傑作ロック音楽の誕生由来2
ところで―――これで満足するようなお兄ちゃんではなかった。この音楽は確かに第九のネガ音楽であるには違いない。しかし小説の中で表現されていたオーケストラによる交響曲としてのあの音楽ではない、あの音楽の物理的な響きはどんなものなんだろう、こんな途方もないことまで考え始めた。
現実問題として、こんなことは無茶な要求だ。そんなものは実際存在しないのだから。そんなことは誰だって百も承知だ――と、ここからがお兄ちゃんのおそろしいところ――存在せんかったら作りゃあええ。
それからお兄ちゃんは音楽理論の猛勉強を始めた。案外学校の授業に対しては真面目で、高校でも芸術系の科目は音楽を取っていたものだから、元々知識はかなりある。けれどそれだけではオーケストレーションは出来ない。だから音楽理論や作曲技法とかの分厚い本を鶴舞図書館から借りてきて一生懸命勉強し、短期間でこのロック音楽を基に三楽章形式の交響曲として総譜を書き上げてしまった。
ただし、このロック音楽のアルバムをそのままオーケストラ音楽にしたわけではない。このアルバムは元々のレコードではA面二曲B面二曲の構成になっていた。そこで交響曲としての体裁を整えるために、先ずA面二曲目の冒頭の演説みたいなものとそれに続く行進曲を採用する。それからその後に今度はA面一曲目を持ってきてそれらをつなぎ合わせて第一楽章とする。第二楽章と第三楽章はオリジナルのB面二曲をそのまま採用してまとめ上げた。
形式的にはこんな風だったんだけど、中身は勿論ロック音楽だ。オープニングの演説なんて、お兄ちゃんによると、“思惟するもの”というラテン語から始まり段々英語に変わって行って次にイタリア語だろうか、そして最後にドイツ語で“いつでも愉快”と叫ぶ、こんないかれた演説らしい。それから直後に甲高い笛の一鳴き、続いて行進曲になるんだけどこれがまた奇妙奇天烈で、これもお兄ちゃんの説明によると、ジェッディン・デデンをふざけた調子のヨーロッパ風にアレンジしたようなもの、とこれではますます訳が分からないよね。まあ要するに摩訶不思議な行進曲だ。肝心の本体は、第一楽章が緩徐的、第二楽章が少々急、第三楽章が舞曲風でちゃんとしたフィナーレで締める、といった感じです。ただ全体的に不協和音とオフビートが多用されてて、和音はきつい。きつい和音とは何だと言われると説明するのが難しいんだけど、実例としたらバッハのマタイ受難曲に出て来る『バラバを!』みたいなものかな。何と言っても第九のネガなんだから。
こうしてお兄ちゃんは総譜を完成させた。ところが、再度、これで満足するようなお兄ちゃんではない。今度はこれを実際に音にしてみたいと考えた。そこで目を付けたのがその年の文化祭だった。お兄ちゃんの学校にはオーケストラ部がある。演劇部もある。この両クラブを抱き込んで、音楽劇という形で自作の演奏を実現させようと企んだんだ。
思い立ったらすぐに実行に移すのがお兄ちゃんだ。まだ二か月ある。先ずあのおじいちゃん先生に例の小説を舞台で上演するための短い――何しろメインは曲の演奏だから――台本を書いてくれるよう頼み込む。老先生は、お前受験勉強はいいのかと言いながらも引き受けてくれた。次に二つのクラブに掛け合いに行く。部長つながりがあったし――実はお兄ちゃんは水泳部部長だった――オーケストラの部長とお兄ちゃんは親しくしていた。クラッシック音楽にやたらと精通しているお兄ちゃんには芸大進学を決めていた部長も一目置いていたんだ。お兄ちゃんは綺麗に清書した総譜を見せながら頼み込む。部長自身受験勉強があるのだし、こんな酔狂なことに夢中になっているお兄ちゃんには呆れていたが、一二年生にやってもらうこと、その演奏が平易であること――元がロック音楽なんだし細かいソロのテクニカルな部分は簡略化してあり難しい部分はない――などから、よろしかろうという話になった。演奏を依頼された一二年生も始めはびっくりしていたけれど、練習し始めると、何せ第九のネガ音楽だ、皆積極的になったそうだ。おまけに部長自身もお兄ちゃんの作った総譜を見て内心感心しており、受験勉強で忙しいにも関わらず自ら指揮を引き受けることになった。(部長さんはその後無事芸大進学したので、念のため)次は演劇部だ。おじいちゃん先生が大急ぎで作ってくれた脚本を、これまた綺麗に清書して強面の女部長を訪ね、談判した。女部長は、古めかしい台本ねと言いながらも、一二年生に経験を積ませるという利点もあるし、また交響曲の演奏中舞台上でオリジナル前衛舞踏パフォーマンスを演ずるという条件を付けた上で了承した。ところが恐ろしいことに、この部長さんも受験勉強時間を削って御自ら出陣することになったんだ。(部長さんはその後無事志望大学に進学したので、再度念のため)
お兄ちゃんは最後に文化祭実行委員会に乗り込み、この音楽劇をスケジュールに組み込むよう要求する。直前に近いくらいの時期だったので委員会も渋ったけれど、お兄ちゃんは口八丁の粘り腰で交渉する。二年生の委員長は、そんなことはせずに受験に専心した方がよろしかろう、とかわそうとするんだけど、受験と等しく大事なこともある、“あれかこれか”ではないんだ、と屁理屈をこねる。最終的に委員会も屈服し、スケジュールに組み込んでもらうことができた。本当にお兄ちゃんは何の得にもならないことにひたすら情熱を注ぐ、変人だ。
本番まで一か月半、短いけれどお兄ちゃんの高校のクラブだからとても優秀で、両クラブとも瞬く間に仕上げてしまい、一週間前にはリハーサルを行なった。結果は上々で部員の皆さんからも好評だった。オーケストラ部員からは、ロックに対する見方が変わった、他のグループの音楽も聴いてみたいという声が多かったそうだ。演劇部員はこれまで所謂前衛的な新しいものを主にやっていたので、少し前の作品を勉強してみたいとの感想を抱いていたようだ。古いものばかりやってた人と新しいものばかりやってた人との違いはあるにせよ、どちらも新しい発見があったということか。ただお兄ちゃんはお父ちゃんに演劇部の舞踏パフォーマンスについて、白塗り抜きの土方巽、暗黒舞踏みたいだと言って二人して笑ってたんだけど、何のことやら僕には分からない。
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