10. 神隠し 【一】
『ヒマだ。何か面白いことはないか』
呪は、相変わらず中に居る。
何があったのか、兄妹が居る間は決して外に出ず、いずみの中で偶に文句を言うだけだ。随分と、大人しい。
その間、いずみはこれ幸いと記憶整理ができたので良かったが。十年という歳月は流れていたものの、ゆっくり休めば自然と出てくるものだ。とはいえ、兄妹に関してのみ。他は全く、仙堂家も変わっているので、母屋がどうなっているかは分かりようがない。
勝手に出ていけば、大騒ぎになるのは考えずとも分かる。傍目から見れば軟禁状態ではあるが、離れは元々暮らしていた場所。いずみは苦とは思っていない。
『お主、面白いことやれ』
しかし、呪は違うようで、先程からヒマだヒマだとうるさい。
「交代して、童子と遊ぶか?」
『何故!我が!ちんちくりんと遊ばねばならんのだ!』
「じゃあ河童?」
『同じだろう!結局は同じだろう!!』
童子と河童は、今日も元気に追いかけ合っている。今は鬼ごっこなのか、逃げる童子を河童が追う。
こころなしか、足が速くなっていやしまいか。速さを活かして、壁を駆けている。以前は出来なかった動きだ。いずみは感心しながら、二人の動きを見ていた。何が楽しいのかと、相変わらず文句を口にする呪。平和な時間であった。
『そういえばお主、まだ言わんのか』
「記憶を整理するので、手一杯だよ。今はね。…イチも美虎も、待ってくれてるのは分かってるけど。順を追っていかないと、わたしも混乱しそうなんだよ」
『お主の中に我は居る。それでいいではないか』
「何で居るのかは、分からないんだろう?」
『知らん。知らんものは、どうしようもできなかろう』
潔いというか。呪は現状を受け入れて、開き直っている。同じように考えられれば、楽にはなるが。それは問題の先送りとも言える。まぁ、呪の言う通り、今はどうにもできない。
隠さず話して、相談するのも手だが。兄妹は忙しい。マガツモノである自分の問題も、無くなった訳ではないのだ。
「大人しくしておくよ。この十年で、仙堂家も変わっているし。童子、いいかい?」
呼ばれた童子は、すぐにちょこんと正面に座った。河童も倣って、隣に座る。
ずっと仙堂家に居たのは、童子だけだ。
「分かる範囲でいいから、この家であった事、教えてくれないか?」
いいよ、とコクリと頷く。いずみはしばし、童子との会話に注力した。
寅一は報告書に目を通していた。読み進めていけばいく程、眉間の皺が増えていく。
「真門、これは事実か?」
「はい。追えるだけ追った所、半年前からとのこと」
それは厄介。寅一は溜息を零し、個人的な内容が詰まった報告書を眺めた。
美虎の婚約者、竹岡真尋に女の影あり、とある。態々紙に認めずとも、口で言ってくれればいいのだが。寅一は、離れた場所にきちっと座る妹を見遣った。
「イチ兄様?そんなに難しい案件なんですの?」
「……まぁな…」
こういった場には、美虎も必ず参加する。本人を前に、言い難いだろう、確かに。
だが、他の妖魔案件の中に紛れ込ませてくるなと、寅一は言いたい。思わず二度見した。仕掛けたであろう真門はいつも通りの、真面目な顔を崩さない。
仕掛けましたけど何か?と涼しいものだ。彼女なりに心配しての行動なのだろう。それなりに長い付き合いだ、情がある人間だと分かっている。
「これは…俺が調べる。まだ情報が足りないからな」
「分かりました」
「この神隠しの一件はどうなってる?足取りは掴めてないのか?」
最近、都では神隠しが起こっていた。
年齢性別関係無く、ある日突然、人が消える。無事に帰ってきたという話も聞かない。都の者らは怯え、特に女子供は一人では出さず、夜出歩く人影はぱったりと消えた。
しかし、厳重に戸締りをし、家人がしっかりと確認したにも関わらず消えた事例もある。
「これも広範囲だな…。狙いが決まってるなら、対処のしようがあるが……現時点では見回り強化ぐらいしかできない。二人、いや三人ひと組で動くようにしてくれ。美虎、お前もだぞ」
「分かりましたわ。消えた人達の家には、結界符は張ってあったのですよね?」
「はい、どの家も確認されています。しかし、何軒かは破れているもの、紛い物もありました」
「すり抜けるのは容易いな。強力な妖魔の気配は無いが、注意は怠るな。美虎、悪いが組み分け頼む。真門はちょっと来い」
指示を終えると、寅一は真門を連れ、広間を出た。廊下を進み、充分に離れてから口を開く。
「美虎は知ってるのか」
「口さがない者はいくらでも居ますから。態々届くように話す者も。良くも悪くも、お二人は目立ちますので」
「俺には届いてなかったが?」
「心配を掛けたくなかったのでしょう。美虎様は、言わないおつもりです」
「なら何で、ああしてまで俺に知らせた?」
「寅一様に問われれば、話すかと思いまして。或いは、……」
真門は躊躇ったように、口を閉じた。
言いたい事は分かる。いずみにならと、そう思ったのだろう。寅一も美虎も、上の立場だ。弱音を吐ける相手は限られている。
まだ信じ切れていないが、二人の兄ならば。そう考えたのかもしれない。
寅一は、分かったと短く応じて切り上げた。
「ありがとな」
「いえ。では私は戻ります」
広間に戻る後ろ姿を見送り、寅一は離れへ向かう。兄にはどう話そうかと考えながら。
「あ、竹岡様」
「一理さん、偶然だね。買い物かい?」
はい、と微笑む少女は、真尋の連れに頭を下げた。華奢で色白の可愛らしい姿に、連れの男達は思わず見惚れる。それに気付いた真尋は、少女を隠すように立った。
「先日は付き合ってくれて、ありがとうございます。両親もとても喜んでました」
「そう?なら良かった。力になれて、嬉しいよ」
真尋はすい、と少女の髪を撫でた。
「今帰り?なら、送るよ。暗くなると危ないからね」
「でも、お仕事なのでしょう?」
ちら、と目を向けられた男達は慌て、大丈夫大丈夫と手を振り、二人を残して去っていく。
……その姿が見えなくなると、少女は真尋にすり寄った。
「華、」
「ごめんなさい。……私は、大丈夫。だから婚約者の方を大事にしてね。お似合いだもの」
真尋はその健気な姿を愛おしそうに眺め、そっと背に腕を回す。
親が決めた相手。家に縛られた結婚。それが当たり前だと思い込んでいた真尋だが、この少女……一理華に出会ってから、その考えは揺らいでいた。
切っ掛けは友人らに誘われて行った、小料理屋。質の悪い客に絡まれていた華を、見ていられず助けたのが出会い。それから、交流するようになった。華はいつでも、笑顔で出迎えてくれる。婚約者である美虎のそれとは、全然違った。華は、温和な笑顔で周りを穏やかにさせる。いつも一生懸命に働き、前向きで明るい。けれど何処か儚げで、守ってやらねばと思ってしまう。
美虎には抱いた事がない感情に、真尋は大いに揺さぶられた。
愛おしい。
心地いい。
彼女と……華と一緒になれれば、どんなにいいだろう。
そう強く想いながら、逢瀬を重ねていたある日。彼女も同じ気持ちでいてくれたと知り、真尋はどんどんのめり込んでいった。美虎に会う日が、憂鬱に感じる程に。
「華、僕が愛しいと思うのは君だけだよ」
「本当…?嬉しい……真尋さんがそう言ってくれるだけで、充分だわ」
華は頬を染め、心底嬉しそうに微笑む。もう一度抱き合い、手を繋いだまま歩き出す。
空は朱く、歩く真尋の影も伸びている。束の間の逢瀬。この時間がもっと続けば。
そう考えていたせいか、真尋は反応が遅れた。
「真尋」
びく、と肩を揺らし顔を上げる。夕日を背に、立っている男。すぐに、分かった。
「こんな所で何してる」
美虎の兄、仙堂寅一が、そこに居た。