19. カミシロ
新調され、生まれ変わった離れ。まだ、木の匂いが部屋に微かに漂っている。
棲み処が綺麗になり、喜び駆け回る童子の後を、河童が追いかける。幼い妖魔たちはあちこちと開け、探検を始めた。いずみが眠っているので、動きは静かだ。
そんな自由な妖魔たちを脇に置き、寅一と美虎、幸祐は向かい合っていた。感動の親子再会とは、全くもって言い難い。離れの空気は殺伐としていた。
真門は下座から、更に離れて座り、親子の動きを見る。再び喧嘩勃発なら、止める者が必要なのだ。
できれば今すぐ起きて欲しい。真門の切なる願いも空しく、幸祐に抱えられたままのいずみは、身動ぎもしなかった。
「……兄さん返せ」
「無理だな。返したらお前達、私を追い出すだろう。生きて戻ってきてくれるとは思っていなかったんだから、まだ浸りたい」
「欲丸出しですわね。取り返せたのは、イチ兄様の力あってこそです。貴方は何もしていないでしょう」
「何も?……限りなく低い可能性だけに固執していたお前達に、言われたくはないなぁ」
例え、残されるのが屍だけでも、兄を取り返す。幼かった兄妹は、そう強く心に決めた。けれど、それでも僅かに、生存の可能性に縋っていた。また一緒に過ごせるように守るから、生きていてくれと、願っていた。
幸祐は願わなかった。喪失感を抱えながらも、現実を受け入れた。願う事は、いずみの覚悟を踏みにじる行為に思えたからだ。
どちらが正しいなどと論じる気は、互いに更々ない。ただ、やり方が違っただけ。
幸祐に静かに見返され、美虎は口を閉じ、寅一は目を細めた。
「私は私で動いていたよ。最近は、妙な呪を作ろうと躍起になっているのが居るらしいね」
「…妖魔を媒体に使おうとしてるやつか。アンタは、関わってねーんだな」
「いくら興味なくとも、私の呪嫌いは知っているだろう?あんな忌々しいモノにどうして私が?」
「聞いた限りじゃ、アンタ並みのいい性格してるからだよ」
ばち、と父子の間に火花が散る。
真門は、無邪気に畳に転がる童子と河童を眺めていた。現実逃避だ。座敷牢再破壊は免れたが、此処はどうだろうか。
「残念。アンタだったなら、遠慮なくぶっ飛ばせたのに」
「私も残念だ。これだけの人間が居て、碌に相手の情報を掴めていない。お前達は一体何をしていたんだろうね?」
「兄さんの仇を未だ捕まえられてない、アンタも何してるんだろうな?」
売り言葉に買い言葉。ばっちばちだ。
そんな殺伐父子の間に、童子が徐に入った。じぃと寅一を見、次いで幸祐を見る。妖魔であるのに、退魔師への怯えも恐れも無い。あるのは、怒り。
また棲み処を壊すようならお前ら弾き出す。いずみ以外、全員だ。
……そう、言っているように感じるのは、気のせいではないだろう。このザシキワラシは、冗談抜きでそれができる。父子は殺気を仕舞った。真門は心から感謝した。
「……いずれ首だけになる術者など、今はどうでもいいですわ。それよりいずみ兄様です。『神代』というのは事実ですか?マガツモノに謀られているのでは」
「可能性はある。けど、理由が無いだろ。あいつは兄さんから出られないしな」
兄の新たな事実に、兄妹は考え込む。
いや、あいつ訊いたら割と正直に話すよ?……と、いずみが起きていればすぐに解決する話だ。しかし残念ながら、兄妹はまだマガツモノについて向き合って話していなかった。互いに気を使った結果である。
幸祐は呆れたように、兄妹を見遣った。
「お前達、やっぱりまだ白状させてなかったのか。いずみは話さないと決めたら、それを貫く強情者だよ。それこそ無理強いしてでも吐かせないと」
「分かってンだよンな事ぁ。だからってテメェのやり方が許されると思うなよ」
「自分が兄様を一番分かってるような物言い、止めてくれません?」
「事実だからね。私が一番付き合いが長い」
その時、寅一がついに、荒々しく畳を殴った。
「ってかいい加減兄さん放せや!!!俺だってまだそこまでくっついてねーんだぞ!!!」
「私だって我慢していますのに!!何で!貴方のような親失格男が隙間無く寄り添ってますの??!!」
そっちかーい。真門は心の中で突っ込んだ。話は進んでいるようで、進んでいない。舵を取るものが必要である。
「寅一様、いずみ様が本当に『神代』であるならば、国に報告しなければなりませんが」
親子がぴたりと止まり、此方に鋭い紅を向けてくる。どうしてこういう時は揃うのか。
「『神代』は稀有な能力です。血筋で現れるものでもなく、依代能力があったとて簡単に成れるものでもありません。だからこそ、現れた時は厳重に守られると聞き及んでおります。しかし、今のいずみ様はマガツモノと共存状態なのですよね。それでも報告すべきなのでしょうか」
「必要ない。……国が必要としてんのは、神代の『器』だ。報告なんざしてみろ、兄さんはマガツモノとして消される」
「分かりました。では、極秘としましょう」
規律に厳しい筈の真門があっさりと引いたので、兄妹は揃って怪訝な顔になった。
理由はある。間違いなく、仙堂家は国に喧嘩を売るからだ。或いは、結界維持を放棄する方が早いかもしれない。兄を守る為ならば、どんな手段も厭わない。兄妹にはそんな危うさがある。そして、それは幸祐も同じなのだ。
正直、この人がどう動くかが一番恐ろしい。真門はうすらと笑う先代を見、逸らした。
「寅一様達の勝手を止められるのは、いずみ様だけですから。私の仕事が少しでも減るのならば、秘する事も構いません。退魔の依頼はあちこちから来ているのです。家の内情にだけかまけている暇は、はっきり申しますとありません」
「本当にはっきりと言いましたわね……」
「寅一様、美虎様。いずみ様の監視を、先代様に頼めませんか」
断る。兄妹は揃って無表情に言い放った。が、想定していた真門は、引かない。
「しかし現状、知らない者らはお二人に疑念を持っています。また、勝手に動く者が居ないとも限りません。内部の不平不満を解消するには、監視は絶対です。それを考えると、適任は先代様しかおられません。いずみ様について全てをさらけ出すのなら話は変わりますが、それでは内情が筒抜けになり今以上の面倒が降ってきますがよろしいでしょうか」
「よくねぇよ。あー……クソ、三馬鹿……無理か」
「……わたしも、それがいいと思う。…降ろしてください、幸祐様」
「おはよう、いずみ」
いい時に起きてくれた。真門は見えない所で拳を握った。
まだ意識ははっきりとしていないようだが、童子と河童の手を借り、兄妹と向き合うよう座った。
「兄さん、大丈夫なのか?」
「ありがとう。眠っていただけだから…」
「いずみ兄様、兄様はコレと一緒でいいと言うのですかっ」
美虎の言うコレとは、幸祐である。本人は気にした様子もない。
「いいというか。真門さんの言う通り、周りの人が納得して安心できる監視役は、イチと美虎以外となると幸祐様しかいないと思うんだよ」
「では、私がずっとお側に居ます!」
「駄目でしょう。美虎にも退魔の仕事はあるし、イチはそれに加えて当主としての仕事もある。二人が留守の間は、此処を守る人達がずっと不安なままだという事だよ。例えわたしが大人しくしていてもね」
「退魔師として日々戦っている割には、肝が小さ過ぎやしないかい?」
「どうしてそう掻き回そうとするんですか、幸祐様」
やはり彼が居ると、苦労なく話が進む。目線で幸祐を制したいずみに、真門は心の中で頭を下げる。
兄妹はとても不満気な顔だ。しかし、確かにその通りであるので、代案が浮かばず口を閉じるしかない。いずみはその様子を眺めていたが、ゆっくり立ち上がり、側へ寄る。
「……イチ、美虎、」
腕を伸ばし、兄妹を抱き締めた。もう大きくなって、昔のようにはいかない。
「…ごめんね。わたしは、わたしの勝手な感情で、二人から母親を奪ってしまった」
「…、……」
「謝って済む事じゃない。……でも、謝る事しかできない。本当に、ごめんなさい」
例え、幸祐からは恨んでいないと言われても。これだけは、拒絶されても言っておかねばならないと思った。死を覚悟していたのに、こうして自分はのうのうと生き残っている。
自然と腕に力が籠る。しかし、それ以上の力で、兄妹にぎゅうと抱き着かれた。
「……兄さんは、俺達を守ってくれただけだろ」
「私達、ちゃんと分かってますわ」
「兄さんが居なきゃ、今頃どうなってたか分かりゃしない。だから、居ない方が良かったなんて、絶対考えんなよ」
「いずみ兄様が居てくれたからこその、今の私達なんですよ。忘れないでくださいまし」
いずみは何も言わず、腕に力が籠められる。けれど二人にだけは聞こえた。
ごめんね、と。
寅一も、美虎も、とうに前を向いている。兄の憂いを晴らす為に。
側に居てくれて、二人が大事だと言ってくれた人。命までも懸けてくれた、強く優しい人。
今度は、自分たちの番だ。兄妹は決意を新たに、奇跡のような今に感謝した。
……三人の様子を穏やかに眺める幸祐を窺い、真門はそっと息を吐いた。
恐らくこれで、一区切りはついただろう。
「……母からの伝言です。後は、任せて欲しいと」
「…私がやってもいいけどな」
「それは、……向こうの望みを叶える事にもなりますから」
そう。幸祐は一言返すだけで、後は何も言わなかった。
そんな二人を、童子と河童は静かに見上げていた。




