秋の日常へ
おじい様と暮らしていた頃、秋はここまで朝が寒かっただろうかと困惑するのは何度目だろう。洞窟の調査も一時中止、秋学期も始まり、私の生活習慣はすっかり元通りにはなったのだけれど…それはそれとして朝が辛い。比較的朝は得意な方ではあるのだけれど、寒過ぎる。
「ヒサメー、そろそろ起きなよー」
以前、ほんの一瞬垣間見えたか弱い彼女は一体どこに行ったのかと思う程、すっかり元気になった。
しかし、黒い砂塵は依然として現れているし、秋学期から生徒たちが多く目撃したからか、その情報はより広まった。
かと言って調査に進展があったかと言われるとそんなことは無く、不安要素は残ったまま。
「…一体どうすればいいんでしょうね」
「どうしたの、寝ぼけてる?珍しいじゃん」
「いえ、黒い砂塵の調査ってかなり難しそうだなって」
「めちゃくちゃしっかり起きてた…!」
出現が予想不可能、おまけに接近して調査することも不可能…どう考えても打つ手なしでは?
ぼーっとそんな事を考えていたけれど、しっかりと思考を切り替えなければならない。何故ならば。
「今日から結界術の授業でしょう?レンさんなら多分初回で見せびらかしてきますし、しっかり見て学ばないと」
「なんだかんだすごい楽しみにしてるよね」
「してません」
くすくすと笑いながら素直じゃないなあ、なんて言っているスピカをよそ目に、私は授業の準備をする。
「見せびらかす、って言ってもさ?あの人今使えないみたいな事言ってなかった?」
「だからこそ、結界術の授業だけ数週遅れて始めたんだと思います。あの人、ここ最近部屋来ないですし、多分、恐らくきっと頑張ってるんだと思いますよ」
「…確かに。お菓子の減りが極端に遅い」
傍から見ると失礼な発言を連発しているかのように見えるけれど、これはただの事実陳列罪だ。怒られる事も裁かれる事もない。多分。
それはさておいて、相も変わらずその行動の意図が理解できない。
エルーナ先輩の発言から察するに、恐らく普通に出来る芸当では無いのだろうし、そもそも時期が謎だ。黒い砂塵の事も、新学期の事もある今、どうして作り直しをする必要があったのだろうか。
以前の様々なことも含めると、この学園はどうにも不思議まみれだ。私の知識が浅いこともあるだろうけれど。
「だらだら喋ってても仕方ないし、行こっか。見て確かめるのがいちばん早いでしょ」
「それもそうですね。急に広場で授業するとか言い出しそうですし、早めに行って損は無いでしょう」
あの人の事ならありうる。そう思って口にした言葉だけれど、急な予定変更は実は面倒なのでなって欲しくないな。
そう思いながら、私は部屋を出た。
レンさんの思考を言い当てたのは気分が良いけれど、本当に急な予定変更が起こるとは思っていなかった。嫌な予想ばかり当たる。本当に勘弁して欲しい。
「私が実験台なのはもう慣れたんで良いですけど、結界はもう使えるんですか?」
「ん、ばっちりね。ヒサメちゃん、防御魔法上手いおかげで手抜かずに済んで楽なんだよね」
「一回本気で怒ってもいいですか」
いつも通り私が補助をする事になったのだけれど、私にだって命があることを一回本気で説かないといけないのだろうか。そんな風に本気で悩み始める。
他の生徒はと言うと、この応酬を普段よりも近くで、各々眺めている。
今回は結界が何かを説明するだけ。なので観客席に居る必要は無いという事だ。
そのはずなのだけれど…
「…師弟対決、ありじゃない?」
ガブリエルが余計な事を呟いた。
…まあ私としても無しでは無いけれど。
「口ではそいつの方が強いけど、魔法でってなるとどっちの方が強いんだろうな」
「余計なこと言わないでください。あとそれ両方に失礼ですからね」
結局レンさんを慕っているのかいないのか分からないレイラの不必要な発言が入る。スピカは目を輝かせているし、アロゼ含む他の面々は苦笑して困った様子。いつも通りアロゼには仲介に入って欲しかったのだけれど、希望が潰えてしまった。
「ふーん…だってさ、ヒサメちゃん。やる?」
「嫌って言いたいですけど言えないですよねこれ」
「そう来なくっちゃ」
「会話が繋がってないんですけど」
まあこの人なら張り切るだろうなとは思っていた。
それを聞いてか皆はぞろぞろと観客席の方に向かっていく。行動が速すぎる。そんなに需要のあるものなのか、これは…
とは言え、試してみたいことがいくつかあるので、それを実行する良い機会だ。やりたくは無いけれど。
位置について、伸びをする。またすぐにこれをするとは思っていなかったので、以前ほど落ち着きが得られない。とは言え、前回と違って今回は結界を使われることを知っているし、確定している。エルーナ先輩の時に試せなかったことを、やってみる良い機会だ。
「お先どうぞ。結界は程良い頃合で使うから、安心してね」
いつぶりだろうか、この人と戦うのは。まだ森にいた頃は良く稽古を付けてもらったけれど、それは戦いでは無いし本気でも無かった。
本気で戦うのは、会った時以来…?
今そんな事考えていても、特に意味は無いか。
「召喚、兎」
「発火」
あの時に比べて量や威力、対応が異なっているのは、お互いに手口が割れているからだ。問題はこの後の行動。空から攻めるか地面から攻めるか。
…いや、ここは面白く行こう。
「浮遊」
あの人も多分どっちから来るか楽しみにしているはずだ。だから私は空を飛ぶ。以前と、同じように。
「魔力探知」
以前と違う事を、挟みながら。
向こうも考えていることは同じらしく、今回は真正面から来るらしい。ならばやることは、一つだ。高速で向かってくる彼女をギリギリまで引き付けてから、私達の戦いはあの時からようやく動き始める。
「メテオラビット」
「うわ危な!召喚、花霊!」
その詠唱に応じて現れたのは、水面ではなく宙に浮く蓮華。数多の花弁を携えて、レンさんの背後に浮かんでいる。
いくつかの花霊は見てきたけれど、レンさんのものと実際に戦うのは今日が初めて。この人との戦闘において、不確定要素があるとするならこれと結界だろう。兎で破壊を図れそうなら試しておきたい。
今なら当たる。杖を蓮華に向け、メテオラビットを放つ準備をする。しかしそれが放たれることはなく…
すんでのところで防御魔法に意識を割かされる。
「速いでしょ?自慢の蓮の花弁だよ」
「そうですね。後ろから撃たれていたらまずかったです」
花弁がとにかく速い。威力はそこまでだとは思うけれど、尖っていてそれでいて薄い形状だからか、それなりの速度を持ってこちらに向かってくるのだ。しかもそれがまだ半分以上残っている。
熟練度による仕上がりか花霊の特性か、いずれにせよ、本当にこれが修練を諦めた魔法使いと言われるべきなのか…?
ともあれ何も出来ない訳では無い。先程も出来たように、直前でも防御は出来るし、花弁はシオンのものよりも方向転換に関してあまり融通が効かなそうだ。
だったら…もっと速く動くまで。
「そう来るとは思ったけど、よくその速さに耐えられるよねほんとに!」
意表を突きやすい急上昇。やはり花弁は方向転換が難しいと見て間違いなさそうだ。
今なら撃てる。
「メテオラビット」
高速、大質量の兎が空から数発…これは隕石と言うより流星では?
そんな流星もどきをレンさんはしっかり防ぎつつ、しれっと蓮華も守っている。この攻撃であの人は後退…正確に言うなら地面に近付き、花霊が壊せる事を明らかにしてしまった。
今なら私の流れに持って行ける。
「出て」
これは、ちょっとした嫌がらせ。
なんの知らせもなく私とアリス先輩を戦わせた、その当てつけ。私はしっかりと、潜伏兎を物にしたぞと言わんばかりのその攻撃を、彼女は避ける事が出来なかった。
すぐさま反撃の花弁を飛ばしてくるけれど、この距離なら…
「ちょっと!?危ない!」
自由落下すれば、避けられる。
予想通り、目の前を通り過ぎていく高速の物体を気にすること無く、落下死だけはしないように慎重に距離を見極める。花弁を全て使わせれば、勝機はある。
攻撃魔法を杖に纏わせ、すぐさまレンさんに向かって駆け抜ける。焦っていたらしい彼女の表情は、すぐに笑みに代わり、一度煌びやかで小さな杖を持ち直した。しかしそこに攻撃魔法は無い。相変わらず…まだ私の事を弱い弟子だと思っているらしい。
「知りませんよ」
「かかって来なさい」
私の杖は背丈を少し超えている大型の杖だ。大してレンさんの物は両手で持とうには少し小さな小型の杖。それでこの鈍器をどう防ぐつもりなのか。
「その魔法の開発者、誰だと思ってんの」
私の大振りの一撃は、彼女の杖の先端で止められる。それに攻撃魔法も剥がされたらしく、杖の先の淡い光はとうに無くなっている。
その後も何度か杖と攻撃魔法で殴打を試みたけれど、全て防がれてしまった。流石に何年も研究した人相手には勝てないか。
「甘い甘い!あれだけ説明したじゃん!」
「そうでしたね…あなたにこの魔法で勝てる道理は無さそうです。浮遊」
攻撃魔法はとても脆い。この人は多分、どの程度の威力を加えれば破壊できるかを感覚で理解しているのだろう。
一度後退した方がいいと判断し、浮遊を織り交ぜて急上昇、そして何とか地面に着地し、すぐにまた浮遊の準備をした…のだけれど、レンさんは杖を構えない。
「…授業の時間だね」
「やっぱりそう来ますか」
結界を、使われる。
どうしてこの短期間で二度も結界を喰らわなければいけないのだろうか。あまりにも理不尽、異議申し立てだ。
「そう来るも何も、そういう授業じゃない。結構自信作だから、期待しててね」
「期待はしてますけど気分は最悪ですよ」
「それもそっか。色々巻き込んじゃって申し訳ないけど、もうちょっと付き合って欲しいかな…結界、ミナモバナ」
またしても、嫌な感じだ。結界はこれが共通で発生するのか。そんなことを考えていると、足元にちょっとした違和感を感じる。私は今、何を踏んでいる?
そんな違和感もすぐに流すかのように、目の前の景色に異変が生じていく。円状の透き通る地面、そしてその中心にある…蓮華。そうか、今踏んでいるのは水か。
つまるところこの人の結界は、召喚魔法を活かす結界。私が何かをすれば、中心の蓮華も何かをしてくるのだろう。
「水面花…そういう事ですか。どんな結界かはまだ分からないですけど」
「見た目超綺麗でしょ?でも性質凶悪だから、覚悟してね」
彼女はそう言い放ち、杖を構える。
恐らくまた高速の花弁が飛んでくるので、一度距離を離す必要がある。
そのついでに、試したかったことを試す。
「そうでしょうね。なので私はここから出ます」
手段を悟られる訳にはいかない。出会った時のおじい様を、思い出す。あの人は無詠唱で私に浮遊をかけた。
その記憶を、思い起こせ。
詠唱の無い浮遊はなんと言うか、浮き始める感覚が弱いのだけれど、無事に体を少し浮かせる事に成功した。あとは急上昇するだけ。
…と同時に、体に何かが勢い良く当たった。
今勢い良く当たるものはあの花弁しかないはずだ。しかし浮遊を使おうとしていることはバレていないはずだし、レンさんは杖を構えたまま。
「またなんか見た事ないことしようとしたね、今」
「こっちの台詞です。どうして何もしてないのに蓮華が攻撃したんですか」
「何もしてないと攻撃しないよ…授業していい?」
「あ、はい。どうぞ」
いまいち仕組みがよく分からない結界術。その後のちゃんとした座学でようやく詳細が判明した。
エルーナ先輩の言う、魔力の扱いという技能の終着点。間違ってはいないのだけれど、少々誤りがあった。
正確に言うのであれば、自分の魔力を理解し、それを扱う技能の終着点。その為、基本は召喚魔法か得意魔法のどちらかが結界に反映されるのだと言う。
「感覚的には攻撃魔法を出す時の感覚とはちょっと違って、練らずにそのまま自分の魔力を周りにぱーって出す感じなんだけど…とりあえず君達は自分の魔力の何たるかを把握しないと使えません」
「なんでこの説明でエルーナ先輩は理解出来たの?」
「で、さっきのレンさんのはどっちなんですか」
「私のは得意魔法も召喚魔法も引き出したよ」
「教育担当がそうやって例外を使うのはおかしいんじゃ…?」
レンさんが魔法創作の技術…と言うか魔法に対する造詣が頭一つ抜けているのは、どうやら結界に関しても例外では無いらしく、この人はあろうことか得意魔法の魔力探知と召喚魔法の両方を結界に組み込んだ。
本題から逸れると言ってあまり話してはくれなかったけれど、どうやら水面の部分に魔力探知を仕込んでいたらしい。であれば、私が魔法を使った瞬間に花弁が飛んできたのにも納得が行く。
…この結界、魔法そのものの否定になっていないだろうか。あまりにも強すぎるのでは?
「私が教えるのはやり方。どんな結界を作るかは君達次第。だから私はどんなの使おうが別にいーの」
「なんたる暴論」
そんな談笑が行われる中、私の頭の中で引っかかる事象がいくつか。
一つ目はもちろん私達が今いる結界、学園の大結界だ。
使用者の死後も残り続けるその魔力の特異性や広さはさることながら、結界に組み込まれた性質が意味不明だ。魔物や神降ろしの連中を的確に弾くのは、一体どんな魔法を元にしたのだろうか。
二つ目は過去に私が居たであろう結界…おじい様の森の結界だ。
どのような性質なのかはレンさんも全ては知らないらしいけれど、結界が張られていることは確か。
性質も、広さも、何もかもが不明。当然何を元にしているのかも分からないし…森を出て十ヶ月ほど、あの人の謎がまたしても深まった。
「先輩達は最短で半年、長くて…一年ちょい?で習得してるけど、二つ上の代でも使えない子は使えないから、結界が全部って訳じゃないよ。例えば…ウリエルとか使えないし」
ウリエルは…天使の人だっただろうか。何かに秀でていても、結界が使えないと言うこともあるのだな、と思った。
「ウリエルって言うと、召喚魔法が強いって奴だっけか」
「あの人、結界使えないんだ。ちょい意外かな」
「なんだカロン、面識ありか?」
何やら訳ありなカロンと、それを追求するレイラ。カロンの言い方だと、確かに会ったことぐらいならありそうな感じだ。
「あー、クアリゲ先輩に繋いでもらったんだよ。ほら俺、召喚魔法特殊だからさ。色々話聞きなーって」
「私も天使の召喚魔法なんだけど」
「あんたに聞くことは何もねーよ…」
またしても漫才が始まろうとしているが、私は聞き馴染みのある名前に傾注していた。あの人、本当に紳士だな…いつか先輩に関する話を伺う時は、あの人に相談してみることにしよう。今のところ名前を知っているのは三人だけだけれど、どうも二つ上の代はまだまだ宝石が眠っていそうな予感がする。
「…で、先生?今日でやり方教えるのは終わっちゃったけど…次回以降どうするの?」
「確かにスピカの言う通りです。レンさん、次からはもう来なくてもいいんですか?」
「サボりコンビ的には残念かもしれないけど、来週からはいつかやったみたいに戦闘訓練だよ。自分の魔力を掴んでもらわないと、結界は使えないからね」
戦闘訓練、という事はまた双子やらと戦わなければならないのか。うんざりするな。
とは言え、これでようやく日常に戻れるのも事実。戦うのはあまり気分が乗らないけれど、それに比べたらどうと言うことは無い。
結界の習得を目指し、黒い砂塵の調査も行い…裏切り者の精査も何ひとつとして進展は無い。なんだかんだで秋学期も休む暇が無さそうだ。
これら全てが片付くのは、一体いつになるのだろうか…そんな焦燥感が、私を襲った。




