ、幸寅、サマ……、
「気付かれるに決まってるじゃない。何故、隠し通せると思えたの?」
空っぽの宴の場に居るのは、早紀恵と華恵の二人だけ。
ぎし、と空間が歪む。虚構の世界が崩れ始めた。
「姉さんは結局、自分本位なのね。欲しいのは、名誉と名声。家族ですら、姉さんに箔を付ける飾りに過ぎない」
――チガウッッ!!チガウチガウチガウッッッ!!!
「なら何故、顔が無かったのかしら。何故、呪詛に手を出したのかしら。貴女は貴女だけが優秀で、周りの人間は全て下。そう思っていたからこそ、分かる筈がないと嗤っていたのでしょう」
姉妹の間に亀裂が入る。音を立てて、崩れる、消えていく。
「義兄さんは言わずもがな。一之進君も美虎ちゃんも、……いずみ君も。貴女が思うより、貴女よりずっと、聡明よ。貴女の周りもね。見くびらない方がいいわ」
呆けたように座り込む早紀恵は、聞いているのかいないのか。その隣に、おまきが寄り添う。
――イズミが悪イ
「……この期に及んで?ねえさ、」
――アイツガ悪イ、アイツガ、アイツガ全テ壊シタ、消サナケレバ、アイツヲ消セバ!!
「無理よ。貴女如きじゃ相手にならない。あの子の内のモノに、喰われて終わり」
華恵は、もう生前の面影すらない姉を見遣った。
「そうそう、義兄さんは来ないわよ。私に任せてくれるそうだから。ずぅっと会いたがってるけれど、姉さんの望みを叶えるつもりはないの」
眼窩を昏く光らせ、早紀恵は咆哮する。しかし、蛇体となったおまきに絡みつかれ、動けない。
幸祐なら、今のように回りくどい真似はせず、跡形なく祓えるだろう。
けれどそれは、早紀恵の望みでもある。苦しくて仕方ない今の状態から、彼に助けて欲しいと訴えているのだから。
それを、華恵は許さなかった。散々貶され利用され、踏み台にされた恨みは、無いとは言わない。しかしそれはとうに、過去の事。
姉をどうしても許せないのは、娘を当たり前のように使おうとした事。
呪詛に手を出した挙句、自分の子を利用し、養子として尽くしていた子の人生を壊した事。
自分の、自分だけの尊厳の為に。
「貴女が作り出した呪詛は、貴女が持っていきなさい。ここから先は、此世を生きる者達の世界」
華恵の手から、無数の符が舞い散る。
「貴女は亡者。二度と此方には来られない。……消え去りなさい」
放たれた符は、早紀恵とおまきをも巻き込み、燃え上がった。引き裂くような悲鳴が上がる。
もがいてももがいても、炎は衰える事なく、欠片も残さぬよう勢いを増していく。
華恵と、おまきの目が合った。蛇のそれではなく、生前の目だ。
――ようやく、果たせました
ゆっくりと頭を下げ、金切り声を上げ続ける早紀恵を抱き込んだ。
浄化の炎は、更に強く、強く燃え上がった。
「母さん、」
「あら、ユエ。待っていてくれたの?大丈夫、終わったわ」
真門家の奥の間から出てきた母を、ユエは気遣わし気に見る。それに、華恵は微笑んだ。
……姉、早紀恵を此処へ連れてきたのは、ユエだ。強い未練と恨みを纏いながら、彷徨っていた亡霊。
「母さん、これでも腕はいいのよ?旦那様が褒めちぎってくれるくらいなんだから」
「…知ってる。私が、できれば良かったんだけど……」
「これは私の役目だったのよ。そっちはどうなの?」
「…監視役は、先代様に。いずみ様も、それがいいと…」
身を清めながら、華恵はあら、と目を丸くする。よくあの子らが許したものだ。
「いずみ様の一言で。実際、適任は他に居なかったし。それが無かったら、また大喧嘩が始まってたと思う」
「あの子は相変わらず凄いわねぇ。あの義兄さんも大人しくさせるんだもの」
もし、彼が居なかったら。そう考えると、背筋が冷える。
姉の暴走は起こらなかったかもしれない。けれど、姉が望んだ、あの歪んだ世界が出来上がっていたかもしれない。幼子は、親に染められやすいから。
「……ああなっていたら、仙堂家は容易く滅んでいたでしょうね」
「母さん?」
外側から見ていたから、彼には分かったのだろう。あの家の、歪な部分が。
だからせめて、兄妹は守ろうとした。自分ができる範囲で、動いていた。
それが、姉には恐ろしかったのだろう。思い通りにならない事を、何よりも厭う人であったから。
「ユエ、明日義兄さんに、全て終わったと伝えてくれる?」
「勿論。今からでも、」
「ダメです。ユエは今から私とお話しましょう。折角帰ってきたのよ?娘と過ごす時間が何よりも、疲れに効くんだから。旦那様もそろそろ帰ってくるし、久しぶりに団欒しましょ、団欒!」
えぇ、とためらいつつも嬉しそうな娘の顔を見て、華恵はようやく、肩の力を抜いた。




