14. 神隠し 【五】
青い顔のまま、仙堂家裏口に座り込む真尋は、動かない。
その後ろ姿を、真門は眺めていた。人気の無い裏口なのは、一応の配慮だ。見るからに何かありましたと言っている真尋の様子で、遅かれ早かれ広がってしまうだろうが。
「……僕では、やはり無理だったんだ。僕なりに美虎を救おうとしたけど、相手はあの化け物。無理に決まってる」
この期に及んで、何を言っているのか。真門の眉間に、皺が寄った。
「あの、寅一さんですら。真門さん、君は大丈夫だよね?化け物を慕ってはいないよね?」
「何を言っているんです?」
ゆるりと振り向いた真尋の目は、昏い。
――早紀恵様から聞いていないの?その言葉がやけにはっきりと聞こえ、更に皺が寄る。叔母は、この男にも何か吹き込んでいたのか。
「あの男は、仙堂家の敵だった。美虎は、あの男に凄く懐いてた。子供の頃から。怖くなるくらい」
「当主の座を狙い、自滅したと。あの二人はずっと、いいように操られていたと。そう言いたいのですか」
「そうだよ。あいつが穢れ者になったは自業自得だ。美虎も寅一さんも、これで解放されたと思っていたのに、まさか、あいつの術がまだ生きてただなんて。仙堂家は終わりだよ、あいつに乗っ取られて、全部終わる」
「まさか、貴方はそれを信じていたのですか?叔母の、」
戯言を。
真門の冷たい声に、昏い目が僅かに見開かれる。
――わたしは一度、家族を失くした。だから今度は失くしたくない。何が何でも、あの子達は守るよ。そう決めたんだ。
過去、彼は同僚にそう宣言していた。それを聞かされた真門は、叔母が語る『いずみ』を信じなかった。余りにも、本物とかけ離れていたから。
「貴方は、彼と話す機会があった筈です。知る機会があった筈です。……結局貴方は、美虎様にも寅一様にも、……あの人にも、嫉妬していたのでしょう。自分には無い力を持っているから」
「そ、んな、僕は、美虎があまりにも、憐れ、で……」
「愚かだと。知っているのは自分だけだと思う事で、優越感すら持っていた。でも違う。貴方は自分の小さな矜持を守る為に、都合良く耳を塞いだ。信じたいものだけを信じた」
「じ、じゃあ君は、あれを信じるのかっ」
「私は、自分の目で見たものを信じます。……お引き取りを。もう貴方は、仙堂家とは縁が切れたのですから」
力ずくで追い出されたいのですか?そう睨めば、真尋は顔を歪ませ……ようやく、出て行った。暗がりに姿が吞み込まれても、真門は気配が消えるまで、鋭い目を向けていた。
……私は、のっぺらぼうです。人を喰らって、人の世に交じって暮らすのは、人がモノを食って寝ると同じなんですよ。本能なんです。
でもね、私は……いえ、私たちは決めていたんです。本能には抗えないにしろ、喰らうは余命幾ばくもない人間にしようって。
なんでって、その方が後腐れがないからですよ。身内が居ないのなら、もっといい。探されると、折角得た姿が使えなくなる。やり直しですよ。そこら中に人は居ますけど、都合良く見付かるモンじゃない。苦労してるんですよ、これでも。
この娘ですか?一家心中。首括ってるのを偶然見付けましてね、丁度三人。こりゃいいやと成り代わらせてもらったんですよ。その時、この娘はまだ生きておりましてね、でも虫の息だ。何かの縁かと思いまして、訊いたんですよ。代わりにして欲しい事はないかって。したらね、
「幸せになりたかったって、言い残しましてね。姿をもらうんだ、私は勝手に約束しましてね。この姿の間は、思い切り幸せを追求してやろうと、人の世で頑張ってたんです、はい」
「男を誑かして転がして、修羅場を作るのが幸せの追求だというなら、今此処で滅して差し上げます」
「い、いえいえ、そんなつもりは全くございませんでしたよ、はい」
冷や汗を浮かべ、思い切り美虎から目を逸らすのっぺらぼう。まだ華の姿のままだ。逸らした先には、仏頂面の寅一。無言で先を促されたので、小さくなりながらも口を開く。
「数ヵ月前、仲間のひとりの様子がおかしくなりまして…。問い詰めた所、バレた、と」
私らはこの世に生まれついて長い。人に成りきるのは、十八番ってもんです。そいつも、なんらバレるような動きはしておりません。でも、バレた、見抜かれたと怯えておりまして。
それだけなら、居場所も姿も捨てて、消えれば良かったんです。でも相手が悪かったといいますか。
……分かりません。でも只者じゃあないんですよ。その人間は、黙っている代わりにそいつに命じたんです。
人を喰え、と。
穢れを纏った人を喰え、と。
おかしいでしょう?穢れ持ちなんて、それこそ、そこら中に居るモンじゃない。でも、連れてきたんですよ、その人間は。何度も何度も。一体どうやったのかは、私らにもさっぱりなんです。
………逃げりゃあ良かったんですよ、あいつ。私らに義理立てなんざしないで、放って逃げりゃ良かったんです。
私らは妖魔ですよ?ひとりでもどうにかなるし、どうにもならない時はそれまでってだけです。
そう、思ってたんですけど。
あいつは、逃げられないって分かってたんでしょうね。だから、ひとり喰い続けて……狂っていった。あいつはもう、私らが知ってるあいつじゃない、立派な化け物に成り果てた。
私らにできるのは、あいつを葬ってくれる人間を見付ける事だけ。真尋さんと縁があるのは私です。だから、そこから辿れないかと……それで見付けたのが、
「イチ兄様ですか」
「はい。正直な話、今でも逃げたいぐらい近付きたくはないのですが、背に腹は代えられぬと言いますか……!」
「いずみ兄様を恐れた理由は?」
「あ、ああの人はマガツモノではないですかっ……!」
「分かるのですね」
「そ、そりゃあ分かりますよっ。でも、纏う穢れが何故あんなに少ないのです?マガツモノならもっと、こう、悍ましいと言いますか、見るのも恐ろしいと言いますか」
「それは、清廉潔白ないずみ兄様だからですわ。兄様がそこに居るだけで浄化されているのです」
「ん?」
「いずみ兄様だからです」
「いずみ兄さんだからな」
誰よりも何よりも、真面目な顔な兄妹に、華はそうですかと頷く他無かった。
「で、神隠しは、お前の仲間が起こしたと?」
「止めようとしました。でも、私らまで喰おうとして……あいつはこの辺りに居る筈なんです。人間が多く居る都は、あいつにとって餌場になりますから」
「…原因を作った人間はどうした?何をしようとした?」
「何を、とかは、私らにはさっぱり…。でもあの人間、狂ったあいつを見て、」
――失敗だ。でも、面白いものが見れたよ。
「……笑った。笑ってたんだ。……人間は私ら妖魔を恐れるが、私は人間こそ恐ろしい」
華の肩は、震えていた。兄妹は顔を見合わせ、周囲に視線を遣る。
導かれたは、都から離れ橋を渡った先、所狭しとあばら家が立ち並ぶ場所。訳あり者や孤児、貧民が暮らす、外れと呼ばれる場所であった。以前は夜でもあちこちから喧騒が上がっていたが、今はどうして、静かなものだ。
ただ一際奥に、濃い瘴気と妖魔の気配があるだけ。
「華!」
「母さん、」
やつれた姿の女が、暗がりから駆けてくる。兄妹に目を止め、周囲を警戒するように見回した。
華はそれに首を振り、居ないよと短く告げた。
「この二人だけ。仙堂のは、知ってるだろ」
「……、……ただじゃ、ないんだろ。条件はなん、」
女の目が見開かれる。一瞬にして、首を斬られたからだ。華は、それを静かに見ていた。
正体が顕わになる。肉の塊となったそれを、寅一は両断した。斬られた部分から、ボロボロと崩れていく。それを一瞥し、寅一は先に奥地へ向かった。
美虎も抜刀し、華の首へと刃を当てる。彼女は、消えていく仲間の首を見ていた。
「私らも、あいつと一緒に消える。それが、条件」
唇が、僅かに震えた。華は笑う。
「いーじゃないか。決めたろ?三人で幸せになるんだと。……あいつが居ないなら、意味が無い」
私もすぐいくよ。それに頷くように、目はゆっくりと閉じられ、消えた。
風が吹き、残っていた僅かな気配も散らしていく。
「この娘は、幸せになりたかった、そう言ったんだ」
見届けた華は、目だけを美虎へ向けた。
「『父さんと母さんと、普通に幸せに生きたかった』」
余命幾ばくも無い人間だけを喰らう。
頭で決めてはいても、物事はそうそう上手く運ばないのが、世の中でしょう?
……ええ、ありますよ。
この家族を探していた、金貸しに女衒を。騒がれちゃまずいんで、喰らいました。
姿を捨てて、また探すか。それより喰らって、知らん顔してる方が楽でしたから。綺麗事だけで渡れる人の世じゃあ、ありませんからね。
「私らなんぞに成り代わられて、いい迷惑だったでしょう。この家族も。返すにはいい機会だ」
風を切る音。冷たい刃が、己の首に喰い込んだのが分かった。
これで、おしまい。
寄ってたかって、嬲り殺すような奴らじゃない。あいつも楽に逝ける。
のっぺらぼうは、笑った。




