第6話―4
――ところで、きょう未明のことである。
「あれ……、お馬さん、この足どうしちゃったの?」
しがみついた馬の足には、一条の傷跡があるように見受けられた。あたしはそっと馬の足から離れて、ちらちらと馬の顔と傷跡を交互に見る。
「怪我、しちゃったの? それで、回復のためにペインを食べ漁ってた……みたいな?」
あたしがそう問いかければ、馬はじっとあたしのことを見てくる。なにかを訴えかけるような視線の奥に、肯定の意を感じ取ったあたしは、そっと自分のてのひらをその傷跡にかざしてみた。
ナターシャ先輩みたいな、大それた治癒魔法は使えないけど。光魔法を由来とする、なぐさめ程度の手当てならわたしもできる。じんわりと傷跡を覆うように広がっていく光を一心に見つめつつ、この傷がすぐに治ることを願ってやまない。
傷跡の治療に熱中していると、いつの間にやら馬があたしの顔に向かって舌を伸ばしていて、そのままあたしの頬を舐めるから、あたしはくすぐったくなって笑ってしまう。
「あはは! ねえ、くすぐったいよー!」
集中力が切れて魔法をとめてしまったけれど、「もういいよ」の合図なのかもと思って、そのまま馬の顔に両手を添える。
「あのね、この魔道具には、入ると回復するっていう魔法がかかってるんだよ。あたし、あなたの怪我が治ってほしいと思ってるし、これ以上あなたがほかのひとに嫌がられるのも見たくないよ。だから、えっと、どうかな……。あたしの友達になってくれる?」
キャンバスを顔のを前で掲げて、馬の返事を待つ。しばらく待っていると、馬は自らキャンバスに頭を突っ込んで――そのまま、全身をキャンバスの中へとくぐらせた。
「わ……、えへへ。ありがとう」
キャンバスの向きを変えて、あたしの体温が届くようにと抱き締める。そうしているうちに、ふとどこからか視線を感じて、あたしはふっと顔を上げた。
「……」
布団から顔を出したローレンが、あたしのことを見つめていた。
「ろ、ローレン⁉ いつから起きてたの……⁉」
「んー……。ローレンはきょうお疲れなの、ゆっくり眠らせてあげて、のあたり」
ローレンはあくび混じりにあたしの質問に答える。
「か、かなり最初のほう……! 起きてるなら声かけてよ……!」
魔物捕獲に奮闘しているところをほかでもないローレンに見られたのが恥ずかしくって、あたしは思わずそう声を張り上げた。
「……んや、いつどう出ようか悩んでるうちに、お前の追い越されたってだけ。今回はオレよりアリスのほうが上手だったってこと」
ローレンはそう言うけれど、不思議な間があったのはあたしにだって気づける。
「……えへへ、見守ってくれてありがと、ローレン」
「そーいうんじゃねーっての……」
照れ臭そうに眉根を寄せつつ、ローレンは上半身を起こして、そのままベッドから足だけを下ろした。ベッドに腰かけるローレンが、床に座り込むあたしを見下ろす。
「話がわかる魔物もいるもんだなって勉強になったよ」
「ほんと? よかった! ……あれ、でも、使い魔のベリィは? 仲良くないの?」
太腿に肘を置き体重をかけていたローレンが、あたしの質問に「あー……」と、少し気まずそうに返事をして。ローレンはキャンバスからベリィを召喚して、腕を伝い肩に乗ったベリィに木の実をあげつつ口を開いた。
「オレの親を喰ったのはコイツ」
「……へ」
「その瞬間を、オレは見てたから。コイツのこと逃がさないように、咄嗟にコイツと契約して……、いまに至る」
ローレンの魔法の火を食べて巨大化したベリィのことを思い出す。そうだ、あの大きさだったら、人間を丸呑みしてしまってもおかしくない。
「いつかコイツのことを喰ってやるのがオレの目標。魔物がコイツ以外絶滅した日に記念の祝杯をあげて、コイツをメインディッシュとして喰うのを、ずっとずぅっと楽しみにしてるんだ」
ローレンが、ベリィのくりくりとした小さな鼻をつつく。
「白亜会に入って、いまそっちの任務を優先してたのは、会長の『魔物を根絶したい』っていう考えに共感したからだし、会長も……。オレの楽しみを否定しなかったから。協会のほうには友好的な魔物とは共存していくべき、みたいに考えてる穏健派がそこそこいて、居心地悪かったんだよな」
ローレンはもう、魔物への敵意をあたしに隠すような素振りを一切見せない。それどころか、もう隠しごとなんかしたくない、なんて言わんばかりに、次から次へとローレンの本心が吐き出されていく。本心を覆い隠していないローレンの表情は穏やかで、笑みが浮かべられてもいた。
「……なあアリス。こんなことを心の底から思ってるオレと、今後わかりあっていけると思う? あ、オブラートに包むとか社交辞令とか、そういうのいらねーから」
「……無理、だと、思う……」
「だよな、オレもそう」
あたしがそんなふうに言っても、ローレンはいっそ晴れやかなほどに笑顔のままだった。
「でも、オレはアリスに傷ついてほしくないって思ってるよ。……アリスも、たぶんそう思ってくれてると思うけど。オレら、お互いにきっと、お互いが平穏に幸福に過ごしてくれるのを、どうしようもなく望んでる。……それが、たとえ相手が自分の知らない世界に、見えないところにいたとしたって」
「……うん」
こくり、と深く頷いてみせる。
「お互いの信じてる世界を守りたいって思ってるのには違いないだろ?」
「……うん、うん。そうだね……」
二度、三度と、深く頷くあたしの顔を掬うように、ローレンがそっと頬を撫でる。くすぐったい手つきは、壊れものに触れるみたいに繊細だった。
「だから、もう一緒にいるのはやめねえ? 望まないことをしてしまう前に――相手を傷つけてしまう前に、離れよう」
「……それ、って……」
「べつに、嫌いになったから絶交とか、そういうんじゃねえよ。でもきっと、一緒にいるのはお互いのためになんねーから。まあそうだな、ライバルになるのも悪くない。『前向きな決別』とでも言ってみる?」
ローレンが、いたずらっぽく微笑みかける。
ああ、そうだ。ローレンが決めたのは、哀しいお別れではなくて。お互いを想うからこそ、大好きだからこその、――どうしようもなくあたたかく、幸福なお別れ。そうやって望んで離れられるのは、どれほど幸福なことだろう。きっと、たくさんの出会いと別れを繰り返してきたローレンだからこそ、出せた答えで。あたしがそれを否定する理由なんてどこにもなかった。
「……うん、わかった。じゃあ――バイバイ、ローレン」
握手を交わして、別れを告げられることの幸福を、ひたすらに噛み締める。




