知者と非知者
ある日突然、おじい様が外に出てみるか、と言った。
ここに来て一年と少し。つい先日ようやく授業も終わり、もう知者に近しい状態になったらしい。
さて、そんな私に現在用意されている道は二つ。非知者を隠して生きるか、知識を学んだ非知者と明かして生きるか。
前者は必要になる知識量が多く、後者は強く当たられることは多くは無いが、やはりたまに酷い目に遭ってしまう…らしい。
「お前ならどちらの生き方でも上手く生きていけるだろう。前者は知識量が十分、後者は性格が上手く働く。」
おじい様はそう言ってくれた。褒めてもらう事は素直に嬉しかったけれど、なんだか別れが近付いているような気もして、とても複雑だった。
そんな思いを抱えて、私は初めて町に足を踏み入れる。
ローブを着て大男の後ろをてくてくと歩く小さな影は、周りからはどう見えているのだろう。
おじい様曰く、この町の人達は非知者には寛容との事。
「あら魔法使いさん、その子は?」
「非知者の子で、ヒサメと言う。一年と少し前に来た。名前まで忘れた子だ」
「それは…大変だったね。赤髪の子、名前は?」
「ヒサメと申します。よろしくお願いします」
「出来た子だね。森を出ても上手く生きていけるよ」
その後もおじい様は色々な人と会話をしていた。
町の人々の彼に対する呼び名は三者三様、先生だったり、魔法使いだったり…
私が非知者である事に過剰に反応する人も居らず、むしろおじい様が話す人は私を心配してくれる人が多かった。
ただし何度か良くない目線を感じたのも事実。この世界で非知者とは、奇異の目に晒され、被差別の対象なのだと、この時初めて認識させられた。
「おじい様、これで用は終わりですか?」
「いや、まだある。今度はお前の用事だ」
「…私の、ですか?」
「ああ。私は隠すのが下手だから正直に言うが、杖を買う。言ってしまえば…誕生日の贈り物だな」
今まで何も使わずに魔法を使用していた私が、ついに魔道具を手にする…おじい様からの贈り物というのは当然嬉しいのだが、それを買い与えて貰ったところで私の手には余る物な気がする。それに…
「でも私、分からないですよ?誕生日」
「この世界にやってきた日をその日にしてしまえばいい。今までの子達はみんなそうした」
一年も私を匿ったり、それから誕生日の贈り物をくれたり、この人はどこまでも過保護で優しい。ただこの世界では、その過保護が上手く作用するのだろう。初めて町に出てきた今日、不快感がほとんど無かったのがその証拠だ。
「今から向かう場所にお前の兄弟子が居る。商売と、魔力の流れを見るのが上手いやつだ。いい杖を選んでくれるだろう」
そんな話をしながら私とおじい様は路地裏に入る。
流れる様に言ったけれど、魔力の流れとは何だろうか。少なくとも、私には見えたことが無い。
そう言えば、おじい様の弟子の方と会うのは初めてだ。先程おじい様は私のことを名前まで忘れた子、と言っていたけれど、その他にはどんな人が居るんだろうか。
「いらっしゃい…あ、お師匠。今日は何の用です?」
「この子の誕生日が近いから杖を買いに来た。合ったものを見繕ってやれ、ショウ」
ショウと呼ばれる眼鏡を掛けた好青年は、おじい様の紹介を経て、私をじっくりと見つめる。
「初めまして、僕はショウ。杖って事は、魔法が得意なのかい?」
「ヒサメと申します。得意かどうかは…おじい様以外の魔法を見た事がありませんので…」
「家事のために微風と着火しか使わんが、魔力量は同年代の子に比べればかなり多い。恐らくその気になれば難しい物以外は大方使えるだろうし、召喚魔法も使いようによっては強いだろうな」
私は料理の着火と庭掃除の微風以外使う気が無い。召喚魔法の方も、初めて使った日に比べると呼び出せる数は増えたけれど、おじい様の言う万が一は訪れた事がない。
そんな私が、杖を貰っていいのだろうか…やはり少し不安になる。
「へえ、何を召喚するんです?」
「兎、とは名ばかりの角の生えた兎です。今は一日四十程呼び出せます。」
既に私の魔力とやらを見終えたのか、奥の方に行き杖を見繕っていたショウさんの手がピタリと止まる。
こちら…と言うよりおじい様を見る彼の顔には、困惑と焦りが見えた。
「…杖無しで四十?」
「杖無しで四十だ。お前の目利きでいい杖を選んでくれれば、三桁は行くだろうな。私の結界も万全では無いし、万が一に備えてな。」
結界なんて単語は初めて聞いたが、今はそれどころでは無い。
杖があれば三桁、という言葉を聞いてから、ショウさんは首を傾げる。当然だと思っていた数字がまるでおかしいと言わんばかりのその反応に、私も困惑する。
「…あの、さっきも言いましたが、私基準が分からなくて…」
「ヒサメさん、君の魔力量はっきり言って異常だ。常人の五倍は下らないし、何かの対価が無いとなし得ない程の物だと思う」
対価、という言葉を聞き、思い浮かんだ事が一つあった。それは先程からずっと気になっていた疑問。ショウさんの技術、私が抱いていた違和感…全てが繋がった。
「対価、と言うのは、魔力が見えないことだったりしますか?」
「…私やショウの周りに半透明の物が見えないか?」
そう言われ、一度目を瞑り、擦り、じっと見つめる。
…見えない、私には。
「成程、魔力不可視だったか」
また初めて聞く単語だったが、今回はすぐに意味が分かる。
「それは…どれ程の弊害が出るものなんでしょうか」
「日常生活で特に支障は無いが、魔法を使って戦うことを目指していた子がそれを諦める程には…重い物だな」
「お師匠が小さめの杖を贈った子だね。あの子、その後は?」
「何年かおきに無事を伝えに家に来る。もうそろそろ来る頃なんじゃないか?」
ショウさんと私の間にも、何人かの非知者の子が居た事が分かる会話が行われる。
もしかすると、非知者は結構当たり前のようにいるのかも知れない。非知者を外に送り出す人は、おじい様以外にもいるのかいないのか。それはまだ分からないけれど、もしあの森を離れるのなら、私もそんな人になりたい。
「世間話ばっかりじゃヒサメさんもつまらないね。そろそろ杖を選ぼうか」
そんなショウさんの気遣いをきっかけに、ようやく私の杖選びが始まった。
あの日は結局数時間かけて、ショウさんとおじい様が杖を選んでくれたのだが、今もほぼ新品の状態で部屋に立て掛けてある。暗い色をした木材に、紅い装飾と宝玉。自分で言うのもなんだけれど、とても私に似合う杖だ。ショウさんの目利きで選ばれた事もあり、性能的にも私にぴったりとの事。
私の部屋は歴代非知者の人達も使っていたとおじい様から聞いていたので、その事も考慮し、部屋の物は少なくしてある。それでもその杖を立て掛けたのは、贈り物が嬉しかったから、この世界に来て初めて貰った物だから…理由は様々。どれも自分勝手な理由だ。
杖を選んでもらったのは確か二ヶ月ほど前。あれから少しは暖かくなった物の、やはりまだ少し肌寒いし落ち葉も舞う。ガタガタと窓が音を鳴らしているのを聞いて、まだ外の掃除が終わってなかった事を思い出した。最近は杖を見つめている時間が無駄に多い気がする…
箒を手に取り、外に向かい…磨り硝子の向こうに、何か蠢く影を目にした。
なるほど、これが万が一、か。
「…使いたく、無かったんだけどな」
兄弟子と先生からの贈り物は、たった今より飾りじゃなくなりそうだ。
魔法を使う戦闘をする際、魔力が見えないとどれ程不利になるのか分からない。それでも…やるしかない。
部屋から杖を持ち出して強く握る。決意を、する。
「召喚、兎」
扉を強く開け、視界の端から端まで杖を振る。
杖の効果か、三ヶ月の修練の結果か、魔力の半分を使うことなく百を越える角付き兎を呼び出せた。
攻撃をすること自体初めてだったな、と思いながら、また杖を強く握り、攻撃対象を私以外の魔力を持つものに設定する。頭の中でぼんやりとそう思っただけで、やり方が合っているか、出来ているかは分からない。
あとは何が出来るか、と考える。とりあえず微風で落ち葉を集めて目くらましかな。
兎が猪突猛進する様を見つつ、私も走り出す。
そう言えば私、この一年と少しで走ったこと、そんなに無かったっけ。走るのも怠いし、兎だらけで見えないし…試すだけ、試してみようか。
本来は物に掛けるはずだけど…おじい様にしてもらって、体験済みだ。
成功すれば、それを見るのは一年と少しぶり。
「浮遊」
おじい様は簡単な部類の魔法だと教えてくれた浮遊魔法。なるべく見せてもらった通りの行動をし…無事成功する。
急速に浮き始める杖を必死に操りながら、杖に腰掛けて兎の攻撃対象を眺める、のだが…あれは、球体?
それは一瞬しか見えず、球体の中身だったと思われる物は、私の後ろから声を掛けた。
「久しぶりに逸材…ってやつに会ったかもしれない」
襲撃者の正体は、女の人。いや、襲撃者と言うのは少し不適切かもしれない。
おじい様とショウさんの会話を思い出す。私のそれよりも遥かに小さい、片手で持てる様な杖。そしてこの人の年齢はおそらくショウさんよりも少し下…
「もしかして、おじい様のお客様でしょうか」
「もしかして、君は非知者ちゃんだね。一度降りて話そうか」
「ね先生、この子ちゃんと魔法教えないの?」
「本人が希望していない」
「先程は申し訳ございません。こちらお茶です」
「向こうでガサガサしてたのはそれかあ。という事は、火の魔法も使える感じ?他はどう?」
怒涛の質問攻めが少し怖いが、しっかりと答えるべきことを答える。この知的好奇心は職業柄なのだろうか…
「…着火と微風なら」
「あれ、でもさっき浮遊使ってなかった?」
「思い付きで、です」
紅茶の入った磁器と茶菓子を机に置き、私も椅子に腰掛ける。
さっきの浮遊は見様見真似で行った、本当にただの思い付きの物だし、急上昇したからかまだ少しだけ頭も痛む。端的に言ってしまえば、完璧に成功したとは言い難い。
「…と、言った感じで才能の塊だが、あまりに人と関わりがなさすぎて気付いていない」
そんな浮遊を許可なく使った事に叱るどころか、才能だとまで褒められる。
それから紅茶を飲み終えて目を開いたおじい様の目は、少しだけ険しくなった。
「研究者的にはあの兎、どう見る?」
「さあ?角の生えたウサギなんて私は知らないよ、先生」
レンさんは魔法の学校の先生、と言うか研究者らしい。自身も悩まされた魔法使いの対価について研究する傍ら、基礎的な魔法を教えているとの事。この世界にそのような機関が存在する事は、ここで初めて知った。
最低限の魔法が使えればいいと思っている私も、いつか通うことになるんだろうか。私としては、魔法に対してそこまでの興味も無いし、このままおじい様の役に立ち続けたいけれど…
これは大人の会話だな、と思い自室に戻ろうとしたのだが、すぐさまレンさんから声が掛かる。
「ところでヒサメちゃん、さっきの私の魔法、一瞬見えた?」
「あの球体、でしょうか?」
「そ。あれね、魔力の膜なの」
「…膜?」
急に何の話だろうか。それに魔力の膜が私に見えるのもおかしな話だ。しかし実際、私は目にしたのだ。球体も、それを攻撃する兎の姿も。
「端的に言ってしまえば防御魔法。魔力不可視なのに君にも見えた仕組みはまた今度説明するとして…あれは私が作った魔法だよ」
「魔法はそう簡単に作れるものでは無いんだがな」
魔法は作る事が出来るのかと、そんな驚きをしている間もなく、私はふととある事に気付く。
「おじい様、私の知る非知者の方は皆様、何かしらの能力が突出しているように感じられます」
私の魔力不可視と魔力量の異常、ショウさんの魔力を上手く見る力、そしてレンさんの魔法創作能力。
「そうだねえ。ただ、それを悪用しようとする奴らも居るから」
「…神降ろしの連中か」
神降ろしとは、五百年前に起きた呪いの発生の原因となった集団の俗称。そして今なおそれを再現しようとする人達が居ることも、おじい様から教わっている。
私のように幸運に恵まれなかった子が、その禁忌の加担をさせられているかもしれない。想像しただけで、怒りも悲しみも込み上げる。
それを思えば私もレンさんもショウさんも、運良く拾われ保護された身。そんな幸運な環境で育っておいて…少なくとも私は彼ら彼女らを憂う言葉は発せなかった。
一気に静まり返ったその空間を破ったのは、レンさんの一言。
「…ねえヒサメちゃん、やっぱり私の学校で学ばない?」
思いも寄らぬその誘いに、意思が揺らぐ。心臓が、高鳴る。
魔法には興味が無いと言ったり、おじい様への恩返しと言うのは私の誤魔化しだ。いや、おじい様への恩返しは当然したい。今後もずっとこの家で従事したいと思っている。
しかし、魔法に興味が無いと言うのは少しだけ嘘になる。正確に言えば…非知者を救う手段を学びたいのだ。
「おじい様、私は…」
私はどうすればいいのか…どうしたいのか。この世界のことは何も知らないし、それに何より私が私自身のことをよく分かっていない。そんな状況で、私がこの森の外に出てもいい物なのだろうか。
「お前が何を選ぼうと、私に止める権利はない…薄情かもしれないが、じっくり悩むんだ」
人を守る魔法、守る術を作る魔法。それを自ら学び、人に教える可能性が生まれる道が今、私の目の前にある。
どちらの欲望に従えばいいのか、私にはまだ分からない。
レンさんには申し訳ないが、今は保留だ。
「…いつか、向かいます。必ず。ただ今は…」
「いいよ、そんな気張らなくて。まだ先生に恩返ししたいか、そっか。先生もいい子に好かれたなあ」
そう話しながら、レンさんは紙に何かを書き込み、それを私に手渡した。
「学校の場所と名前、あと私の名前。来てくれれば即入学」
簡単な地図と、北部魔術学園、クジョウ・レンと書かれたその紙を大切に折り畳む。
この出会いを機に私は、非知者保護を改めて志す事になった。